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「ふむ。まさかこれ程とは……」

 目頭を抑えつつ、苦々しげに彼女王様が漏らした。

「まさかこれ程までに才能がないとは……」

 その圧倒的低評価に膝が折れそうになる。俺は半ば泣きそうになりながらも、またそれを口にした。

「わ、我が深淵の底にて燃ゆる真なる意志よ、我がマナをもって……その片鱗を顕現? せよ! イグ・ラーカ!」

 手のひらを前に突き出し、大声で叫ぶ。
 しかし先程と同じように、やっぱり何も起こらない。うんともすんとも言わない。
 
「うーん。間違いなくマナはあるんだけどなあ。詠唱がたどたどしいっていうのはあるけど、それにしても何も起こらな過ぎだねえ。何でだろう」

 がっくりとうなだれる俺にそう言って声を掛けたのは、彼女の隣にいるメイドさんだ。
 何だかやたらとフランクな感じの子だが、ショートボブの金髪、可愛らしい顔立ちの顔に、白を基調としたメイド服がよく似合っている。
 胸は正直控えめのサイズ(というかほぼゼロ)だが、ちょっと短めのスカートから伸びる細くて白いおみ足は目に眩しい。スタイル良好、器量もよし。女王様と比較しても遜色のない、特A級の逸材と言っていい存在だ。

 しかしそんな可愛い子に、なぜか俺はさっきからずっとダメ出しを受けていた。

「魔法は想像力が大事だっていうのはさっき言った通りだけど、どうかな。きちんとイメージしながら詠唱しないとダメだよ。もう一回やって見せてもらう?」
「やー、それはもうだいじょぶです。何とかやってみます」

 もしかしたら恥ずかしがっているのがダメなのかもしれない。それならはるか昔、厨二真っ盛りだったころの俺を思い出せばなんとか……!

「我が深淵の底にて燃ゆる真なる意志よ、我がマナをもってその片鱗を顕現せよ! イグ・ラーカ!」

 き、決まった! 実に10年ぶりの完璧な魔法詠唱!
 家族にバレないようにミニコンポで音楽を流しながら練習していたあの時間が、まさかここに来て生きてこようとは!

「…………あれ?」

 しかし突き出された俺の右手からは、やはり何も出ることはなかった。
 うなだれを通り越し、ついに俺はそこにどしゃりと膝をついた。

(な、なぜ……)

 あの女王様と契約の握手をしてから、そろそろ一時間程になろうか。仕事をするにあたり、実際に俺の力はどんなもんなのかとこうして城の外の広場にて魔法の試し打ちを始めたのはいいものの、このザマである。

 何ということか。どうも俺には魔法の才能がないらしい。つまり俺はこの一時間、ただずっと張り手の練習をしていただけということになる。こんなん魔法どころかどう見てもデブ御用達の物理攻撃です。本当にありがとうございました(泣)。

 しかし俺が魔法を使うためのエネルギーであるマナをかなりの量持っているのは確からしく、女王様とメイドさんはずっと首を左右に傾げ続けている。

「その黒髪とマナ量は、まさに伝承にある黒の賢者と特徴が一致しておるのじゃがな……」

 そう言う女王様は謁見の間の時とは違い、少しカジュアルな白ドレスに着替えていた。威厳ばかりが前に出ていたあの時とは違い、少し普通の少女っぽく柔らかい印象になったものの、その言葉にはやはりいくらかの重みがある。
 だからかは分からないが、俺は再び彼女の口から出てきたその単語に眉をひそめて見せるしかなかった。

 この世界では黒髪の人間というのは貴重らしく、その特異な能力からその人間を『黒の賢者』と呼び、重用してきた歴史があるらしい。

 少し話を聞いたところによると、彼女は今回の国の危機を受け、その黒の賢者を国中探しまわったようだ。しかし結局該当する人物は見つからなったらしく、それならばと手を出したのが、あの召喚魔法だったらしい。

「やっぱり俺、そんな大それたものじゃないんじゃ……」

 つい弱音をこぼすと、女王様が困り顔ながらも慰めるように俺に言う。

「黒の賢者に関してはかなり不確定な部分も多いからの。なに、実際に七色のマナはもっておるのだ。それだけでもすごいことじゃとわらわは思うがな」
「うーん……。実感は皆無なんですが、そういうものですかね……」

 この世界には火、水、土、風等のファンタジーにお約束のマナと魔法があるらしいが、普通の人間はその内の一つか二つしか扱えないところを、黒の賢者はその全てを高いレベルで扱うことができるというチートな存在であるらしい。

 今回女王様はその黒の賢者が召喚されるように魔法を行使したらしいが、喚ばれた俺が実際にはこんな感じなので、女王様もメイドさんもちょっと困惑しているようだ。

 俺はそのマナを持っていても、肝心の魔法が使えない点でその黒の賢者に大きく劣っているのだ。これでは宝の持ち腐れ、召喚ガチャに失敗したと言われても仕方がない。

「ふむ。まだ伝えきれていないものも多いが、残念ながら時間じゃの」

 マジでこんなんでやっていけるのかと不安に思っていた時、彼女がふと俺の後ろの方に目を向ける。なんだろうと思いながらそれを追うように振り返ると、

「うおわぁ!?」

 ついさっきまでは何もなかったはずなのに、いつの間にやらすぐそばに馬車のようなものがあり、俺は裏返り気味の素っ頓狂な声を上げてしまった。
 普通の馬車ならもちろんこんなに驚いたりはしない。俺が驚いたのは、その馬がいるはずの部分に全く別のものがいたからだ。

「オオサンショウウオ……?」

 自然と口に出たそれが一番近いものの気がしたが、それにしてはあまりにもでかい。そもそも2本の足で立ち上がっている時点で全く別の生物であることは明白だ。

 俺が少し見上げるくらいだから、2メートルはゆうにあるだろうか。エメラルド色のぬめぬめとした体はちょっと気持ち悪いが、とぼけた感じの顔はちょっと可愛らしいと言えなくもない。何とも判断に困らされる姿だ。
 訝しげに眺めていると、その大きな瞳と目が合った。

「キュキュキュキュ!」

 俺に文句でもあるのか、そいつは空に向かって甲高い声を上げた。そのまま鼻からふんすと大きく息を吐くと、こちらにその巨大な体躯を見せつけるように仁王立ち。

 ……おい。まさかとは思うが、これ同類だと思われてないか。動物がよくやるマウンティング的なやつだろこれ。確かに魔法の練習でいつの間にやらまた汗まみれだけど、俺はそこまで両生類じみたぬめぬめ肌ではない。断じてない。

 そうだよね? と思わず女王様とメイドさんの方へ顔を向けてしまう。するとメイドさんがそれを解説希望と勘違いしたのか、俺に教えてくれた。 

「驚いた? この子はマンダっていう水竜の一種だよ。頭がよくて人の言葉も分かるから、王都では竜車って言って、こういう車を引いて人とか物を運ぶ仕事を担っているんだ」
「ほ、ほほー……」

 竜! コレが!? 俺のイメージしてたのと違う!
 つい反射的にそんなことを思ってしまったが、そんなささいなディスりでも相手に伝わるような気がして、俺はその感想を心の中にそっとしまい込んだ。

「俺の世界にも似たようなのはいましたが、サイズ感が全然違ってたんでちょっとびっくりしました」
「へ〜君の世界にもいたんだ。可愛いよねえマンダ。小さい頃はよく水のかけっことかして遊んだなあ〜」
「ほ、ほほお。水のかけ合いですか。そいつはぜひともご一緒したかったですねえ」

 何せ子供の頃は特有の無防備さで服とか透けちゃっても気にしなかったりするからね。 特にこのメイドさんは天真爛漫系キャラだし、ちょっとエッチなイベントがたくさんありそう!

 と、ロリ時代の彼女に思いを馳せてデュフっていると、ふと視界の端で大きな物体が動いた。
 見ると、何やら件のマンダ氏が大きくのけぞりながら腹を膨らませている。

(これは……)

 何か嫌な予感がする。引き気味に様子をうかがっていると、マンダ氏がこちらに体を向けた。

「一体何を……ってぶええええあああああああああ!?」
「ああほら、ちゃんと僕らの言ってること分かってるでしょ?」
 
 何をするのかと思ったら、あろうことかマンダは口の中から大量の水を俺に吐き出してきた。
 結構な力のある水流をもろに顔に受けた俺は、そのまま数メートル後方に吹き飛ばされる。
 めちゃくちゃやこいつ。俺が何をしたって言うんや……。

 しばらく放心状態のまま大の字で空を仰いでいたら、メイドさんが手を差し伸べてくれた。

「大丈夫?」
「な、何とか」
「マンダは遊び好きだからね。少しでも遊びの気配がしたら、こうやって誘ってくるから気をつけてね」
「なるほど……気をつけます」

 マンダのそばでは口を滑らせないように、か。やはり異世界生活はいろいろ覚えることがありそうだ。
 今回は何とか大丈夫だったが、もう少し慎重に立ち回った方がいいかもしれない。知らずに即死案件に当たったら終わりだしな……。

 と、そうして自分を改めて戒めつつスウェットを絞っていると、どこかから低い声が聞こえて来た。

「おいおいそんなんで大丈夫なのかぁ? 先が思いやられるぜおいぃ……」

 また何か来たのかと周りをうかがうと、ちょうど客車の後ろから大きな影がぬっと現れた。
 大きい。マンダ程ではないが、それでも2メートル弱はありそうだ。

「ご苦労じゃったなベアード。ぬかりはないか」
「おう。言われた通り客車のグレードは普通のにしといたし、荷物もちゃんと積んであるぜ」

 女王様にそう答えながら、その人物は被っていた外套のフードに手を掛ける。
 そうしてするりと、こともなげにさらけ出された顔に、俺は驚愕した。

(ふぁっ!?)

 声なき声が漏れそうになり、俺は慌てて両手で口を塞いだ。
 フードの中から出てきたのは、人間の顔ではなかった。
 
 黒い鼻に、ω型の口。向こうの世界で言うと、一番近いのは熊だろうか。その顔には肌らしいところが見当たらず、それと見られる場所は一面茶色い毛で覆われていた。
 タレ気味の糸目は一見人が良さそうにも見えたが、ゆったりとした外套の外からでも分かるその筋肉がやばくて、とてもじゃないが気安く近寄る気にはなれない。

(亜人、もしくは獣人……ってやつか。いよいよファンタジーじみてきたな……)

 正直お近づきになりたくないのだが、そうしてびびっている俺を見かねてか、女王様御自らに紹介されてしまった。

「普段王都にはいないのであまり会わんかもしれんが、一応紹介しておこう。こやつはベアード・ベアーズ。少し融通のきかないところはあるが、わらわが最も信頼するこの国最強の矛じゃ」

 それを受け、彼がのそりとその重戦車のような体を動かしてこちらに体を向ける。
 ω型の口元は表情が読みにくいが、俺を見てほのかに笑った気がした。

「──え?」

 が、その瞬間彼の姿がこつ然と消える。
 刹那、視界が何かでかい塊に遮られたと思ったら、凄まじい爆風が俺を襲った。

「ぶろろろろろろろ!」

 風圧で顔の肉がたるみ、ぼけっと口を開いていたところにその爆風が入り込んで、口の中をしこたま蹂躙される。
 何が起こったのかすぐには分からなかったが、次に聞こえてきた声で俺はようやく理解した。

「ほおぉ、これを避けねえってのはちょっと興味深いな。殺気がないと見て棒立ちなのか、当たっても問題ないと見て棒立ちなのか。それとも単に反応できなかっただけなのか……。こんだけ無防備晒されると、逆にどれだか分かんねえな」

 塊の正体は、男の拳だった。岩壁から荒く削り出されたかのように節くれ立った巨大な拳が、俺の鼻先一寸手前で止まっていた。
 理解した今でも信じられないが、彼の姿勢とこの拳を見るに、どうやら俺は彼から文字通りの『寸止めパンチ』を受けたらしい。

 ただのパンチでこれとか、女王様が信頼するだけのことはある。こんなんまともに食らったら即死です。本当にありがとうございました!
 いささか飼い犬のしつけがなってないのでは、と女王様に視線を送ろうとしたが、突然眼の前の彼に右手を強引に取られてしまう。

「ベアードだ。よろしくな、黒の賢者」

 正直怖いのでこれ以上関わりたくなかったが、握手を求めてきた人間を邪険にはできない。
 とりあえず失礼にならない程度に俺はその手を握り返し、にこやかに応じた。

「ああ、はい。ドルオタです。よろしくおねがいしますぅううい!?」

 しかしそうして無難にやり過ごそうとしてる俺に対し、彼はぶんぶんと肩が外れそうになるくらいの強さで腕を振る。
 びびって変な声を上げてしまう俺を見て彼はカラカラと笑い、外套をバサリとなびかせながらさっそうと踵を返した。

「わりぃが名前を覚えるのは苦手なんだ。もし俺が無視できなくなるくらい強くなれたら、そん時また教えてくれ」

 そんじゃ、と軽い調子で右手を上げ、のっしのっしと客車の方へと戻っていく。
 っく! もう少しで肩が外れるところだった。これだから脳筋キャラは……!

 こういう武闘派が一人周りにいるとかなり異世界生活の安全性が増しそうなのだが、同時に危険も持ってくる可能性があるので扱いが難しいところだ。
 幸い今のところ俺に興味はないみたいだし、しばらくはノータッチで置いておくのがいいだろう。触らぬ武闘派に祟りなしってやつだ。

「では行くとするか。ベアードは御者を、マールもこのまま引き続き同行せよ」 

 女王様のそれに対し、それぞれがはい、おうと応じる。
 女王様が客車に乗り込んだ後、俺もマールと呼ばれたメイドさんに促されて客車に乗り込む。

 全体が木製の、いたって普通の客車だ。ガラス製と思われる窓とカーテン、4人がけくらいの幅の椅子部分には簡単な布が敷かれ、一応客車としての対面は保たれているといった程度のものだった。
 女王様が乗っているのを隠すためのカモフラージュなのかもしれないが、それでも王族が乗るには正直少ししょぼい。

 広さも普通の体型の人を元に設計されているらしく、俺が入るとかなり狭い。必然、俺が一人で座席を独占し、女王様とメイドさんがその対面に座るという形になってしまう。

 美女二人と足が触れ合うようなその狭さの中、俺はいたたまれなくなって無理やりメイドさんに話を振った。

「そう言えばメイドさんマールって言うんですね。謁見の間にいた人もマールって呼ばれてましたけど、結構よくある名前なんですかね」

 そう聞くと、二人は顔を見合わせた。
 何か変なこと聞いたかな? と思ったその直後、二人が同時に笑い出した。

「な、何で笑うんですか?」
「ふふっ。いやだって……」
「のぉ?」

 と、再び俺を置いてけぼりで笑い合う彼女達。
 何なのこの子達。てか女王様とメイドさんなはずなのに何かお互いに気安すぎひん? どういう関係なの君達……。

「まあこれはわらわの傑作であるからして、気づかぬのも無理はないか」
「女王様、ずいぶん化粧上手くなりましたもんねえ……」

 そうして嬉しそうに胸を張る女王様と、少し複雑そうに苦笑するメイドさんを見ても、やはり俺には何を言っているのか分からなかった。
 ただおろおろとしながら二人を見比べていると、女王様が嬉しそうに言う。

「こやつがそのマールじゃぞ、ドルオタ」
「えっ?」

 俺はメイドさんの方に再び目を向けた。

「そしておそらく気づいていないだろうから教えておくが、マールは男じゃぞ」
「…………え?」 

 嘘だろ? この特A級メイドさんが? マジかよ。完全に女の子にしか見えん。男の娘ってリアルに存在したのか……。
 若干興奮気味に身を乗り出しつつ見ると、彼は少し恥ずかしそうに身を捩った。
 確かによく見ると、あの謁見の間にいた子と瓜二つだった。

 元々素材が良過ぎるところに、彼のその中性的な魅力を高める完璧なまでのナチュラルメイクが施されていた。濃厚なドルオタである俺をもってしても、その完成度に口を挟む余地が一切ない。
 いやマジ、何そのピンクのきらきらした唇。断然正解過ぎてひれ伏してからの土下寝求愛ですわこんなん……。

「ふふん。すごいじゃろう。マールは宮廷魔術師としても、わらわの臨時専属メイドとしても至極優秀じゃからの」
「いやほんとすごいですよ! まさかこんな作品がこの世に存在するとは!」

 これ向こうの世界だったらアイドルになれば世界取れる器やで。今すぐ連れ帰ってプロデュースしたいレベル……。

 感動のあまりがっしと女王様の両手を掴んでしまうと、女王様が目を丸くする。
 数瞬そうして呆気に取られていたと思ったら、女王様はハッとしたように俺の手をぎゅっと握り返し、心底嬉しそうに顔をほころばせた。

「おお……おお! 分かってくれるかこの素晴らしさを!」
「もちろんですよ! この衣装! メイク! 仕草! そしてメイドさんなのにあえて言葉遣いをラフなままにしているのもポイントが高い!」
「おおおお! そこまで分かっているとは!」

 さすがは黒の賢者! と俺を褒め称える女王様に対して、マール君の方は半ば呆れたように俺達を見ながら嘆息一つ。

「何か、すごいコンビが誕生しちゃった気がする……」

 まさか女王様がこっち方面の造詣に深いとは。もしかしたら俺とすごい気が合うんじゃないの。今度ゆっくり話してみたいな。
 と、そんなふうに少し中の雰囲気を和やかにできたところで、ちょうど竜車がゆっくりと動き出す。
 
「そう言えば次はどこに行くんです?」

 聞くと、女王様がふむと思案げに顎に手を当てた。
 街でも紹介してくれるのだろうか。確かにこれからここで生活するとなったら、街の雰囲気くらいはどんな感じなのかは知っておきたいところだ。

 そう思ったが、しかし彼女はううむとしばらく唸った後、なぜか意味深な溜めを作りつつ、こう答えた。
 
「まあ、そなたの仕事場……と言ったところかの」






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「い、命を落とすって……」

 はりつく喉を無理やり震わせ、何とか声を絞り出した。

「ど、どういうこと? 俺死ぬの?」

 図体のでかい裸のデブ男がそうして詰め寄っても、彼女は俺から全く目をそらすこともせず、ただ静かに告げるだけだった。

「うむ。あくまでも仕事が全うできなければだが、その場合は間違いなく死ぬ」

 憐れみ、だろうか。その目は相変わらず強い光をたたえていたが、そういったネガティブ寄りな感情もいくらか含まれているように見えた。
 その目により真実味を感じて絶句していると、彼女の形のいい唇が動いた。

「まあいきなりこんなことを言われても納得いかないだろうな。順を追って説明しよう」

 そこで彼女はやっとタオルを自分の体にしっかりと巻きつける。しかし羞恥からというよりは、話すのに邪魔といったような体だった。
 
「その前に一つ聞いておかなければならないことがある。君はこの世界に来る直前の自分の状態を覚えているだろうか」
「直前の状態?」
「そう。君はこちらに来た時に寝ている状態だったのだが、あちらの世界で寝ている時に召喚されたのだろうか。それとも別の何かをしている時だったのか。その辺りの記憶はあるかな」
「ああ、はい。最初は何が何やらだったんですけど、一応あらかた思い出しました」

 ほんとについさっきまで曖昧だったけどね。謁見の間でのリーサルウェポンのくだりで思い出しました。はい。
 妹から仕送り打ち切り宣言を受けて絶望。そして公園へ禊へ行こうとした矢先、自分で解放したゲキクサ右手の臭気によってよろけ、道路の真ん中に出て大型車に轢かれそうになる……。

 これが俺の覚えてる限りの最後の記憶だ。そっから先の記憶はない。

「そうか。それは説明しやすくて助かる。……ああ、別に言わなくていいぞ。私は君が直前にどういう状態だったかを知っているからな。詳しい状況まではさすがに分からないが、君はおそらく死の間際にいたのだろう?」
「え!? 何で分かるんですか!?」
 
 あのアホみたいな場面、もしかして見てたの? すごい恥ずかしいんだが……。
 いや、詳しい状況までは分からないってことはそういうことじゃないな。どういうことだ。

「……ん? 女王様、どうされました?」

 そこで俺は、女王様の様子が少しおかしいことに気づく。
 女王様は何やら不満そうに俺を見つめていた。
 
「女王様?」

 やだ、何か変なこと言ったかしら……とちょっと不安になりながらもそう重ねると、彼女はますます眉をひそめる。

「……敬語禁止」
「えっ?」
「敬語禁止だと、言った。さっきからまた敬語に戻っているじゃないか」

 彼女はギリギリ聞き取れるくらいの小さな声でそうつぶやき、頬をぷくっと膨らませた。

「女王様は、もっと、絶対禁止」

 一体どうしたというのか。最初の雰囲気とはまるでかけ離れたその仕草に、俺の心臓は大きく高鳴った。

(何というあざとさ……! 狙ってやってない感じもレベルが高い!)

 グループのお姉さんキャラの子が急に女の子っぽい仕草をすると、ギャップ萌えでドルオタは結構やられてしまうものである。
 まして今回は本物の女王様だ。ギャップがあるなんてもんじゃない。

 ファンタジー世界にしかないだろうその新境地をもっと堪能していたかったが、彼女をこのままにしておくわけにもいかない。少し残念に思いつつも、俺は彼女に答えた。

「あー……すみません。いや、ごめん、かな」

 たどたどしくもそう言うと、彼女は満足そうにうむと頷いた。

「まあやはりいきなりは無理があったかもな。私も普通の町娘のようには話せないし、お互い様といったところか」

 と、納得しつつも少し寂しそうにそう言う彼女がちょっと気になった。
 しかし彼女は、話の腰を折ったな、と早々に話し出してしまい、俺のその疑問は流されてしまう。

「さて、なぜ私が君の召喚前の状況を知っているか、だったな。それは単純に、私がそういう死の間際にいる人間を召喚しようとしたからなのだ」
「えっ、それはまたどうして」
 
 何だそりゃ。何でわざわざ死にそうなやつを召喚する必要があるのか。
 俺がたまたま健康体だったからいいものの、仮に病気で死にそうなやつを召喚しちゃったらどうするんだ。すぐに死んじゃったら意味ないですやん。それともそういう状態でも治す自信がある、ということなのか。

 クエスチョンマーク丸出しの俺に、彼女は言った。

「実は召喚魔法というのはまだまだ未完成な魔法でな。行使するには莫大なマナが必要なんだ。考えなしにやろうとすれば、個人ではまずまかないきれない程のマナが必要となってくる。それがいかにマナを豊富に持つ人間であろうともだ。ここまではいいか?」
「えっーっとえーっと……。うん、何とか」

 まだマナやら魔法やらという単語に慣れていないせいか、内容がまっすぐに頭に入ってこない。
 必死に頭をフル可動させながら答えると、彼女は頷きつつ続けた。

「しかし私は、古い文献からその消費マナを抑える方法を発見した。召喚する相手が生物、人間である場合は、ある条件を魔法に加えることによってその消費マナを抑えることができる、という方法だ」
「つまりその条件というのが、“今にも死にそうなやつであること”だったってこと?」
「そういうことになる」

 ほっほーん? 分かるような分からないような……。
 俺は首を捻りつつ、また彼女に聞いた。
 
「まあ、何となくは分かったよ。でもそれってさっきの仕事ができなかったら死ぬっていう話とはあんまり関係ないように思えるんだけど、そこら辺はどうなの? 現に今俺は普通に生きてる訳じゃない」
 
 そう言うと、彼女は少し驚いたように俺を見た。

「ふむ。やはり、そうなのか。マナがないと言っている時点でよもやと思っていたが……」

 と、何やら思わせぶりなことを言ったかと思うと、彼女は神妙な面持ちになりながら続けた。

「関係はある。なぜなら私が魔法に込めた条件は、正確には“天命が尽きかけている者”だからだ」
「天命が尽きかけている者?」
 
 またうまく頭に入ってこなくて、俺はそれをただ復唱した。
 天命っていうのはつまり、何だ。神様からもらった寿命みたいなもの、でいいんだろうか。
 そのまま聞いてみると、彼女は然り、と頷く。

「与えられた天命は、どの世界においても同じだと言われている。つまり、君が向こうの世界で天命が尽きる運命であったなら、こちらの世界でも同じく天命が尽きる運命にある、ということだ」
「ええええ!? それまずいじゃないですか!」
「うむ。しかしそれはあくまでも何もしなかった場合の話だ。先程仕事を全うできなければ死ぬと君に言ったが、言い方を変えるとこれはむしろ、仕事さえきちんとしてもらえればその天命を伸ばすことは可能、という話なんだ」
「天命を、伸ばす……?」

 彼女がまた頷く。

「人が天命を全うする時、それが持つマナは急速に失われていく。病死だろうが事故死だろうがそれは変わらない。マナが完全になくなった時に、人は死ぬ」

 そこで彼女がふいに俺のそばに寄り、みぞおちの辺りにぺたりと手を置いた。

「……ぉぅ」

 女の子にしてはひんやりとした手のひら。その柔らかな感触に、俺は思わずくぐもった声を上げてしまう。
 圧倒的にモテない人生を送ってきた俺からするとかなりビックリドッキリシチュなのだが、彼女の方はどうということもないという感じで、淡々と話を続けていく。
 
「では天命が近く、マナがどんどん失われていく者に、こうして他人がマナを供給し続けたとしたらどうなると思う? やはり死ぬのだろうか。それとも生きながらえるのだろうか」

 手のひらの温度に気を取られそうになったが、何とか答えた。
 
「……生きながらえる?」

 すると彼女は目を細め、「正解だ」と薄く笑う。

 男と裸に近い格好でこんな距離にいるのに、堂々としたものである。さすが王族といったところだろうか。それに対してめっちゃドキドキしてる俺、やはり童貞力が高い。高過ぎてスリップダメージが入って来てて正直つらい。

 そうして悶々とする俺をよそに、彼女はなおも説明を続ける。

「ただ、並大抵のマナ量では全く効果がない。加えて自分のマナを誰かに分け与えるということもかなり難しい。神を謀るにはそれ相応の力が必要ということだが……」

 そこで一度区切り、彼女は俺を見上げた。

「私には、その力がある」

 蒼の瞳に揺らめく水面が写り、その無限の海に吸い込まれそうになる。
 男女の距離感などどこ吹く風。彼女はそうしてまたも無遠慮に、俺を真っ直ぐに見つめた。

「じゃあ、その……ソフィーが俺を助けてくれるってこと?」

 どぎまぎしてしまいつつもそう聞くと、彼女はようやく俺から手を離し、2、3歩距離を取ってくれた。

「正確には私の力ではないがな。私が操る魔術、“盟約の秘術”がそれを可能としてくれる」
「盟約の秘術?」

 またも知らない言葉である。ただ不思議なことに、聞いた先からそれが頭の中で漢字に変換され、どういう意味合いの言葉なのか大体予想がつくから面白い。
 とは言っても実際の内容は聞いてみなければ分からない。目で続きを促すと、彼女は続けた。

「私が持つ最大の切り札、盟約の秘術。私は愛すべき国民一人一人と盟約を結び、その一人一人と常に繋がっている。彼らに王としてきちんと奉仕する約束をする代わりに、私は彼らのマナを毎日少しづつ譲り受け、その莫大なマナを行使することができるのだ」
「国民一人一人と、常に?」
「うむ。そしてそれは、君も例外ではない」

 耳障りのいいソプラノの声が、そこで一段低くなった。

「君はすでにその盟約の秘術の一員となっている。なぜなら君は、その盟約の秘術のマナによって召喚された人間だからだ」

 大きなドーム状のものとは言え、密閉空間にしたからだろうか。こもった熱のせいで、さらけ出された彼女の肩の辺りには玉のような水滴が浮かび、そのいくらか紅潮した顔にも、艶めかしい汗がきらりと光る。

 女の子の汗ってどうしてこうもエロいんすかね……と釘付けになりそうになっていた時、続く彼女の声でハッと我に返った。

「仕事をしなければ死ぬ、というのはつまりそこから来ている。君は私と同じような立場に立ったということだよ。国民達のマナを使って天命を伸ばすことを許されているが、それはあくまでも彼らに奉仕をすることが前提。彼らに認められるような仕事をしなければ、たちまち盟約の外に弾かれ、マナの供給がなくなって死に至る」

 そこで何を思ったか、彼女が指をパチンと鳴らす。するとそれに呼応するかのように、水のドームがまばらに散り、ざあっという音を立てながら瓦解した。
 彼女はシャワーのように降るそれを気持ちよさそうにその身に受けると、再び俺に目を向けた。

「謁見の間では余人の目もあって詳しく説明することはできなかったが、以上が君の置かれている状況の真の概要となる。君は私の右腕、“盟約の担い手”となり、私と共に国民に奉仕するという仕事をこなして欲しい」 

 質問はあるか、という続く問いに、俺は首を振る。
 大抵のことは聞けたように思える。加えて、彼女が嘘を言っているようにも見えない。とりあえずはこんなところだろう。

 しかし彼女はその返答が腑に落ちなかったのか、少し心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

「本当か? 本当に何もないか? 理不尽だとは思わないか? 私が全て本当のことを言っているとは限らないんだぞ」

 彼女のそれに、俺は笑いながら返した。

「騙そうとしてる人がそんなふうに念を押したりしないでしょ。それに、ソフィーが俺を救ってくれたってことは事実みたいだし」

 事後報告になってしまっているのが心苦しいのかもしれないが、実際それで俺は助かっているのだから文句などない。何であろうと、死ぬよりかは生きてる方がいいに決まっているのだから。
 そう言うと、彼女はふっと困ったような笑みを浮かべてから、何かを噛みしめるように瞑目する。

「……私にこんなことを言う資格はないのかもしれんが、なんというお人好しか。そんなことでは先が思いやられるぞ、全く」

 そんなことを言いながらも、彼女はどこか嬉しそうに俺を見る。
 
「しかし、本当によいのか? あちらの世界でやりたかったことなどもあったんじゃないか」
「いや~別にそういったことは。本当にだらだら過ごしてただけだからねえ」

 外に出るのはバイトと買い出しの時くらいだったが、そんな生活でも特に不満はなかった。「毎日だらだら過ごせるなんて、なんて素敵なんだ!」という圧倒的ニート魂を持った俺は、やりたいことなんぞなくとも全然生きていけたのだ。
 しかし彼女は俺のその返答に、明確に首を傾げて見せる。
 
「ふむ。だが生きている人間は、誰しもが何かしらの夢を持って生きていると私は思う。本当に何もなかったのか?」
「う~ん。そう言われてもなあ」 
 
 しかしそうして考え始めた瞬間、すぐに俺の頭に去来するものがあった。
 大好きだったもの。衣食を顧みずに金を費やし、追い続けたもの。それが発展して、夢見始めたもの。
 ただ実現可能性が低過ぎて、口に出すのすらも恥ずかしい。そんな夢……。

 だから俺は、すぐに思いついた癖に「そう言えば」とわざわざ冠を付けてから彼女に答えた。

「アイドルのプロデューサーになってみたかった……かもしれない」

 異世界であるここにはおそらくない言葉である。突然出て来た訳の分からない単語に、彼女は案の定また小首を傾げた。

「アイドルのプロデューサー? 聞いたことがないな。職業みたいなものか?」
「まあそんな感じかな。簡単に言うと、頑張っている女の子を手助けするような仕事、かな」

 言ってしまったら、何だかあの生活が急に遠い昔のことのように感じられ、ちょっと心にクるものがあった。

 よくよく思えば、この夢を叶えることはもう永遠にできないのである。まだ彼女に確認していないが、彼女の言う理屈通りであれば、もし俺が向こうの世界に帰ることができるとしても、向こうでは俺にマナを供給してくれる人がいないので俺はすぐに死んでしまうのだ。そんな状況では、夢を叶えるどころではない。

 そうしてちょっとセンチメンタルな気分に浸っていると、しかし彼女が俺に言った。

「なんだ。それならちょうどよいな」
「え?」
「まさに今の私と君の関係がそうではないか。頑張っているかどうかは国民達に聞いてみないと正直分からないが、な」

 彼女は少し楽しげにそう微笑むと、

「少し強引だったかな」

 と悪戯っぽく目を細めて俺を見た。
 言葉自体は俺からするとまだ全然硬いが、そのくるくる変わる表情は普通の少女っぽくて可愛らしい。
 その顔にほんわかしつつふるふる首を振ってやると、彼女はまた楽しそうにふふっと笑った。

「君の夢が叶えられるようなものなら、私もできうる限りのことをしよう。その代わり、私のことも助けて欲しい」

 そう言って、彼女は俺に右手を差し出した。
 
「では、先程は周りの空気を使って強引にさせてしまったから、今一度。これからよろしく頼むぞ、ドルオタ」

 一転、今度は真剣な表情。と言うより、少し不安げな顔。この期に及んで、彼女はまだ俺が断る可能性を捨てきれないらしい。
 根が真面目なのかねえと苦笑しつつ、俺は言った。

「こちらこそよろしく! ……と言いたいところなんだけど、ちょっと一つ訂正させて欲しいんだ」

 初めて自分の夢を語ってしまった人には、自分の名前をしっかりと正しく覚えてもらいたい。そう思った。

「俺の名前はタツキ。タツキ・オリベ。うまく流れに割り込めなくて訂正できなかったんだけど、これが俺の本当の名前だから」
 
 やはり断られると思っていたのか、俺がそう言うと、彼女は打って変わって顔を明るくした。

「なんと、そうだったか。それは早とちりしてすまない」

 こほんと咳払いしてから、彼女はまたその蒼い瞳をまっすぐに俺に向けた。

「では改めて。これからよろしく頼む、タツキ」

 それを受け、俺は今度こそその柔らかな手をしっかと握った。

「こちらこそ! 不束者ですが、よろしくお願いします」

 契約条件も明示された今、これが本当の労働契約締結の瞬間である。
 散々怠惰を貪ってきた俺も、これでいっぱしの社会人だ。何だか感慨深いものがある。
 
「それはそうと、君はなかなか豪胆だなタツキ」

 と、達成感から一人拳を握っていた時、ふと彼女の視線が下に行く。

「大昔に父上のを見た時はもうちょっと大きいものなのかと思っていたのだが、君のそれは可愛らしいな。向こうの世界ではこれくらいが普通なのかな?」

 彼女のそれに、俺はああ、と何となく答えた。

「これは俺がデブだからだね。太ってると下腹部の肉に埋没して小さく見えるんだけど、実際はそうでもな…………っておおおおおい!? どこ見てんのおおお!?」 

 カラカラと笑う彼女の視線から逃れるように身を捩り、俺はずっとさらけ出したままだった自分のモノをそこでようやく隠すに至る。
 ちゃんとしたいところで締まらない。何とも俺らしいスタートと言えるのかもしれなかった。

 こうしてちょっとだけ変な女王様を上司とする、俺の異世界社会人生活が始まった。
 始まってしまったのである。






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「あー……っす」

 熱い湯に身を任せながら、俺は深い息を吐いた。

「いや~まさか異世界でこんなでかくていい風呂に入れるとは思わなんだわ」

 見渡す限りの白亜。その広大な空間に、100人は余裕で入れそうな程のバカでかい風呂がドカンと据えられていた。そしてさらにその中央には、巨大なチョコファウンテンのような三段構えの噴水がこれ見よがしと鎮座している。
 今日本で流行りの巨大スーパー銭湯ですらも、ここまでのものはおそらくない。そんなものを俺は今独占している。贅沢なことこの上ない。

「しかしまあ……さっきはやばかったな……」

 そうして温まる体とは裏腹に、凝り固まった冷たい焦燥が、心の芯に未だにほぐれずに残っている。
 本当に、今思い出しても背筋が凍る。
 俺の初めての就職先が決まったあの瞬間、同時に俺はこの世界での最大の危機を迎えてしまったのである。
 
 固い握手を交わし、満足そうな女王様が玉座に戻るまではよかった。しかしこれから細かい詰めの話が始まるのかなと、輝かしい前途に思いをはせながら思っていたその時だ。
 玉座に座った女王様が頬杖を突こうとした瞬間、なぜか突然糸が切れたようにがくりとうなだれてしまったのである。 

「陛下!?」

 国家元首の一大事だ。唖然とする俺に対して、周囲の反応は早かった。
 貴族的な人達が女王様の周りにわらわらと集まり、その中の一人が女王様の肩をゆする。

「陛下! 陛下! どうされました! ……うっ!?」

 と、ゆすっている最中にその人が何かに気づき、苦悶の声を上げた。

「ぐぅ!? 何だこのほったらかした厩舎のようなひどい臭いは!? 毒の類か!?」

 それを聞いたところで、俺はようやく思い出したのだった。
 女王様の手を取った自分の右手が、リーサル・ウェポン状態のままだったことを……。
 女王様は俺と握手したせいで、その匂いが手に伝染ってしまったのである。そしてそれを直に嗅いだことにより、彼女は失神してしまった。嘘みたいな本当の話である。

 全てを理解したその時の俺は、さぞかし綺麗に顔面蒼白だっただろう。ザーッという頭から血の気が引いていく音を、俺はその時初めて聞いた。
 そして速攻で俺が原因なのがバレて詰め寄られ、マスコミに追求を受ける悪徳弁護士のごとく詰問される俺……。マジで終わったなと思いました。

「マール氏には感謝しないとなあ……」

 しかし結局俺は、こうして事なきを得て、のんきに風呂にまで入れている。それもこれも全て、マール氏のおかげだ。
 マール氏は俺の体をペタペタと触りまくったせいで、俺のあのやばい匂いに気づいていたらしい。早々に事情を察し、間に入って助け舟を出してくれたのだ。

 そして途中で女王様の意識が戻ったこともあり、俺は得意の言い訳を駆使してなんとか無罪を勝ち取った。
 いやほんと危なかった。せっかく職が決まったのに、始まった瞬間に終わるところだったぜ。もうアイドルと握手できたとしても、その手に封印を施すのは絶対にやめておこう……。

「ふいー……」

 そしてまた俺は、凝り固まった緊張を解すように深く息を吐く。もうすでに綺麗になった手で、顔を湯でばしゃりとやった。
 一度思い出して考えを整理したせいか、体の硬さはいくぶんマシになったようだ。

(とりあえず生き残ることはできたけど。さて、どうしますかねこれから)

 今考えてみると、やはり安請け合いをしてしまったかなと思うところはある。あるが、向こうの世界でいろいろ詰んでいた俺からすると、全く悪い話ではないようにも思えるので判断が難しいところだ。

(しかしただの無職デブだった俺が、国を救う、か……)

 本当にそんなことができるのだろうかと、そう思う自分はまだ当然のごとく心の中にいる。
 だがあんな衆目に晒されたところで大々的に引き受けてしまった以上は、もう引き下がる訳にはいかない。諦めて腹をくくるしかない。

(まあ周りのあの反応を見ると、俺にけっこうな力があるっていうのはほぼほぼ間違いなさそうだからな。なるようになるか)

 風呂は命の洗濯とはよく言ったものである。
 そうして早々に頭を切り替えた俺は、とりあえずとばかりに、改めて周囲を見渡してみた。
 切り替えが早いのが俺の数少ないいいところだ。

(ふむう……成金感あふれる景色なはずなんだけど、不思議とそういう下品さはないんだよな。石造りで統一されてるからかしら)

 大理石のような、薄く模様の入った石が全面に張り巡らされていた。つい、っと何気なく風呂のへりに指をはしらせてみて、その滑らかな質感に驚く。
 体に石鹸を塗りたくれば人間カーリングでもできそうなくらいによく磨かれている。やはり技術力はかなり高いようだ。

「……でもまあ、こんなに広くする必要はないわなあ」

 いつも体を折って入らないとならないような貧乏風呂に入っていたせいか、ついつい恨み節のような感想が口から漏れてしまう。
 城の人に聞かれたらまずいわなあ、などとのん気に頭をかこうとすると、しかしふいにそばで声がした。

「それは、ここがわらわ一族にとっての一種の訓練所でもあるからじゃ」

 びっくりして声がした方を見やると、そこにはなぜか一糸纏わぬ姿の彼女が、きょとんとした顔で立っていた。

「? 何じゃその顔は。わらわの顔に何かついておるか?」
「ちょちょちょ! え!? 何してはるんすか!!」

 湯けむりで多少ぼやけてはいるが、俺は可愛い女の子の顔だけは絶対忘れないので、すぐにそれが誰なのか分かった。
 確か、ソフィーリア・ネティス・ファルンレシア……だったか。さっきまで謁見の間で話していた女王様である。

 さすがにタオルのようなもので前は隠しているものの、それでもほぼ全裸だ。嘘みたいに白くて滑らかそうな肌が、見たらまずいとは思いつつもどうしても目に入ってしまう。

「マールからここにいると聞いてな。まだ肝心な話をしていなかったから、浴場は密談にはちょうどよいかと思ったのじゃが……。迷惑じゃったか?」

 そう言いつつも、ちゃぷん、ちゅぷんと音をさせながら、彼女はゆっくりと近づいてくる。
 
「いや別に迷惑じゃないですけど! でもさすがにこれはまずいのでは!?」

 慌てて立ち上がり、自分の視界を遮るように手を振ってみたが、それでも彼女は止まらない。

「ん、何かまずいか?」
「いやいやいやまずいっすよ! あなた様のような綺麗な方がそんな簡単に体を見せたらあかんですって! 急にそんなもの見せられても、俺には払える対価なんてないんスから!!」

 そう。急に異世界に召喚されてしまった俺には、先立つものが何もない。こっちに持ってこられたのは、せいぜいその時着ていたスウェット上下とポケットに入っていたメガネくらいのものだ。
 そんな状態の俺にこんなものを見せてどうするつもりなのか。拝見料いちおくまんえんローンも可とか言い出して奴隷化するつもりなのだろうか。

 内心ブルブル震えていると、遮った手の先で彼女が息を漏らす気配がした。

「綺麗、か」

 それから彼女はふふっと口元に手を当て、控えめに笑う。

「え、何かおかしなことを申し上げたでしょうか……?」

 理由が分からなくてとまどう俺に、彼女がその手を上げて制する。

「いや何、今まであまり外に出ない生活を送ってきたせいか、自分の容姿を客観的に見る機会がなかったのでな。少しびっくりしてしまった」

 彼女は瞑目し、また同じように笑みをこぼした。

「ふふっ、そうか。わらわの容姿は、異世界から来たはずのそなたにもそう言わしめる程のものなのか。そのことが知れただけでも、そなたをこちらに喚んだかいがあったかもしれんの」

 静かに首を振り、ゆっくりと、彼女は目を開く。

「何とも、面映いとはこのことじゃな」

 どこまでも澄み渡る、はるかなる蒼。
 大空を凝縮したかのようなその綺麗な瞳を細めたかと思うと、彼女はそうして少し恥ずかしそうに笑った。

 静かで、淑やかで、それでいて花が咲くように。
 マール氏のものとはまた違う種類のその笑顔に、俺は魅入られたように目が離せなくなった。やっぱりちょっと、妹に似ている。

 最近は全く見ることがなかったけれども、もしかしたら妹も、こんなふうに笑ったりすることが今でもあるのだろうか。
 そう考えたら少し、妹に会いたくなった。

「──ドルオタ?」
「あはい! サーヤセン!!」

 突然声を掛けられ、とっさに謝ってしまった。そんな俺に、彼女は目を丸くする。

「大丈夫か? 急にぼーっとし始めたようじゃが、何か気になることでも?」
「あ、いえ。別に何でもないです。お気になさらず」

 俺がもしリア充男だったら、女王様に見惚れてしまって……くらい言えたのかも知れない。しかし童貞クソデブオタクにはそんなの絶対無理なので、ここはごまかす他ない。
 
「ふうむ……? どうも含みのある言い方じゃが……」

 納得はしていないようだったが、まあよいか、と流してくれた。

「さて、わらわがわざわざここに来たのは、何もそなたに自分の体を見せびらかしに来たわけではない。先程も言ったが、話をするためじゃ。そなたにとってもわらわにとっても、重要な話じゃ」

 そこで彼女は何かを思いついたようにふむ、と俺を見ながら顎に手を当てた。

「せっかくこういう場所なんだ。無粋な敬語はやめにしよう。その方が君も話しやすいだろう」
「えっ、別に僕は構いませんけど」
「まあそう言うな。正直に言うと、私もまだ女王となってから日が浅く、さっきまでの女王然とした喋り方を続けるのがきつくてな。それに、私と君はこれからきっと長い付き合いになる。できるところでなるべく親交を深めておいた方がいい。そうは思わないか?」
「ふむう。まあ確かに」
「では決定だ。これよりこの場所では敬語は禁止。私のこともソフィーと気軽に呼ぶように」
「え、それはさすがに……」

 ちょっと急には難しいなあと思って口を挟もうとしたが、彼女がなぜか予想外にキラキラした顔で俺を見るものだから、言葉が寸前で喉に引っかかって止まった。
 その顔にほだされる形で、俺はそのままその言葉を飲み込んだ。

「分かりまし……分かった、んで」

 彼女はそれを聞くと、満足そうに頷いた。

「よろしい。では早速始めよう。君と、私の話を」

 すると彼女はおもむろに目を瞑り、何かを持ち上げるように右手を上げた。

「たゆたう無垢の者達よ。その静けき心のままに、静寂の礎となれ。ヴァルナ・マーレ」

 その呟きを契機に、異変が起こった。

「うわっ、なになに!?」

 ザザザ、と音を立てながら、周囲の水が噴水のようにせり上がっていく。そしてそれはあっという間に俺の背丈を通り越して、すっぽりと俺達の上面までをも覆ってしまった。
 まるで水のドームだ。揺らめく水面が影となって湯の上に落ち、何とも言えない幻想的な景色を作り出していた。

「ほわぁ……」

 感動から思わずそうして間の抜けた声を漏らしてしまうと、少し嬉しそうな色を帯びた声が耳に届いた。

「ふふ、まるで少年のような目だな。気に入ってもらえたようで何よりだ」
「すごい……ほんとにすごい!」

 ここが異世界だということはとうに信じている俺だったが、やっぱり本物の魔法を見るとテンションが上がる。
 そうして興奮する俺を見て、女王様がふふんとタオルの下でちょっと控えめな胸を張る。

「私の一族は水魔法が得意でな。王族は皆幼少の時より、ここで湯浴みをしながら魔法の訓練をしてきた。先程も言ったが、浴場がこうして広くとられているのはそういうわけなのだ」
「なるほど……。しかし何でまた急にこのような魔法を? これってどういう魔法なの?」

 もしかして観賞用の魔法とかあるのかな? と思ったが、全然違った。

「これは私独自の魔法でな。本来はさまざまな攻撃から身を守るための魔法なのだが、これはそれを応用して密閉空間を作るということに特化させたもの、と言ったところか。これからする話は私達二人の急所にもなりうる話だからな。念には念を……ということだよ」
「急所……?」
 
 思わずこぼれ落ちた俺のその言葉は、彼女にしっかりと届いたはずだった。しかし彼女はただ少し困ったような笑みを一瞬浮かべるのみで、それに答えてはくれなかった。
 何だろう。何だかすごい嫌な予感がする。

「さて、早速だが始めよう。いろいろ話すことはあるのだが、まずはどうしても君に伝えておかなければならないことがあるのだ」
「な、何でつか……?」

 こうやって改まった感じで何かを言われる時は、ろくなことにあった例がない。コンビニの前に働いていたスーパーの店長にクビを言い渡された時も、ちょうどこんな感じで切り出された。

「端的に言うと君の仕事に関する話なのだが、これ以上隠すのは私の良心が痛むし、率直に言うぞ」
「は、はい……」

 まさかホントにクビなのか? やっぱりリーサルウェポンによる一撃がアカンかったんか……?
 嫌だなあ嫌だなあ、と某ホラーの語り手のように戦々恐々としていると、彼女がコホンと咳払いをしてからゆっくりと口を開く。

「君は……」

 しかし彼女はそこで、少しのためらいを見せた。
 せっかく開いた口を引き結び、眉をひそめて困り顔。気まずそうに、視線を湯に落とす。
 謁見の間の時といい、もったいぶる癖でもあるのだろうか。そう思ったが、彼女は胸元のタオルを強く握ると、すぐに俺の方に向き直る。
 その目には、すでに迷いの色はなかった。

 めまぐるしく変わる彼女の表情に、嫌な予感が募る。
 そうして彼女から出てきた言葉は、やはり俺にとってまたしても重い、衝撃的な“宣告”だった。

「君は、私達が課した仕事を全うできなかった場合、命を落とすことになる」
 
 気づけばぎょっとする程強い光を帯びた蒼い瞳が、俺を真っ直ぐに見据えていた。








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突如マール氏が、俺の喉を二本指で思い切り突いた。
 
「げぇっほ! ごっほ! ぐひゅ、ごっほぉ!」

 激痛が体中を走り抜け、たまらず俺はその場に膝から崩れ落ちる。冷や汗が滝のように溢れ出して、頬を伝って床にぽとりぽとりと落ちていく。
 まだ何にもしてないのにこの仕打ちである。やはり世界はキモオタに厳しいということなのか。あまりにむごい。

「ちょっときついかもだけど我慢してね。まずは言葉が通じないと君も不便だろうから」
「ぐふぅ……言葉って……それとこれとどう関係が……」
「君の体内のマナの流れが滞ってたから、それをちょっと動かしたんだよ。声にマナを載せられないと、異国同士の人じゃ話が通じないからね」
「マナ……?」

 直後はひどかったが、いくらか咳き込んだらすぐにマシになり、何とか立ち上がる。
 そのタイミングで、壇上から声が掛かった。

「……いささか雑な処置にも見えるが……まあよい」

 まだ少しふらつく俺を見つつ、女王様が言った。

「いきなり荒っぽいことをしてすまないな客人。しかし何とか話せるようにはなったようじゃな」
「え? 別に何かが変わったとかはないんですけど……?」

 言われてつい自分の体を見回してしまったが、やはり別段変わったところはない。
 しかし彼女は、ニヤリと笑って言った。

「いいや、そんなことはないぞ。マールともちゃんと話せていたではないか」
「え? ……あっ」

 ほんまや。二人共俺の言葉にちゃんと答えてくれとる。
 仕組みは何かよく分からんけど、この世界では喉を突くと話が通じるようになるらしい。どういうことやねん。
 
「さて客人。言葉が通じるようになったところで、早速話がしたい。さしあたって、まずは客人の名前を聞かせてもらえないじゃろうか。軽い自己紹介なども加えてくれると嬉しい」
「あ、はい」

 と、流れで軽々しく答えようとしてしまったが、その時俺にまたしても電流走る……!
 名前、このまま教えてしまっていいんだろうか。

 さっきマール氏が口にした『マナ』と言う言葉。俺はそれに聞き覚えがある。確かファンタジー小説とかでよく使われる言葉だ。
 現実には存在しないエネルギーの素みたいなもので、それがある創作世界では、人はそれを使って超常現象を起こす『魔法』を使うことができる。

 マナがあるなら、十中八九魔法もあると考えるべきだ。まだ確定した訳じゃないが、実際もうすでに日本人じゃなさそうな人達と会話できてしまうという魔法のような出来事も起きている。

 そんな中で、自分の名前を正直に教えるというのはとても怖い。真名を他人に教えることによって行動を縛られるようになってしまう……なんてのは、ラノベやゲームでは割とよくある設定だからだ。

「──とはおっしゃいましても、小生は自己紹介をする程大層な経歴は持っておりませぬ。その……せ、拙者はただのドルオタで、一介のデブに過ぎませぬゆえ……」

 慌てて軌道修正を図る。ここは何でもいいからそれっぽい偽名でごまかしておくべきだ。
 と思ったけど、嘘を暴く魔法みたいなものがあったらまずいな。やべえ、どうしよう。何かうまいゴマカシないかしら……。

 もごもごやりながら頭をフル回転させる俺だったが、少々もたつき過ぎたせいか、彼女から先に何ともまずい相槌を打たれてしまった。

「……ふむ。ドルオタ・デヴと申すのか。なかなか珍しい名じゃの」
「えっ」

 いきなり何言ってらっしゃるのかしらこのお方……。
 違うよ! 全然違うよ! そこまで名が体を表しちゃったら親を恨むレベルですよ女王様!

「あ、あのー」
「ではドルオタ。元いた世界ではどういう身分であったか聞いてもいいだろうか。見たところ20代半ばくらいの齢に見えるのじゃが、どういった仕事をしておった?」

 慌てて訂正しようとしたが、時すでに遅し。彼女は俺からようやく名前を聞けた(?)のに満足したのか、喜々として話を再開してしまった。
 押しの弱い俺がここにかぶせて訂正できる訳もない。俺の名前がドルオタ・デヴに大決定した瞬間である。何でやねん! トホホ。

「い、いやあそれが、特に何をしてたということはないんですよ。その辺にあった仕事をてきとーにやっていただけと言いますか……」

 そして突如始まる面接に、途端にしどろもどろになる俺。
 自信を持って話すのが面接の鉄則であるが、正直俺には自信を持って提示できる遍歴がない。嘘はバレるかもしれないし、そもそも嘘をつくのも苦手である。
 したがって詰みになります。本当にありがとうございました……。

 しかしありがたいことに、彼女はそんな俺の様子には気づいていないかのように淡々と話を進めてくれた。

「その辺にあった仕事というと、冒険者のようなものじゃろうか」
「あ、えーと……。まあ、そうなりますかね」

 で、出たー! ファンタジーラノベとかでほぼほぼあるフリーター的な職業ー!
 まあ間違ってはないな。と言っても俺が知ってる冒険者かどうかは分からんけど。

「ふむ。生活ぶりはどうじゃった? その恰幅を見るとかなり裕福そうな感じを受けるのじゃが」
「あー……これはただの不摂生と言いますか……。決して裕福ではなかったです。生きるのに必死という訳でもありませんが、お金にはいつも苦労してました」

 やばいぞやばいぞ。このままだとどんどん俺の評価が下がっていってしまう。使えないやつだと分かったらその辺にぽいっと放り出されてしまうかもしれない。
 養われることに定評のある俺がそんなことになれば、俺は即日で死ぬ自信がある。何せ日本ですら親の仕送りに頼って生きていましたからねえテヘペロォ!

 と、若干やけになりつつある俺だったが、彼女からは意外な反応が返ってきた。
 彼女は俺のその言葉に対し、またもニヤリと笑ったのである。

「なるほど。大体分かった。今回勝手にそなたを召喚したということに、わらわとしてもやはり少し罪悪感があったのじゃが、そういうことであればちょうどよかったのかもしれんな」
「ちょうどいい……? っていうか召喚? 僕は召喚されたんですか?」

 彼女はその綺麗な足を組み替えてから続ける。

「そうじゃ。わらわがそなたをこの世界に喚んだ。我が王国のため、稀有な力を持つ異界の人間の助力を得るために、な」

 やはり迷惑じゃったか? という続く問いに、俺は少し考えて首を振った。
 確かに家族はいるし、向こうに何も未練がないというわけでもない。しかしもし召喚なんてものが本当にできるなら、帰すこともまたできるはずだ。そんなに深刻に考える必要はないように思える。

 彼女とか子供がいたら別なんだろうけど、そんなもんはおらんし。自分を頼ってもらえるなら、そこで頑張って働いてみてもいいかなという気持ちはある。
 そんなふうなことを伝えると、彼女は朗らかに笑った。

「そうか、そうか。ならばよい」

 そうして安心したように息を吐く彼女に、しかし俺は言った。

「ただ、先程陛下は稀有な力とおっしゃいましたが、そんな力は僕にはないと思うんです。なので大したことはできないと思うのですが、一体僕に何をさせるつもりなんでしょうか……?」

 当然話の流れ的に聞いていいだろうと思っていた質問だった。しかしそれを聞いた瞬間の彼女の反応が劇的で、全身にじんわりと嫌な汗が沸き立つ。

 彼女の顔が、あからさまに真顔になった。
 背もたれに深く背を預け、肘掛けにしっかりと両手を起き、深呼吸を一つ。それから何かを噛みしめるように、静かに目を閉じる。

(ええ……)

 何それ。そんな改めて居直らないといけない程重いことなんですか。怖いのでやめてくだたい……。
 十数秒程だろうか。そうしてたっぷりと時間を取って彼女から出てきたのは、案の定、それに見合う重さのある言葉だった。

「この国を救って欲しい」

 と、彼女は険しく眉を寄せつつ言った。
 
「我が国は現在、ある脅威に苛まれている。瘴気と呼ばれる毒のようなものが、我が国を覆い尽くさんとしているのじゃ」
「毒……ですか」
「うむ。人の内に侵食し、心を蝕み、やがては死に至らしめる。今はわらわが魔法障壁を展開しているゆえ、国土の大半の町村は無事じゃ。しかしそれもいつまでもつか分からん。実際に放棄しなければならなくなったところもある」

 ああ、やっぱり魔法あるのねえと思いながら半ば他人事のように聞いていると、女王様が「そこで」、と手をたたく。

「そなたの力を貸して欲しい。そなたには、この現状を打破するための礎となって欲しいのじゃ」

 せっかく座り直したのに、そう言ってまたも身を乗り出す女王様。
 彼女に触発されてか、周囲も俺に熱を帯びた視線を集中させる。
 うええ……そんな目で見られましても。何か微妙に言葉濁されてるけど、すごい危険なことやらそうとしてない? 俺ただの一般ピーポーなんでつけど……。

 それでもここは何か言わないと場が進みそうにない。俺は意を決して口を開いた。

「そんなこと急に言われても……。聞く限りでは僕なんかの手には余りそうですし、正直自信がありません。そもそもここが本当に異世界なのかもまだ信じられてないですし」
「ふむ。ではどうすれば信じられる?」
「そうですねえ……。僕がいた世界では、先程からそちらが申し上げているマナ、魔法などというものは存在しないので、その辺りを実際に見せていただければ」

 言葉が通じるようになったくだりはマナとか魔法のおかげかなとも思うんだけど、まだちょっと怪しいのよね。
 だって、最初から皆日本語使ってたし。ちゃんと俺の言葉が通じてるのに、異世界に来たと思わせるためにわざとあの喉突きのくだりをやった、ってことも全然考えられるじゃん。

 と、そんなことを思いながら答えた俺だったが、女王様は俺のその言葉に、その大きな目をことさらに見開いた。

「なんと! マナが存在しないと? 確かに古い文献にはそういう記述もあるにはあったが……」

 そう言うと、彼女はマール氏に目配せを送る。
 マール氏はそれを受け、ふるふると首を横に振った。
 何かまずいこと言ったかなと不安になったが、彼女はそれを見ると、何かに安心したかのようにほっと息を吐き、またこちらに向き直る。

「……なるほど。分かった。マール!」
「はい!」
「彼に示してやれ。ここはまごうことなき異世界なのだと。彼自身の力をもって!」

 まるで全軍突撃でもかけるかのような手振りでそう言う女王様に、一瞬頭にクエスチョンマークを浮かべるマール氏。
 しかしさすがの側近と言うべきなのか、すぐに何かに気づいたかのようにポンと手を叩く。

「な、なるほど! 合点承知です!」

 何をするのかと思って見ていると、またマール氏がこっちに近づいてきて、「ちょっと失礼しますね~」と俺の体をペタペタ触り始める。

 先程と同じくいい匂いが漂うが、喉突きの件ですっかり疑心暗鬼になっていた俺は、反射的に体を強張らせてしまう。
 まるで食肉の下ごしらえでもするかのように、ひとしきり俺を撫で回した後、マール氏は俺の胸の辺りに両手を置く。それから瞑目しつつ、何やらぶつぶつとつぶやき始めた。

「い、一体何を……」
「いや何、そなたの懸念をまとめて取り除いてやろうと思ってな」

 と、彼女がそう俺に薄く笑いかけた時。
 ふいに俺の体が、淡く光り始めた。

「な、なん……!?」
「先程そなたは自分の世界にはマナが存在しないと言ったが、どうやらそれは少し違うようじゃぞ。そもそもそなたの中にマナがなければ、マールの処置があってもわらわ達と会話はできんのじゃからな」

 だんだんと力強くなっていくその光が、今度は俺の体から水蒸気のように立ち上り始めた。
 青、赤、黄……と、さまざまな色のそれが足元から股、股から脇と、体の上を這うように縫っていく。

「見えるか? それがそなたのマナじゃ」
「これが、俺の?」
「そうじゃ。これでここが異世界だということ、少しは信じることができたじゃろ」

 マール氏が俺から離れてもその光は消えなかった。どうやらこの光は本当に俺から湧いているらしく、皮膚の下をくすぐられているような感覚がある。
 確かにこれは、信じざるを得ないかもしれない。

「それからそなたは自信がない、と言ったな。それを見た今でもそう思うか?」
 
 彼女がそう言った瞬間、また俺に変化が起きた。
 
「うおお!?」   

 今まで穏やかな流れを見せていたその光が、突然バシュウ! と間欠泉のような大きな音を立て、天井に向かって立ち上り始めたのだ。
 2、30メートルはあろうかという天井にまで到達する七色のそれは、さながら屹立する虹だ。

 この世界の人間からしても珍しい光景ということだろうか。唖然としながらそれを見上げていると、周囲からも驚嘆するような声が漏れ聞こえてくる。

「マナは魔法の源。その膨大なマナの量だけを見れば、一国の最高戦力にも匹敵する力をそなたは持っている。臆することなど何もあるまい」

 何……だと……?
 この俺が、そんな主人公感のある力を?

 言われてみれば、何だかすごい力が湧いて来ているような感じがする。今ならパーリーピーポーの輪に入って朝までドンペリ片手に踊り狂うことすらできそうだ。
 何だこの謎の全能感。やばい。やばいぞ。

「むむう……」

 やってもいいかもな……と心が揺れ始める。確かにこの力があれば、大抵のことはできそうな気がする。
 そうして迷う俺に好機と見たか、女王様が追撃を加えて来る。

「それからそなたはこうも言ったな。自分は基本その日暮らしで、適当に生きて来た人間だと。しかしここでは違うぞ。そなたは力を持っている。力のある者には相応の責任と働きが要求されるが、相応の対価も支払われてしかるべきだ」

 む。対価、対価か……。

「それはつまり、何らかの大きな報酬もある、と?」

 彼女はそれにはっきりとは答えなかったが、しかし肯定するかのように薄く笑った。
 この感じ……あるぜ! どでかい報酬がよぉ!! 我が望みしは三色昼寝付きの王宮ハーレムウハウハ生活! この一点のみ! 頼んますぜ女王様!

「さあどうする! 持てる力を振るわず、腐らせ、元の地を這うような生活に戻るか! あるいはその持てる力を存分に発揮し、この世界で英雄として生きるか! 二つに一つ!」

 周囲を鼓舞するかのように声を張り上げたかと思うと、女王様は壇上から下りて来て、俺に向かって手を伸ばした。

「さあ選べ! ドルオタ!」

 何とも演出のうまいお方である。
 自身の演説と俺のマナを利用することにより、一瞬で劇場の千秋楽のような熱をこの場に作り出してしまった。
 皆が皆、演者の最後の言葉を固唾を呑んで見守っている。
 そんな熱い空気を、バシバシ肌に感じる。

「う、うう、おおおおお……っ!」
 
 そんな空気に、流されやすい俺が抗えるはずもなかった。

「俺、やりまぁす!!」

 その差し出された細い手を、俺はガシリと力強く握り返した。
 それが、俺の記念すべき初めての就職先が決定した瞬間だった。

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「う、うーん……」

 俺は寝ぼけ眼をごしごしと擦りながら、いつものように枕元の時計に手を伸ばした。
 しかしあるはずのそれはそこにはなく、俺の手は空を切る。寝ている間にどこかへやってしまったか。しつこく手を振って探してみたが、やっぱりない。

 手のひらがベッドに触れた瞬間、なぜかひんやりとした冷たい感触が返ってきてびっくりする。やばいな窓開けっ放しで寝ちまってたかなと思い、仕方なく起き上がる。すると……。

「起きたぞ! 陛下をお呼びしろ!」

 なぜか俺は、どことも知れない広間で大勢の人間に囲まれていた。

「え! なになに!?」

 誰かが大声を上げたのを発端に、周囲がざわざわと色めき立つ。中世の貴族のような格好をした人達が、全身ねずみ色のスウェット姿の俺を興味深そうに見つめてくる。

 四方八方を囲まれ、その視線から逃れることができないとは分かりつつも、しかし俺はじりじりとその場で後ずさる。
 自分の部屋では絶対にない。自分の尻の下にはベッドではなく、滑らかな感触の赤い絨毯が敷かれていた。

(え、マジでどこなんここ……)

 全面石造り。その縦長の広間の奥には、何やらものものしい椅子が置かれていた。
 少し小高くなった場所に置かれたそれは、まるでファンタジー映画に出てくる王様が座るような、豪奢極まる代物だった。 
 一体どこの成金セレブのための椅子なんだしょうもねえと思いつつそれを見上げていると、広間に大きな重々しい音が響き渡った。

 発生源は後ろ。びびりながら振り返ると、数メートルはありそうな巨大な扉がゆっくりと開かれるところだった。

「女王陛下のおなりである!」

 同時に上がった大声に、周囲の人間達が一斉にその場に膝をつく。

(女王陛下だって……?)

 んなバカな。そんなもの日本にはいない。映画か何かの撮影か?
 いやでも、そんなとこに俺が放り込まれる理由はないしなあ。意味が分からん。デブが急遽必要になったとしても、そんなんそこらのデブタレ使えばいいわけだし……。

 そう不審に思いながらも、小心者な俺は同調圧力に屈して端に寄り、同じように膝をつく。
 とりあえず長そうなものには巻かれておけ精神は、どんなところでも有用である。たとえそれが実際には短かったとしても、俺はそれ以上に短いものである自信があるので、全く問題はない。

 開ききった扉の外には、鎧を着た兵士のような人間が両サイドにずらりと並んでいた。
 フルヘルムをかぶっていて個々の表情は伺い知れないが、それがかえって俺の不安を煽る。腰には長物、剣のようなものをそれぞれ帯びていて、遠くにいても威圧感が半端ない。

 俺なら物怖じしてしまいそうなそんな景色の中、その中央を堂々とした足取りで歩く影があった。
 全員が微動だにしない。時が止まったかのようなその世界で、ただ一人歩みを進める。その姿を見れば、彼女がその女王陛下、絶対者であるということに、もはや疑問を挟む余地はなかった。
 
(どうなってんだ……映画の撮影でもないだろこんなの)

 それにしては、全てが真に迫り過ぎている。
 一体こりゃあ何なんだ。そもそも俺は何でこんなところで寝てたんだ。クロロフロムでも嗅がされて拉致られたんか? 
 そうして一人苦悩していると、ふと、額にふわりと風がよぎった。

(ふおおっ?)

 その風に誘われるように顔を上げると、ちょうど彼女が俺の前を通りかかったところだった。
 甘い匂いの花とミントが合わさったかのような、何とも言えない清涼な、それでいて強烈に女の子を感じさせる香りが漂ってきて、思わず鼻をハスハスしてしまう俺。
  
「……えっ?」

 しかしその時、俺に電流走る……!
 そのまま通り過ぎるのかと思いきや、彼女は俺の前で立ち止まり、こちらを見下ろす。
 その顔が、俺の知っている人物によく似ていたのだ。

(さやちゃん!?)

 思わず叫びそうになったが、その名前はすんでのところで喉元に引っかかって止まった。

(いや……)

 別人、か?
 大きな目に小ぶりの鼻、口。そしてまだ幼さの残る丸みのある顔のライン。確かにパーツや造形は彼女──我が妹の織部さや──のそれに激似だったが、同時に全く似ても似つかないところもあって判断がつかなかった。
 まず瞳が、日本人には絶対にいない綺麗な蒼色をしている。加えて髪色もおかしい。

「ふむ。成功……のようじゃな」

 彼女がそう何事かをぽつりとこぼすと、その不思議な色をしたロングヘアーがきらりと煌めく。
 白髪……と言うには、それはあまりにも綺麗過ぎた。光をよく反射する艷やかなその髪は、角度を変えると、美しい陶器のような青白磁色がほんのりとのっているのが分かった。
  
 妹がコスプレを始めたなんて話は聞いていない。それにコスプレにしては、個々のパーツが浮いた感じが全くしない。むしろ完全にハマっている。俺には彼女が、ただそこに自然に存在しているようにしか見えなかった。

(こりゃ一体……)

 彼女は俺をひとしきり見回すと、ふいに俺に顔を寄せた。
  
「突然のことで混乱していることと思う。しかし今は、わらわがこれから言うことにうまく合わせて欲しい。悪いようにはせぬ」

 それだけささやくと、彼女は俺が聞き返す間もなくすぐに踵を返し、きびきびとした足取りでまた歩を進めてしまう。

「苦しゅうない」

 そして何を思ったか、彼女は周囲に向けてそう言った後、歩きながら器用に服を脱ぎ始め、

「楽にせよ」

 あっという間に下着姿になる。すると、両サイドから侍女のような人達が慌てた様子でわらわらと出てきて、これまた器用に彼女に服を着せていく。
 彼女が壇上にあるあの椅子──おそらく玉座なんだろう──に座るまでの、たった数十秒。その短い間に、彼女は華麗に変身を遂げた。

 羽衣のような、淡い水色のドレスだった。
 丈は膝が少し隠れるくらいで、首元も大胆にさらけ出されているが、あくまでも全体は上品にまとめられている。シルクのような光沢を放つそのドレスは、彼女の青白磁色の髪と白い肌とが相まってよく映えた。

 そこらの少女が少しおめかしをした……なんて形容は間違ってもできなかった。可憐の一言で済ますには、彼女が纏うその空気は静謐に過ぎる。
 まるで悠久の時を生きる、妖精か何かの王のようだった。たとえどれだけ演技に長けていようとも、この雰囲気はそこらの女子高生が出せるものでは断じてない。

 そこから導かれる答えは、もはや一つしかなかった。
 彼女は妹でも、ましてやどこかの映画俳優なんかでもない。
 ……“本物”だ。

「わらわがこのファルンレシア王国の王、ソフィーリア・ネティス・ファルンレシアである」

 組まれたおみ足が美しい。
 いくらか高さがあるが、そのスカートの奥は全く見通せない絶妙な角度だった。
 まあさっきモロに着替え見ちゃったけどね。でも一瞬で隠されちゃったし、モロ見えとパンチラは全く異質のものなので残念なことに変わりはない。っちい!

「ようこそ客人。ようこそ黒の賢者よ。我が国はそなたを歓迎する!」

 彼女のよく通るソプラノの声が、部屋中に響き渡った。するとその声に呼応するように、後ろの入り口付近からうおお! と歓声のようなものが上がる。先程の兵士のような人達だ。

(あわわわ……)

 周囲の貴族のような人達もそれに触発され、ざわざわとなにがしかを周りの人間と話し出す。しかしその視線だけは全て俺の方に向けられていてマジで怖い。
 そんな一種異様な雰囲気の中、彼女のそばに控えていた人物に手招きされた俺は、恐る恐る玉座の方へと向かう。
 うう、視線がちりちりと痛い。頬がいい感じに焼けてチャーシューになりそう……。

 玉座から数メートル程離れた場所で止まれというようなジェスチャーを受け、言われた通りに止まる。
 一応膝もついておく。こんな空気の中でボッ立ちではいられん。
 そうして俺の準備ができると、彼女がさっと腕を上げる。すると、一瞬で場が嘘のように静まり返った。

「客人におかれては、急にこうした形でこんな場所に連れてこられ、大いに混乱していることと思う。まずはそれについて詫びたい。すまなかった」

 そう言って彼女が頭を少し下げると、しかし少しだけどよめきが起こる。
 「陛下が頭を下げることなんて滅多にないのに!」みたいな感じ? やだなあ。居心地悪いなあ……。
 何も言えずにびくびくとしていると、彼女がふむと息を吐く。

「何、そう怯えなくともよい。少し話をしたいだけなのじゃ。遠い異世界から来たそちに、相談があってな」

 彼女は狼狽しきっている俺を見かねたのか、少し表情を和らげてそう言った。
 しかし俺は彼女の口から出て来たその言葉に不信感を覚え、より一層警戒心を強めてしまう。

(異世界……だと?)

 いきなり何を言っているんだ、このお人は。
 確かにここは日本っぽくはない。女王様は雰囲気からして本物っぽいし、周囲の人間も日本人離れした顔、格好をしている。
 でもだからと言って、急に異世界というのは俺からしたらあまりにも突飛過ぎる。まだどこかの海外に拉致られたとかの方が説得力がある。

 でも、ファルンレシア王国なんて国は聞いたことないんだよなあ……。

「どうした客人。何か言いたそうに見えるが」
「えっ……いや、まあ」

 もちろん言いたいことだらけっすよ。ただそれを真っ直ぐに聞いた場合、どういう反応が返ってくるか分からんから怖いんだよなあ。やぶへびになったら元も子もない。あと言いたいことが多過ぎて、正直何から聞いたらいいか分からん。  

(まあでも……)

 まずここだけは、やはりしっかり聞いておかなければなるまい。

「異世界と言……おっしゃいましたが、ここは僕がいた世界とは違う場所なんですか?」

 こんな超絶アウェイ環境の中、陰キャな俺にしては割とはっきりと言葉にできたと思う。
 しかし彼女は、そんな俺の渾身の言葉に対して大きく首を傾げた。何でなん。

「ふむ。やはり何を言っているのか分からんな」
「えっ」

 うそん。めっちゃ日本語ですやん。絶対通じてますやん。
 そう思ったが、しかし彼女の顔は真剣そのものだった。

「マール。ちょっと彼をみてやってくれ」

 彼女がそう言うと、横から一人の人間がはいはい、と漫才の入りのように軽い感じで出て来る。

 少年なのか少女なのか、判断に困る出で立ちをしていた。ポンチョのような貫頭衣を羽織っていて体型が分かりにくく、さらに声も変声期のようなハスキー声。さらさらな金髪と白い肌は女の子っぽかったが、丈はショートボブくらいの長さだし、やっぱりどちらとも取れるので断定できない。

「ふむう……ほほお……」

 そのマールと呼ばれた人物は俺の前へと来ると、やたらと近い距離で俺の体を興味深そうに眺め回す。
 女王様は妹と同じく凛とした優等生のような美人さんだが、こちらは純粋に可愛らしい顔をしている。そのポンチョが揺れる度、風に乗ってちょっといい匂いが漂って来て、少し複雑な気分になった。

 その新しい刺激につい俺は鼻息を荒くしてしまったが、目の前の彼女だか彼だかの方も、かなり興奮した様子で俺を舐め回すように見る。
 デブが珍しいのかな? ハハッ、ワロス!

「なるほどなるほど。こいつは興味深いですね~」
「何とかなりそうか?」

 女王様がそう声を掛けると、マール君さん(?)は、「はい! もちろんです!」と小学生のような元気のいい返事をする。

「ではでは早速」

 元気っ子キャラなのかな? 可愛いじゃない。などとのんきに構えていると、その可愛い顔がふいにこちらにぐりんと振り向く。
 その顔に、俺は何か不穏なものを感じた。

「な、何でつか……?」

 顔は本当に可愛らしい。しかしそこに浮かべられた笑顔が、どうしようもなく俺を不安にさせた。
 何だろう。とてもマッドサイエンティスト感のある笑顔である。正直ちょっと怖い。
 そんなことを考えていたら、案の定俺に悲劇が起こった。

「一体何を……ってコポォwwwwwwwww」

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