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「それではまず何からお話しましょうか」

「ええっと……。まずはすごい基本的なことで申し訳ないんですけど、このギルドでの仕事の受け方についてお願いします」

 そう言うと、おじさんは承知いたしましたと人懐っこい顔で笑った。

「と言いましても、そんなに難しいことはありませんよ。名前を登録してギルド員になってしまえば、後は仕事を受けるだけですから」

 来た。ここだ。

「その名前を登録する時には、何か本人確認などはあるんですか?」

 そう聞いてみると、彼は首を横に振った。

「そういったことはないですよ。やろうと思えば偽名などでの登録も全然可能です」

「え、そうなんです?」
 
「まあもちろん、あまりやる人はいませんよ。名義変更には莫大なお金がかかりますし、何か特別な理由でもなければ偽名で登録するのは避けた方がいいと思いますが……何かその辺り、困る理由がおありなんですか?」

「あ、いえ。別にそういったことは……」

 いかん、ちょっと聞き方がまずかったか。
 ここで下手をすると不審人物扱いされて通報されてしまうかもしれない。何かうまい言い訳が欲しいところだが……。
 と、もごもごと口ごもっていると、

「もしかして、どこかの貴族のご出身とか、そういうことでしょうか」
「え?」

 下手に答えられないので眉を上げることで応答すると、おじさんは続けてくれた。

「いえね、貴族のご子息達が腕試しに冒険者として一時的に活動する、というお話はよく聞くものですから。あなたは身なりもいいですし、何より黒髪なのでそう思ったわけですが、違いましたか?」
「あー……」

 さっきの道案内をしてくれたおばさんと同じように、またしても勝手に向こうが勘違いしてくれる流れである。
 その期待通り、おじさんは俺のそれを肯定と取ったのか、一人でウンウンと頷きどんどん話を進めていく。
 
「まあ私達のような平民とは違って貴族の方はいろいろありますからなあ。これ以上多くは聞きますまい。私も商人として、大口のお客様になり得る貴族の方ににらまれたくはありませんから」

 さも事情通の商人にようにふるまっているが、残念ながら大ハズレ。正体はただのデブニートである。おじさんの商人としての資質が危ぶまれる……。
 しかし俺は現状、彼にすがっていくしかない。何とかあははと乾いた笑いを返しつつ、俺は言った。

「ま、まあ、そういう感じです。他には何か注意するようなことはありますか?」

 これ以上追求を受けるとボロが出そうなので、早々に質問でかぶせていく。
 するとおじさんはそれに少し考え込むような仕草を見せたが、その後すぐに何かを思いついたようにポンと手を叩いた。

「ああ! そう言えば重要なことを忘れていました!」

 自分のカバンの中から何かを取り出し、おじさんはそれをテーブルの上に乗せた。

「これは?」
「これは魔鋼紙と言う紙の束です。よく高級な本などに使われておりますが、ご実家などで見たことはありませんか?」

 言われてしげしげとそれを見つめてみるが、別段普通の紙と違わないように思える。少し分厚いかな、くらいの感想しかない。

「いや、ちょっと分かんないですね。紙は紙としてしか認識してなかったんで、種類とかはあんまり」
「ああ、まあそうでしょうね。しかし冒険者の方からしますと、これはとても重要なものなんですよ」

 そう言うとおじさんは懐から羽ペンのようなものを取り出し、その紙にさらさらと何かを書きつける。

「あっ」

 ペン先から光が漏れ出し、その光が文字となる。さっき俺がやったのと同じものだろうか。

「冒険者の人達はこの魔鋼紙を使って仕事を受けるんです。こうしてムクロ鳥の羽ペンで魔鋼紙に署名して、その上から別の魔鋼紙をかぶせると……」

「おお!」

「これこの通り。魔鋼紙は、書かれたマナ文字をそのままの形で別の魔鋼紙に複写することができるんです。ギルドは魔鋼紙のこの性質を利用して冒険者への報酬などを管理しています。つまり、これがないと始まらないわけですな」
 
 なるほど。これでコピーを取って誰にどういう仕事を斡旋したか記録しておく、って感じか。
 羽ペンによるマナ文字と、魔鋼紙。ちょっと面白い。この世界では活版印刷とかじゃなくて、これで本を作っているということなんだろうか。

 ほええ、と異世界の文明に感心していると、おじさんが何やら意味深に笑う。

「冒険者ギルドが初めてということは、おそらくこちらも持っていませんよね。 粗相をしたお詫びにこちらお安くしますが、いかがですか?」

 む、なるほど。そう来たか。
 流れるような商談の入り方に、心中で唸ってしまった。必要なものなら正直助かるし、ここで手に入れておくのもやぶさかではないが……。

 一つ、問題がある。
 俺はリュックからお金らしきものの入った巾着袋を取り出し、おじさんに言った。

「それは願ってもないお話ですけど、実はその……お恥ずかしい話なんですが、僕お金を自分でまともに使ったことがないんです。一応お金は持ってるんですけど、その価値がどれくらいなのか分からなくて……」 

 さすがに怪しまれるかと思ってビクビクしながらそう言ってみたが、おじさんは特に怪訝な顔も見せず、ただ朗らかに笑った。

「ああ、そうでしたか。まあ貴族の方は基本使用人に雑用をやらせるものですし、こまごまとした金勘定をやることはないのでしょうな。ではまずはそこから説明いたしましょう」

 そちらのお金、ここに出していただいても? そう言われ、言われるがままに俺はその巾着袋の中身をテーブルの上に広げた。
 そうして広げられたものを見て、おじさんは少し驚いたように目を見開いた。

「青銀貨が2枚に金貨が1枚。その他は3枚づつ、ですか。ふむう、結構な大金ですな」

 おじさんは口元のヒゲを撫でつつ、呟くようにそう言ってから続けた。

「王都で流通している通貨は、この5種類の硬貨で全てです。価値が一番高いのはこの淡く光を放っている青銀貨で、あとはこの金貨、銀貨、銅貨、それに黒鉄銭という順番で価値が下がっていきます。同じ硬貨が10枚あると、その一つ上の硬貨と同価値になります」

「ふむふむ。例えば黒鉄銭が10枚あると、銅貨一枚と同じ価値になる訳ですね」

「その通りです」

 なるほどなるほど。金貨よりこの青銀貨ってやつの方が価値が高いのはちょっと意外だったけど、それ以外は日本の金事情に近いな。覚えやすくて助かる。

「ちなみにこの青銀貨が一枚あると、どれぐらいのことができるんですか? 僕はこれからしばらくどこかで宿を取ることになると思うんですけど、このお金でどれぐらい宿に泊まれるかを知っておきたいんですけど」

 そう聞くと、おじさんは教えてくれた。

「青銀貨一枚であれば、そうですな……。中等以下の宿なら、4周期程ですか。大体30日、といったところですな」
「おお! 結構いけるんですね」

 となると、俺は青銀貨を2枚持っているから2ヶ月は宿に泊まれるということになる。俺の天命1ヶ月で尽きるのに、女王様結構くれたわね。ありがたし。

 そうして俺の頬が緩んだのを見てか、おじさんはここぞとばかりにそこでセールストークをぶち込んできた。

「これだけあれば当面の衣食住には困らないでしょう。しかしギルドで仕事を受けるには、どうしてもこの魔鋼紙が必要になります。おそらくこれから何度も仕事をうけるでしょうし、どうでしょう。こちらの50枚の束、通常金貨2枚のところを、金貨1枚でご奉仕させていただきますが、いかがですか?」

「ふむ、金貨1枚……」

 言われて俺は、広げられている自分の全財産を改めて見つめた。
 
 青銀貨が二枚。
 金貨が一枚。
 それから銀貨と銅貨と黒鉄銭が3枚づつ。
 これが俺の今の全財産だ。

 青銀貨1枚で1ヶ月宿に泊まれるなら、食費などの雑費を入れても、おそらく青銀貨2枚あれば余裕で1ヶ月過ごせるだろう。

 そう考えると、ここで金貨1枚を使ったとしてもさして問題ないように思える。多少足りなくなったとしても、仕事でのプラスもある訳だから、素寒貧になることはほぼほぼないはずだ。

(……よし)

 俺は決心し、おじさんに言った。

「分かりました。金貨一枚で魔鋼紙50枚。買わせてください」
「ありがとうございます!」

 俺が金貨を渡すと、おじさんはホクホクとした顔で俺に魔鋼紙を手渡してくれた。

「これで何とか粗相の分はお返しできたでしょうかね」

「ええ。いろいろ教えていただいてありがとうございました。これで何とかやっていけそうです」

 そう言って軽く頭を下げると、おじさんはいやいやと手を振る。

「礼には及びません。私は商人として、きっちりと相手に利益をお返しすることを信条としているだけですから」

 そう言うと、おじさんはカバンを肩に掛けて立ち上がった。

「では私はこの辺りで。冒険者はかなり危ない仕事もあると思いますので、お気をつけて」
「ええ、そちらもでかい商談があるんですよね? 頑張ってください」

 おじさんが手を差し出して来たので、俺はそれをしっかりと握り返した。
 そうしてニコリと俺に笑いかけたのを最後に、おじさんはゆっくりとした足取りでギルドから去っていった。

(頑張るんやでおっちゃん……俺も頑張るぜ……!)

 その大きな背中をたっぷりと見送った後、俺は両手で軽く頬をパチンと叩き、気合を入れた。
 いつまでもうじうじはしていられない。いい加減踏み出さなければ、俺は一生ニートのままだ。

「よし!」

 俺は立ち上がり、早速受付のお姉さんがいる窓口へと向かった。

「すみません、登録お願いします!」

 勢い込んでやって来た俺に目を見開く受付のお姉さん。しかしやはりプロなのか、彼女はすぐに気を取り直して言った。

「新規登録ですね、かしこまりました。魔鋼紙はお持ちですか?」
「あ、はい。ここに」

 登録にも魔鋼紙がいるのかな、そう思いつつ、俺は言われるがままバサリとカウンターの上に買ったばかりの魔鋼紙の束を置いた。

「わっ」

 すると、つい今しがた冷静に俺の勢いをいなしたはずのお姉さんが、今度はそれを見て目を思いっきりまん丸にした。

「すごい数の魔鋼紙ですね。元商人さんか何かなんですか?」
「? 違いますけど……何でですか?」

 聞き返すと、お姉さんは「あれ?」と眉を上げる。

「これだけの魔鋼紙を持ち歩いている人はあまり見ないものですから。すごいですね。これは何に使われるんですか?」
「え? ギルドで使うって教わったので、こちらで全部使う予定ですけど」

 そう言うと、お姉さんがあからさまに怪訝な顔になる。
 
「ギルドで、ですか? こちらでは登録時に魔鋼紙に署名をいただいて、それを別の魔鋼紙に複写して控えさせていただくんですが、その際にご用意していただいた魔鋼紙はそのまま仕事の受注時にもお使いいただけますよ?」
「え?」

 俺のない頭では処理しきれない情報が一気に入ってきて、思わずまた聞き返してしまう。
 するとお姉さんは、少し困ったように眉尻を下げつつ言った。

「もしかして魔鋼紙の利用は初めてですか? つまり、こういうことです」

 お姉さんはそう言うと、羽ペンと魔鋼紙を取り出し、そこに羽ペンを走らせた。
 さっきと同じように、光る文字が次第に紙へと定着していく。

 一体何を見せるつもりなのかと思いつつも黙ってそれを見ていると、お姉さんはその書いた文字の上を、手のひらを擦りつけるようにして強く撫でた。
 すると……、

「あっ!」

 そこには書かれていたはずの文字が消え去り、綺麗さっぱり無地となった魔鋼紙が!

「自分で魔鋼紙に書いたマナ文字なら、こうして自分で消すことができるんです。つまり使い回しができるので、こちらでは魔鋼紙は1枚あれば十分なんですよ」
「ええっ!?」

 何……だと……?
 おいおい商人のおっさん、話が違うじゃねえか。何で俺に50枚も売りつけたんだよ。いらねえじゃんよこれ……。

 もしかして:騙された。
 最初に会ったおばさんがいい人だったので油断していた。まんまとしてやられてしまった。
 でもまあ破産する程ぼったくられた訳ではないし、勉強代だと思えば別にいいか。こっちにはまだ青銀貨が2枚アルヨー。コレユーリデース(古)。

 と、多少落胆しつつもまだまだ余裕綽々の俺だったが、しかしそこにお姉さんが衝撃の事実を叩き込んできた。

「あの……もしかしてですが、こちらの魔鋼紙、このギルド内で買われましたか?」
「え? ええ。さっきまであの辺りに座っていたんですけど、相席になったのが商人をやっている人で、その人から買いました」
「それ、おいくらでした?」
「金貨1枚ですけど……」

 答えると、お姉さんがああ、と首を振りながら力なく頭を垂れた。

「魔鋼紙はそんなに高くありません。これくらいの束でも、大体青銀貨1枚もあれば十分に買えます」
「えっ、青銀貨1枚?? それって高くないです?」

 ん? このお姉さんは何を言っているんだ? 金貨より青銀貨の方が高いんでしょ? ってことは俺、安く買えてるじゃん。
 しかし俺のその言葉を受けてのお姉さんの表情は、「あ、間違ってました、てへっ」みたいな顔じゃなく、ただただ呆気にとられた顔だった。

 それを見て俺はある可能性に思い至り、頭から血の気がさーっと引いていった。

「ま、まさか……普通に金貨の方が価値が上、なの?」

 お姉さんは呆れたように目を瞑り、深く嘆息した。

「当たり前じゃないですか。あなた、一体どこから出てきた方なんです」

「う、うわああああああああああ!!」

 あのくそオヤジ! 温和そうな顔してやることエグすぎだろ!
 俺は猛然と入り口にダッシュし、半ば体当たりする勢いでドアを乱暴に開け、外に転がり出た。

「はあ……はあ……」

 すぐに周囲を見渡してみたが、やはりもうすでにくそオヤジの姿はない。
 やたらと落ち着いて出て行ったが、ギルドから出た途端に走り去ったのだろうか。それともどこか横道に逃れたか……。

「くっそどこだ! ついさっきだしまだ遠くへは…………ってぐお!?」

 な、何だ? 急に体が……!?
 ちょうど走り出そうとしたその時、突如体ががっちりと固まって動けなくなる。顔から上は動くが、そこから下が全く動かない。

「な、なん、だ……コレ……」

 体の感覚がないのに、俺の足は勝手に動いて再びギルド内へと入っていく。そしてそのままロボットみたいなぎこちない動きで、窓口のお姉さんのところへと向かう。

「? どうされました?」

「い、いや……何か体が勝手に動いて……」

 不思議そうな顔で俺を見るお姉さん。
 それとさっきのアレ、吟遊詩人の彼もなぜかそこにいて、何だかやたらと嬉しそうな顔で俺を見ていた。

「……? な、なんすか?」

 怪訝に見つめ返していると、彼は俺がそう言った瞬間、何を思ったか突然くしゃりと顔を歪ませた。
 
「僕は今、猛烈に感動しています!」

 彼は急にそうして涙をぶわっと流し始めたかと思うと、力強く俺を抱きしめつつおいおいと泣く。

「あなたが初めてです! 僕の歌を最後まで聞いてくれたのは!」

「え、なになに? なんなの? なんなのコレ!?」

 状況が分からなくて慌てふためく俺だったが、俺と吟遊詩人の男を見比べていたお姉さんが、ははあんと手を打った。

「もしかして、こちらの方の歌をずっとそばで聞かれてました?」

「え?」

「吟遊詩人の方の中には、歌の神ミューゼ様から与えられた加護、“戒言”を持っている人がいます。戒言は言葉によって人を縛る力ですが、吟遊詩人さん達の場合は、近くで歌を聞いていた人にきちんとお代を払うように強いる力になるんです。ですからお代を払わないとどこへも行けませんよ?」

「な、なん……だと……!?」

 お姉さんの言った通り、体は俺の意志を無視して、巾着袋から金を取り出そうとしている。力を込めようとしてみたが、やはり体はビクともしない。

(ぐぬぬ……)

 ファンタジーの世界、恐るべし。
 こうなっては仕方がない。歌を近くで聞いていたのは事実だし、払うのはやぶさかではない。
 やぶさかではないが、せめてちょい金であって欲しい……。

 そうして某ファンタジー映画のように青銀貨は嫌だ、青銀貨は嫌だ、と念じてみたものの、結局俺の手がつまみ出したのは、

「いやだあああああああああ!!」

「ありがとうございますありがとうございます!」

 案の定、青銀貨だった……。
 俺の指はその青銀貨を、神様から賜るように彼から差し出された両手のひらの上に、ぽとりと落とした。

「あ……あああ……ぁ……」

 これで俺の総資産は、期せずして青銀貨1枚と、それ以下の小銭だけとなってしまった。
 まだ仕事も決まっていないというのに、何と俺はせっかく女王様からもらった結構なお金を、ものの数十分でほとんどなくしてしまった!

 ああああああああああああああああああんんんんんんんんんん!!!!




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 扉を開くと、そこは絵に描いたような異世界だった。

「ふおお……」

 さっきまで歩いてきた広場や通りはまだ人間の方が多かったが、この中は本当にカオスだ。

 分厚そうな鎧を着込んだ騎士風の男。スカウト風軽装のエルフっぽい耳長女性。ドワーフのように体格がよくて背の低い男に、犬や猫のようなもふもふとした顔の亜人達……。

 ざっと見ただけでも4、50人はいるが、これで空いてるのだろうか。天井は合掌造りのようになっていて高く、狭苦しくは感じないが、奥にある吹き抜けにも多くの人がいて、大盛況状態のように見える。

 テーブルやイスの置き方の感じからすると一見酒場のようにも見えるが、カウンターで職員のような人と話をしている人間達の顔はそこそこ真剣である。まるで役所と酒場が一緒になったかのような景色で、ちょっと不思議な空間だ。

「ふ、ぬう……」

 本来なら真っ先にそのカウンターに向かうべきところだが、職探しへのプレッシャーからか、またもや足が動かない。おばさんに話しかけるくらいなら何とかなったが、ハロワの職員に話しかけるのはやはり少し心の準備がいる。

(と、とりあえず座るか。あそこならちょうど全体見渡せそうだし。まずは偵察。偵察が大事)

 カウンター周辺のテーブル席はかなりの賑わいだ。しかし吹き抜けの下の一階部分は、ちょっと暗がりのようになっているせいかそこそこ空いている。
 それを見つけると、俺の足は一直線にそこに向かった。さすがデブニート俺氏。嫌なことからの逃げ足だけは一級品である。

「ちょっとここ、失礼しますねえ」

 部屋の最奥にあるテーブルには誰も座っていなかったが、楽器のようなものを持った青年がなぜかその後ろの床に座っていたので、一応声をかけておく。
 青年は少し驚いたような顔をしたが、すぐにどうぞと俺を席へと促してくれた。

 何でそんなところに座ってるんだ? と、ちょっと不思議に思いながらもとりあえずそこに腰を下ろすと、青年が何やら嬉しそうにニコリと笑う。

「それでは聞いてください。英雄王グランの詩」
「へっ?」

 俺が座ったのを確認すると、青年はそう言って突如持っていた小型のハープのような楽器をポロロンと鳴らし始めた。

「時は遡ること500年前。一人の英雄が、世界の危機に立ち上がった……」

 何か始まっちゃった。もしかしてこれって吟遊詩人ってやつかな? わーお。本物初めて見た。
 帽子にマント、流浪の民っぽい格好に楽器。よく見ればほぼほぼ間違いなく吟遊詩人のそれである。

「名声、富、美しき伴侶、全てを自らの力で得た英雄グラン。しかしその最期は、あまりにも無残なものだった……」 

 せっかくだからちょっと聞いててみようかなとおもったが、しかし俺はすぐにその考えを改めた。なぜなら大変遺憾なことに、

「ああ~~あ"あ"あ"~~かな~しきえいゆ~~お"お"お"~~う"……」

 歌声が、ひどい……。
 どうなってんだこれ。いくら何でも下手過ぎるだろ。音程どこ行っちゃったの?
 とは言えそう大きな声で歌っている訳でもないので、そこが救いではある。とりあえず彼のことは置いておいて、周囲の観察に集中することとする。そのうち歌も終わるだろう。

 と、そう思って人間観察を始めようとした時、ふいに向かいの席に人が立った。

「こちら、よろしいですかな?」

 見れば恰幅のいい商人風の男が、人のよさそうな笑顔をこちらに向けていた。
 相席の申し出、ということだろう。特に断る理由もないので承諾すると、彼は口元のヒゲを撫でつつニコリとし、俺の対角線上に腰を下ろした。

 彼はそのまま隣のテーブルの人と話し始めたので、俺も偵察と言う名のサボりを開始する。
 とりあえずはやはりカウンターの様子を見るべきだろう、と俺はそちらの方へと視線を向ける。

(ふうむ、何か書いてるな)

 仕事の請負書みたいなものだろうか。カウンターにいる人間達は職員さんと何度かやり取りした後、何やら書類のようなものを書いてそれを職員さんへと渡している。
 
(まあ特別変わったようなところはないな。俺が行っても問題なさそうに見えるけど……) 

 やぶへびにならないように、とりあえず偽名で登録できるのかどうかだけでもあらかじめ知っておきたいところである。
 なぜなら俺は、あの浴場での会話の折に女王様から本名を名乗ることを禁じられてしまっているのだ。

(こんなことになるんなら、あそこでちゃんと訂正しておけばよかったよなあ……)

 とにもかくにも、謁見の間で大勢の貴族、要人達に偽名の方で認知されてしまったのが痛かった。
 後から訂正するにしても、なぜその場ですぐに訂正しなかったのか、何かやましいことがあるんじゃないか、という勘ぐりを貴族達の間に生んでしまうのだ。
 
 そういう小さな嫌疑でも、おそらく俺はこの世界で動きが取りづらくなってしまう。だからあの時勘違いから生まれた名前、『ドルオタ・デヴ』はこれからも使い続けなくてはならなくなってしまった、という顛末なわけだが……。

 こうして自分で外に出て仕事を取らなければならないとなると、今度はその方針を取り続けたままでいいのか、というのが問題になってくる。

(もしこの国がきっちりと戸籍を管理している場合、そういう届け出を何もしてない人間が偽名で仕事を受けても大丈夫なのか。コレガワカラナイ)

 まあ実際にそれで捕まったりしても、大した罪にはならないかもしれない。しかし少しでも拘束される事態になれば、タイムリミットのある俺にはそれだけで超絶痛手である。やはり不用意な行動は避けるべきだろう。

(うーん。どうしたもんか……)

 と、そうして腕組みしつつ悩んでいると、ふいに視界の端で大きな動きが起こった。

「お! ……っととと!」

 話が弾んで油断したのか、向かいの商人風の男が飲んでいた飲み物を俺に向かって盛大にこぼした。

「うわっ」

 こぼれた飲み物はテーブルを伝い、俺の膝にぽたぽたと滴り落ちる。
 幸いあまり中身が入ってなかったようで、膝先が少し濡れるくらいで済んだ。
 
「ああ! す、すみません!」
「あ、いえいえ。全然大したことないのでお構いなく」

 女王様からもらった一張羅だが、これくらいなら問題なかろう。何せ俺は同じスウェットを一週間着倒すような男だ。精神的汚れ耐性が凡人とは違うのである。

 そんな感じでさっさとやり取りを終えようとした俺だったが、彼の方はそれでは気が済まなかったらしい。
 通りがかったウェイトレスさんみたいな人から布巾を受け取ると、彼はこぼれた飲み物を拭き取りながらなおも謝り続ける。

「いやいやいや、誠に申し訳ない! あ、よかったらこれ使ってください」
「ああ、これはどうも」
 
 彼がカバンから別の布切れを取り出し、こちらに差し出してきたので素直に受け取る。
 
「久しぶりに王都に来れたので、少し興奮し過ぎていたようです。いやはやお恥ずかしい」

 罪悪感からか、彼はそのまま絶え間なく喋り続ける。

「実は大きな儲けになりそうな商談も近づいてまして。先程からワクワクが止まらないんですよ」
「商談、ですか」

 めんどくさいので生返事っぽく返してみたが、彼は察してくれなかった。
 それどころかこちらの相槌に気をよくしたのか、より饒舌になってしまう。

「そうなんです。先程からこの通り、武者震いまで。もううん十年も商いで食べているんですがね。まだまだですねえ私も」

「あはは……」

 いつの間にか頼み直していた飲み物に口をつけつつ、おじさんはそれから話し続けた。

 騙されて損をした話だとか、金に困って希少なドラゴンの鱗を取りに行ったはいいものの死にかけた話だとか。こぼした飲み物を拭き終わっても続く話に少しげんなりしつつも、何とか相づちだけは返す。

 そうして5分程話し続けた頃だろうか。おじさんもそこでようやく自分が喋り過ぎていることに気づいたのか、ふいにこちらに話を振って来た。

「そういえばあなたは今日どうしてこちらに? その大荷物からしますと、冒険者さん? それとも私と同じで行商ですか?」

「ああ、えーっと。まあ、冒険者の方、ですかね」

 一応答えてはみたが、正直なところ今自分の話をするのはなるべく避けたいところだ。
 この人のことだからまた自分の話に戻ってくれるだろうと思ってそう答えたが、そこで彼は意外にも、こちらのことを掘り下げて来た。

「そうでしたか。今日はお仕事を探しに来られたんですか? それでしたらお邪魔してしまいましてすみません」

「ああ、いえいえ。実はギルドに来るのが初めてなもんで、皆がどういうふうに仕事を受けているのかなあと様子見していただけなんで。お気になさらず」

 これくらいなら大丈夫だろうと思ってそう言ってみたが、彼は俺のそれを聞くと、大きく目を見開いた。

「何と、そうでしたか! では今日が冒険者として初めての活動なわけですね!」

「え、ええ。まあそうなりますかね」 

 何でそんなにテンション高いん? 何かまずった? と不安になる俺だったが、その理由は彼の次の言葉で明らかになった。
 彼は一度木製のジョッキをあおると、嬉しそうに言った。
  
「それならどうでしょう。粗相をしてしまったお詫びに、私がこのギルドについて詳しくお教えしましょうか。初めてということであれば、色々分からないことも多いでしょう」

「え、それはありがたいお話ですけど……」

 いいんですか? と聞くと、彼はドンと胸を叩いた。

「お任せください。相手に損をさせたまま去るのは商人の名折れ。必ずやあなたのお役に立ってみせましょう!」

 おおお、何だかすごい頼もしい。見た感じ商人としての歴も長そうだし、こいつは期待できるかもしれん。

「じゃ、じゃあ、よろしくお願いします」

「ええ。大船に乗ったつもりで、どーんとお任せください!」

 何とまあ、渡りに船とはこのことである。
 かくして、商人先生の異世界講座は始まった。

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「と、言ってみたはいいものの、どうしたもんかね……」

 俺は周りを見渡しつつ、ひとりごちた。
 やる気が出たのはいいものの、俺が異世界の中で一人取り残されたという事実に全く変わりはない。ハードモードは継続中である。

(まずは仕事……いや、宿確保が先か?)

 拠点、寝る場所がないのは怖い。しかし仕事がないまま宿に泊まるという状態もなかなかに気持ちが悪い。
 今持っている金でどれだけ生活できるのかも分からないし、まずは情報収集が先だろうか。

(となると、酒場かギルド的なところだな)

 我ながら安直な思考だとは思うが仕方ない。まずはファンタジー世界の王道の概念を頼ってみることにする。何にもアタリをつけないでさまようよりかは全然マシなはずだ。

 完全にそれでなくとも、それっぽいところがあるだけでもいいんだけど……ととりあえず周りに目を配ってみる。

「うーん……」

 しかしどうもこの広場の辺りは市場のようになっているらしく、周囲には食べ物や果物のようなものを売っている露店しか見当たらない。となると、少し奥まったところに行かないとダメかもしれない。

 ただ太陽の広場とはよく言ったもので、俺の周りにはこの広場を中心に何本もの道が放射状に伸びている。考えなしにその全てを行ったり来たりしていると、日が暮れてしまうかもしれない。
 どれか道に入るにしても、誰かに聞き込みくらいはした方がよさそうだが……。

「うう……」

 と、そんなことは探し始めた瞬間に理解していたのだが、とうの足が全く動こうとしない。
 だって、どういう文化があるかも分かってないのに、不用意に話しかけられないスよ。どんな地雷があるか分からんじゃない……。 

 でもそんなことを言っていたら仕事を得るなんて夢のまた夢だ。やらなきゃ死ぬんだからやるしかない。
 俺は決心し、そこらを歩いている通行人に話しかけようと歩み寄った。

「あ、あのぉ……すいません」
「はい?」

 人の良さそうな恰幅のいい中年女性。我ながらいい人選である。
 こちらに顔を向けたおばさんの表情は悪くなかった。少なくとも嫌がったりめんどくさがったりしているような表情ではない。これならいけるか……?
 俺はそうして少し緊張しつつも、何とか口を開いた。 

「僕今日初めてここに来たんですけども、ここら辺に仕事を紹介している場所とかってありますかね?」

 そう聞くと、彼女は少し怪訝そうな顔を俺に向けた。

「あなた、どこかの騎士さんとか?」
「え?」

 騎士? なぜに? この太鼓っぱら野郎のどこをどう見たらそういうふうに見えるん?
 思わぬ返答に疑問が尽きないが、とりあえず俺はおばさんに違いますよと答えた。
 すると彼女は、また少し物珍しそうな顔で俺を見た。

「あらそうなの。騎士さん達って大体髪を黒に染めてるでしょう? だからあたしゃてっきり」
「あ、あ~なるほど。そういうことでしたか。まあそっち系のやつ? みたいな感じではあるかもしれなくはないですね」

 案の定と言うべきか、急に知らない情報が出て来て困惑する。しどろもどろになりながらも返したが、怪し過ぎる。我ながらアドリブがきかない。
 しかし運のいいことに、おばさんはそれをいい感じに誤解してくれた。

「ああ、もしかして冒険者さん? それならそうと早く言ってよもう~」
「あ、そうですそうです! いや~紛らわしくて申し訳ない! アッハッハ!」

 何とか受け答えしつつ、俺は思考を巡らせる。
 黒髪だと騎士ってのは一体どういう理屈だ。自分に関することだし、早めに知っておきたいな。どこでボロを出すか分からんし。

 さり気なく探りを入れてみるか、と俺は再びおばさんに聞いた。

「一応お聞きするんですけど、こっちでも騎士さんとか冒険者は黒髪なんですか? 実は僕少し遠くの方から来たので、この辺りの世情に疎くて」
 
 するとおばさんは、それにあっさりと答えてくれた。

「あらそうなのね。でもその辺りはこっちでも変わらないと思うわよ。冒険者の人はそうでもないけど、騎士さん達は大体黒く染めてるわねえ」
「あ~やっぱりそうなんですねえ」

 なるほど、少し分かった。黒髪の人が軍人や冒険者になることが多いって訳じゃなくて、あくまで染めてるってことなのね。
 まあ天然の黒髪の人がいないってことで女王様が俺を召喚した訳だから、そこは当たり前っちゃ当たり前か。

 でもなぜに染める必要があるんだ。軍人に多いってことは戦いに関係してるってことなのだろうか。どうにかその辺りの話も聞いておきたい。

「ちなみにですけど、その染める理由とかも変わらないんですかね」

 試しにそう聞いてみると、おばさんはまたしても親切に教えてくれた。

「あたしも詳しい訳じゃないから分からないけど、それも変わらないんじゃないかしら。扱えるマナとか魔法って髪色に出ちゃうじゃない? それを隠すために軍人さんは黒く染めてるってことらしいからねえ」
「ああ、じゃあやっぱり変わらないんですね。わざわざ教えていただいてありがとうございます」
「いいのよぉこのくらい」

 おばさんはそう言うと、朗らかに笑った。
 この世界の人達は結構いい人が多いのかもしれない。第一街人にして結構重要な情報を聞くことができた。

 おばさんの話からすると、俺みたいな黒髪のやつは染めてる人がいるせいでそんなに珍しくもないらしい。これは結構いい情報だ。だってこのまま俺が髪色を偽装したりしなくても、特に怪しまれることはないってことだからね。 

 しかしなるほど、扱えるマナは髪色に出ちゃうのか。そりゃあ確かに隠さないとまずいよなあ。戦う相手に自分の属性知られてたら対策取られちゃうかもだし。

(そう言えば城の謁見の間で少し見えた騎士っぽい人達は皆フルヘルムだったな。あれももしかしたら髪色を見せないようにするためのやつなのかもな)

 ファンタジー世界ならではの事情というやつだろう。いきなり外に放逐されてマジで不安だったけど、こういうことがだんだんと分かっていくのは、RPG感があってちょっと面白い。

 ともあれ、そう楽しんでばかりもいられない。無職のままでは天命が尽きる前に野垂れ死ぬ可能性だってある訳で。
 まずはお仕事……とちょっと前の俺ならあり得ない考えを抱きつつ、俺はおばさんにまた聞いた。

「それで、僕みたいな人間に合った仕事斡旋所みたいなのってありますかねえ」
「それならこの道の先にある冒険者ギルドに行くのがいいんじゃないかしら。ちょうどこの時間ならそんなに混んでないでしょうし」

 冒険者ギルド! やっぱりあるのか!

「この道ですか? どれぐらいで着きますかね」
「そんなに遠くないわよ。ちょうど市場が途切れたくらいのところにあったかしらね」
「おおそうですか! 早速行ってみます!」

 ありがとうございました! と少し大げさに腰を折ると、おばさんはいいのよーと笑いながら俺を送り出してくれた。
 第一街人があのおばさんで本当によかった。これでもし邪険に扱われてたら、せっかくちょっと回復した心がぽっきりと折れてたかもしれん。

 早速俺は歩き出し、おばさんの言った道へと向かい始めた。
 マジでどうなることかと思ったが、意外とことはスムーズに運んでいる。着実に一歩づつ進めば、もしかしたらこのハードモードもどうにか打開できるかもしれない。

「よーしよし! 幸先いいぞ~!」

 鬱屈とした気持ちがなりを潜めたせいか、俺の足は軽やかに前へと進んでいく。
 市場は活気にあふれていた。この辺りはどうも食べ物を売っている屋台が多いらしく、そこかしこからいい匂いが漂って来る。

 肉のような香ばしい匂いもあれば、何かの果物が放つ甘い匂いも合間に香って来る。日本の祭りの中を歩いているみたいで、少し懐かしい気分になった。

(うーん。ちょっと何か買ってみようかなあ……)

 と、そこでデブ特有の買い食い癖が顔を出しそうになったが、俺はふるふると頭を振り、その雑念を追い払った。

 金はある。しかしまだその価値が全く分かっていない。そんな状態でいきなり店に行けば、アホな俺はほぼ間違いなくボラれる自信がある。金を得られる手段がない今、そうした無駄が発生するようなことは避けるべきだ。

(ぐう……ここは我慢だ。我慢だぞタツキぃ!)

 そんなデブに堪える食い物ロードは、しかし幸いなことに俺が耐えきれなくなる前に何とか終わりを告げた。十分程歩くと、おばさんが言った通りに連なっていた屋台が途切れ、視界が一気に開ける。

 実は結構な大通りだったらしい。これは探すのに骨が折れるか……? と少し思ったが、そこで周りを見渡してみると、それは案外割と簡単に見つかった。

 周りに石やレンガ造りの家が多い中、その建物だけが周りから浮いていた。
 木造ながら、しっかりと漆喰のようなものも塗られた大建築だった。周囲に比べると明らかに建物の規模が違う。日本の一般的な4LDK住宅の4倍から5倍はゆうにある。

 上を見れば、他の建物にはない何かマークの付いた看板もぶら下がっていた。おそらくここで間違いない。
 その扉の前に立つと、自然と体が震えてしまった。

「まさかこの俺が、こいつの前に立つ日が来るとはな……」 

 親から言われてもなんだかんだとお茶を濁し、行くことを避けていた。行ったら負けとさえ思っていた、忌避すべき場所。
 そんな場所に、世界が変わっても来る羽目になってしまった。これはもう本当に年貢の納め時というやつなのだろう。運命と思って諦めるほかない。

「ごくり……」

 覚悟を決め、俺は扉のドアノブを握る。
 そうして俺は内心ドキドキしながらハローワーク、もとい、冒険者ギルドの中へと足を踏み入れた。









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「やばい……やばいやばいやばい!」

 マジでどうすんだこれ! 俺この世界のこと全然何も分かってないんだが! まず何をするべきなのか全く見当がつかん!!

「何か、何かないのか!?」

 半ばパニック状態になりながら自分の体をまさぐったが、当たり前のように何もない。
 マントとシャツにはそもそも収納スペースがない。ズボンにはポケットがあったが、そこにも何も入っていなかった。
 血の気がサーッと引いていく音が耳の奥で響いた。

「! いや待て! リュックは!?」

 着替えた時にあまり中身を確認せずにスウェットを入れてしまったが、実は探せば何か入ってたんじゃないだろうか。
 早速リュックを下ろし、スウェットを引っ張り出して中をごそごそとやってみる。すると……。

「あ!」

 底の方を見渡してみると、そこに小さな内ポケットがあることに気づく。
 逸る気持ちを抑えつつ中をあらためてみると、指に何かコツンと当たるものがあった。

「おおおお!?」

 そうだよな! さすがに何もないわけないよな! 全く女王様ってば人が悪い! 何かあるなら一言言ってくれればいいのに!
 そんな不敬なことを思いつつ、そのポケットにあるものをさらってみる。何やら紐のようなものと硬い感触、それから布っぽいものと紙のようなカサカサとしたものがあった。

「な、何だろ……。役に立つものあるかしら……」

 それらを拾い上げ、石畳の上に広げてみる。
 何やお前露天でも開くんかという目で周りから覗き込まれたが、中身が気になり過ぎて構っていられない。
 
「ん……これは!?」

 まず目についたのは、巾着袋のような何かの革っぽい袋だ。手のひらに乗るくらいのサイズだが、持ってみると少し重い。加えて、中から何か金属っぽい音がする。
 これはひょっとして、と紐を緩めてみると、案の定だった。中には硬貨と思われるものが数枚入っていた。

「あ、あぶねえ……さすがに一文無しじゃどうにもならんところだった」

 実際どんなもんなのかと中身を拾い上げようとしたが、寸前で思い留まる。
 こんな往来で金をみせびらかしたりしたら、何があるか分からん。ここは日本じゃないのだ。見たところ無法者のような格好のものは見当たらないが、用心しておくことに越したことはない。 

(つっても、他に大したものはないっぽいけどな……。この紐が通った金属の羽みたいなのはただのネックレスみたいだし。あと気になるのは、この手紙っぽいやつだけか)

 何の変哲もない白い封筒だったが、結構上質なもののようにも見えた。この世界にも普通に紙はあるらしい。

 裏返すと、幾何学模様っぽい刻印のなされた赤い蝋で封が施されていた。
 女王様からの手紙だろうか。そう思って開封してみると、やはり手紙と思われる便箋が一枚入っていた。
 早速綺麗に折り畳まれたそれをいそいそと開いてみる。しかし……。

「……読めねえ」

 完全に失念していた。俺は今異世界にいるのだ。こちらの文字で手紙なんか書かれても分かるわけがない。こんなテトリスみたいな文字、言語学者でもなきゃ解読できないよ女王様……。

 と、そうしてぽりぽりと頭をかいた時、ふいに手紙に異変が起きた。

「えっ?」

 日の光で少し分かりにくいが、文字が淡く光っていた。書かれた文字、筆跡に沿って光を放っている。

「あれ……?」

 そして少しすると、さらに不思議な事が起こった。書かれている文字にそれ以上の変化はないのに、なぜか頭の中でそれを理解することができるようになったのだ。
 喉を突かれてから喋れるようになったのと同様に、これもマナがどうこうして読めるようになったのだろうか。

 疑問に思いながらも、俺はとりあえずそれに目を通し始めた。今はとにかく、内容の方が気になる。

『タツキへ
 
 まずは改めて謝罪させて欲しい。やむを得なかったとは言え、こんな形で別れることになってしまって本当に申し訳ないと思っている。
 ただ、これまで私が君にしたことは、一応君のためを思ってやったことだ。それだけは信じて欲しい。

 こんな言い訳じみた謝罪の言葉では納得いかないかもしれない。しかし今は、まずは君がしっかりとこの世界で生きていけるように、地盤を作ることに注力して欲しい。それが叶った後なら、私は君からのどんな罵倒も受ける覚悟でいる。だから君のためにも、どうか今は耐えて欲しい。

 さて、本来ならこうした謝罪で紙面を埋めたいところなのだが、すまない。伝えなくてはならないことがあるので、勝手ながらここで打ち切らせてもらう。

 何をするにしても、これを知らなければ落ち着いてことにあたれないだろう。
 君の天命が、実際にはあと何日あるのかについてを教えておかなければならない』

「えっ」

 そんなこと分かるの? 確かにそれは聞いておきたい。ていうか聞いておかないと、これからの動きを決めにくい。これからこの世界で生きていく上で、これはほぼほぼ必須な情報だ。

「…………」

 しかし俺は、その先の文になかなか目を向けられないでいた。
 彼女のこの書き方が気になった。これじゃあまるで……。
 瞑目し、深呼吸を一つ。そうしてようやく、俺はその先へと目を向けた。

『紙面も限られているので、率直に書こうと思う。君の天命は、あと33日で尽きる』

「さっ!?」

 え!? は!?
 唐突に出て来た衝撃的な数字に、俺は目を疑った。
 俺は手紙を手のひらを使ってしっかりと伸ばし、もう一度該当箇所を確認した。

『君の天命は、あと33日で尽きる』

「はあああああああああああああああ!?」

 せっかくの女王様からの手紙がくしゃくしゃになってしまう。わずかに冷静な部分のある頭がそう思ったが、しかし俺はわなわなとそれを握りしめてしまった。

「さ、33日!? 嘘だろ!? たったそれだけ!?」

 1ヶ月ちょっとで何者かになれってか!? そんなん向こうの世界でだって無理だ! 

 現実的な数字を突きつけられたせいか、足元がおぼつかない。余命宣告されたがん患者とかってこんな感じなんだろうか。視界もふわふわし出した。
 「あと何日か」という書き方の時点で警戒はしていたが、まさかこれ程までに短いとは……。

 目にちかちかしたものまで見え始めたが、手紙はまだ終わっていない。震える手をバチンと叩き、続きに目を通す。まだ何か希望があるかもしれない。

『荷物に併せて入れておいたペンがある。それを使えば、君の方でもその日にちを確認できる。
 紙とそのペンを持ち、自分が盟約の担い手としていられるのはあと何日か、と念じるのだ。そうすればペンが勝手に動き、その日にちを教えてくれる。試しに封筒の余白にでもやってみるといい』

「ペン……?」

 そんなものあっただろうかと広げたものを見渡す。それらしいものと言えば、あとはこの金属の羽のネックレスみたいなやつしかないけど……。
 手のひらに乗せ、しげしげとそれを見つめてみる。すると、

「あ」

 よく見ると、羽の軸部分がペン先のように尖っていた。もしかしたらこれのことなんだろうか。
 早速封筒とそれを持ち、念じてみた。

「……おっ」

 するとどうだろう。腕が勝手に動き、封筒に何かを書き始めた。
 先から淡い光を漏らしつつ、ペンが氷上のフィギュア選手のようにすらすらと紙の上を滑っていく。
 またテトリスみたいな文字で書かれていくが、さっきと一緒でちゃんと読める。

 ロボットが書いたかのような事務的な文章ではあったが、そこにはこう書かれていた。

『タツキ・オリベ 盟約の担い手としての残り時間 30日』
 
「へっ?」

 ゴシゴシと目をこすって再度見てみたが、やっぱりそこにある数字は変わらなかった。
 
「おい……」

 さらに減ってるんですけど!

 女王様が言った通り、彼女達と話して知識を得たせいだろうか。 
 しかしそれだけで3日も縮まるのはおかしくないか? それだけ俺がしょぼい扱いということなのかもしれないが、ちょっと判定が厳し過ぎやしないだろうか。

 俺はへなへなと地面に膝を落とし、封筒と羽ペンを投げ出し、そこに両手をついた。

(アカン。これはアカン。マジで無理ゲーにも程がある)

 何と言うことか。大の男がちょっと泣きそうである。

 マジでどうすんだこれ……。俺は最近やってたコンビニバイトですら、客として利用してからの顔なじみで採用してもらった感じなのに……。
 この世界では俺のことを知っている人なんていないし、そんな縁故採用もあり得ない。

 何か突出した知識でもあれば別だが、俺は文系人間だからそういう実際的な専門知識はほとんどない。よって現代知識無双とかはほぼ無理だ。
 て言うかそもそも向こうでも落ちこぼれだったってのに、こっち来てそんな急に成り上がれる訳ないですし! そんなんできるんだったら向こうであんな生活してないよ!

「はぁ……」

 こんなことならもういっそのこと、好きに生きて好きに死ぬ生活の方がいいんじゃないだろうか。幸いお金はあるし、このファンタジー世界を楽しく見て回るくらいのことはできるんじゃないだろうか。女王様も瘴気のこととかは気にしなくていいって言ってくれてるし……。

 と、そんなことが頭をよぎり始めた時、ふとそばにあった手紙に目が行く。
 ぼーっとして思考力が落ちた俺は、それを何となく手に取り、ホコリを払ってまた読み始めた。

『盟約にふさわしい者となるには、あまりに短い。おそらく君はそう思っただろう。私も最初そう思った。しかし君と直に話してみて、その考えは変わった。
 自慢じゃないが、私は人を見る目はあると思っている。少し話しただけだが、君のことはある程度理解したつもりだ。

 君はとても誠実で頭がいい。そして何より、君には夢がある。夢を語る君の瞳には、光が溢れていた。あれは未来を切り開く力のある男の目だ。
 私はあの光を信じようと思う。例えこの身が裂けようとも、例え意識が瘴気の海に沈もうとも、ただひたすらに、頑なに、最期まで君を信じようと思う。

 こんな形になってしまい、君は私のことを信じられないかもしれない。それでも構わない。私はそれだけのことをした。
 しかし、君を信じている人間がいるということだけは、どうか忘れないで欲しい。

 君は決して一人じゃない。私はいつでも君を想っている。
 
 
                                      ソフィー   』

「…………」

 それを読み終えると、俺はそのまま地面にあぐらをかきつつ天を仰いだ。

「誠実で頭がいい、ねえ」
 
 確かに俺はどちらかと言えば誠実な方だと思う。しかしそれは、本当の誠実さとは違う。俺のこれは、お人好しと紙一重のまがい物だ。

 頭も別によくはない。たぶんあの浴場での話に対する理解力が少し高かったことを言っているのだろうが、あれは自分の命がかかっている話だったから集中していただけ。普段はどちらかと言うとアホ寄りだ。

 全くもって買いかぶり。そう思いつつも、しかし俺の心にはどこか温かいものが残っていた。

 何となく読み始めた感じだったのに、最後には彼女の弁舌に引き込まれてしまっていた。
 力強い言葉の羅列は、俺を励ますためだろう。そして締めの何の冠もない愛称の名前は、親しみのある呼び名で終わることによって、俺に少しでも寄り添ってくれようとしたのだろうと思う。

「優しい子、だよな……」

 口だけならなんとでも言える。普通ならそう思うところだろうが、不思議とこの手紙からはそういった悪い印象のようなものは受けない。彼女が本当にそう思っているのだということが、何となく伝わってくる。

 俺は自分に自信もないし、彼女が思っているような人でもない。
 でも、こうして誰かに信じられているということだけでも、自分が少しだけ上等な人間になれたようで、何だか救われたような気分になる。

「…………やるか」

 背中に誰かを感じていられるということが、こんなにも人を安らかにするなんて、知らなかった。

 気づくと俺は、広げたものを片づけてリュックを背負い、目の前の異世界然とした世界を、真っ直ぐに見つめていた。









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そうしてしばらくの間二人と談笑しているうちに、竜車がどこかへと到着する。
 道がきっちり整備されているのか、あまり揺れは感じなかった。ただかなり下っていくような道のりだったため、客車の後ろ側に座っていた俺は足をふんばっている場面が多くてちょっと疲れた。

 やれやれどっこいと腰をあげようとすると、

「あ、君はそのままここに残って」

 マール君に呼び止められる。なぜに? と眉上げだけで応じると、マール君は言った。

「さすがにそのままの格好だと目立っちゃうから、ここで着替えていって。座席の下に君に合いそうなものを見繕ってもらって用意してあるから」
「おおそうですか。それはありがとうございます」

 確かに目立ち過ぎるのはよくない。目立つとろくなことがないのは、齢25にもなる俺ならとうに理解している。ここはお言葉に甘えることにしよう。
 座席の布をめくり、その下の板のでっぱりを持ち上げると、布にくるまれた荷物が入っていた。結構な大荷物だ。

 二人が外に出たのを見計らい、早速俺は着替えを開始する。
 開いて見た限りでは、向こうの衣服とそう大差なかった。何とか一人で着ることはできそうだ。

 これは長袖のTシャツみたいなもので、これがズボン。んでこれが、ちょっと短めのマントみたいなやつ。羽織る感じで着ればいいのだろうか。あとこれは何だろう。リュックサック? 何これ。俺荷物持ちでもすんの? まあせっかくだし、一応脱いだスウェットはここに入れとくか……。

「あのー、一応着替えれました」

 少しもたつきはしたが、何とか形にはなった。
 外に向かって声を掛けると、はぁいとマールくんの声がして客車のドアが開く。

「ほお、なかなか様になっているではないか」

 客車から少し気恥ずかしい感じで降り立ってくる俺に、いつの間にやらフードを目深に被った女王様がそう声を掛けてくれた。女王様も街仕様ということだろうか。

 鏡がないから実際のところは分からないが、たぶん俺のこれは、いわゆる『旅人の服』というやつだ。最初の村で買えるちょっとだけいい装備、みたいな。
 しかしこの妙にでかいリュックサックはマジで何なんだろうか。これ背負ってるとマジで俺ト○ネコみたいになってるだろうからちょっと嫌なんだが……。

「タツキ」

 と、自分の格好を訝しげに見回していると、女王様から本名の方で呼ばれる。
 また密談だろうか。ちょいちょいと手招きされたのでそばに寄ると、彼女はおもむろにすっと自分の前を指差した。

「見るがよい。我が城と、我が国民達の脈動を」

 そう言われ、俺はそこに初めて目を向けた。

「ほわぁ……」 

 誰もが一度は思い描いたことがあるはずの“幻想”が、目の前に広がっていた。

 木造や石造りの家が大通りに沿って整然と立ち並び、かと思えば、簡素ながらも色鮮やかな衣服に身を包んだ人間達が、活気を振りまきながら雑然と道を闊歩している。腕や顔が体毛で覆われた獣人と思われる人も、普通にそこらを歩いていた。

 人が居て、家がある。構成要素は同じものなのに、そこに漂う空気感が全く違う。ここが日本ではないということを、改めて強く意識させられた。

(どっかの何とか村なんかじゃあこうはいかんよなあ)

 そして何より、遠景に鎮座するそれが美しかった。

 その圧倒的物量によるダイナミックさと、全体に施されたガウディ建築を思わせる緻密な意匠には、賞賛を通り越して呆れにも似た感情が湧いてくる。
 一体どれだけの時間をかければ、こんな代物が出来上がるのか。想像すらも容易ではなく、ただあんぐりと口を開ける他ない。
 天を衝く摩天楼。巨大な三叉槍のような城が、快晴の青をバックに威容を誇っていた。

「やはり綺麗じゃな、この国は」

 三つ編みをわずかに揺らしながら、そう思わんかと彼女が俺を見る。
 よほど自分の国が自慢なのか、ちょっと誇らしげに綻んだその笑顔は可愛らしさに満ちていて、思わず俺は目を見張ってしまう。

「そう、ですね。そう思います」

 景色も綺麗ですけど、あなたも綺麗ですよ……なんてことは言えるはずもなく、少し歯切れの悪い言葉を返してしまう。
 しかし彼女は俺のそれに全く気づかない。その景色に見惚れるように目を細めていたかと思うと、彼女はそのまま少し表情を険しくした。

「私はな、この光景を守りたいんだよ。タツキ」

 周囲を気にしてか、一段低くなった声で彼女は言った。

「美しい街に、人々が思い思いに動き、生活している。市井の人間からすれば何ということはない景色なのかもしれん。だが私は、この景色が大好きでな」
「分かるような気がします。いろんな人達が仲良さそうにしてていいですよね」
 
 そう言うと、彼女が満足そうにうむと頷く。

「しかし瘴気の広がりを野放しにしておけば、この光景はいともたやすく失われてしまうだろう。そうならぬように、私達は全力でことに及ばねばならない」

 そこで彼女はようやく景色から視線を外し、俺の方を見た。

「そのために、まず君にはこの世界で名を上げてもらわねばならない」
「え、名を上げる?」

 わざわざ目立たないように着替えたばっかりなのに? なぜに?

「本来なら私と共にすぐにでも瘴気対策に動いてもらいたいのだが、君の場合そうもいかないんだ」
「と言いますと?」

 聞くと、女王様が少し神妙な顔になりつつ俺に身を寄せる。 
 周囲をいくらか確認すると、彼女は声をひそめて言った。

「……先刻盟約の秘術について一通り説明したな」
「ええ」
「あの時君に仕事さえすれば生きながらえると言ったと思うんだが、実は今の君の状態はそう単純なものではなくてな」

 え? この期に及んでまだ何かあるの? これ以上ハードモードになるのは勘弁なのですが……。
 正直先を聞きたくなかったが、さらに深い話になるのか、殊更俺に密着しつつ女王様は続ける。

「君は今秘術により国民達と繋がっている訳だが、この繋がりは彼らの大多数の意に反することをすると弱まり、最後には切れてしまう」

 言いながら、彼女はフードの奥からこちらの顔色を伺うように俺を見上げた。

「彼らの集合意識はとても現実的な思考を持っていて、分を超えた状態をひどく嫌う。つまり今の君の状態は、好ましくないと取られる可能性が高いのだ」

 少し申し訳なさそうにそう言われたところで、俺はようやく彼女が言わんとすることに気づいた。

「……何となく分かりました。要は俺がショボ過ぎるから、早く盟約を結ぶのにふさわしいやつになれ、ってことっすね」
「そういうことになる」

 女王様のそれを聞き、俺は内で凝った緊張の塊をほぐすように深く息を吐いた。
 急に改まって話し出すから何事かと思ったけども、何だ。そう大きな変更はないじゃない。

「まあそれくらいなら、与えられた仕事をこなすうちに何とかなりそうなんで、そこまで気にする必要はなさそうですね。頑張るだけですよ」

 そう言ってみたが、彼女は俺のそれを聞くと、なぜかバツが悪そうに地面に目を落とした。

「いや、違うんだタツキ。そうじゃないんだ。今は私から君に仕事をふることはできないんだ」
「えっ! どうしてです?」

 思わず顔を女王様の方に向けるが、彼女は何か思うところがあるのか、そのまま黙り込んでしまった。
 おいおい何その深刻そうな感じ。まだそんな言い難いことあるの。こっちはもう死の宣告食らってるんですが……。
 
「あの……女王様?」

 呼びかけると、外套の袖からわずかに見える白く小さな手が強く握り締められた。
 表情は見えないが、大きく肩が上下している。呼吸を整えているようだった。

「騙すような形にしてしまって本当にすまないと思っている」

 長い溜めの後、突如として出て来た謝罪の言葉に、俺は目を丸くしてしまった。
 何に対して? なぜ急にこのタイミングで?
 疑問に思いながら次の言葉を待っていると、彼女がぽつりぽつりと、ゆっくり言葉を選ぶようにして話し出した。

「まずなぜ君に私達が仕事をふれないか、だな。これは先程君が言った通りだ。向こうの世界では君も何らかの地位があったかもしれないが、この世界では君はまだ何者でもない。だから私が仕事をふると、国民達の集合意識に反してしまうことになるのだ。何者でもない人間が女王に仕事を与えられるのはおかしいのではないか、とな」  

 俺は呆然としながら、ただ彼女の話に耳を傾けていた。
 そんな、そんなばかな……。そんなこと言い始めたら、今俺が彼女とここにいることすら……。

 嫌な予感が募る。そうして絶句する俺に気づいたか、彼女はチラと俺を見やると、さらに声のトーンを深く落として続けた。

「本当は、魔法やこの世界のことを一から十まで全て君に教えてやりたい。しかしそれも無理なのだ。おそらく私達城の人間と会話して知識を得るだけでも、盟約の秘術による繋がりは弱まってしまう」

 言葉の端々に苦々しいものが見え隠れする。彼女の拳は、いつの間にか外套の裾を絞るように握られていた。

「君がこちらに来てからもう相当な時間が経っている。これ以上君が私達と一緒にいるのは危険だ。だから……ここで一度お別れだ」
「えっ」

 思わず呆けた声を返してしまったが、彼女はそれに全く取り合わず、前に一歩踏み出した。
 
「竜車の中で私は君に言ったな。今から行くのは君の仕事場だと。ここがそうだ。君の仕事場は、この世界だよ。タツキ」
「えっえっ?」
「瘴気についてはとりあえず考えなくていい。まず君はこの世界で、自分の力で、確固たる地位を得るのだ。そして、盟約にふさわしい男になれ」

 彼女は数歩歩み出た後、こちらにゆっくりとした動作で振り返り、フードを取り去った。
 彼女の絹糸のような青白磁色の髪が、陽光に眩しく煌めく。

「この太陽の広場から始まる君の前途が、同じく輝かしいものになることを祈っている。また会おう、タツキ」
「ちょっ、えっ、女王様!?」

 不穏な空気に慌てて声を掛けるが、女王様はそれきりまた踵を返し、竜車の方へと歩いていく。
 そうして呆然とする俺をよそに、彼女はさっさと客車へと乗り込んでしまった。

「え……嘘、でしょ?」

 客車のそばで控えていたマール君も笑顔でこちらにバイバイと手を振り、女王様の後を追う。御者のベアードは不敵な笑みを浮かべると、そのまま御者台に。俺に水をぶっかけたマンダは何を思ったか上に向かって盛大に水を吹き出し、そこに小さな虹をかける。

 それを最後に、彼女達を乗せた竜車はゆっくりと動き出し、遠のいていった。

「あ……あぁ……ぁ……」
 
 追いかけようにも、あんな釘を刺されたら動くに動けない。俺はただ呆然と、そうして竜車が遠ざかっていくのを見送ることしかできなかった。

 何ということだろう。俺みたいなただの穀潰しオタが、あろうことかほとんど着の身着のまま、大した能力も発揮できないまま異世界の真っ只中に取り残されてしまった!

 な、何だってええええええええええええええええ!?





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