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彼を襲った衝撃の正体。それは実際に攻撃を受けた今も確定判別は出来なかったが、男の持っている得物の正体については、彼は知っていた。

『銃』

近年突然もたらされた新たな文明の利器であり、武器である。トリガーと呼ばれる引き金を引くと、金属製の筒の中を、火薬で推進力を得た小さな金属の弾が駆け抜ける。そこから爆発的なスピードで飛び出した弾は途轍もない殺傷能力を持っており、人体を軽々と貫く。
出所は不明。誰かが発明したものが広まって来たものであるとか、もしくはどこか別の地方からもたらされたものであるなど諸説はあるが、はっきりとした出自の解明には至っていないものとされている。兵器と同じように、まだまだ一般には認知されていないものである。
男も、彼からその単語が出た事に少なからず驚いたようで、
「ほお、博識だな。まだそうそう出回っているものでもないんだがな」
と、感心を隠さなかった。

しかし男の使うそれは、彼が知っているものとは少し様子が違った。弾の出口、いわゆる銃口がかなり大きく、ラッパのような形状をしていた。加えて後部の、本来なら弾を装填するだろう箇所も少し変で、風船のようなものが付いている。まさに空気ラッパのような形だった。それに柄を取り付けて、トリガー部分としている。そんな形状だ。

「しかし私のこれは特別製。ただの銃ではない」

男はそうニヤリと笑い、再び銃口を彼に向けた。

「!ふんぬぅ!」

痛む体に鞭打ち、彼はその“弾”をなんとか避ける。
何の躊躇もなく、男は引き金を引いたのだった。普段から人にその銃を向け慣れているのがうかがい知れ、その事にまた彼は眉をひそめる。

「おい……そんなものをポンポン人に向けて撃つんじゃねえ」

先程受けた時は何だか分からなかったが、今避けた時に彼ははっきりと見た。弾の正体は、またしても“水”であった。
銃と言うと、通常は金属の弾を用いるもののはずだが、男はどうやらそれを水にして運用しているらしい。ラッパのような銃口から出る数十センチ程の弾は、貫通力はないものの、人間を軽々と吹き飛ばす威力を持っていた。十分凶器と言っていいものだろう。

「私の兵器とこの銃は最高の相性でな。私が水を操り、この特殊材質で出来た風船のような部分に弾として装填する訳だ。私の力を使えば、通常では不可能なレベルで圧縮装填出来、威力も今貴様が受けた通りの強さを持つ。水がある環境なら弾切れも無い。どうだ素晴らしいだろう」

彼は、そのなおも続いていく男の大げさな身振り手振りの演説を、しばらく無表情に聞き流していたが、やがてうんざりしたように言った。

「……それも兵器と一緒に没収だ」

男の言葉に無理やり割って入る。すると、男は演説に水を差されたのが気に食わなかったのか、彼に向かってまたしてもあの言葉を、“わざと”加えて言い放ったのだった。

「そいつは無理だ。言ったはずだ。今貴様に出来るのは、無様に逃げ回る事だけだとな!」

まずい、と彼は思っていた。挑発だと分かっていたのに、それでもやはり止められなかった。その言葉を聞いた直後、彼の視野は途端に狭くなり、耳にザーッと血の昇る潮の満ち引きのような音がして、顔が一気に火のように熱くなる。
「別に逃げてねえよ!!」
気付くと彼は、脊髄反射のようにそう答えていた。そして言い終わるよりも前に、男に向かって鬼の形相で猛ダッシュを始めていた。彼の目はもう、男の像以外にピントは合っていなかった。

彼にとって、その言葉は禁句なのだった。彼は温厚な人間だが、自分に向かって放たれるその言葉だけは聞き捨てならないようである。『逃げる』という言葉は、どういう訳か彼にとって最高の侮蔑に当たる言葉だったのだ。
一度彼の様子を見れば、誰にでもこれは言ってはいけない事なのだと分かるだろう。それ程の激昂具合なのだった。

牙が剥き出しの、飢えた野獣が向かってくる。普通なら踵を返す所である。
しかし男は、そんな彼を見てもしたりと笑っていた。

「馬鹿め!!」

それもそのはず。
戦闘に慣れた人間が、こういう要素を放っておく訳が無いのだ。

「うお!?」

男が右腕をくいっと上げるような動作をすると、急に男の姿が彼の視界から消えてしまう。視野狭窄状態の彼だったが、不可解過ぎるその現象に驚いて幾分そこで冷静さを取り戻す結果となった。
しかし、やはりまたしても遅かった。彼は早々にそれがなぜかに気付いて足にブレーキを掛けようとしたが、やはり止まる事は出来なかった。

「!うごぼぼっ……」

罠だった。彼の目の前に突如として現れた巨大な水の壁。それが彼の行く手を阻んだ。ぬめる地面にブレーキなどそう簡単に掛けられるはずもなく、彼はその壁に頭から突っ込んでいってしまったのだ。
地面から、まるで噴水のように打ち上がるその水壁は、対象を捕まえると彼を包むように形を変えていき、やがて球体になる。そのまま彼は、その水球の中にすっぽりと囚われてしまった。

冷静さを失っていたとは言え、こうも簡単に罠にはまってしまった自分に、彼は苛立ちを隠せないでいた。
認識の外を、上手く突かれてしまった。

彼を水球の中に捕らえた事を確認すると、ゆっくりと、男は彼に近づいて行った。
「……気分はどうだ」
男は勝ち誇ったように、彼の目の前で顎をしゃくる。
「どうも、逃げるという言葉が気に食わんようだな。うまく型にはまってくれて手間が省けた」
そう言いながら手元で、また小さな水球を作り出す。
「こうして手元で水球を作って動かすデモンストレーションをしてやると、相手は無意識のうちにそこだけに注意するようになりやすい。別に私は手元に水を集めて水球にしなくとも、範囲内にある水をただ自由に操作する事だって出来るのだよ」

男の言う通りであった。、彼はしてやられてしまったのだ。
彼の足元には、今も川のように流れる一際大きな水たまりがあった。男はこれを使い、先程の水の壁を構築したようである。怒りで直線的な動きになる事を利用され、彼はこの上を通るように誘導されてしまったのだ。

賊にいいように扱われてしまったという事がとても腹立たしかったが、しかしそれでも彼は、握り締めていた拳の力を、ゆるゆると解いた。
水の浮力に揺蕩う自身の体。熱く火照った体に、ひんやりとした水が心地いい。透き通った水の中を漂うのは単純に気持ちが良かった。囚われの身ではあったが、その水のおかげで、彼の頭は徐々に冷えていった。
別に腹を立てるまでもない。掌を顔の前で泳がせながら、そう彼は思っていたのだ。血が上るのも早いが、引くのも早かった。

「っ!?」

しばらく水に身を任せ、そうして水中を漂っていた彼だったが、突然男にキッと強く光る目を向けた。その目は漫然とただ囚われている人間がするようなものでは決して無く、何も出来るはずがないと思っているだろう男も、つい身構えてしまう程に力のあるものだった。

彼は、目だけで言ったのだ。
『散々好き勝手やってくれたが、今度はこちらの番だ』
そうしてから、彼は身構える男を横目に、“貫き手”を両脇に携えた。


(我流・ゴリ押し工事術・穴掘り馬鹿一代!)


ネーミングは適当である。彼は、わざわざ水の中でごぼごぼしながらそう言い終えると、その技の名の通り、その場で穴を掘り始めた。

「むう……っ!」

彼は凄まじい速さでそのまま地面を掘り進み、あっという間にその場から姿を消した。
沸き起こる土砂の雨。その激しさに男は為す術もなく、埋もれていく彼をただ見ている事しか出来なかった。
彼が地中を掘り進む振動が響くと、男が俄かに慌て出す。後ずさりしながら注意深く地面を伺い、身構える。
額に汗が滲みだす。どうやらこの状況、男にとって非常に都合が悪いようである。

「くっ……」

彼には水が取りついているはずである。普通に考えれば、絶対有利なのは男の方なのに、なぜ男はこんなにも慌てているのか。
それは、男には分かっていたからだった。彼がとっくに、自由の身になってしまっている事を。

「むぅん!は!!」

彼のくぐもった声がどこかからすると、突然男の後ろの地面がはじけ飛ぶ。

「ぬうっ……!」

泥や小石をしこたま辺りにぶちまけながらそこに現れたのは、もちろん彼である。ドリルでも使わなければ、地面などそうそう早くは掘り進む事など出来はしないはずなのに、彼はそれを2本の腕だけでやってのけた。驚くべき力と回転力であった。
そして彼はその勢いのまま、今度こそとばかりに男に向かって拳を繰り出したのである。

男は、その自身に向かってくる恐るべき拳を横目で確認すると、素早く身を翻して防御態勢を取ろうとした。
しかし、やはり不意の攻撃に対応する事は難しかったのだろう。それは完全には間に合わなかった。男は先程と同じように彼の攻撃を無効化しようとしたが、まだ不十分な態勢で受けてしまったせいで、その勢いを殺し切る事が出来なかった。
今度は間違いなく、彼の拳が男に届いたのだ。

「ぐっおお……っ!!」
しっかりと先程のスライム状の水球を挟まれてしまいはしたが、男の脇腹に、彼の拳が確かに突き刺さっていた。

「手応えあり!!」

メキメキと、あばらの何本かはいったような音がした。

「まだまだ!!」

吹き飛んで行く男に、彼はなおも追撃を仕掛けに行く。

「くっ!」

おそらくは気絶しそうな程の痛みの中にいるだろう男だったが、それでも態勢を立て直し、水球で追撃を防御しようとする。そのスライム状の水球は、慌てて形成したせいなのか先程よりも小さく、せいぜい50センチ程度の大きさに留まっていた。少し彼の攻撃を受け止めるには心許ない。
しかし、そんな悪条件でも、男は何とかそれを受け止める事に成功する。水球ははちきれんばかりに伸びきってしまったが、男の顔面寸前で、彼の拳がかろうじて止まったのだ。

一度止めてしまえばどうにでもなると思ったのだろう。そうして余裕の笑みを浮かべようとする男だったが、しかし次の瞬間、その顔は一変する。
男は口をへの字に結び、歪ませ、そして顔を引き攣らせた。
彼の勢いが止まらない。

「おらおらおらおらおら!!!」
「ぐ、おおおおおおっ」

水球でガードされている事には全く構わず、彼は両腕で連打をそこに打ち込む。男はそれをガードする事に精一杯で、攻撃に転じる事が出来ない。

間断なく打ち込まれる殴打に、水球がその形を変えていく。元の球体に戻ろうとする前に彼の連打が打ち込まれるため、水球はどんどん薄く引き伸ばされていってしまう。貫かれはしないものの、男はそれの維持で手一杯の状態だった。

「思った通りだったぜ」

そうして殴り続けながら、彼は涼しい顔でおもむろに話し始めたが、その連打は決して軽いものではなかった。ボクサーの無呼吸連打以上の速さと威力を兼ね備えた、彼以外には到底成し得ない圧倒的出力。今男は、大砲の雨あられに曝されているのと同等の圧力を感じているはずである。それ程の連打なのであった。

「俺が穴を掘り始めていったら、割とすぐだったぜ。お前の水球が壊れるの」
彼はとにかく、そうして男に反撃の暇を与えないようにしながら、自身が自由になった理由もろもろについて話し始めたのだ。
「気付いちまえばなんて事はねえ力だな。やっぱりシステマーだよ、お前」
一見突拍子も無い、彼の苦し紛れの行動のようにも見えたあの行動には、実はきちんとした理由があった。何の考えも無くそうした訳ではなかったのだ。

「べらべら喋るから、敵に閃きを与えちまうんだぜ」

彼はそうニヤリと笑い、男にまたしても、“種明かし”をし始めた。



もうちょっとだけ続くんじゃよ(´・ω・`)

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『兵器・鏡花水月』


自分たちの周りにある多くの地面の水たまり。よく見るとそこから、男の両手のひらに水が集中していっている。そして次第にそれは大きくなっていき、やがて子供一人分くらいは入りそうな程の水球になる。

「私の兵器。鏡花水月の能力は、確かに概ね貴様がさっき言った通りの能力だ。だが……」
男が腕を交差させる。すると、二つあった水球が一つの大きなそれになる。
「果たしてどうかな。貴様は私の事をシステマーと揶揄したが、あの仕掛けがバレた所で、私は別段困らないのだよ」

男が右腕を掲げると、水球がふわふわと浮かびながらそれに着いて行く。
彼は確信した。やはりこの水球を自由に操作出来るというのが、男の能力の一つなのだ。

(鏡花水月……)

その様子と、男の兵器名を聞いた瞬間、彼の頭に何かが去来する。
何か、引っかかる。聞いた事があるような気がする。
彼は記憶の糸を手繰り寄せようとするが、この状況ではさすがにゆっくりと考えている時間は無さそうだった。

男が右腕を、まるでヌンチャクでも持っているかのように動かすと、水球が物凄い速さで男の周りを衛星のようにぶんぶんと回る。かなり自由自在に動かせるようだ。

「この大きさの水球にとりつかれれば、さすがにひとたまりもあるまい。私の能力の範囲外に出る事は格段に難しくなる」
そうしてまたも例のごとく、男は低い声で笑う。
「くっく……システマーなどと、よくも言ってくれたものだ」
男のそのセリフに、今度は彼も嘲笑混じりに返す。
「へー、違うのかよ。ぜひ何処らへんがそうなのか、教えてもらいたいもんだな」
すると、
「ああ、いいとも」と、その言葉を待っていたとばかりに、男はニヤリと口角を上げた。「では、貴様の身をもってじっくりと教えてやる!」

来る。そう思って彼が身を翻した瞬間に、もうあの水球は彼の横をかすめていった。

「素晴らしい!しかしその反応をいつまで続けられるかな!!」

男のふいうちから、突如として戦いの幕は切って落とされた。
これからは何の小細工もなし。正真正銘、真剣勝負の始まりである。

男の操る水球は縦横無尽に空中を駆け巡り、何度も敵を取り込もうと彼に襲いかかった。
それを彼は、紙一重の所でかわし続けた。もしこの水球に体全体を覆われてしまうと、彼とて全くの自由という訳では無くなってしまう。普段人はあまり意識をしないが、水の抵抗は思ったよりも大きいものなのである。

攻撃に転じる隙はゼロでは無かったが、それが分かっているから、彼も慎重にならざるを得なかった。これが男の全ての能力とも限らないのだ。決定的な隙が無い限り、手を出すべきではない。彼はそう考えていた。
何か糸口になるものは無いか。そう考え続ける彼に、男は嘲笑を向けた。

「……くっく。大立ち回りのせいで、すっかり泥だらけだな」
走り回って泥水にまみれる彼とは対照的に、男はまるでオーケストラの指揮でも取るかのような優雅な挙動である。
「知ってるか。東の国には舞踊という音楽と演劇をまぜたような伝統芸能があるらしいが、そこではわざと泥田を舞台に作って立ち回りを演じる事を、泥仕合と言うのだそうだ。きっと今のお前のように、素晴らしい舞いを見せてくれるのだろうな」

男の皮肉に、彼の耳がピンと立つ。

彼の動きが幾分硬くなった。ずっと最小限の動きでかわしていたのに、少し大きくかわすようになる。
さすがの彼も、この物言いには頭にきたか。

(……泥)

男の挑発に彼は眉を寄せて不機嫌なふりをしていたが、実際には焦りや怒りの感情は無かった。
彼はあえてそう見えるようにしていた。そうした方が、気取られずにすむ。
男の言葉で、ある考えが彼には浮かんでいたのだ。

彼はその自身の中で新たに組み立てた仮説を確認するため、そのまま殊更大きな動きで水球を避ける事を続けた。男の周りを円を描くようにして、派手に動き回った。そのせいで彼らの周りの地面は、もうすでにぐしゃぐしゃである。
「……虎視眈々だな。隙あらば私を狙おうとしているようだが、うまくいくかな」
そう思わせるのが彼の作戦の一つだった。実際の彼の狙いは、他にあった。

彼は水球を避ける際に、地面から泥を取って手に握りこんでいた。仮にそれを男に投げつけて水球のコントロールの邪魔をすれば、幾分隙はできるかもしれない。何も出来ずにただ彼のスタミナが減っていくというジリ貧状態は、少なくとも脱する事ができるかもしれなかった。

しかしそれは、男の今のセリフからして当然警戒されている。うまくいくとは考えにくい状況と言わざるを得なかった。
ではそんな状況をあえて作って、一体彼はどうしたか。
彼はその持っていた泥を、なぜか男にではなく、自身にまとわりつく水球に向かって投げつけたのだった。

「だー!うざってえ!!」

と、まるでかんしゃくをおこした子供のようだが、これは彼の演技だった。投げた瞬間の彼の目は鋭く、何かを見定めるかのようだった。

「!ばかめ!無駄だ!」

しかし男は巧みに水球を操り、彼のその一種不可解な攻撃さえもかわしてしまう。ほとんど手足の延長線のような器用さだった。彼は自身の筋力により威力の増した泥で水球の破壊を目論んだようだが、この様子では水球に向けての攻撃はまず無理だと考えるのが妥当だろう。現状打破への道にはなりそうに無かった。

(……ふむ)

ところが彼は、口元に隠しきれない笑みを湛えるのであった。
彼が見たかったのは、まさに今男がしてしまった行動だったのだ。

(可能性はかなり高いな)

もう少し確認をしたい所。何かにあたりをつけてそう思っていた彼だったが、その時男が、彼の琴線に触れてしまった。

「これで分かっただろう。いい加減諦めたらどうだ。このフィールドでは私に勝てる者はいない。お前に今出来る事は、せいぜいそうして無様に逃げ回る事くらいなものなのだよ」

男が“その言葉”を言った途端、彼の顔色が変わる。今度は本当に、彼の表情と心中は同じであった。
彼は確かに、間違いなく、何かに怒っていた。

「逃げ回るだあ……?」
「!?」

ぼそりと、しかしドスの利いた声で彼がそう零すと同時。何処かから不意に発せられた大きな音に、男は体をびくつかせた。出所が分からず、男はきょろきょろと周りを伺う。
乾いた炸裂音が辺りに響き渡ったのだった。昆虫の威嚇音に近いかもしれない。キシィ、と思わず一歩引いてしまうようなあの音が、急に耳元で鳴ったかのようだった。

「……まさか、貴様か?」

幾分上ずった声で、男が口にした。彼に問うたというよりは、それは独り言に近かった。
得体の知れないものへの恐怖。未知のものへの恐怖。それはいかに熟練した者と言えども、なかなか隠すのは難しい。男は彼の変化に、わずかだが恐怖しているように見えた。
だがそうだったとしても、それは仕方のない事だった。今の彼は誰が見ても後退りしてしまう空気を、全身に纏っていたのだ。
彼がギリギリと歯を食いしばると、普段は見えない牙が露わになる。怒りに全身を打ち震わせるその姿は、まさに野獣そのものだった。
あの大きな音は、彼が怒りのあまりに全身を硬直させた時に発せられた音だった。体中の筋肉が固められ、骨が軋んだ音。先刻彼が鳴らしていた拳だけの音とは、全く異質のものと言っていいだろう。彼が最上級の怒りを蓄えているのが、容易に分かる。

「む!?」

しかしだからこそ、彼の次の攻撃は男にとって予見しやすいものとなっていた。彼は肉食獣のように、敵の喉笛に噛みつかんとばかりに突進したが、男に距離を取られてしまう。そしてそれに追いついた頃には、もうしっかりと対応されてしまった。
繰り出された彼の拳。おそらく大岩をも穿つはずのそれは、男の能力によって直前で阻止されてしまったのだった。
『モード・スライム』
男の切り札の一つが、ここで発動された。

「……正直冷や汗をかいたぞ」

彼の拳の先で、ぐにゃりと形を変える水の塊。それが彼の拳の威力を弱めたらしい。あと一歩の所で、拳は男には届かなかった。
緊急時の備えのようなものだろうか。男の手にはいつの間にか筒のようなものが握られていて、そこから出た水がこの塊を形成したらしかった。今もその水が、開け放たれた筒の中からちょろちょろと出てきていて、水塊に繋がっている。

男は水を操れるだけではなく、性質の変化も出来るようだった。誰かに取りついたり
取り込もうとする時は通常の水に近い状態で操り、こうして自身に危険が及んだ場合はそれを変化させ、粘度の高い状態にして防御するらしい。物理攻撃主体の彼にとっては、実に厄介な能力だ。

「大した威力の拳だが、これがある限り貴様の攻撃は届かん。そして……」

男が懐から、またも何かを取り出す。
それを鳩尾の辺りにつきつけられた所で、ようやく我を失っていた彼の瞳に光が戻る。

(…………ん!?)

本能的に危険を感じて後ろに飛ぼうとした彼だったが、時既に遅し。

「私にはこういうものもある」

カチリとスイッチのような音が彼の耳に入る。その瞬間、轟音と共に、彼の腹部に尋常でない圧力がかかった。

「うぼへっ!!!」

まるで大きな巨人に思い切り殴られたかのような衝撃だった。肺を満たしていた空気が一遍に外に吐き出され、彼の体は遥か後方に吹き飛ばされてしまう。
「う、おおおおおっ」
「フハハハハ!!これで分かったろう!私に死角はない!」
立ち並ぶ木々に叩きつけられ、それを1本、2本、3本と派手に折った所で、勢いが鈍り始める。それでもまだ勢い余ってゴロゴロと何度も転がされ、そうしてやっと、彼は地面に伏した。
普通の人間なら、まず即死するレベルの攻撃である。最高速の馬車に轢かれたとしても、こうはならない。なんとも恐ろしい一撃であった。
「貴様はタフそうだからそれくらいでは死なんだろうが、さすがに効いただろう」
男の言う通り、彼は確かにダメージを負っていた。彼の旅が始まって以来の、初めてのダメージである。
「ぐ、ぬう……」
頭を振りながら、自分の体を確かめるようにして、彼はゆっくりと立ち上がろうとする。
頭、OK。腕、OK。足、OK。順繰りに確認していくと、やはり、そこに手を伸ばした時彼の顔は歪んだ。
腹部……ダメージあり。鈍い痛みが、体の芯にずしりと重く残っていた。

「てめぇ……それ……」

よたよたと歩きながら、彼は男の得物を指差した。

「“銃”か」



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彼の見据えた先に、ゆらりとうごめく影があった。特別大きくもないが、小さいという訳でもない。おそらくあの低い声の男だろう。その男は、折れた木々の裏から立ち上がったかと思うと、彼の方に向かって歩いて来た。
顔は、深いフードを被っているせいでよく分からなかった。加えてある部分が異様と言うか、特殊で、余計に人相が確認しにくくなっている。

「……なるほど。それでこの真っ暗闇でも、相手が見えるって訳か」

彼の組み立てた論理には一つ穴があった。どうやって相手に正確に攻撃を加えるのか、という所がどうしても分からなかったのだが、その穴が、今塞がった形である。
男は、何か機械的なゴーグルのようなものを掛けていて、それを通して周りを見ているようだった。おそらく闇の中でも周りを可視化出来る装置のようなものだと思われる。でなければ、この闇で相手の場所を正確に把握する事は、彼以外には不可能だからだ。

「貴様……兵器使いか」

いささか警戒感の増した低い声で、男は彼に問いかける。
彼はそれに、指をパキパキいわせながら答えた。

「さあ、どうだろうな」

お互いに受け答えをはぐらかす。
もはや両者の間の緊張感は、最高潮に達していた。どちらから急に相手に飛びかかったとしても、全くおかしくはない状況である。実際彼は男と相対してからは、先程技をはなった時と同じような構えを取り、いつでも戦える状態を維持していた。

しかし、よく見ると男の方は違うのである。全く構えを取る様子が無く、ずっと棒立ちのままであった。彼はそれを不審に思っていたが、構えは解かなかった。
しばらくそうして、彼らはお互い無言の値踏みを続けた。

相手の呼吸の音が、かろうじて耳に届く。彼の方には、おそらく男のゴーグルから出ているだろう、一種耳鳴りのような機械音も微かに届いていた。
いつの間にか、あの全てを洗い流してしまうかのような雨は完全に止み、辺りに静けさが戻ってきているのだった。気付けばその場には、涼し気な音色を奏でる虫達の、求愛の声がわずかにあるのみである。

時間にすると一分やそこら。ただそこで何もせず、対峙しているように見える彼らだったが、実際は少し違った。
水面下で、彼らは神経を削り合っていた。目線、ちょっとした手足の動き。小さな動きではあるものの、そうして相手を牽制し続けていたのだ。下手をすればただの呼吸でさえ、開戦の狼煙になりそうな程の張り詰めた場であった。

「くっく……」
そんな息の詰まりそうな状態の中、口火を切ったのは男の方であった。フードの奥で、不敵に男は笑う。
「まあ、待て」

男はなぜか、戦う意志がないようだった。一時増していたはずの警戒感が、今は少し薄れている。

「貴様が兵器使いなのはさすがに分かる。どうやら亜人のようだが、それにしてもさっきの一撃は滅茶苦茶過ぎる。何か使ってるのは明白だろう」

亜人は、彼を見ていれば分かるように、普通の人間よりも何かしらの能力が優れていたりする事が多い。身体能力が高かったり、五感が優れていたりする様々な者がいる。
男も、戦いに慣れているようだった。少しやりとりがあれば、このように相手の力をある程度測る事が出来るようである。

「だが、何を使ってるにせよ、素晴らしい力だ」

またも低い声で、そうして男は笑う。
彼の方は、急に敵に褒められておかしいと思ったのか、より警戒を強めた。

「何だよ。褒めても逃してやらねえぞ」
彼がそう言うと、男はそこでピタリと笑うのをやめた。そして一転して、また元の少し神経質そうな、硬質な声色で答えた。
「逃げる気などハナからない。どうやら私は、貴様を案内しなければならないようだからな」

その男の言葉に、彼は「は?」と首を傾げた。場にそぐわない、どうしても素直に頭に入って来ない言葉があったためである。

「案内?いきなり何言ってんだ?」

もちろん彼は分かっている。例えば案内とは、何かその場所について説明を加えながら、土地勘の無い人を目的地に連れていってあげる、というような事である。
だから彼には分からなかった。なぜ敵からそんな、いかにも親切を気取ったような言葉が急に出てくるのか。

「……何だお前。実はこの辺りのガイドさんなのか?」
じりじりと詰め寄ろうとする彼に、男の方は一歩後ずさる。
「おっと。待てと言っているだろう。少し話をしようじゃないか」
「ああん?話だあ?」

この期に及んで、この男は何を言い出すのか。彼の方は、最悪死んでしまったかもしれないような攻撃を男から受けているのだ。話し合いをする余地はとうに消えてしまっている。
ただ時間稼ぎをしているようにも見える。どうも胡散臭いと、彼は思った。

「……わりぃが、俺も暇じゃないんでな」
早々に会話を打ち切ろうとする彼だったが、男は引かなかった。
「それなら私もだ。だから単刀直入に言ってやろう」
今度は男が、一歩歩み出る。それから何を思ったか、右手を前に出す。
彼はそれを見て、眉を寄せた。これはまるで……。

「私達の仲間にならないか」

彼の眉間に寄せられた皺が、より深くなった。
男の様子に変わった所は無い。しれっと、一切の淀みもなく男はそう提案してきたのだった。事もあろうに、これ。握手まで求めてきながら。
しかし予想に反して、本当に簡潔に要件だけを述べてきた。これでは時間稼ぎにはならないが……。

考えを色々な所にまで巡らせてみたが、分からない。彼にとっては珍しい事であった。相手の意図が、全く読めない。

「……冗談だろ?」
「冗談で言うような事では無い」
「おいおい」彼は拳を、みしみしと軋む音がする程固く握り締めた。「人殺しの仲間になんかなる訳ねえだろ。アホかお前」
彼の声に、明らかに不愉快な色が混じり出す。
しかし、男はそれを全く意に介さず、またもくつくつと笑った。
「やはり、そう聞いて来たんだなお前は」
そんなに変な事を言った覚えは彼には無い。なのに、よほど彼の言葉におかしい所でもあったのか、いつまでも男はそうして笑い続ける。

これでは埒があかない。そう思った彼は、気になる点もあったので、不本意ながらも自分から会話を進める事にした。

「“達”と言ったな。お前は何かの組織に属しているって事で、いいんだな?」

なるべく情報を引き出したい。どうもこの男の裏には、何かでかい後ろ盾のようなものがあるように思えた。ただの盗賊団だとは、どうしても彼には思えなかった。この男の持つ雰囲気は、そういうものとは明らかに異質だからだ。

「そうなるな」

考えていると、彼の問いに男は特に濁す事もせず、あっさりと肯定してきた。どうやら隠すつもりは無いらしい。

「私は組織の“案内人”。まあ、詳しい事は我々の所に来てもらってから話すとしよう。色々実際に見ながら話した方が分かりやすいだ……」
「だからよ」
彼が、男の言葉に被せるように割って入る。
「人殺しに何言われた所で、はいそうですかっていきなりついて行く奴が何処にいるんだよ」
「っ!」

男が大きくその場から飛び退く。

「色々喋ってもらおうと思ったが、やめだ」

呟くような口調とは裏腹に、彼の体から再び闘気が沸き起こり始める。男はそれを見て、素早く距離を取ったようだ。

「まずはお前を捕まえてから。話はその後でじっくり聞かせてもらう」
会話は終わり。有無を言わせぬ強い拒絶が、彼のその言葉にははっきりと含まれていた。
土壌が違い過ぎる人間と話すというのは、とても時間がかかる事なのだ。考え方が根本的に異なるせいで、会話がうまく噛み合わない。
この場で話しても仕方がない。だから彼は、そう考えた。

その突き刺すような彼の視線を受け、男はやれやれとばかりに首を振った。さすがに男も、この場での説得は諦めたようである。
「……何を言っても無駄か」
しかし言いながら、ここに来て初めて、男が構えらしい構えを取った。おもむろに両手を広げ、足を少し開く。
手のひらは上に向けられている。かなり特徴的な構えだ。

「ならば仕方ない」
瞬間、静かな雰囲気が一転する。男のゴーグルが、フードの奥でギラリと光る。
「力づくで連れて行くとしよう」
男がそう言うと同時に、男の手のひらの上に、何かが渦巻き始める。
「む!?」




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気付くと、まさにバケツをひっくり返したような、何も無い所に川でも出来てしまいそうな程の大雨になりつつあった。周囲の音は雨音に掻き消され、臭いも、濃い緑の匂いと土の匂いにほぼ支配されてしまっている。
彼はそんな中でも、よりいっそう五感を研ぎ澄ましながら相手の出方をうかがっていたが、返事や反応が返ってくる事は無かった。

(…………だんまりか)
んー、と困ったように、彼は首を捻る。

こうして交戦状態になってからもうかなりの時間が経つのに、まだ相手の姿さえ確認出来ていない。彼だけが、不意に背中を押されて舞台に上がってしまった格好である。押した本人の方は姿をくらませていて、どこかでほくそ笑んでいたりするという、彼にとってはとても腹ただしい状態だ。

グシグシと頭の後ろを掻きながら、彼は大きくため息をついた。

「やれやれ」

それなら仕方がない。無理にでも引っ張り出してやるとするか。
彼はゆっくりと息を吸い込み、右足を大きく引いて、腰を落とした。

「“我流”ごり押し空手……」

この膠着状態を受け、彼はまた行動を起こした。妙な冠は付いているものの、彼は宣言通り、空手における正拳突きの構えをその場でとった。
最もポピュラーで、基本中の基本とされる技である。片足を大きく引いてから、前に一歩進むと共に、出した足と同じ方の腕で突きを繰り出す。それ以上は、特段説明する必要もない単純な技である。

しかしここでの問題は、その位置取りであった。空手は多くの格闘技同様、目の前に対峙した相手に向かって使う技しかない。柔道然り。ボクシング然り。テコンドー然り。このように目の前に対象がいない状況においては、単純な体技である限り、何も出来るはずがないのである。

そんな事は、頭のいい彼でなくとも分かる。だが彼は、構えを解かない。まるですぐ正面に敵がいるかのように、じっと前を見据えている。
一般の辞書しか持っていない人間には計りかねる。彼がやろうとしている事は、つまりはそういう常識の外にある事なのだ。

二、三度呼吸をして、彼は意を整える。
闇の中でも、なんとなくそこにいる事が分かってしまうくらい煌々としていた彼の闘気が、一旦なりを潜める。ふっ、と存在感がだんだんと希薄になり、暗い雨の森に彼は沈んでいく。

一度ゼロになる。溜めた力を、一気に爆発させるために。

そうして繰り出されたのはやはり、常識では到底計る事の出来ない、圧倒的絶技なのであった。


「空気打ち!!!」


何も無い所に向かって拳を突き出す。空手の基本稽古のように、ただその場で彼は正拳突きを放った。
我流の冠通り、それは決して精錬されたものではなかった。構えも所作も、堂に入ったものとは言い難い。誰かにきちんと教えられたものではなく、彼が独学で修めたものだったから、それは仕方の無い事だった。

しかし、そんな荒削りのはずの正拳突きは、彼の正面の空を穿ち、切り裂いた。

あれほど容赦なく降り注いでいた雨が、少しの間途切れる。台風の目のように彼を中心にして、爆風が発生したためである。
とりわけ、彼の拳から正面に向かって発生した爆風は恐ろしい代物だった。密集する大木をものともせず、それらをなぎ倒しながら前に突き進んでいく。
さながら竜巻。それは何者も止める事の出来ない、自然災害そのものだった。
ごり押しとはよく言ったものである。これなら相手がどこにいようと、大して関係が無い。

「さて、んじゃあ答え合わせといこうか」

彼が話し始めると、止まっていた時がまた動き出した。ざっ、という音と共に、再びその場に雨が降り出したのである。
彼は、自身の技ですっかり荒野と化してしまったそこを、ゆっくりと歩き始めた。

「人が急に、声も上げずにバタバタと倒れていく。最初に聞いた時は驚いたけどよぉ。タネが割れりゃあなんて事はねぇな」

おそらくはもう、すぐ近くに敵は潜んでいる。彼のあの攻撃で、隠れるような場所はあらかた刈り取られてしまっているし、とっさに避けるのが精一杯で大きく動く事は出来なかっただろう。

いくばくか待つ。それでもまだ、相手は姿を見せなかった。
彼はしかし、ある程度これも想定内だったのか、特に気にせず次の段階に入った。彼は相手を引きずり出すため、さらに“種明かし”を始めたのである。
マジシャンにとって一番嫌な事は、マジックの種が割られて、それを広められてしまう事。それを目の前でやられてむざむざ放っておくという事は、まず考えられないのだ。

「さすがにお前の攻撃方法には面食らったけどな。まさかただの水だなんて、全然思わなかったぜ」

それは確定では無かったが、あえて彼は言い切った。こちらはもう全てを理解しているのだという雰囲気を、少しでも出すためである。

「お前は何らかの方法で水を操っている。そして対象の顔にその水をくっつける事で、人を陸上で“溺れさせている”訳だ。これじゃあもちろん、声はあげられないわな。ただ苦しんで、その場に倒れていくだけ。報告の通りだな」

雨の夜であるという所がミソだ。これだと大体皆がフードを被っていて、隣の人間の顔は見えづらい。そうでなかったとしても、賊に囲まれているというプレッシャーでなかなか平常心を保っている事は難しいから、何が起こっているのか気付かない可能性は高いと思われる。

「典型的なシステマーってやつだな。お前は」
足元に転がる木の枝や、石ころなどを左右に蹴り歩きながら、彼は言った。

“条件付き”の強さを持った者。彼が言う所のシステマーとは、そういう者達の事である。
彼らは、はまれば強いが、相手をはめるまでにかなりの下準備が必要だったり、特殊な場所や状況でしか力を発揮出来ないタイプなので、それ以外の時は案外もろい者が多い。

「さて……」
じりじりと相手との距離を詰めてきた彼だったが、ある地点で歩みを止めた。
「どうすんだよ?“盗賊”ナハトイェーガー?」
折れた大木が積み重なって横たわっている所に、彼は目を向けた。
「……一人なんだろ?もうばれてんぞ」
もはやこれ以上はいらないだろうが、ダメ押しとばかりに彼は続ける。
「マジでよく出来てるわ。お前は人を溺れさせるのと同じように水を操って、あたかも複数人が周りを囲んでいるように足音を演出していたんだな。空中に水を浮かせて、落とす。それを使って相手の動きを制限するって訳だ」

彼が思い切り爆走し、仕掛けを看破しようとした時に見えた景色の揺らぎ。それは、足音を発生させるための水が、まだ浮いた状態で存在していたから見られたものであった。水の塊が、彼に景色を歪んで見せていたのである。

「普通は動けないわな。大人数で、しかも武装してるかもしれない連中に、自爆覚悟で突っ込んでく奴なんてそうそういねぇ。水で顔全体を覆ってしまわなかったのも、そこまでやってしまうとパニックを起こされて、滅茶苦茶な動きをされちまう可能性があるからやらなかった、って所か」

話しながらも、彼に油断はなかった。敵はもうすぐそこにいる。

「じゃあなぜお前は、そこまで気を使って相手の動きを制限しようとするのか」
静かに、しかしはっきりとした口調で彼は言う。
「お前は、あくまでお前のテリトリーに相手を縛っておきたかったんだ。自分から一定範囲内にしか、能力を行使する事が出来ないから。それは俺がお前から離れた時に、俺の口元の水が崩れ落ちた事からも明らかだ。型にはまると凶悪な力だが、それがばれちまったらもう終わり。この界隈で盗人する事も出来なくなる。そういう能力なんだよなお前のは」

そして、彼はついにそこで核心に触れた。

「つまりお前は、数ある兵器の中でも特に、“範囲型”の兵器を使う人間って事だな」

彼の声が、だんだんと明瞭に聞こえてくるようになる。街道に滝のように降り注いでいた雨が、止み始めたのだった。彼はブルブルと体を震わせて、体に付いた水を振るい落とそうとした。

強く太い雨は、降るのが短いらしい。これがこの地域で言う所の、スコールというものなのか。
どうも外の世界は、なにかと興味を惹かれる事が多くて困る。こんなにせわしない降り方をする雨は、里では無かった。少雨で困っていたくらいだから、本当に初めての経験だ。

と、いつの間にやら好奇心から目を上に向けてしまっていたのに気付き、彼はゆっくりと前に向き直った。

「……っと。わりいな。ちっとよそ見しちまった」
首をグリグリ捻りながら、彼は両拳を握り締めた。

「結構当てずっぽうな部分もあったんだけどな。当たってたか?……まあ何にしろ、ようやくお出ましって訳だな。夜の狩人さんよ」






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彼は油断など一切していなかった。しかし、気付いた時にはもう攻撃を受けていた。

(何だ!?)

口元が、何かおかしい。

(何だこりゃ??)

ぶよぶよとした水のようなものの塊。それが彼の顔の下半分、鼻と口を覆っていた。

(……く!とれねえ!)

引き剥がそうとしたが、無理だった。顔との接着面以外は本当にただの水で、うまく掴む事が出来ない。
それなら、とすぐに彼はある方法を試そうとしたが、寸前で思いとどまった。

(……くそ!マジでただの水なのかこれ?)

顔を覆っている量としては大した事がない。そう思ってそれを飲み込んでやろうとした彼だったが、これを相手の攻撃だとすると、単純にそうするのは危険だと彼は考えた。もしこれが毒だったりしたら、その時点で詰みなのだ。それをするのはもう、最後の最後にしておくべきだと考えた。
しかし、そうは言っても彼に与えられた時間はわずかだった。不意の攻撃で、彼は十分に息を吸い込んだ状態ではなかったのだ。

(もって2分弱……派手に動けば、1分ちょっと……)

それを過ぎれば、さしもの彼も何も出来ずに、普通に死んでしまうだろう。周りも大勢に囲まれているし、まさに万事休すとはこの事。道を誤れば即、死に直結するこの場面。常人であれば、正気を保っているのも難しい所だ。

しかし前述したように、彼の精神は鋼鉄のように硬い。加えて、決断力と行動力もある。。彼は戦いにおいて不可欠な思考の瞬発力を、十分過ぎるほどに持ち合わせているのだ。

(よし)

そんな彼だから、こんな状態でもすぐに動いた。声のした方向とは真逆。明後日の方向に、急に走り出した。

「……っ!」

彼の大きな耳がぴくりと動く。
さすがに、ほぼ詰みの状態でこんなにも大胆に動かれる事は想定外だったのだろう。相手の隠しきれなかった少しの動揺が、雨音の中でもしっかりと彼の耳に伝わった。

どうやら正解らしいと、彼はニヤリと笑みを浮かべた。50メートルを5秒で走る尋常ならざるダッシュ力で、彼はそのままその場から離れた。すると……

「む」

30メートル程行った所だろうか。その辺りで、バシャリと音を立てて、口元を覆っていた水が急に力を失ったようにくずれ落ちた。

「……ふむ」

周りを警戒しながら、彼はとりあえず口周りを拭った。
特におかしな臭いはしない。まだ断定は出来ないが、あの水は毒ではない可能性が強まった。無味無臭の毒だとしても、彼の鼻ならかなりの精度で嗅ぎ分けられるからだ。

彼は一応しばらく身構えていたが、やはりニ撃目はない。いからせていた肩の力を抜いて、とりあえず構えを解いた。
状況は間違いなく好転したと言ってよかった。時間経過だけで死んでしまうという最悪な状態は脱し、これならいかようにも対応が取れるからだ。
普通なら、ほっと一息つく所である。しかしなぜか、彼の眉間には未だ深い皺が寄ったままだった。フードの下で複雑な表情を浮かべ、顎に手を当てて思案している。

いとも簡単に窮地を脱し、そうして自分が意図した通りの結果にもなったものの、彼にはいまいち、解せない点があったのだった。

(……なんで誰もいない?)

自分は確かに、複数の足音らしきものを周りから聞き取っていた。なのになぜ、こうして走ってきたのにも関わらず誰にも遭遇しなかったのか。一人や二人から攻撃を受けてでも、突破するつもりでそうしたのに。
ちょうどそう彼が考えていると、またその音はした。

バシャ。バシャ。

確かに、誰かがまた自分の周りを歩いている。不規則に鳴るその音からすると、やはり複数人だ。さっきと同じように、ギリギリ視認出来ない距離にいるらしい。全く姿が見えない。おかしい。

(この俺に見えないっていうのがまず)

聴覚の他に、夜目が利くというのも、彼の長所の一つだった。完全な夜行性の梟やネズミ類には少し及ばないかもしれないが、それでもかなりの距離を視認出来る視力を持っている。数十メートルくらいなら、真っ暗闇でも誰かがいればすぐに分かる。男か女かだって、少し短い距離なら当てられるくらいだ。

そんな彼なのに、である。今現在この自分の周りを囲んでいる人間達は、毛程の姿も確認する事が出来なかった。これは一体全体どういうことなのか。彼は首を傾げた。

(……ちっと、まずいかもな……)

圧倒的な達人であれば、こういう事も可能なのかもしれない。彼の頭に、一つの最悪の事態が浮かび上がった。
気を巧みに操り、そこに確かにいるのだとしても、気配の尻尾を掴ませないように立ちまわる。そういう事が出来る者が、世界にはいるのかもしれない。もしかすると外の世界の人間は、自分が思っているより山ほどすごい人間がいるのかもしれない。そう考えてしまう程に、彼にとってこの状況は不可解なものだった。

もしこれが本当に達人の集まりなら、さしもの彼も一人で戦うのは厳しいと言わざるを得ない。100人雑魚を相手にするくらい彼にはどうと言う事もないが、達人なら話は別だ。絶え間なく攻撃されれば、彼とてひとたまりもないのだ。

(ううむ)

そしてまた、不気味と言うか、不思議なのは、攻撃の第二波が来ない事だった。普通そんな圧倒的有利な状況であったら、間髪いれずに攻撃を仕掛けてきても良さそうなものだが、いつまで待っても来る気配が無い。とりあえず何人かけしかけてみるとかすればいいものを、何もしない。様子を伺うにしても、少し消極的過ぎる気がした。

(……ふむ)

またいくらかの思案の後、彼は決めた。
最悪の事態を想定するのもいいが、まずはとにかく、この小さな綻びを追ってみる事にするか。もう一度同じ事をすれば、何か分かるかも知れない。今度はより注意深く、周りを探ってみる事にしよう。
彼はそう思い立ち、またさっきと同じように、相手とは逆の方向に走り出した。

今度は、聞き耳を立ててみても彼の耳に向こうの動揺は伝わらなかった。さすがに二度目は対応してきた、という事になるのだろうか。

「だが!」

彼もそれは、予想していた、全く同じような事をしてもしょうがない。そう考えていた彼は、今度はさらに、その走る速度を上げてきた。
MAXスピード。瞬間的には競走馬をも凌駕する速さで、またもその自身の包囲網に迫った。この速さなら、もし何かしらの準備を相手がしていたとしても、対応が遅れてボロを出すかもしれない。

「おらあああああ!!!」

相互の情報が全く伝わらないこの暗い雨の中、自分の身体能力を完全に計算に入れるのは至難の業なはず。
案の定、綻びは露呈した。彼はついに、その道中それを垣間見たのである。

「!」

僅かな違和感。彼は何か揺らぎのようなものを、複数視界の端に捉えた。
空間が歪んでいる?かのように見えたが、少し違うのだった。さらに目を凝らして見てみると、描きかけの絵に水滴をこぼしてしまった時のように、部分的に景色が滲んでいるのだ。
最初は何だか分からなかったが、その後の音が、彼に閃きを促した。

バシャ。バシャ。
彼がてっきり足音だと思っていた、あの水音である。

「……そうか」

なるほど。そういう事か。
彼は立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。フードを脱ぎ、レインコートもそのまま完全に脱ぎ捨てた。
完全な臨戦態勢であった。彼はそうしてから、わざわざ相手に聞こえるように、大声で叫んだ。

「ようやく分かったぜ!お前の使うトリックの正体がよ!」

いつまでもやられっ放しな訳にはいかない。そうして彼は、反撃の狼煙を立ち上げたのだった。





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