兵器千戦外伝
くまたそ千戦
タソ族という弱小種族があった。知能は高いものの、肉体的にはまさに弱小中の弱小。歴史を紐解くと、他種族から力による侵略を受けていた時期が多い。その知能をもってして、彼らはかろうじて種を保っている状態であった。
このままでは近いうちに絶滅してしまうかもしれない。そう思ったタソ族の先祖たちは、ある方法で窮地を打開しようとした。知能が高く、文化レベルも高いタソ族においては、およそ人道的とは言えない方法であったが、仕方なかった。それほど、事態は逼迫していたのである。
爪に火を灯すようにして、途方もない時間を彼らは過ごした。戦争が起こりそうになった時には、ことが大きくなる前に逃げて、逃げて、逃げまくった。全ては次代の為。これを合言葉に、彼らは何世代にも渡って世界を逃げまわったのである。
彼らの通った道、『タソ族大逃亡線』上には、今も歴史的価値のある文化財が多く残っている。彼らが誇れたのは、その器用な手足と芸術レベル。100人の歴史学者がいたら、その全員がそうだと答える。間違っても武力などとは答えない。はず、であった……
そう。もうそれは、動き出していたのである。彼らの努力の結晶。異端児が、一族の期待を背負って、歩き出していたのだった。
これは、一人の男の千の戦の物語である。彼の拳に付く傷の、一つ一つを、これから辿っていく事としよう。
緑萌ゆる逃亡街道、旅をするにはうってつけ。頬を撫でる優しい風に、彼は頬を綻ばせた。「やー、いい風だわな」言いながらニッ、と口角を、たぶん上げている。完全なヒトとは少し違う彼らだから、見慣れない人間が彼らの口元から表情を読むのは、少しコツがいるかもしれない。
「いきなり旅に出なきゃならんなんて不安しか無かったけどよぉ……まぁ、いいもんなのかもな。実際」
今までずっと里に篭りきりの生活だったからか、彼の目には、何もかもが新鮮に見えた。
「おいすー」
だからなのか、世界の大多数を占めているヒトとすれ違うだけでも、彼は挨拶を欠かそうとはしなかった。子供が初めて遠出する時のような、何となくテンションが上がっている状態である。
しかし、世間の風は意外にも厳しかったようである。にこやかに挨拶をしても怪訝な目を向けられるだけで、この街道を歩いている途中、一度も彼に挨拶を返す者はいなかったのだ。
「おい誰か挨拶返してくれよ……」
一人ごちるが、同時に彼は、仕方ないのかとも思い始めていた。
(やっぱ、亜人のせいか)
この世界ではもはや、亜人は圧倒的少数派なのだった。そこに存在するというだけで、好奇の目を向けられるくらいに。特に彼の部族はさらにその中でも珍しいものだったから、知らない人には本当に怪しげな被り物をしたやつにしか見えないし、仕方ないのかもしれなかった。
「ま、今に見てろや」
もう何度目か分からない挨拶を無視された時、彼の決意はより強固なものとなった。
『タソ族ここにあり』
虐げられてきた自らの種族の汚名を晴らす。それがまず一つ、彼のこの旅の目的なのであった。
くまたそ千戦
タソ族という弱小種族があった。知能は高いものの、肉体的にはまさに弱小中の弱小。歴史を紐解くと、他種族から力による侵略を受けていた時期が多い。その知能をもってして、彼らはかろうじて種を保っている状態であった。
このままでは近いうちに絶滅してしまうかもしれない。そう思ったタソ族の先祖たちは、ある方法で窮地を打開しようとした。知能が高く、文化レベルも高いタソ族においては、およそ人道的とは言えない方法であったが、仕方なかった。それほど、事態は逼迫していたのである。
爪に火を灯すようにして、途方もない時間を彼らは過ごした。戦争が起こりそうになった時には、ことが大きくなる前に逃げて、逃げて、逃げまくった。全ては次代の為。これを合言葉に、彼らは何世代にも渡って世界を逃げまわったのである。
彼らの通った道、『タソ族大逃亡線』上には、今も歴史的価値のある文化財が多く残っている。彼らが誇れたのは、その器用な手足と芸術レベル。100人の歴史学者がいたら、その全員がそうだと答える。間違っても武力などとは答えない。はず、であった……
そう。もうそれは、動き出していたのである。彼らの努力の結晶。異端児が、一族の期待を背負って、歩き出していたのだった。
これは、一人の男の千の戦の物語である。彼の拳に付く傷の、一つ一つを、これから辿っていく事としよう。
◆
緑萌ゆる逃亡街道、旅をするにはうってつけ。頬を撫でる優しい風に、彼は頬を綻ばせた。「やー、いい風だわな」言いながらニッ、と口角を、たぶん上げている。完全なヒトとは少し違う彼らだから、見慣れない人間が彼らの口元から表情を読むのは、少しコツがいるかもしれない。
「いきなり旅に出なきゃならんなんて不安しか無かったけどよぉ……まぁ、いいもんなのかもな。実際」
今までずっと里に篭りきりの生活だったからか、彼の目には、何もかもが新鮮に見えた。
「おいすー」
だからなのか、世界の大多数を占めているヒトとすれ違うだけでも、彼は挨拶を欠かそうとはしなかった。子供が初めて遠出する時のような、何となくテンションが上がっている状態である。
しかし、世間の風は意外にも厳しかったようである。にこやかに挨拶をしても怪訝な目を向けられるだけで、この街道を歩いている途中、一度も彼に挨拶を返す者はいなかったのだ。
「おい誰か挨拶返してくれよ……」
一人ごちるが、同時に彼は、仕方ないのかとも思い始めていた。
(やっぱ、亜人のせいか)
この世界ではもはや、亜人は圧倒的少数派なのだった。そこに存在するというだけで、好奇の目を向けられるくらいに。特に彼の部族はさらにその中でも珍しいものだったから、知らない人には本当に怪しげな被り物をしたやつにしか見えないし、仕方ないのかもしれなかった。
「ま、今に見てろや」
もう何度目か分からない挨拶を無視された時、彼の決意はより強固なものとなった。
『タソ族ここにあり』
虐げられてきた自らの種族の汚名を晴らす。それがまず一つ、彼のこの旅の目的なのであった。
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両親は自分が幼い頃に亡くなってしまったけれど、それでも何とか生きることが出来た。祖父母が育ての親として、優しくしてくれたおかげで。
でもやっぱり老齢の彼らと一緒にいることが出来た時間は短くて、すぐに一人になってしまった。
ただの子供が一人で生活なんて出来るはずもなく、やがて祖父母が遺してくれた財産も食い潰してしまった。面倒事を背負い込みたくないと周りからも疎まれ、誰にも相談すら出来なかった。
これからどうしようかと、一人で途方に暮れていた。そんな時だったと彼女は言った。
「先生が颯爽と現れて、言ってくれたの。“一緒に来るかい?”って」
夜になるといつも飲みに行くウォンに、その日シノはどうしても着いて行くとせがんでやまなかった。兵器の話をして、浮かない顔をしていたあの日だ。
何か腹に含んでいるらしい彼女は、たぶん気晴らしがしたかったのだ。いつもと違うことをして、気分転換しようと思ったのだろう。
そこでお約束と言うべきなのか、間違って酒を飲んでしまった彼女は、尊敬する先生と自分のことを、そうして嬉しそうに饒舌に語ってくれたのだ。
そう。あんなに嬉しそうに語ってくれた。それなのに。
「先生……?」
何かに取り憑かれたように笑うウォンは、そうしてシノに声を掛けられて、ようやく振り返った。
「……シノ?」
振り返ったウォンの顔はいつも通りのようにも見えたが、彼の目には、何かが少し違って見えた。
「くまたそも。君達もここに落とされたのかい?」
シノもそれは同じようで、ずっと不安そうな顔をウォンに向けている。
「……どうかした?」
そんな彼女に、ウォンはそう聞き返した。
ただ単純に聞いているようにも見える。でも、どこかしらじらしくも見えた。
「……ウォンがこんなところでなんかすごい狂ったように笑ってたから、心配してんだよシノは」と、言葉が出ないでいる彼女に代わって彼は言った。「変なガスでも吸っておかしくなっちまってるのか、とかよ」
彼女は彼のその言葉を聞き、何か物言いたげな顔を彼に向けた。しかし結局何も言わずに、開いた口をそのまま閉じた。
「なんだ、見てたのかい?恥ずかしいところ見られたなあ」
そう言ったウォンは、やはり恥ずかしいとか照れくさそうとかでは全然無くて、ただただ不気味な笑顔を浮かべているだけだった。
「実は、すごいものを見つけたんだ。シノにはもう分かっちゃってるかもしれないけど」
ウォンのそれに、シノは身体をびくりと震わせた。
「……すごいもの?」
彼はシノに目配せを送ってみたが、やはり彼女はそれに気付いても何も答えず、黙って俯いてしまった。
(シノ……)
彼にはもう分かっていた。なぜ彼女がこうなってしまっているのかを。
友達がいたずらするのを、ただ隣で黙って見ている。悪いことだと分かっているのに、大事な友達だから、仲違いをする可能性になるようなことは出来なくて、何も言えない。
今のシノは、ちょうどそんな状態だった。だから彼女が何も言わなくとも、彼はもうほとんど理解していた。彼女のその状態が答えのようなものだった。
“ウォンはすでに、持ってしまっている”
「そこ、祭壇みたいになっているだろう?そこにある台座を見てごらん?」
彼はウォンから目を離さないようにして、そこを見た。部屋の中心。4本の柱に囲まれた中央、その何かの台座らしき場所。
階段で少し高い位置に設置されたその台座には、何も置かれてはいなかった。しかし彼が実際にそこに上がってよく見てみると、その台座の天板にあたる場所に、2、3センチ程の小さな傷のような窪みがあった。
そのサイズからして、あまり大きなものではない。だがここに何かがあったというのは、ほぼ間違い無さそうだった。
「妙な窪みがあるだろう?そこにあったのさ。僕が探し求めていたものが」
彼はそれを聞くと、その台座からゆっくりと下りて、ウォンの前に立った。
「で、それをどこにやった?」
彼がそう言うと、ウォンはニヤリと笑い、手の甲を彼に向けるようにして左手を上げた。
(……指輪?)
ウォンの人差し指には、大きめの何かの石がついた指輪がはめられていた。
水晶のように透き通ったその石は、淡く光を放っていた。
「ここさ」
そうしてくつくつと笑うウォンに、彼は冷たい声で言った。
「……元の場所に戻せ。それはお前が持ってていいものじゃねえ」
そうだろ?と彼がシノに投げかけると、彼女はしばらく答えるのを躊躇した。やはりウォンに咎めるようなことを言うのは、彼女には少し難しいのかもしれない。
しかしやがて、彼女は思い立ったかのよう彼に向けて頷き、弱々しくも言った。
「先生……それは、ダメ。たぶんこの場所から動かしちゃいけない類のものだから……」
彼女がそう言うと同時。彼はウォンに少しにじり寄ってみたが、ウォンはそれに気付いても一歩も引こうとはせず、全く怯まなかった。
彼の眉間に深く皺が寄る。これは、あまり良くない傾向だ。
シノが兵器の存在を感じ取れるというのなら、あれは間違いなく兵器か、もしくはそれ以上のものだ。本来兵器は、どこかで偶然手に入れたからといって使えるような代物じゃない。使い手を選ぶものだ。なのにそれを手にしたウォンが、自分を前にしてこれ程落ち着いているということは、つまり……。
ウォンの今までの言動を見るに、誰かに操られているなどの雰囲気もしない。おそらく、きちんと自分の意志で動いている。
嬉々として兵器のことを語っていた時に気付くべきだったのかもしれない。彼はもう、ずっと前から兵器に魅入られてしまっていたのだ。とっくに。
「嫌だと言ったらどうなるのかな?」
「……戻す気はねえんだな?」
彼は今度はなるべく優しく言ってみたが、やはりウォンの答えは決まっていた。
「もちろんさ。歴史的発見なんだよこれは」
高揚感からか、ずっと笑いを抑えきれないでいるウォンを見て、彼はもう説得を諦めた。
「……じゃあ、力ずくで取り上げるしかねえな」
彼が静かにそう言って構えを取ると、ウォンはもう取り繕うことをやめた。
「出来るかな!この兵器を手にした僕を相手に!!」
ウォンがそう叫ぶと、急にその左手の指輪が、より強い光を放ち始める。
「特別に見せてあげよう……」
「む!?」
「先生!ダメ!!」
指輪の石が、心臓の鼓動のように規則正しく明滅を繰り返す。光はどんどんと力強さを増していき、裸眼で見るにはまぶしすぎる程の光度になる。彼は目をそらすまいと腕で光を遮るようにしたものの、あまりの眩しさに、それもほとんど意味を成さない。
「これが、世界で最強と名高い古代兵器の一つ!」
真っ白なその世界に、ウォンの声だけが高らかに響き渡った。
「兵器“アトラース”!!」
でもやっぱり老齢の彼らと一緒にいることが出来た時間は短くて、すぐに一人になってしまった。
ただの子供が一人で生活なんて出来るはずもなく、やがて祖父母が遺してくれた財産も食い潰してしまった。面倒事を背負い込みたくないと周りからも疎まれ、誰にも相談すら出来なかった。
これからどうしようかと、一人で途方に暮れていた。そんな時だったと彼女は言った。
「先生が颯爽と現れて、言ってくれたの。“一緒に来るかい?”って」
夜になるといつも飲みに行くウォンに、その日シノはどうしても着いて行くとせがんでやまなかった。兵器の話をして、浮かない顔をしていたあの日だ。
何か腹に含んでいるらしい彼女は、たぶん気晴らしがしたかったのだ。いつもと違うことをして、気分転換しようと思ったのだろう。
そこでお約束と言うべきなのか、間違って酒を飲んでしまった彼女は、尊敬する先生と自分のことを、そうして嬉しそうに饒舌に語ってくれたのだ。
そう。あんなに嬉しそうに語ってくれた。それなのに。
「先生……?」
何かに取り憑かれたように笑うウォンは、そうしてシノに声を掛けられて、ようやく振り返った。
「……シノ?」
振り返ったウォンの顔はいつも通りのようにも見えたが、彼の目には、何かが少し違って見えた。
「くまたそも。君達もここに落とされたのかい?」
シノもそれは同じようで、ずっと不安そうな顔をウォンに向けている。
「……どうかした?」
そんな彼女に、ウォンはそう聞き返した。
ただ単純に聞いているようにも見える。でも、どこかしらじらしくも見えた。
「……ウォンがこんなところでなんかすごい狂ったように笑ってたから、心配してんだよシノは」と、言葉が出ないでいる彼女に代わって彼は言った。「変なガスでも吸っておかしくなっちまってるのか、とかよ」
彼女は彼のその言葉を聞き、何か物言いたげな顔を彼に向けた。しかし結局何も言わずに、開いた口をそのまま閉じた。
「なんだ、見てたのかい?恥ずかしいところ見られたなあ」
そう言ったウォンは、やはり恥ずかしいとか照れくさそうとかでは全然無くて、ただただ不気味な笑顔を浮かべているだけだった。
「実は、すごいものを見つけたんだ。シノにはもう分かっちゃってるかもしれないけど」
ウォンのそれに、シノは身体をびくりと震わせた。
「……すごいもの?」
彼はシノに目配せを送ってみたが、やはり彼女はそれに気付いても何も答えず、黙って俯いてしまった。
(シノ……)
彼にはもう分かっていた。なぜ彼女がこうなってしまっているのかを。
友達がいたずらするのを、ただ隣で黙って見ている。悪いことだと分かっているのに、大事な友達だから、仲違いをする可能性になるようなことは出来なくて、何も言えない。
今のシノは、ちょうどそんな状態だった。だから彼女が何も言わなくとも、彼はもうほとんど理解していた。彼女のその状態が答えのようなものだった。
“ウォンはすでに、持ってしまっている”
「そこ、祭壇みたいになっているだろう?そこにある台座を見てごらん?」
彼はウォンから目を離さないようにして、そこを見た。部屋の中心。4本の柱に囲まれた中央、その何かの台座らしき場所。
階段で少し高い位置に設置されたその台座には、何も置かれてはいなかった。しかし彼が実際にそこに上がってよく見てみると、その台座の天板にあたる場所に、2、3センチ程の小さな傷のような窪みがあった。
そのサイズからして、あまり大きなものではない。だがここに何かがあったというのは、ほぼ間違い無さそうだった。
「妙な窪みがあるだろう?そこにあったのさ。僕が探し求めていたものが」
彼はそれを聞くと、その台座からゆっくりと下りて、ウォンの前に立った。
「で、それをどこにやった?」
彼がそう言うと、ウォンはニヤリと笑い、手の甲を彼に向けるようにして左手を上げた。
(……指輪?)
ウォンの人差し指には、大きめの何かの石がついた指輪がはめられていた。
水晶のように透き通ったその石は、淡く光を放っていた。
「ここさ」
そうしてくつくつと笑うウォンに、彼は冷たい声で言った。
「……元の場所に戻せ。それはお前が持ってていいものじゃねえ」
そうだろ?と彼がシノに投げかけると、彼女はしばらく答えるのを躊躇した。やはりウォンに咎めるようなことを言うのは、彼女には少し難しいのかもしれない。
しかしやがて、彼女は思い立ったかのよう彼に向けて頷き、弱々しくも言った。
「先生……それは、ダメ。たぶんこの場所から動かしちゃいけない類のものだから……」
彼女がそう言うと同時。彼はウォンに少しにじり寄ってみたが、ウォンはそれに気付いても一歩も引こうとはせず、全く怯まなかった。
彼の眉間に深く皺が寄る。これは、あまり良くない傾向だ。
シノが兵器の存在を感じ取れるというのなら、あれは間違いなく兵器か、もしくはそれ以上のものだ。本来兵器は、どこかで偶然手に入れたからといって使えるような代物じゃない。使い手を選ぶものだ。なのにそれを手にしたウォンが、自分を前にしてこれ程落ち着いているということは、つまり……。
ウォンの今までの言動を見るに、誰かに操られているなどの雰囲気もしない。おそらく、きちんと自分の意志で動いている。
嬉々として兵器のことを語っていた時に気付くべきだったのかもしれない。彼はもう、ずっと前から兵器に魅入られてしまっていたのだ。とっくに。
「嫌だと言ったらどうなるのかな?」
「……戻す気はねえんだな?」
彼は今度はなるべく優しく言ってみたが、やはりウォンの答えは決まっていた。
「もちろんさ。歴史的発見なんだよこれは」
高揚感からか、ずっと笑いを抑えきれないでいるウォンを見て、彼はもう説得を諦めた。
「……じゃあ、力ずくで取り上げるしかねえな」
彼が静かにそう言って構えを取ると、ウォンはもう取り繕うことをやめた。
「出来るかな!この兵器を手にした僕を相手に!!」
ウォンがそう叫ぶと、急にその左手の指輪が、より強い光を放ち始める。
「特別に見せてあげよう……」
「む!?」
「先生!ダメ!!」
指輪の石が、心臓の鼓動のように規則正しく明滅を繰り返す。光はどんどんと力強さを増していき、裸眼で見るにはまぶしすぎる程の光度になる。彼は目をそらすまいと腕で光を遮るようにしたものの、あまりの眩しさに、それもほとんど意味を成さない。
「これが、世界で最強と名高い古代兵器の一つ!」
真っ白なその世界に、ウォンの声だけが高らかに響き渡った。
「兵器“アトラース”!!」
すでにその活動を止めた休火山とは違い、活火山にはマグマ溜まりと呼ばれるものがある。
「ぐう……」
それは山の内部、中心辺りにあることが多い。山によっては、そこから人の毛細血管のようにして山全体にマグマを供給しているものもある。彼らが発掘をしていたこの山も、そういう火山だった。
「大丈夫か……?」
彼が頭をさすりながらそう言うと、シノが舞った埃に咳き込みながら言った。
「うん、まあ。ちゃんとあんたが守ってくれたしね」
珍しく殊勝なことを言う。彼は一瞬そう思ったが、彼女のその口を尖らせた不満顔を見て納得し、苦笑した。
少し意地の悪いところもあるが、こういうふうに素直で可愛いところもあるので彼女は憎めない。
「さて、と」
怒るので笑うのはそこそこにしておき、彼はゆっくりと立ち上がって、目の前の断崖を仰ぎ見た。
「……大分落とされちまったなあ」
本来なら人が落ちたらひとたまりもない高さ。二人の前には、20メートルはあろうかという切り立った崖があった。
「登るのは……無理か」
点在する鉱石が淡く光を放っているので、何とか周りのものは見える。まだパラパラと小石が降ってきているところを見ると、まだ崩れてくるかもしれない。
毛細血管のように山にはりめぐらされたマグマは、マグマ溜まりの状況により、その様相を大きく変化させる。
中心のマグマが落ち着いている時には、末端にマグマが供給されていないことがある。その時には地下にこのように空洞が出来てしまい、巨大な落とし穴のような場所が出来上がってしまう。彼らはまんまとそういう場所に立ってしまい、この場所に落とされてしまったのだった。
登ること自体は出来なくも無さそうだったが、崩落の危険性がある限り、やめておいた方が良さそうだった。もし実際にそうなった場合、自分だけだったらともかく、シノを守れるかどうか分からない。少なくとも、少し時間を置いてからにすべきだ。
彼はそう考え、まずはとりあえずと、シノを引っ張り起こした。
「さあて、どうするよ」
彼ははっきりとそう言ったはずだった。しかし彼女はなぜか、その彼の問いかけにまるきり反応を示さなかった。
気付くと彼女は、遠い目をしながら、まるで何かに魅入られたかのようにどこか一点を見つめているのだった。
「シノ……?」
一体何があるのかとその視線をたどってみて、彼はようやく自分達がどういう場所にいるのかを理解した。
「こんなところに、遺跡……?」
石畳の跡のようなものと、石の円柱が折れて半壊したもの。動物のようなものを象った彫刻もある。それらが淡い光に照らされて、不気味に暗闇に浮かび上がっていた。
明らかに人工的に造られたものだった。ただの遺跡ではなく、何かを祀っているような場所に見えなくもない。
「シノ、これは……?」
彼はてっきり、彼女がこの景色に目を奪われているのだと思った。こんな場所に遺跡のようなものがあることに驚いて、それに夢中になっているのだと。
だが、違うのだった。
「なにこれ……」
彼女の視線は、そこを見てはいなかった。もっと別の何かを見つめていた。
「あり得ない……」
「どうしたんぞ」
彼がそう言うと、彼女がパッと視線を彼に向ける。
「分からないの?」
「何がぞ」
彼女はそれに、心底呆れたような顔をした。
「嘘でしょ?こんなに重くて押し潰されそうな空気に気が付かないなんて」
少し肩を震わせながら、彼女は視線を暗闇の奥に戻し、静かに言った。
「……ある。間違いない」
険しい顔でそう言った彼女に、彼はそこでようやく彼女が何を言っているのか理解する。
彼女がその存在を感知出来るというのがもし本当であれば、おそらく、この先にあるということなのだ。
兵器が。
「マジでか」
まだ半信半疑ではあった。しかし彼がそう言うと、彼女は力強く頷いた。
「うん。しかももし本当にこの先にあるとしたら、とんでもなくすごいものがあると思う。見つけたら歴史に残るくらいの」
彼女は少し興奮気味にそう言ったが、彼はそれを聞いて、眉をひそめた。
彼女とウォンの話からすると、発掘した兵器は国に送られて、技術を生み出すための研究をされるらしい。そしてもちろん、武器として有用なのであれば、そのまま兵器として使われることもある、とのことだ。
もし彼女の言う通り、歴史に残るようなとんでもない兵器がこの先にあった場合。
あまりいいことにはならないのは明白だった。一つの強力な兵器があるだけで、国同士の勢力図が変わってしまうこともある。もしそういうものがギアース国以外に渡ってしまえば、せっかく安定していたこの地方も、また戦乱の時代に逆戻りしてしまうだろう。
しかしかと言って、ギアースに渡ってしまうのうまくない。一つの国が強くなり過ぎるのも、あまり良いことではない。
こうした争いの種となるようなものは、なるべく手を付けずに眠らせておくほうが良いのではないか。
彼は、そう思ったのだった。
「あ、おい」
しかしそういう彼の懸念をよそに、彼女はさっさと歩き出してしまう。
「ここでこうしてても仕方ないし、行ってみましょ」
「いや、なんか危なそうだし行かねえ方がいいんじゃまいか」
彼は一応そう進言してはみたが、正論で返されてしまう。
「ここに居た方が危なそうじゃない。崩れてきたらどうすんのよ」
彼女のそれに、まあそうだよな、と彼は嘆息するしかなかった。
確かにここは危ない。地盤が落ち着くまでは、奥に進んだ方がいくらか安全ではある。
「……分かった。でも危険そうなら引き返すからな」
「分かってる」
もし仮にこの先に進み、とんでもない兵器が見つかってしまった場合には……と、彼は首を捻った。
その場合は、どうにかして掠め取って処分する他ない。その時は彼女達から逃げるような形となってしまうが、仕方ない。背に腹は代えられない。
彼に返事をした後、彼女はもう前しか見ていなかった。発掘したくてうずうずしているのが傍目にも分かる。
彼女のこんな顔を見るのは初めてだったが、こうなってしまった時は、ウォンの時のようにあまりとやかく言わない方がいいだろうと彼は思った。学者とはたぶん、こういう生き物なのだ。
彼はそうしてやれやれとばかりに鼻からふっと息を吐き、黙って彼女に付いて歩いた。
ゆるく勾配のある通路を下っていく。点在していた鉱石が進むごとに増え、周りがにわかに明るくなっていく。その青白い光のせいか、本当に何か神聖なものを祀っている場所のように思えてくる。
これはもしかすると、本当にものすごいものがあるかもしれない。彼がそう思わせられてしまうくらいの神秘さが、この場所にはあった。
「ていうかよお……」
彼はそこで、彼女にずっと気になっていたことを訊いてみた。
「シノは、いいのか?」
彼のそれに、彼女は前を向いたまま答えた。「何が?」
「いや、兵器を発掘するってことに抵抗とかは無いのかと、ちょっと疑問に思ってな」
使い方を誤れば、恐ろしい脅威になるものだ。危険なものを掘り出しているという認識はあるのか。
彼がそう訊くと、
「まあ、無くは無いけど……」と、彼女は言った。「でも実際のところ、あんまりすごいものって見つからないのよね。武器として使えるものは掘り出したものの中で1割未満って感じだし、良心が痛むってことはあんまり無いかな。……まあさすがに、これはまずい!ってものを掘り出しちゃったら、ちょっと考えるかもしれないけど」
「……ふむ」
彼女のそれに、彼は納得はしなかった。が、仕方ないとも思った。
おそらく彼女は、兵器の本当の恐ろしさを知らないのだ。考古学者は発掘をするのみで、兵器を深く研究するということはない。ただ歴史的に見て価値があるかどうかを、彼らは重視する。だからどうしても、危険なものを発掘しているという感覚が薄いのだ。
「それはウォンも同じ……だよなたぶん」
結局のところ、シノはウォンの助手的な立場に過ぎない。だから彼の方にしっかりとした倫理観があれば問題は無いのだが、これもおそらく、期待は出来無さそうだった。
あの嬉々として兵器のことを語る彼を見れば、さすがに分かる。
「なにあんた。先生に文句でもあるの?」
と、急に目に見えて彼女の機嫌が悪くなる。
いつもの冗談半分のような顔では無く、彼は少し、たじろいだ。
「いや別に、文句って程のことでもないんだがぁ……」
やはり彼女は、ウォンの事になると少し神経質になるようだ。
彼は慌てて話をはぐらかそうとしたが、もう遅かった。
「最初にも言ったけど、もしあんたが先生の邪魔したら、ただじゃ済まさないからね」
ギロリと睨まれて、彼は大きくたじろいだ。
「ど、どうする気ぞ」
実は彼は、この短い間にも、幾度と無く彼女に容赦の無い攻撃を受けてきている。金的はもちろんのこと、すねやみぞおちなどの筋肉で鍛えられない場所も、執拗に攻撃され続けてきた。
結果、彼は危機管理能力を底上げするとともに、金的対策をしているうちに、空手の三戦の構えをマスターする程にまでなってしまった。それ程までに、彼女の一撃は侮れないのだ。
「そうねえ……」
そして例によって、彼女は恐ろしいことを口にするのだった。
「すり潰す、かな」
満面の笑みで、平然と猟奇的なことを言ってのける彼女に、
「すり潰すって……ぶち殺すとか言われるより怖いんだが……」
彼は恐れ慄き、顔を引き攣らせた。
彼が怯えているのが分かると、彼女はニコリと笑い、畳み掛けるように言った。
「たぬきのつみれ汁とかいいんじゃないかしら。ちょっと臭みがありそうだけど」
ひえっ、と思わず身体をのけぞらせる彼に彼女はじりじりと迫り、その鳩尾の辺りに、小さな拳をあてた。
彼はとっさに、全身を硬直させた。
来る。
……しかし、その小さな拳は動かなかった。彼がいくら待ってみても、来るはずの衝撃は来ない。
不思議に思って彼が顔を上げようとした時。ふいに彼女が、優しい声で「大丈夫よ」と言った。
「前にも言ったでしょ。先生は、何も持たない、何も知らない。ただの子供の私を拾ってくれた、聖人みたいな人なの。だからあんたが心配してるようなことにはならない。絶対ね」
そうしてふっと柔らかく微笑んだかと思うと、彼女は彼の肩をポンと優しく叩いてから、また歩き出した。
普段のウォンは、確かに彼から見ても兵器を悪用するような人間には見えなかった。ただ単純に、歴史が好きでしょうがなくて研究をしている。それ程ウォンという人間は、子供のように屈託の無い人間であるように見えた。ああして饒舌に兵器の事を語るのも、子供が新しく得た知識を周りにひけらかしたくなるのと、たぶん同じようなものなのだ。
もし危険そうなものを発掘してしまった時は、何とかして元に戻すように説得すればいい。仮にも研究者なのだから、説明すれば、きっと分かってもらえる。
彼はそう思い直して、自身の心配性に苦笑しつつ、また彼女の後に付いて歩いた。
「あ、ねえ!すごい大きい広間がある!」
「おお?」
そうして二人は、ウォンという人間を認め、ある意味で信用していた。
だからこそ彼らは、そこにあった光景を見て、とまどったのだった。
「あつっ!あっついなここ!」
半球状になったその大広間。中央には先に行ける道のようなものがあるが、その広間の円周上にはマグマがゴポゴポと湧き、そこからぶすぶすと黒い煙が立ち上がっていた。火柱が竜巻のように上がっているところまである。
不思議とガスで空気が悪いということは無かったが、容赦無く渦巻く熱風が、二人を襲った。
「ぐへー……こりゃ戻った方が……」
「ね、ねえ」
彼が腕で熱風を凌いでいると、シノに服の裾を引っ張られた。
「ん?」
どうした?と彼が答えると、シノは部屋の中央の方を指差して言った。
「あれ」
彼はあまりの暑さに顔をしかめながら、何とかそこを見ようとする。
なのにシノの方は、それが全く気にならないかのように、何かに目を奪われていた。
(ああん?)
彼が不思議に思いながらその視線を追ってみると、何やら部屋の中央に、台座のようなものがある。人工的な四本の柱に囲まれ、祭壇のようなものにも見えた。
そして、彼は見た。そこにいる人物を。
「あれは……」
いつもニコニコと笑顔を絶やさない、子供みたいで無邪気な優男。
そんな男だったはずの彼が、そこで一人。
「ふはははははははは!!」
まるで悪魔か何かに取り憑かれたかのように笑っていた。背を向けているので表情は見えないが、いつものあの優しそうな顔で無いのがすぐに分かるくらい、下卑た笑い声だった。
「ウォン……?」
「ぐう……」
それは山の内部、中心辺りにあることが多い。山によっては、そこから人の毛細血管のようにして山全体にマグマを供給しているものもある。彼らが発掘をしていたこの山も、そういう火山だった。
「大丈夫か……?」
彼が頭をさすりながらそう言うと、シノが舞った埃に咳き込みながら言った。
「うん、まあ。ちゃんとあんたが守ってくれたしね」
珍しく殊勝なことを言う。彼は一瞬そう思ったが、彼女のその口を尖らせた不満顔を見て納得し、苦笑した。
少し意地の悪いところもあるが、こういうふうに素直で可愛いところもあるので彼女は憎めない。
「さて、と」
怒るので笑うのはそこそこにしておき、彼はゆっくりと立ち上がって、目の前の断崖を仰ぎ見た。
「……大分落とされちまったなあ」
本来なら人が落ちたらひとたまりもない高さ。二人の前には、20メートルはあろうかという切り立った崖があった。
「登るのは……無理か」
点在する鉱石が淡く光を放っているので、何とか周りのものは見える。まだパラパラと小石が降ってきているところを見ると、まだ崩れてくるかもしれない。
毛細血管のように山にはりめぐらされたマグマは、マグマ溜まりの状況により、その様相を大きく変化させる。
中心のマグマが落ち着いている時には、末端にマグマが供給されていないことがある。その時には地下にこのように空洞が出来てしまい、巨大な落とし穴のような場所が出来上がってしまう。彼らはまんまとそういう場所に立ってしまい、この場所に落とされてしまったのだった。
登ること自体は出来なくも無さそうだったが、崩落の危険性がある限り、やめておいた方が良さそうだった。もし実際にそうなった場合、自分だけだったらともかく、シノを守れるかどうか分からない。少なくとも、少し時間を置いてからにすべきだ。
彼はそう考え、まずはとりあえずと、シノを引っ張り起こした。
「さあて、どうするよ」
彼ははっきりとそう言ったはずだった。しかし彼女はなぜか、その彼の問いかけにまるきり反応を示さなかった。
気付くと彼女は、遠い目をしながら、まるで何かに魅入られたかのようにどこか一点を見つめているのだった。
「シノ……?」
一体何があるのかとその視線をたどってみて、彼はようやく自分達がどういう場所にいるのかを理解した。
「こんなところに、遺跡……?」
石畳の跡のようなものと、石の円柱が折れて半壊したもの。動物のようなものを象った彫刻もある。それらが淡い光に照らされて、不気味に暗闇に浮かび上がっていた。
明らかに人工的に造られたものだった。ただの遺跡ではなく、何かを祀っているような場所に見えなくもない。
「シノ、これは……?」
彼はてっきり、彼女がこの景色に目を奪われているのだと思った。こんな場所に遺跡のようなものがあることに驚いて、それに夢中になっているのだと。
だが、違うのだった。
「なにこれ……」
彼女の視線は、そこを見てはいなかった。もっと別の何かを見つめていた。
「あり得ない……」
「どうしたんぞ」
彼がそう言うと、彼女がパッと視線を彼に向ける。
「分からないの?」
「何がぞ」
彼女はそれに、心底呆れたような顔をした。
「嘘でしょ?こんなに重くて押し潰されそうな空気に気が付かないなんて」
少し肩を震わせながら、彼女は視線を暗闇の奥に戻し、静かに言った。
「……ある。間違いない」
険しい顔でそう言った彼女に、彼はそこでようやく彼女が何を言っているのか理解する。
彼女がその存在を感知出来るというのがもし本当であれば、おそらく、この先にあるということなのだ。
兵器が。
「マジでか」
まだ半信半疑ではあった。しかし彼がそう言うと、彼女は力強く頷いた。
「うん。しかももし本当にこの先にあるとしたら、とんでもなくすごいものがあると思う。見つけたら歴史に残るくらいの」
彼女は少し興奮気味にそう言ったが、彼はそれを聞いて、眉をひそめた。
彼女とウォンの話からすると、発掘した兵器は国に送られて、技術を生み出すための研究をされるらしい。そしてもちろん、武器として有用なのであれば、そのまま兵器として使われることもある、とのことだ。
もし彼女の言う通り、歴史に残るようなとんでもない兵器がこの先にあった場合。
あまりいいことにはならないのは明白だった。一つの強力な兵器があるだけで、国同士の勢力図が変わってしまうこともある。もしそういうものがギアース国以外に渡ってしまえば、せっかく安定していたこの地方も、また戦乱の時代に逆戻りしてしまうだろう。
しかしかと言って、ギアースに渡ってしまうのうまくない。一つの国が強くなり過ぎるのも、あまり良いことではない。
こうした争いの種となるようなものは、なるべく手を付けずに眠らせておくほうが良いのではないか。
彼は、そう思ったのだった。
「あ、おい」
しかしそういう彼の懸念をよそに、彼女はさっさと歩き出してしまう。
「ここでこうしてても仕方ないし、行ってみましょ」
「いや、なんか危なそうだし行かねえ方がいいんじゃまいか」
彼は一応そう進言してはみたが、正論で返されてしまう。
「ここに居た方が危なそうじゃない。崩れてきたらどうすんのよ」
彼女のそれに、まあそうだよな、と彼は嘆息するしかなかった。
確かにここは危ない。地盤が落ち着くまでは、奥に進んだ方がいくらか安全ではある。
「……分かった。でも危険そうなら引き返すからな」
「分かってる」
もし仮にこの先に進み、とんでもない兵器が見つかってしまった場合には……と、彼は首を捻った。
その場合は、どうにかして掠め取って処分する他ない。その時は彼女達から逃げるような形となってしまうが、仕方ない。背に腹は代えられない。
彼に返事をした後、彼女はもう前しか見ていなかった。発掘したくてうずうずしているのが傍目にも分かる。
彼女のこんな顔を見るのは初めてだったが、こうなってしまった時は、ウォンの時のようにあまりとやかく言わない方がいいだろうと彼は思った。学者とはたぶん、こういう生き物なのだ。
彼はそうしてやれやれとばかりに鼻からふっと息を吐き、黙って彼女に付いて歩いた。
ゆるく勾配のある通路を下っていく。点在していた鉱石が進むごとに増え、周りがにわかに明るくなっていく。その青白い光のせいか、本当に何か神聖なものを祀っている場所のように思えてくる。
これはもしかすると、本当にものすごいものがあるかもしれない。彼がそう思わせられてしまうくらいの神秘さが、この場所にはあった。
「ていうかよお……」
彼はそこで、彼女にずっと気になっていたことを訊いてみた。
「シノは、いいのか?」
彼のそれに、彼女は前を向いたまま答えた。「何が?」
「いや、兵器を発掘するってことに抵抗とかは無いのかと、ちょっと疑問に思ってな」
使い方を誤れば、恐ろしい脅威になるものだ。危険なものを掘り出しているという認識はあるのか。
彼がそう訊くと、
「まあ、無くは無いけど……」と、彼女は言った。「でも実際のところ、あんまりすごいものって見つからないのよね。武器として使えるものは掘り出したものの中で1割未満って感じだし、良心が痛むってことはあんまり無いかな。……まあさすがに、これはまずい!ってものを掘り出しちゃったら、ちょっと考えるかもしれないけど」
「……ふむ」
彼女のそれに、彼は納得はしなかった。が、仕方ないとも思った。
おそらく彼女は、兵器の本当の恐ろしさを知らないのだ。考古学者は発掘をするのみで、兵器を深く研究するということはない。ただ歴史的に見て価値があるかどうかを、彼らは重視する。だからどうしても、危険なものを発掘しているという感覚が薄いのだ。
「それはウォンも同じ……だよなたぶん」
結局のところ、シノはウォンの助手的な立場に過ぎない。だから彼の方にしっかりとした倫理観があれば問題は無いのだが、これもおそらく、期待は出来無さそうだった。
あの嬉々として兵器のことを語る彼を見れば、さすがに分かる。
「なにあんた。先生に文句でもあるの?」
と、急に目に見えて彼女の機嫌が悪くなる。
いつもの冗談半分のような顔では無く、彼は少し、たじろいだ。
「いや別に、文句って程のことでもないんだがぁ……」
やはり彼女は、ウォンの事になると少し神経質になるようだ。
彼は慌てて話をはぐらかそうとしたが、もう遅かった。
「最初にも言ったけど、もしあんたが先生の邪魔したら、ただじゃ済まさないからね」
ギロリと睨まれて、彼は大きくたじろいだ。
「ど、どうする気ぞ」
実は彼は、この短い間にも、幾度と無く彼女に容赦の無い攻撃を受けてきている。金的はもちろんのこと、すねやみぞおちなどの筋肉で鍛えられない場所も、執拗に攻撃され続けてきた。
結果、彼は危機管理能力を底上げするとともに、金的対策をしているうちに、空手の三戦の構えをマスターする程にまでなってしまった。それ程までに、彼女の一撃は侮れないのだ。
「そうねえ……」
そして例によって、彼女は恐ろしいことを口にするのだった。
「すり潰す、かな」
満面の笑みで、平然と猟奇的なことを言ってのける彼女に、
「すり潰すって……ぶち殺すとか言われるより怖いんだが……」
彼は恐れ慄き、顔を引き攣らせた。
彼が怯えているのが分かると、彼女はニコリと笑い、畳み掛けるように言った。
「たぬきのつみれ汁とかいいんじゃないかしら。ちょっと臭みがありそうだけど」
ひえっ、と思わず身体をのけぞらせる彼に彼女はじりじりと迫り、その鳩尾の辺りに、小さな拳をあてた。
彼はとっさに、全身を硬直させた。
来る。
……しかし、その小さな拳は動かなかった。彼がいくら待ってみても、来るはずの衝撃は来ない。
不思議に思って彼が顔を上げようとした時。ふいに彼女が、優しい声で「大丈夫よ」と言った。
「前にも言ったでしょ。先生は、何も持たない、何も知らない。ただの子供の私を拾ってくれた、聖人みたいな人なの。だからあんたが心配してるようなことにはならない。絶対ね」
そうしてふっと柔らかく微笑んだかと思うと、彼女は彼の肩をポンと優しく叩いてから、また歩き出した。
普段のウォンは、確かに彼から見ても兵器を悪用するような人間には見えなかった。ただ単純に、歴史が好きでしょうがなくて研究をしている。それ程ウォンという人間は、子供のように屈託の無い人間であるように見えた。ああして饒舌に兵器の事を語るのも、子供が新しく得た知識を周りにひけらかしたくなるのと、たぶん同じようなものなのだ。
もし危険そうなものを発掘してしまった時は、何とかして元に戻すように説得すればいい。仮にも研究者なのだから、説明すれば、きっと分かってもらえる。
彼はそう思い直して、自身の心配性に苦笑しつつ、また彼女の後に付いて歩いた。
「あ、ねえ!すごい大きい広間がある!」
「おお?」
そうして二人は、ウォンという人間を認め、ある意味で信用していた。
だからこそ彼らは、そこにあった光景を見て、とまどったのだった。
「あつっ!あっついなここ!」
半球状になったその大広間。中央には先に行ける道のようなものがあるが、その広間の円周上にはマグマがゴポゴポと湧き、そこからぶすぶすと黒い煙が立ち上がっていた。火柱が竜巻のように上がっているところまである。
不思議とガスで空気が悪いということは無かったが、容赦無く渦巻く熱風が、二人を襲った。
「ぐへー……こりゃ戻った方が……」
「ね、ねえ」
彼が腕で熱風を凌いでいると、シノに服の裾を引っ張られた。
「ん?」
どうした?と彼が答えると、シノは部屋の中央の方を指差して言った。
「あれ」
彼はあまりの暑さに顔をしかめながら、何とかそこを見ようとする。
なのにシノの方は、それが全く気にならないかのように、何かに目を奪われていた。
(ああん?)
彼が不思議に思いながらその視線を追ってみると、何やら部屋の中央に、台座のようなものがある。人工的な四本の柱に囲まれ、祭壇のようなものにも見えた。
そして、彼は見た。そこにいる人物を。
「あれは……」
いつもニコニコと笑顔を絶やさない、子供みたいで無邪気な優男。
そんな男だったはずの彼が、そこで一人。
「ふはははははははは!!」
まるで悪魔か何かに取り憑かれたかのように笑っていた。背を向けているので表情は見えないが、いつものあの優しそうな顔で無いのがすぐに分かるくらい、下卑た笑い声だった。
「ウォン……?」
声のした方向を適当に歩いてみると、すぐに彼女は見つかった。
「ちゅーっす。……どうした?」
軽い感じで話しかけた彼だったが、途中でその態度を変えた。
眉間に皺。腕を組みながらの仁王立ち。
彼女がそうして射るような鋭い目つきで、彼を見つめてきていたのだ。
彼女はその姿勢を崩さぬまま、彼に言った。
「遅い」じろりと、圧倒的な目力をもった視線が彼を射抜く。「何してたのよ」
彼はそれを見て思わず後退りそうになるが、何とかそれをこらえながら、それに答えた。
「いや、ちょっと爺さんと組手を……」
「遊んでたのね」
言葉の途中で、有無を言わさずぴしゃりと遮られる。
「いや、遊んでた訳じゃ……」
そう言っても、彼女が折れることはなかった。
「……遊んでたのね?」
その顔を見て、彼は理解する。
無駄だ。
彼は、言い訳を早々に諦めた。
「hai……」
彼は肩を落とし、力無く言った。
いい加減普通に接して欲しいと彼は思ったが、まだまだ彼がシノに許されるのには、時間が必要のようである。
シノは彼のそのへこんだ様子を見ると、満足そうにむふーっと鼻から息を吐く。そしてようやく、彼をその問答から開放した。
「ま、いいわ。ちょっと手伝って欲しいことがあって呼んだの」
「どうしたんぞ」
彼がそう訊くと、シノは自分が今掘っていたのだろう場所を、彼に見せた。
ちらと彼がそこを見やる。すると、4~5m四方の、階段状に掘り進められた地面が彼の目に入った。
一人でここまで掘るのはかなり骨が折れただろうと思われるが、シノとウォンによると、この一帯の発掘はそう大変なものでもないらしい。
大規模な噴火はこれまでに一度も無いらしいが、度重なる小規模噴火のせいで、ここの遺跡は火山灰で埋もれてしまっている。それでも大体が軽石が降り積もった地面なので、シノのような華奢な人間でも、こうして割と簡単に掘り進めるようだ。
「ちょっと固い岩盤にあたったから砕いて欲しくて。出来るでしょ?」
と彼が思っていたら、そんなこともあるらしい。最初の剣幕から一体何をやらされるのかと不安だった彼は、なんだそんなことかと、安心して息を吐いた。
「どれ……」
彼が実際にそこに降り立ち、砂を少し払ってみる。するとそこには、見るからに硬そうな岩盤が、どんと邪魔になりそうな場所に鎮座していた。
これは確かに、シノにはどうにも出来ないだろう。そんな大きさだ。
「んー……」
彼になら、これくらいのものはすぐに排除できる。しかし彼は、その岩を見ながら首を捻った。
「壊せるっちゃ壊せるけど、いいのか?」
何が?と首を傾げるシノに、彼は言った。
「奥に何かあった場合、それも壊れちまうかもしれん。岩だけ壊すっつうのは、結構難しい。こういうのは、繊細な技術のあるムカイ爺さんの方が適任かもしれねえ」
一挙一投足が、極限まで練られた動き。加えてあの技の冴えは、里で長く修行を続けてきた彼から見ても、目を見張るものがあった。
そう思って提案した彼だったが、シノはそれに、露骨に顔を曇らせた。
「どうかしたか?」
そう訊くと、彼女は居心地悪そうに目を伏せる。
なぜそんな顔をするのか、彼には分からなかった。彼は、けげんそうに眉根を寄せた。
つい先日、全員で顔合わせをしたばかりなのである。だから意見の衝突なども起こってはいないし、誰かを苦手だとか、嫌いになるというようなことには少なくともまだならないはずなのだ。
なのにこれはどうしたことかと、彼は首を傾げた。明らかに彼女は、ムカイを避けようとしている。
「あの人には、あんまり頼みたくない」
いくらか逡巡した後、彼女はそう言った。
やはり、何か気に入らないことがあるようだ。
「……何でぞ?」
彼がそう訊くと、彼女は地面に目を落としながら答えた。
「だってあの人、よく分からないんだもん」
「何がぞ」
そうして訊いてばかりくる彼に少しうんざりしたのか、彼女はむっとした顔で言った。
「あんたは何も疑問に思わなかったの?どうしてあの人にあんなにすごい力があるのか。私ぐらいしか無い小さな身体で、年だってそこそこ高齢そうなのに。おかしいじゃない物理的に」
シノの言葉に、ふむ、と彼は、腕を組みながらそれに相槌を打った。
彼女が今言ったことは、確かに彼にとっても、気になるところだった。
ただ、彼女は少し勘違いをしているが、ムカイはただの老人ではない。一見するだけでは分からないが、相当身体を鍛えているのはまず間違いない。
しかしそれでも、疑問は残る。いくら鍛えていると言っても、兵器で強化した自分の体を、ああもやすやすと貫けるような一撃を放てるものだろうか、と。
同じ兵器使いというのであれば、合点がいく。しかしムカイは、どうもそういう感じではなさそうなのだ。
そうして彼が思案していると、彼女が言った。
「あんたが強いのは分かるのよ。兵器使ってるんだから」
突然彼女から出てきた言葉に、彼はぎょっとした。
「……え?」
意表を突かれ、間の抜けた返事をしてしまった彼に、シノはまた言った。
「え?じゃないわよ。使ってるんでしょ?兵器」
「俺そんなこと言ったか?」
彼女は首を振った。
「言ってないわよ。でも私には分かるの。何となく」
「何となく分かる?」彼は言った。「どういうことぞ。兵器を使ってるかどうかが分かるってことか??」
彼がそうしてまくし立てるように言うと、シノはんー、と人差し指を顎に当てて思案する。
「使ってるかどうか、って言うか……うーん……。そうじゃなくて、少なくとも持ってるかどうかは分かる、って感じかな」
さもどうということはないという感じで言うシノに、彼は驚きを隠せないでいた。
兵器を持っているかが分かる。しかも、見るだけで。
本当ならとんでもないことだった。それはつまり、あれが見えるということだから。
「あの人はたぶん兵器は持ってない。何か変な感じなだけ」
「変な感じ?」
うん、とシノが頷く。
「あの、台風みたいな風をあの人が起こした時があったでしょ?あの時だけなぜか、“持ってる”感じになったのよね。変でしょ?」
自分が感じた印象と同じだった。これはおそらく、偶然ではない。
「まあとにかくそういうことだから。ちゃっちゃとそれ割っちゃってくれない?あ、ちなみにその岩盤の先にはたぶん何もないから、別に雑なあんたでも大丈夫だから」
早く発掘を再開したいのかそうして話を打ち切ろうとする彼女に、彼はとりあえず、言われた通りに岩盤を少しづつ砕き始めた。
「確かに俺は兵器を使ってるけどよ。マジで分かるんだったらすげえな。具体的には持ってる奴ってのはどう見えるんぞ?」
彼がそう訊いてみると、
「見えるっていうのとは、ちょっと違うかも」と、彼女は答えた。「なんて言うか……実際に兵器を持っている人がいると、その人の周りだけ空気が重いように感じるのよ。最初は気のせいかと思ってたんだけど」
やはり、それはあれを感じることが出来るということだ。
彼は口を開こうとしたが、シノが続けて補足する。
「もちろん、完璧いつでも分かるって訳じゃない。けどこういう発掘の時にも、実際に何か感じた時にそこを掘ってみると大体そこにちゃんと兵器が見つかるし、“分かる”って言っちゃっていいと思う」
だからもっと遠慮無く壊してもいい。彼女は壁に寄りかかりながらそう言い、彼に早く作業出来るようにしてくれと促した。
訊きたいことは山程あった。しかしとりあえず彼は、そうして痺れを切らしつつあるシノを慮って、目の前の岩を排除することに専念する。岩を細かく砕き、発掘の邪魔にならないような場所に放り出していく。
「こんなもんでいいか?」
彼にかかれば、これくらいの作業は朝飯前。
あらかた掃除の終わったその場所を見て、シノはうむ、と満足そうに頷く。
「よし。後は私に任せて、あんたはどっかで適当に遊んでて」
労いの言葉を期待していた訳ではないが、彼女のそれに、彼はさすがに不満を漏らした。
「いや何で子供扱いなんぞ……。ていうかさっき遊んでんなって俺にキレたのシノぞ!」
と、そうして久々の彼のツッコミが、シノに炸裂した時だった。
「おわーーーーーーー!!!!」
またもその場に、突如として大きな声が響き渡る。
悲鳴のようなその声に、二人は目を見開きながら、顔を見合わせた。
「今のって……」
聞いたことのある声だと、彼はすぐに思い当たった。シノもすぐに分かったようで、今の今まで彼をいじって楽しげだったその顔から、一気に余裕が消えた。
「まさか……」彼女が彼を呼んだ時とは訳が違った。すぐに緊急事態だと分かるその声色に、彼女はひどく取り乱した。「ウォン先生……?」
向こうにはムカイが行ったので安心していたが、何か不測の事態でも起こったのだろうかと彼は思う。ムカイは大半のことには対応出来る力を持っているはずなので、もしかすると、かなりまずいことに巻き込まれているかもしれない。
と、彼が対応を考えていると、彼女が急に駆け出した。
「あ、おい!」
彼は慌ててすぐさまそれに並走し、彼女に言った。
「待て待て!どこ行くつもりだ!」
「決まってるでしょ!先生のところよ!!」
「いや落ち着け!爺さんが向こうに行ってるはずなのにウォンの悲鳴があがるって、相当まずいことになってるかもしれねえんだぞ!」
言った瞬間、彼はしまった、という顔をした。
シノはそれを聞くと、荒く息を吐きながら、叫ぶように言った。
「だったらなおさら!早く行かないとまずいじゃない!!」
彼女はウォンをとても大事に思っている。それは十分に分かっていたはずなのに、考えが足らなかったと彼は歯噛みした。
火に油を注いでしまった形となる。おそらくもう、彼女は止まってはくれないだろう。
「……分かった!分かったから、一回止まれ!」
それでも彼は、声をかけ続けた。火事場に飛び込んでいこうとするクライアントを止めない護衛など、木偶の坊と一緒だ。
しかし彼女は、興奮した猪のように前しか見ていなかった。そうして彼がかけ続けた言葉も、全く耳に入っていないように走り続ける。
引っ張ってでも止めるべきか。彼は一瞬そう考えたが、それは思いとどまらざるを得なかった。
出会いが出会いなだけに、これ以上彼女に誤解されたくなかった。たとえ軽くでも、彼女に触れるのは躊躇われたのだ。
しかしこうした緊急時には、そういう一瞬の迷いが明暗を分けるもの。そう思ってしまったのが、いけなかった。
彼がふと足元に違和感を感じた頃には、もう何もかも遅かった。
「……え?」
彼女の身体が、目の前で急にがくんと下がる。
「ぬ!?」
彼は反射的に彼女に手を伸ばしたが、それは意味を成さなかった。
彼と彼女の足元には、さっきまで確かにあったはずの地面が無くなっていたのである。
「きゃああああああああああ!」
「なんぞおおおおおおおおおおお!!」
「ちゅーっす。……どうした?」
軽い感じで話しかけた彼だったが、途中でその態度を変えた。
眉間に皺。腕を組みながらの仁王立ち。
彼女がそうして射るような鋭い目つきで、彼を見つめてきていたのだ。
彼女はその姿勢を崩さぬまま、彼に言った。
「遅い」じろりと、圧倒的な目力をもった視線が彼を射抜く。「何してたのよ」
彼はそれを見て思わず後退りそうになるが、何とかそれをこらえながら、それに答えた。
「いや、ちょっと爺さんと組手を……」
「遊んでたのね」
言葉の途中で、有無を言わさずぴしゃりと遮られる。
「いや、遊んでた訳じゃ……」
そう言っても、彼女が折れることはなかった。
「……遊んでたのね?」
その顔を見て、彼は理解する。
無駄だ。
彼は、言い訳を早々に諦めた。
「hai……」
彼は肩を落とし、力無く言った。
いい加減普通に接して欲しいと彼は思ったが、まだまだ彼がシノに許されるのには、時間が必要のようである。
シノは彼のそのへこんだ様子を見ると、満足そうにむふーっと鼻から息を吐く。そしてようやく、彼をその問答から開放した。
「ま、いいわ。ちょっと手伝って欲しいことがあって呼んだの」
「どうしたんぞ」
彼がそう訊くと、シノは自分が今掘っていたのだろう場所を、彼に見せた。
ちらと彼がそこを見やる。すると、4~5m四方の、階段状に掘り進められた地面が彼の目に入った。
一人でここまで掘るのはかなり骨が折れただろうと思われるが、シノとウォンによると、この一帯の発掘はそう大変なものでもないらしい。
大規模な噴火はこれまでに一度も無いらしいが、度重なる小規模噴火のせいで、ここの遺跡は火山灰で埋もれてしまっている。それでも大体が軽石が降り積もった地面なので、シノのような華奢な人間でも、こうして割と簡単に掘り進めるようだ。
「ちょっと固い岩盤にあたったから砕いて欲しくて。出来るでしょ?」
と彼が思っていたら、そんなこともあるらしい。最初の剣幕から一体何をやらされるのかと不安だった彼は、なんだそんなことかと、安心して息を吐いた。
「どれ……」
彼が実際にそこに降り立ち、砂を少し払ってみる。するとそこには、見るからに硬そうな岩盤が、どんと邪魔になりそうな場所に鎮座していた。
これは確かに、シノにはどうにも出来ないだろう。そんな大きさだ。
「んー……」
彼になら、これくらいのものはすぐに排除できる。しかし彼は、その岩を見ながら首を捻った。
「壊せるっちゃ壊せるけど、いいのか?」
何が?と首を傾げるシノに、彼は言った。
「奥に何かあった場合、それも壊れちまうかもしれん。岩だけ壊すっつうのは、結構難しい。こういうのは、繊細な技術のあるムカイ爺さんの方が適任かもしれねえ」
一挙一投足が、極限まで練られた動き。加えてあの技の冴えは、里で長く修行を続けてきた彼から見ても、目を見張るものがあった。
そう思って提案した彼だったが、シノはそれに、露骨に顔を曇らせた。
「どうかしたか?」
そう訊くと、彼女は居心地悪そうに目を伏せる。
なぜそんな顔をするのか、彼には分からなかった。彼は、けげんそうに眉根を寄せた。
つい先日、全員で顔合わせをしたばかりなのである。だから意見の衝突なども起こってはいないし、誰かを苦手だとか、嫌いになるというようなことには少なくともまだならないはずなのだ。
なのにこれはどうしたことかと、彼は首を傾げた。明らかに彼女は、ムカイを避けようとしている。
「あの人には、あんまり頼みたくない」
いくらか逡巡した後、彼女はそう言った。
やはり、何か気に入らないことがあるようだ。
「……何でぞ?」
彼がそう訊くと、彼女は地面に目を落としながら答えた。
「だってあの人、よく分からないんだもん」
「何がぞ」
そうして訊いてばかりくる彼に少しうんざりしたのか、彼女はむっとした顔で言った。
「あんたは何も疑問に思わなかったの?どうしてあの人にあんなにすごい力があるのか。私ぐらいしか無い小さな身体で、年だってそこそこ高齢そうなのに。おかしいじゃない物理的に」
シノの言葉に、ふむ、と彼は、腕を組みながらそれに相槌を打った。
彼女が今言ったことは、確かに彼にとっても、気になるところだった。
ただ、彼女は少し勘違いをしているが、ムカイはただの老人ではない。一見するだけでは分からないが、相当身体を鍛えているのはまず間違いない。
しかしそれでも、疑問は残る。いくら鍛えていると言っても、兵器で強化した自分の体を、ああもやすやすと貫けるような一撃を放てるものだろうか、と。
同じ兵器使いというのであれば、合点がいく。しかしムカイは、どうもそういう感じではなさそうなのだ。
そうして彼が思案していると、彼女が言った。
「あんたが強いのは分かるのよ。兵器使ってるんだから」
突然彼女から出てきた言葉に、彼はぎょっとした。
「……え?」
意表を突かれ、間の抜けた返事をしてしまった彼に、シノはまた言った。
「え?じゃないわよ。使ってるんでしょ?兵器」
「俺そんなこと言ったか?」
彼女は首を振った。
「言ってないわよ。でも私には分かるの。何となく」
「何となく分かる?」彼は言った。「どういうことぞ。兵器を使ってるかどうかが分かるってことか??」
彼がそうしてまくし立てるように言うと、シノはんー、と人差し指を顎に当てて思案する。
「使ってるかどうか、って言うか……うーん……。そうじゃなくて、少なくとも持ってるかどうかは分かる、って感じかな」
さもどうということはないという感じで言うシノに、彼は驚きを隠せないでいた。
兵器を持っているかが分かる。しかも、見るだけで。
本当ならとんでもないことだった。それはつまり、あれが見えるということだから。
「あの人はたぶん兵器は持ってない。何か変な感じなだけ」
「変な感じ?」
うん、とシノが頷く。
「あの、台風みたいな風をあの人が起こした時があったでしょ?あの時だけなぜか、“持ってる”感じになったのよね。変でしょ?」
自分が感じた印象と同じだった。これはおそらく、偶然ではない。
「まあとにかくそういうことだから。ちゃっちゃとそれ割っちゃってくれない?あ、ちなみにその岩盤の先にはたぶん何もないから、別に雑なあんたでも大丈夫だから」
早く発掘を再開したいのかそうして話を打ち切ろうとする彼女に、彼はとりあえず、言われた通りに岩盤を少しづつ砕き始めた。
「確かに俺は兵器を使ってるけどよ。マジで分かるんだったらすげえな。具体的には持ってる奴ってのはどう見えるんぞ?」
彼がそう訊いてみると、
「見えるっていうのとは、ちょっと違うかも」と、彼女は答えた。「なんて言うか……実際に兵器を持っている人がいると、その人の周りだけ空気が重いように感じるのよ。最初は気のせいかと思ってたんだけど」
やはり、それはあれを感じることが出来るということだ。
彼は口を開こうとしたが、シノが続けて補足する。
「もちろん、完璧いつでも分かるって訳じゃない。けどこういう発掘の時にも、実際に何か感じた時にそこを掘ってみると大体そこにちゃんと兵器が見つかるし、“分かる”って言っちゃっていいと思う」
だからもっと遠慮無く壊してもいい。彼女は壁に寄りかかりながらそう言い、彼に早く作業出来るようにしてくれと促した。
訊きたいことは山程あった。しかしとりあえず彼は、そうして痺れを切らしつつあるシノを慮って、目の前の岩を排除することに専念する。岩を細かく砕き、発掘の邪魔にならないような場所に放り出していく。
「こんなもんでいいか?」
彼にかかれば、これくらいの作業は朝飯前。
あらかた掃除の終わったその場所を見て、シノはうむ、と満足そうに頷く。
「よし。後は私に任せて、あんたはどっかで適当に遊んでて」
労いの言葉を期待していた訳ではないが、彼女のそれに、彼はさすがに不満を漏らした。
「いや何で子供扱いなんぞ……。ていうかさっき遊んでんなって俺にキレたのシノぞ!」
と、そうして久々の彼のツッコミが、シノに炸裂した時だった。
「おわーーーーーーー!!!!」
またもその場に、突如として大きな声が響き渡る。
悲鳴のようなその声に、二人は目を見開きながら、顔を見合わせた。
「今のって……」
聞いたことのある声だと、彼はすぐに思い当たった。シノもすぐに分かったようで、今の今まで彼をいじって楽しげだったその顔から、一気に余裕が消えた。
「まさか……」彼女が彼を呼んだ時とは訳が違った。すぐに緊急事態だと分かるその声色に、彼女はひどく取り乱した。「ウォン先生……?」
向こうにはムカイが行ったので安心していたが、何か不測の事態でも起こったのだろうかと彼は思う。ムカイは大半のことには対応出来る力を持っているはずなので、もしかすると、かなりまずいことに巻き込まれているかもしれない。
と、彼が対応を考えていると、彼女が急に駆け出した。
「あ、おい!」
彼は慌ててすぐさまそれに並走し、彼女に言った。
「待て待て!どこ行くつもりだ!」
「決まってるでしょ!先生のところよ!!」
「いや落ち着け!爺さんが向こうに行ってるはずなのにウォンの悲鳴があがるって、相当まずいことになってるかもしれねえんだぞ!」
言った瞬間、彼はしまった、という顔をした。
シノはそれを聞くと、荒く息を吐きながら、叫ぶように言った。
「だったらなおさら!早く行かないとまずいじゃない!!」
彼女はウォンをとても大事に思っている。それは十分に分かっていたはずなのに、考えが足らなかったと彼は歯噛みした。
火に油を注いでしまった形となる。おそらくもう、彼女は止まってはくれないだろう。
「……分かった!分かったから、一回止まれ!」
それでも彼は、声をかけ続けた。火事場に飛び込んでいこうとするクライアントを止めない護衛など、木偶の坊と一緒だ。
しかし彼女は、興奮した猪のように前しか見ていなかった。そうして彼がかけ続けた言葉も、全く耳に入っていないように走り続ける。
引っ張ってでも止めるべきか。彼は一瞬そう考えたが、それは思いとどまらざるを得なかった。
出会いが出会いなだけに、これ以上彼女に誤解されたくなかった。たとえ軽くでも、彼女に触れるのは躊躇われたのだ。
しかしこうした緊急時には、そういう一瞬の迷いが明暗を分けるもの。そう思ってしまったのが、いけなかった。
彼がふと足元に違和感を感じた頃には、もう何もかも遅かった。
「……え?」
彼女の身体が、目の前で急にがくんと下がる。
「ぬ!?」
彼は反射的に彼女に手を伸ばしたが、それは意味を成さなかった。
彼と彼女の足元には、さっきまで確かにあったはずの地面が無くなっていたのである。
「きゃああああああああああ!」
「なんぞおおおおおおおおおおお!!」
「ほれほれ。こっちぢゃこっち」
ムカイのその言葉に、彼は躍起になってその懐に飛び込んでいく。だがそれでも彼の攻撃は、空を切り続けた。
「……はは!すげえ!」
彼は生来負けず嫌いの気質だったはずだが、こうまで自分の攻撃をうまくかわされると、もはや感心を通り越して笑ってしまう。
「マジで当たんねえ!なんぞこれわろたwwwwww」
ここは遺跡都市バンガローに無数にある遺跡の一つ。東の遺跡。
至るところから水蒸気が吹き出し、硫黄の匂いが鼻を突く。都市を取り囲むようにある火山の中でも、最も活発な活動が観測される場所。そこに、その遺跡はあった。
そんな場所で、先刻彼は、ムカイから組手をやらないかと誘われた。
シノとウォンは黙々と発掘作業をしているだけで、何も起こらない。それなら、お互いの力量を確かめて連携を強化するためにも、やっておくべきだと言われたのだった。
そうして始められた組手だったが、どうにも。
「ふん!」
「ほい」
彼の攻撃は面白いほどに空を切る。もちろん彼もムカイも本気ではなかったが、力はともかく、技術については天と地程の差があることは明白だった。彼の攻撃はことごとくかわされ、ムカイの攻撃はことごとく彼の身体をとらえた。
「どうも、おかしなやつじゃのおおぬしは」
その攻防の中で、ムカイがぼそりと呟いた。
「何がだ?」
ムカイの正拳が彼の胸に当たる。彼はそれを筋肉で弾き返しながら答えた。
「なんで攻撃を避けないんじゃ?」
組手をやり始めて数刻。彼の戦闘スタイルにいち早く気付いたムカイは、彼にそう疑問を呈した。
「別に避けなくても大丈夫だからぞ」
彼はそれにしれっとそう答えたが、ムカイの方は、やはり納得がいかないようだった。
「まあ、そうなんじゃろうけど……」
それだと組手の意味があんまりないんじゃけどのお……。
と、ムカイはぼやいた。
実戦では攻撃を実際にその身に受けて相手の力を知ることが出来、なおかつ自分の本当の実力は隠すことが出来るという彼の戦闘スタイル。しかしそれは、お互いの実力を知るという目的の組手には、やはり適さない。ムカイが不満を漏らすのも、仕方のないことだった。
ムカイはしばらくそのまま黙って彼と組み合っていたが、その状態は長くは続かなかった。
ムカイが、突然しびれを切らしたかのように動きを見せたのである。
「うお!……っと」
ふいにムカイの動きが鋭くなり、凄まじい勢いを持った何かが、彼の頬をかすめた。
彼はそれを間一髪で何とか避け、とっさに体制を整えようと、ムカイから距離を取った。
正体は、恐ろしいほどに研ぎ澄まされた貫手だった。攻撃を受けた頬に違和感を感じて、彼が何となくそこを撫でてみると、ぬるりとした感触があった。
彼の目が見開かれる。
かすっただけのはずである。なのに、そこは鋭利な刃物で切られたかのようにぱっくりと割れて、出血していたのだ。
「おいおい爺さん!危ねえな!」ごしごしと頬を撫でながら彼は言った。「当たってたら死んでたんじゃねえか今の」
幸いにもそう深い傷ではなく、そうして拭うとすぐに血は止まった。だがこの切れ味を見ると、やはり楽観視は出来ない。彼が思わず引いてしまうくらいの、凄まじい一撃だったのだ。
しかしムカイは、その貫手の形を維持した右手と彼を見比べながら、
「……やっぱりのお」
と、悪びれる様子もなく言った。
「おぬし、何か隠してるじゃろ?」
「隠す?」
何をだよ、と彼は言った。
急に何を言い出すのか。
「わしは何回か今みたいな攻撃をおぬしに撃っとるんじゃが、そういうおぬしの防御力を突き抜けられるような一撃の時だけ、なぜかきっちり逃げられるんじゃよなあ。しかも相当にいい動きで」
ムカイはおそらく、誉めたつもりだった。
彼も、それは分かっていた。しかしあの言葉が出ると、やはり彼はそちらに気を取られ、過剰に反応してしまうのだった。
「……逃げてねえ」
「なんじゃって?」
ムカイにけげんな顔を向けられると、彼は繰り返し言った。
「逃げてねえ。ちょっと、かわしただけだ」
彼のその台詞に、ムカイは何かを理解したかのように腕を組み、頷いた。
「……なるほどの。少しおぬしのことが分かったような気がするのお」
でも分からんのお……とムカイは続け、またも。
「!おい!じいさん!」
長い前髪の奥で、ムカイの目がギラリと光る。その瞬間、数十メートルは離れていた二人の距離が、一気に縮められた。
ムカイの猛烈な連打が、彼を襲った。
「ぐっ……ぬ……」
一撃一撃が、自分の分厚いはずの筋肉の鎧を突き抜ける威力であることは、見ればすぐに分かった。彼はその全てを避けることを、余儀なくされた。
彼らのような強者の攻防は、よく将棋に例えられる。適度な攻撃と防御の配分を取らないと、一気に勝負が決まってしまうというとても奥の深い遊戯であるが、それは盤上の戦いではない現実の武闘においても、同じようなことが言える。
ある程度の達人の戦いになると、攻めているだけではだめだし、防御しているだけでもだめなのだ。今の彼にように、攻撃をかわし続けているだけではすぐにジリ貧になってしまう。いつかは詰まされてしまうだろう。
彼も、それは重々分かっていた。
だから彼は、不本意ながら、その一撃をムカイに放つしかなかった。
「!?ほほお!!」
彼のその一撃に、ムカイは顔色を変えた。
その正拳は、ムカイの右肩の辺りにえぐるように突き刺さった。そしてその突きの威力により、ムカイは大きく地面を擦るようにして、後退させられる。
硫黄の匂いに混じって、少し焦げ臭い匂いが周囲に漂う。ムカイの右肩からは、薄く煙のようなものも上がっていた。
彼の攻撃が、初めてムカイに当たった瞬間だった。
「……やっぱり、そうじゃの」
ムカイから発せられていた殺気は、そこでついと消えた。
「すまんの急に。ちょっと、どうしても確かめたかったからの」
ムカイはそう言って、近くにあったちょうどいい高さの岩に腰を下ろした。
何を確かめたかったと言うのか。ここまでする必要があったのか。
しかしとにかく、謝られると文句は言いづらかった。仕方なく彼は、自身もその場に座り、ムカイの次の言葉を待った。
「“逃げる”という言葉が、どうもおぬしには重いようじゃな」彼がしばらく息を整えていると、ムカイが口ひげを撫でながら言った。「まあどうしても通したい意地があるというのは、分かるんじゃがの。わしにもそういうものはある。じゃが、おぬしのは意味あるのかのお……」
やはりムカイは、達人の域にいる人間なのだった。一回の組手で、彼の持つ力がどの程度なのか、彼がどういう人間なのかを、しっかりと看破してきた。
「攻撃をかわすことは、確かに厳密には逃げることとは違う。しかしそれが分かっているのに、なぜおぬしは最初から今のような動きをしなかったんじゃろうか」
それもそのはず。会った当初はただの好々爺だと思っていたムカイだが、実はとんでもない人物なのだった。
今は暇をもらって大陸を気ままに旅しているが、普段は門下生が100人程いる道場の最高師範をやっている。組手を始める前に、彼はムカイから事もなげにそう打ち明けられていた。
そんな肩書を持つ男だから、さすがの彼も、ムカイのその意見を聞き流すことは出来なかった。
「避けられるのであれば、敵の攻撃は避けるもんじゃ。おぬしの戦闘スタイルには限界があるんじゃないかのお。今のわしの攻撃のように、見ればすぐに当たったらまずいものだと分かるものじゃったらいいが、当たってみないとそれが分からないようなものにあったらどうするつもりなんじゃ?当たった瞬間ゲームオーバーなんてこともあるかもしれんのに」
ムカイの言っていることは正論である。現に彼は、先の戦いで似たような場面に遭遇している。助かったのはただ単に、相手の攻撃に打開方法がたまたまあっただけ。運が良かっただけだ。
理屈では、彼も分かっている。だから彼は、ムカイのそれに少し詰まりながら屁理屈を返すしかなかった。
「……避けるってことは、逃げることに繋がるんぞ。心が負けることになりかねねえ」
「さっきそれは違うことだと自分で言うたばっかりじゃぞ?」
「ぬっ……」
「今のお主の動きは、よく練られたいーい動きじゃった。一朝一夕で出来たものではない。それを訳の分からない意地で封印するのは、ちょっともったいないんじゃないかのお」
まるであの人みたいなことを言う。
よくこんな風にして、教えを説かれたことがあった。彼はそれが少し懐かしくて、ムカイのその説教をなんとか我慢して聞いていた。
しかし、次にムカイからふいに出てきたその言葉には、どうしても堪えられなかった。
「何より、一介の賊ですら大きな力を持っていることもあるこの大陸では、いつ死んでもおかしくない。そんな言葉遊びのようなまねは、即刻やめるべきじゃ」
その瞬間、彼の全身の毛が逆立った。
自分が一人の男として、一人の武人として命を賭けて守ろうとしている誓約。それに対して、よりにもよって、“言葉遊び”とはどういうことか。自分にも守っているものがあると言うのだから、もう少し言葉を選ぶべきじゃないのか……?
二人の間に、再び緊張が走る。
ムカイは彼のその負の感情を感じ取ったのか、おもむろに立ち上がり、再び構えを取った。
彼もゆっくりと、全身に怒気を纏いながら、立ち上がった。
お互いに、自分の考えを曲げるつもりはないらしい。どうやらこの先は、拳を交えての語り合いとなりそうである。
と、そんな時だった。
「くまたそーーー!!」
突如クライアントの声が、天井の高いドーム状になっているその洞窟に、大きく響き渡った。その声に、二人はすぐに自身の構えを解いた。
彼女に何かあったのか。一瞬彼はそうして慌てたが、すぐにそれを思い直した。
その声に、焦りなどは感じられなかった。おそらく、雑用か何かで呼ばれただけだろう。
「くまたそーー!!どこーーー??」
場に似つかわしくない暢気な声色のそれに、二人は顔を見合わせる。
どちらともなく、鼻からふっと息を吐いた。すると、彼らの間にあった張り詰めた空気は、それを合図に次第に綻んでいった。
「……一時休戦、じゃな」
ムカイがそう言うと、彼もやれやれと首を撫でつつ言った。
「……そうだな」
彼の頭が急速に冷めていく。彼は頬を掻きつつ、さっきまでの自分を反省した。
ムカイは、自分に仇なす敵などではない。よかれと思って意見を言ってくれているのだ。そんな人間に対して肩をいからせて向かっていくのは、どう考えても間違っている。
誰にでもつっかかっていってしまうのは、もうやめよう。彼はそう思いつつ、幾分柔らかい声で、ムカイに言った。
「ちょっと、行ってくるわ。爺さんは一応ウォンの方頼む」
彼のそれに、ムカイは別段気にした様子も見せず、うむ、とだけ答えた。
後に大陸を大きく揺るがす二人。彼らの最初の手合わせは、そうして少々の禍根を残しつつ、終わりを告げたのだった。
ムカイのその言葉に、彼は躍起になってその懐に飛び込んでいく。だがそれでも彼の攻撃は、空を切り続けた。
「……はは!すげえ!」
彼は生来負けず嫌いの気質だったはずだが、こうまで自分の攻撃をうまくかわされると、もはや感心を通り越して笑ってしまう。
「マジで当たんねえ!なんぞこれわろたwwwwww」
ここは遺跡都市バンガローに無数にある遺跡の一つ。東の遺跡。
至るところから水蒸気が吹き出し、硫黄の匂いが鼻を突く。都市を取り囲むようにある火山の中でも、最も活発な活動が観測される場所。そこに、その遺跡はあった。
そんな場所で、先刻彼は、ムカイから組手をやらないかと誘われた。
シノとウォンは黙々と発掘作業をしているだけで、何も起こらない。それなら、お互いの力量を確かめて連携を強化するためにも、やっておくべきだと言われたのだった。
そうして始められた組手だったが、どうにも。
「ふん!」
「ほい」
彼の攻撃は面白いほどに空を切る。もちろん彼もムカイも本気ではなかったが、力はともかく、技術については天と地程の差があることは明白だった。彼の攻撃はことごとくかわされ、ムカイの攻撃はことごとく彼の身体をとらえた。
「どうも、おかしなやつじゃのおおぬしは」
その攻防の中で、ムカイがぼそりと呟いた。
「何がだ?」
ムカイの正拳が彼の胸に当たる。彼はそれを筋肉で弾き返しながら答えた。
「なんで攻撃を避けないんじゃ?」
組手をやり始めて数刻。彼の戦闘スタイルにいち早く気付いたムカイは、彼にそう疑問を呈した。
「別に避けなくても大丈夫だからぞ」
彼はそれにしれっとそう答えたが、ムカイの方は、やはり納得がいかないようだった。
「まあ、そうなんじゃろうけど……」
それだと組手の意味があんまりないんじゃけどのお……。
と、ムカイはぼやいた。
実戦では攻撃を実際にその身に受けて相手の力を知ることが出来、なおかつ自分の本当の実力は隠すことが出来るという彼の戦闘スタイル。しかしそれは、お互いの実力を知るという目的の組手には、やはり適さない。ムカイが不満を漏らすのも、仕方のないことだった。
ムカイはしばらくそのまま黙って彼と組み合っていたが、その状態は長くは続かなかった。
ムカイが、突然しびれを切らしたかのように動きを見せたのである。
「うお!……っと」
ふいにムカイの動きが鋭くなり、凄まじい勢いを持った何かが、彼の頬をかすめた。
彼はそれを間一髪で何とか避け、とっさに体制を整えようと、ムカイから距離を取った。
正体は、恐ろしいほどに研ぎ澄まされた貫手だった。攻撃を受けた頬に違和感を感じて、彼が何となくそこを撫でてみると、ぬるりとした感触があった。
彼の目が見開かれる。
かすっただけのはずである。なのに、そこは鋭利な刃物で切られたかのようにぱっくりと割れて、出血していたのだ。
「おいおい爺さん!危ねえな!」ごしごしと頬を撫でながら彼は言った。「当たってたら死んでたんじゃねえか今の」
幸いにもそう深い傷ではなく、そうして拭うとすぐに血は止まった。だがこの切れ味を見ると、やはり楽観視は出来ない。彼が思わず引いてしまうくらいの、凄まじい一撃だったのだ。
しかしムカイは、その貫手の形を維持した右手と彼を見比べながら、
「……やっぱりのお」
と、悪びれる様子もなく言った。
「おぬし、何か隠してるじゃろ?」
「隠す?」
何をだよ、と彼は言った。
急に何を言い出すのか。
「わしは何回か今みたいな攻撃をおぬしに撃っとるんじゃが、そういうおぬしの防御力を突き抜けられるような一撃の時だけ、なぜかきっちり逃げられるんじゃよなあ。しかも相当にいい動きで」
ムカイはおそらく、誉めたつもりだった。
彼も、それは分かっていた。しかしあの言葉が出ると、やはり彼はそちらに気を取られ、過剰に反応してしまうのだった。
「……逃げてねえ」
「なんじゃって?」
ムカイにけげんな顔を向けられると、彼は繰り返し言った。
「逃げてねえ。ちょっと、かわしただけだ」
彼のその台詞に、ムカイは何かを理解したかのように腕を組み、頷いた。
「……なるほどの。少しおぬしのことが分かったような気がするのお」
でも分からんのお……とムカイは続け、またも。
「!おい!じいさん!」
長い前髪の奥で、ムカイの目がギラリと光る。その瞬間、数十メートルは離れていた二人の距離が、一気に縮められた。
ムカイの猛烈な連打が、彼を襲った。
「ぐっ……ぬ……」
一撃一撃が、自分の分厚いはずの筋肉の鎧を突き抜ける威力であることは、見ればすぐに分かった。彼はその全てを避けることを、余儀なくされた。
彼らのような強者の攻防は、よく将棋に例えられる。適度な攻撃と防御の配分を取らないと、一気に勝負が決まってしまうというとても奥の深い遊戯であるが、それは盤上の戦いではない現実の武闘においても、同じようなことが言える。
ある程度の達人の戦いになると、攻めているだけではだめだし、防御しているだけでもだめなのだ。今の彼にように、攻撃をかわし続けているだけではすぐにジリ貧になってしまう。いつかは詰まされてしまうだろう。
彼も、それは重々分かっていた。
だから彼は、不本意ながら、その一撃をムカイに放つしかなかった。
「!?ほほお!!」
彼のその一撃に、ムカイは顔色を変えた。
その正拳は、ムカイの右肩の辺りにえぐるように突き刺さった。そしてその突きの威力により、ムカイは大きく地面を擦るようにして、後退させられる。
硫黄の匂いに混じって、少し焦げ臭い匂いが周囲に漂う。ムカイの右肩からは、薄く煙のようなものも上がっていた。
彼の攻撃が、初めてムカイに当たった瞬間だった。
「……やっぱり、そうじゃの」
ムカイから発せられていた殺気は、そこでついと消えた。
「すまんの急に。ちょっと、どうしても確かめたかったからの」
ムカイはそう言って、近くにあったちょうどいい高さの岩に腰を下ろした。
何を確かめたかったと言うのか。ここまでする必要があったのか。
しかしとにかく、謝られると文句は言いづらかった。仕方なく彼は、自身もその場に座り、ムカイの次の言葉を待った。
「“逃げる”という言葉が、どうもおぬしには重いようじゃな」彼がしばらく息を整えていると、ムカイが口ひげを撫でながら言った。「まあどうしても通したい意地があるというのは、分かるんじゃがの。わしにもそういうものはある。じゃが、おぬしのは意味あるのかのお……」
やはりムカイは、達人の域にいる人間なのだった。一回の組手で、彼の持つ力がどの程度なのか、彼がどういう人間なのかを、しっかりと看破してきた。
「攻撃をかわすことは、確かに厳密には逃げることとは違う。しかしそれが分かっているのに、なぜおぬしは最初から今のような動きをしなかったんじゃろうか」
それもそのはず。会った当初はただの好々爺だと思っていたムカイだが、実はとんでもない人物なのだった。
今は暇をもらって大陸を気ままに旅しているが、普段は門下生が100人程いる道場の最高師範をやっている。組手を始める前に、彼はムカイから事もなげにそう打ち明けられていた。
そんな肩書を持つ男だから、さすがの彼も、ムカイのその意見を聞き流すことは出来なかった。
「避けられるのであれば、敵の攻撃は避けるもんじゃ。おぬしの戦闘スタイルには限界があるんじゃないかのお。今のわしの攻撃のように、見ればすぐに当たったらまずいものだと分かるものじゃったらいいが、当たってみないとそれが分からないようなものにあったらどうするつもりなんじゃ?当たった瞬間ゲームオーバーなんてこともあるかもしれんのに」
ムカイの言っていることは正論である。現に彼は、先の戦いで似たような場面に遭遇している。助かったのはただ単に、相手の攻撃に打開方法がたまたまあっただけ。運が良かっただけだ。
理屈では、彼も分かっている。だから彼は、ムカイのそれに少し詰まりながら屁理屈を返すしかなかった。
「……避けるってことは、逃げることに繋がるんぞ。心が負けることになりかねねえ」
「さっきそれは違うことだと自分で言うたばっかりじゃぞ?」
「ぬっ……」
「今のお主の動きは、よく練られたいーい動きじゃった。一朝一夕で出来たものではない。それを訳の分からない意地で封印するのは、ちょっともったいないんじゃないかのお」
まるであの人みたいなことを言う。
よくこんな風にして、教えを説かれたことがあった。彼はそれが少し懐かしくて、ムカイのその説教をなんとか我慢して聞いていた。
しかし、次にムカイからふいに出てきたその言葉には、どうしても堪えられなかった。
「何より、一介の賊ですら大きな力を持っていることもあるこの大陸では、いつ死んでもおかしくない。そんな言葉遊びのようなまねは、即刻やめるべきじゃ」
その瞬間、彼の全身の毛が逆立った。
自分が一人の男として、一人の武人として命を賭けて守ろうとしている誓約。それに対して、よりにもよって、“言葉遊び”とはどういうことか。自分にも守っているものがあると言うのだから、もう少し言葉を選ぶべきじゃないのか……?
二人の間に、再び緊張が走る。
ムカイは彼のその負の感情を感じ取ったのか、おもむろに立ち上がり、再び構えを取った。
彼もゆっくりと、全身に怒気を纏いながら、立ち上がった。
お互いに、自分の考えを曲げるつもりはないらしい。どうやらこの先は、拳を交えての語り合いとなりそうである。
と、そんな時だった。
「くまたそーーー!!」
突如クライアントの声が、天井の高いドーム状になっているその洞窟に、大きく響き渡った。その声に、二人はすぐに自身の構えを解いた。
彼女に何かあったのか。一瞬彼はそうして慌てたが、すぐにそれを思い直した。
その声に、焦りなどは感じられなかった。おそらく、雑用か何かで呼ばれただけだろう。
「くまたそーー!!どこーーー??」
場に似つかわしくない暢気な声色のそれに、二人は顔を見合わせる。
どちらともなく、鼻からふっと息を吐いた。すると、彼らの間にあった張り詰めた空気は、それを合図に次第に綻んでいった。
「……一時休戦、じゃな」
ムカイがそう言うと、彼もやれやれと首を撫でつつ言った。
「……そうだな」
彼の頭が急速に冷めていく。彼は頬を掻きつつ、さっきまでの自分を反省した。
ムカイは、自分に仇なす敵などではない。よかれと思って意見を言ってくれているのだ。そんな人間に対して肩をいからせて向かっていくのは、どう考えても間違っている。
誰にでもつっかかっていってしまうのは、もうやめよう。彼はそう思いつつ、幾分柔らかい声で、ムカイに言った。
「ちょっと、行ってくるわ。爺さんは一応ウォンの方頼む」
彼のそれに、ムカイは別段気にした様子も見せず、うむ、とだけ答えた。
後に大陸を大きく揺るがす二人。彼らの最初の手合わせは、そうして少々の禍根を残しつつ、終わりを告げたのだった。