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俺は、またあの顔で見上げられる前に、今度は即答してやった。別に断る理由なんかなかった。

「ああ。何かよくわかんねえけど、作ってみたいんだろ?別にいいぜ?」

こいつが何か、大きくはないが、決して小さくもない悩みを抱えているような気がして、俺は早速適当に毛糸を見繕ってやり、他に必要な道具も教えてやった。
あみぐるみが助けになるんなら、そこは俺の土俵だ。協力してやろうと思った。
直斗はそれに、心底嬉しそうな顔で答えた。

「よかった。本当にありがとうございます、巽君」

俺はその顔を見て、慌てて生返事をしながら視線を外し、こいつに背を向けた。

段々と、変化してきているのだった。前はもっと、気取ったように笑うことしかしなかったこいつが、最近は本当に嬉しい時には不意に素になったりして、周りに自然な笑顔を見せるようになったのだ。たぶん、皆であの事件を乗り越えたおかげで。

俺は、心臓の辺りを抑えながら、でも、と思うのだった。
それは、単純にいい事だと思う。でも俺は、そんな笑顔を向けられる度にどぎまぎしてしまって、まともにこいつの顔を見る事が出来なくなってしまう。このところ頻度も上がってきていて、突然襲ってくるそれに、俺はいつか心臓が潰されそうで怖かったりするのだった。

毛糸を抱えるふりをして、キリキリとするその胸の痛みを散らしていると、店内で流れているBGMが一巡していることに俺は気付いて、いい加減商品を持って会計に持って行った。こいつも、それに倣った。

「巽君」
会計の順番待ち中に、後ろで直斗が言った。
俺は、この心臓の高鳴りがバレたのかと思って一瞬ビビったが、すぐにそんなわけねえだろと思い直して、なるべく平静を保つようにして肩越しに言った。
「あん?何だ?」
「いつなら大丈夫ですか?空いてる日はありますか?」
特に違和感なく答えが返ってきたので、俺はとりあえず安心してそれに答えた。
「別に、いつでも空いてるぞ?」

学校が終われば帰ってあみぐるみ作ってるし、休みの日は先輩たちに呼ばれでもしない限り家であみぐるみ作ってるし。んで疲れたら昼寝して……

……ああ?
俺は、過日を振り返ってみて思ってしまった。
俺ってこれ……実はただの暇人なんじゃねえの……
こいつも、やっぱり俺の言葉に疑問を持ったようだった。

「え?いつでも、ですか?何か決まった用事があったりは……」
俺はそれに、半ばヤケクソ気味に答えた。
「ねぇよ!ねぇねぇ!何もねぇ!悪かったな暇人でよ!別にいいだろ!」
「えぇ!?僕はそんなつもりで言ったんじゃ……!」

気付きたくなかった事実に気付かされ、つい大きな声を出してしまうと、会計中のレジのおばちゃんがびっくりして体をびくつかせた。他で買い物をしていたやつらも、何だ何だとこっちに目を向ける。

またやっちまった、と俺は思った。
俺は周りに見えないように隠して、自分の手の甲を思い切りつねった。それからおばちゃんにちゃんと軽く謝ってから、後ろに向いた。

散々今日のこいつの事を分からないとか思っときながら、てめーで不安な顔にさせてりゃ世話ねえな。くそ。
いい加減こういう誤解されるような流れも卒業しねえと。何時まで経ってもこんなんじゃ、変わることなんかできねえだろ。俺。

「いや、わりい。冗談だから」俺は、思っている限りの柔らかい声色で直斗に言った。「あー……別に、お前が暇な時にいつでもうちきてくれていいからよ。そしたらすぐにでも教えてやるし」

うちにくれば、道具は全て揃っている。それに毛糸も豊富だから、急にプラン変更で色が必要な時とかにも対応できる。おまけにあみぐるみ関係の本もたくさんあるし、ビギナーにはいい環境だろう。
よかれと思ってそう言った俺だったが、しかし肝心なことが、頭から抜け落ちていた。

「え、巽君の家、ですか?」

なぜかいぶかしげに言う直斗に、俺はハッとなった。

「あ!あー……ちがくてだな……」

馬鹿か!俺の家はダメじゃねえか!なにさらっと変な事言い出してんだ俺は!
とっさにごまかすために言葉を濁して時間稼ぎをしようとしたが、しかし同時に俺は、そこで気付いてしまった。

良い代替案がないのだった。他の場所は、どうしたって人の目につくのだ。

学校はもちろんダメ。だからと言って、ジュネスのフードコートで俺が編み物なんかやってたら、絶対周りに変な目で見られるだろう。少しづつ、自分のこの趣 味を周りにカミングアウトしてきている所とは言え、まだまだそういう場所で大々的にやれるほどではない。そうするには、もう少し時間が欲しい所なのだ。

お互いの会計が終わってもそうして俺が何も言えないでいると、直斗の方が言った。

「あの……」

もじもじしながら、ちらちらと俺を見やる。
俺は、これ幸いとばかりに変な流れになってしまった場をごまかそうとした。

「な、何だ?どうした」

そう聞いたのに、直斗はまだ逡巡した。俺はまたしてもそれをいい事に、もしかしてトイレか?などとバカなことまで口に出してこの流れを断ち切ろうとした。
こいつのためにもその方がいい。そう考えてのことだったのに、俺が口を開く前に結構あっけなくこいつは先を言ってしまった。


「あの、行っていいんですか?巽君の家」


……………………は?
一瞬、思考が止まる。それから、壊れかけのテレビみたいに急にブツンと頭の回路が落ちてしまい、俺はしばらく呆気にとられて、その場に立ち尽くした。

「あの……巽君?」

しかし、勝手に切れたんなら、勝手に立ち上がるのが道理だ。俺は頭に再起動がかかるまで、じっと待った。
そして。

「はぇ!?」

意味を理解して、俺は驚きすぎて素っ頓狂な声を上げてしまった。
ななななな何言ってんだこいつ!意味分かってんのか!?

「ど、どうしたんです?大丈夫ですか?」
全然普通にそう言うもんだから、また俺はつい大きな声を出してしまった。
「だ、大丈夫な訳ねえだろ!!何言ってんだお前!」
「えぇ!?僕また何か変なこと言いましたか??」

当たり前だ!と返そうとしたが、またしても先に直斗が言った。

「いえ、だって!誰かの家にまともに呼ばれた事って僕初めてで!だからちょっと嬉しくて……っ!」

別に変なことなんか……と、ブツブツさらに続けようとした所で、こいつはハッとして顔を赤くした。

「な、何を言わすんですか!!行きますよ!もう!」
「あ!おい!」
ぷいっ、とそっぽを向いて、それきり。こいつは、足早にどこかへと歩き始めてしまった。

(え~……)

こいつが急にこんな風になる理由が分からなくて、俺はバレないようにため息をついた。
何なんだ、一体。別にそんな恥ずかしがるようなことか?
俺は思考が口から漏れないように注意しながら、とりあえず直斗について歩いた。
何だ。ダチの家に行ったことがない?っていうのがそんなに恥ずかしいのか?つかそもそも、センパイの家とかすげえ皆で行ってたじゃねえか。それは先輩枠だからダメとかなのか?

聞こうと思ったが、何度声をかけても無駄だった。もうこいつはこの話には答える気がないらしい。俺は仕方なく、ただ黙って後ろからついていくしか無かった。
いや俺、別に何もバカにしたりしてねえのに……つか俺だって似たようなもんなのによ……

油断すると、離されそうだった。俺は大股歩きで、直斗のすぐ後ろにぴたりと付いて歩いた。

そうして何も出来ずに、200メートルか、300メートルくらい行った頃だろうか。俺は何やら視線を感じることが多くなったので、怪訝に思いながら周りを伺った。
最初は、自分に向けられてる視線かと思った。俺が手芸屋の紙袋なんて持ってるから、それで目立ってしまっているのだと。
でも、違うのだった。

ずんずんという音が聞こえそうなほどしっかり地面を踏みしめながら歩いて行く直斗に、すれ違うやつらが振り返っていく。
「おい、あの子」
「おお」
「可愛いかったな」

俺がひと睨みしてやるとすぐ収まったが、キリがなかった。次から次へと野郎どもが直斗を見ては、そんなことを口々に述べていくのだった。
俺は少し呆れながら、前を行く直斗に目を落とした。
こいつ。さっきはあんなに恥ずかしいって言ってたのに、そんな歩き方じゃ目立っちまってしょうがねえじゃねえか……

ちょっと目を離した隙にまた変わって、今度はほとんど競歩みたいになっている。
さすがに変に思って、こいつに並んでみる。すると、分かった。

(あ……こいつ)

直斗は、まるで周りが見えていなかったのだった。俺が隣で顔を覗き込むようにしても、全然気付かないのがその証拠だ。よほどさっきのことが恥ずかしかったのか、こいつはまだ顔を真っ赤にしたままで、口を固く結んで真っ直ぐ前だけを見て歩いていた。

俺はそれを見て、心の中で思いっきり突っ込んでしまった。そこまでかよ!!

俺はもう、何だかこいつがすごい可哀想になってきたので、今日は本当に黙って過ごそうと思った。今日はあれだ。こいつの好きにさせよう。意見はせずに、調子を合わせる感じで。それが多分、一番いい。

直斗は行き先が決まっているのか、迷いなくどこかへ一直線に向かっていく。
駅の連絡通路を通って、エスカレーターを降りる。気付くとまた俺達は、最初の映画館前に戻ってきていたのだった。

こいつはそこでようやく、歩みを止めた。その場で深く深呼吸して、息を整えようとする。
俺も一息つこうと、ゆるく息を吐きながら地面に目を落とした。足元から伸びる影が、ここを出た時よりも幾分短く、濃くなっている。
時計は、ちょうどAM11時を知らせていた。未だ、映画館に人は集まっていない。
すごい長い時間こいつと話していたような気がするのに、実際に時計を見てみるとそれ程大した時間は経っていないのだった。一連のやり取りでかなりのエネル ギーを使ったからなのか、ひどく密度の濃い時間を過ごしたような気はする。もしかすると、そのせいなのかもしれなかった。

俺は、視線を直斗に戻した。
俺でさえ少し息が上がるくらいのペースだったから、こいつの歩幅じゃかなり疲れただろう。そう思って見てみると、案の定直斗は、胸を軽く抑えながら肩で息をしていた。

俺はこいつが落ち着くまでしばらく待って、それからなるべく何気なく声を掛けてみた。

「よ、よお。どこ行くんだよ次は」

しかし、そう言っても返事はなく、直斗は肩を上下させるだけだった。

「…………直斗?」

いや絶対聞こえてるだろ。
仕方なく肩に軽く手を置いてやると、こいつはなぜかそれに、過剰に反応した。

「ひぁ!?」

びくっ、と小さく飛び上がり、持っていた紙袋をその場に落とす。「ななななんです!?」

キッ、と勢い良く顔をこちらに向けて言うこいつに、俺もちょっとびっくりして思わず一歩後ずさってしまった。

「い、いや何っていうか。次どこ行くんだ?って聞いただけなんだけどよ」

そう言うと、またこいつはカーっと思い切り顔を赤くした。マジでもう、血圧おかしくなって倒れるんじゃないかってくらいに。

「すすすすみません。ちょっと考え事をしていたもので」


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さっきからずっとひょこひょこと歩きづらそうにしていたブーツのせいではなく、こいつは目に見えて歩みを遅くし、顔を曇らせた。
何か後ろめたいことでも隠しているような感じだったが、俺はその顔を見て、もうこれ以上何も聞かないことに決めた。肩で風を切って歩けとまでは言わないが、せっかくこんな格好をしているのに下を向きながら歩いてしまうのは、少し勿体無いような気がした。

「ま、別にいいけどよどうでも。ちっと気になっただけだしな」

そうやってわざわざ気がないように言ってやったというのに、こいつはまた、ばつが悪そうに目を伏せるばかりだった。

途中、何度も何かを言いかけてはやめるという動作をこいつは繰り返したが、結局最後まで何も言わず、その間に目的地の手芸屋にさっさと着いてしまった。
ジュネスよりは小さいが、最近できたばかりのショッピングセンターの一角に、その店はあった。

「よ、よーしここだ。着いたぜ」
何となく、気を使ってしまう。俺は相変わらず下を向くこいつの手を無理やり取って引っ張り、早く入れと促した。

「た、巽君!?なんですか!?」
「いいから早く入れ。いつまでもんな辛気くせー顔してんじゃねえよ。ここはクリエイティブな空間なんだ。もっといい顔して入れよ」

稲羽にも同じような所はもちろんあるが、こっちにしかないものも結構あったりするから、たまに時間がある時はこっちに来ることもある。

そういや、誰か人と来たのって初めてか。なんか変な感じだな。
俺は直斗の背中をぐいぐい押しながら、中へと入っていった。

「も、もう分かりました!分かったんで押さないでください!」
「あぁ?そうか?お、これだこれだ」
俺は入ってすぐのコーナーにあった一つの毛糸を取りながら言った。
「白と青と……あと黒か。あー……あと何か減ってた気がすんだよなー。なんだっけな」

布は腐るほどあったけど、今風のじゃねんだよなあ。そっちも見てくか。そういや目とかもそろそろ……
頭の中に在庫を思い浮かべていると、すぐ隣で直斗が言った。

「ああ、あみぐるみの材料ですか?」そこらから適当に毛糸を取り、眺めた。「巽君のはすごいですよね。前に菜々子ちゃんにあげていたものは、もう完全に売り物にしか見えませんでした」

幾分いつもの調子に戻ったようで、少し安心した。
直斗は毛糸を戻して俺に軽く笑いかけた後、なぜか俺の腰辺りに視線を落とした。

「それは?」
「あん?」

ポケットの辺りを指差される。

「それも巽君が作ったんですか?」

どうやら、ポケットから出ていたあみぐるみの携帯ストラップが目に入ったらしい。言われて俺はポケットに手を突っ込み、携帯を取った。

「ああ、これな」

俺はそのあみぐるみの表面を撫でさすった。失敗した部分が少し浮き出てしまっているのが、どうしても気になってしまう。

自慢じゃないが、俺はあみぐるみにはかなり自信がある。しかしそれでも、少なからず失敗はあるのだ。
俺はまず一つのデザインを思いついたら、まずそれをとにかく形にしてみるようにしている。それを何度か繰り返して、最終的に納得のいくものを作り出す。だから途中で出来るものは、やっぱり少し人に見せるのが恥ずかしいものも結構あったりする。今日付けているこれも、そういう“ちょっとしっぱいぐるみ”の一つだ。

でも毎回丹精込めて作っているものだから、捨てるのは少し忍びない。だから、自分で付けているのだ。
そう教えてやると、こいつは言った。

「これで失敗なんですか??巽君は自分に厳しいですね」
「いややっぱそこは妥協出来ねんだよ。特に人にやるやつとかは100%完全なものにしてえだろ?」

答えると、ふうむ、と口の辺りに手を当てながらちょっと見てみていいですかと言われ、俺は仕方なく携帯ごと渡してやった。

「いや、すごいですねこれ。ほんとに」

あんま見んなよ。恥ずいんだよ色々と。
言いたかったが、そのあまりの熱心さに俺は口をつぐむしかなかった。
たっぷり一分くらい黙ってあみぐるみを眺め回した後、こいつは言った。

「実は、前から頼みたいことがあったんですが、いいですか?」と、手の平であみぐるみを転がした。
俺は聞いた瞬間、ついに来た、と身構えた。
これから大変な無茶ぶり祭が始まるかもしれない。気を引き締めねえと。そう思ったのに、しかしこいつはなんともぬるいことを言い出すのだった。

「僕に教えてくれませんか。これの作り方」俺に携帯を返して、またそばにあった毛糸を何個か手に取る。「前からやってみたかったんですが、なかなか機会を持てなくて。巽君さえよければ少し教えて欲しいんですが……。ダメですか?」

キャスケットの奥から、すがるような目で見上げてくる。

だから、『教えろ』と言って当然の権利を行使してしまえばいいだけなのに、なんでそんな顔をする必要があるのか。
今日のこいつは、本当にマジで全然、分からない。

「別にだめじゃねえけど……」

そんなの、言ってくれりゃいつでも教えたのによ。こんな強権発動しなくても。

「でも何でまた。実は可愛いもの好きだったのか?早く言えよそういう事は」

そう言うと、こいつは軽くははっ、と少年ぽく笑った。

「いえ、確かに可愛いものは嫌いではないんですが、それよりも」ポシェットから何かをごそごそと取り出し、言った。「これ、何だか分かりますか?」

見せられたのは、小さな六角形のバッジのようなものだった。

「何だあ?これ」

促され、俺は直斗の手からそれをつまんで取り、見てみた。

「バッジ……だよな?」
「ええ」

どう見ても、ただの小さなバッジ。金属っぽい表面に何かのマークみたいなものが彫ってあり、裏には服に付けられるように針がある。本当に、どこにでもあるようなただのバッジだった。
そう言ってやると、こいつはまたごそごそとポシェットを漁り、もう一つ同じ物を出した。

「もちろんただのバッジじゃありません。側面にスイッチがあるのが分かりますか?」

言われて見てみると、確かにあった。よく見ると完全な正六角形ではなく、少し膨らんでいる所がある。厚さはほんの数ミリしかないバッジだったが、六辺の中の一辺が少しだけ浮いていて、スイッチのようになっているのだった。

「押してみてください」

言われるがまま、俺はそこを押した。
するとこいつは、持っていたもう一つのバッジを握って、口元に持っていった。

『あ、あー。巽君。応答願います』

急にこいつがそう喋ったかと思うと、自分の持っているバッジからも同じ声が聞こえ、びっくりして俺は目を見張ってしまった。

「なななななんだぁ!?どうなってんだこれ」

音の振動が伝わってきて、思わず持っていたバッジを落としそうになる。
そんな俺を見て、こいつはまた楽しそうに笑った。

「ああ、そこまで驚いてもらえると作者冥利に尽きますね」

よほど俺のリアクションが面白かったのか、こいつはそのままくくくっ、と笑いを収めることが出来ずにいた。
俺は少し悔しくて、どこかしらにケチでもつけてやろうとバッジを舐め回すように見たが、やっぱり見つからなかった。
自分から見ても分かるのだ。これはもう、ほとんど職人レベルに達したものの仕事だった。
つか無線ってなんだよ。こんなもん自分で作れるもんなのか?

「これお前が作ったのか?」にわかには信じられなくてそう俺が聞くと、
「ええ。巽君のとはかなり毛色は違いますが、一応僕の趣味みたいなものです」と、こいつは少しはにかんだ。

小さい頃、探偵に憧れているうちにいつの間にか作るようになったと言う。最初は簡単なものだけだったはずが、段々手の込んだものに手を付け始め、気付くとこのバッジのような本格的な探偵道具を自作するようになっていた、ということらしい。

俺は、改めて感嘆の声を漏らしてしまった。
なんだよ。すげえの持ってんじゃねえかこいつ。こんなすごい工作ができるのに、何でまたあみぐるみに興味を持ったんだ?これ極めればいいじゃねえか。
そんなような事を言ってやると、こいつは言った。

「ええ。好きな事なので、これからもこれはやり続けるとは思います。でもたまに、全く違うことをやってみたくなるんですよ。探偵なんてやってると、なおさら」バッジを握りしめて、目を瞑る。「人が残した軌跡を追ったり、洗ったり。結局僕がいつもやっていることは、元々あるものを“解釈”しているに過ぎないんです。積み木を組み立てることはあっても、積み木自体を作ることはない。そんな事ばかりやっていると、時折羨ましくなるんです。何かを0から生み出すような事をやっている人達が」

「お前も作ってるじゃねえか。こういうの」
少し寂しそうに言うこいつに、ついフォローをいれてしまう。
するとこいつは、困ったように眉を寄せて、無理に笑った。

「そうですね。でも違うんです。僕がやっていることは、そういうのとは少し性質が違うような気がするんです」手のひらに目を落とし、バッジを人差し指で転がす。「おかしいですよね。僕には、さっき巽君がちょっと言いましたが、クリエイティブな事をしているという感覚があまりないんです。実用性ばかり気にしてしまうのがいけないのかもしれませんが、やっていることは同じなはずですよね」

一体何が違うんでしょうね。そう続けて、こいつは顔を上げた。

「やってみれば理由が分かる気がするんです。なので、頼めませんか?あみぐるみ。作ってみたいんです」



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やっぱ来てねえよな、あいつ。
程よく冷えた壁が、興奮して火照った体を背中から冷やした。血が上り気味だった頭もいくらかクールダウンして、少しは冷静にものを考えられるレベルにまで回復した。

改めて、俺はぐるりと辺りを見回した。休日にしてはやっぱり人がまばらで、いつもより人通りも落ち着いているような気がした。
近くの立て看板に、今やっている映画の上映時刻が書いてあるのを見つける。つられて俺は、時計に目を落とした。

AM10:12。
俺は納得した。今は映画が始まったばかりの時間で、おそらくここで上映を待っていた連中がはけていったんだろう。また上映時刻が近くなれば、ここも人でごった返すということだ。なるほど。これをあいつは想定していたということなのかもしれない。

しかし同時に、俺は首を傾げる。当の本人がきていないのはどういうことだ?と。

約束の類を忘れたり、反故にしたりするやつでないことは明らかだった。そう長くはない付き合いだが、それくらいは俺にだって分かる。あいつはいつだって手帳を持ち歩いていて、事あるごとにそれを開いているのを見たし、たぶん仕事のせいもあって、かなり几帳面な方だと思う。

じゃあ一体、何でなんだ?
ヒントはそこかしこにあった。いつもの自分なら、もしかしたら答えを見つけることも出来たのかもしれない。

「…………ったですね」

隣の女が、急にぼそりと漏らした。
俺はけげんに思って、分からないようにちらっとだけそいつの方を見た。携帯で誰かと話し始めたのかと思った。

……ああ?
しかし、手には何も持っていないのだった。なのにかぶっている帽子の奥で、なおもそいつはぼそぼそとしゃべりはじめた。

「どうして遅れたんです?」

そいつの声を改めて聞いて、俺はビックリしすぎて思わず壁から背を離した。
……………………は?
俺の頭から必要以上の血が引けていった。もう壁にはもたれていないのに、体から熱という熱が逃げていく。背筋が凍るとは、まさにこの事だった。

「今日だけは!絶対に遅れないでくださいって言ったじゃないですか!!」

帽子を乱暴にはぎ取ってから、そいつは俺を思い切り睨みつけた。……ちょっと涙ぐみながら。
俺は、はっきりと見た今でも信じられなかった。でも注意深く見てみると、確かにそいつは俺のよく知ってるあいつに、色んな各パーツが似ているのだった。

「な……おと?」

俺は恐る恐る口に出したが、そうやって名前を呼んだ後でも、まだ半信半疑だった。先輩たちにだってきっと分からないと思う。普段の面影はほとんどないと言っていいくらいなのだ。

「……そうですよ。やっぱり変ですか?」

さっきの剣幕を恥ずかしく思ったのか、一転静かに、こいつは目を背けた。帽子を深くかぶり直すしぐさは、確かにいつものあいつのものだった。

今日のこいつ。直斗は、本当にいつもと全く違うイメージの格好をしていた。ジャケットにパンツスタイルしか知らない自分は、こいつがこういう格好をするという想像が全く出来なかったのだった。

俺は、目をそらされているのをいいことに、改めて上から下までこいつをまじまじと観察してみた。するとやっぱり、見れば見るほど信じられなくなった。

落ち着いた色のキャスケットをかぶっているのが、唯一直斗らしいといえばらしかったが、この……なんだ。ちょっとスカートっぽいショートパンツに、黒タイツか?それにブーツ。4月でまだ肌寒いからか、薄手のグレーのタートルネックセーターにジャケットを羽織っている。おまけに、ちっこいポシェットまで首から提げていやがったりする。

分かるか?これ分かるか?

……ぜってー分かんねーよ!

俺は喉元いっぱいで、何とかその言葉を押しとどめた。

「や、別に、変じゃ……ねぇよ?」

直斗は、俺のその言葉に心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。どうやら相当張り詰めていたみたいで、深く深く息を吐いていた。
俯くと、まぶたの下に睫毛の影が落ちた。ごく薄くではあるが、メイクもしているようだった。
メールを貰った時から今に至るまでずっと分からない。一体こいつは、何がしたいんだ?何で急にこんな……あ、こっち見んなバカ。そんなうるうるした目を俺に向けるんじゃねえ。

「そ、そうですか……。なら、いいんです」それでも恥ずかしそうに、こいつはまぶたを伏せた。「不安で仕方なかったんです。急にすみません。怒鳴ったりして」

謝らないといけないのはこっちなのに、俺は「お、おう」などと気の抜けた返事しか返すことが出来なかった。
情けねえ、と思った。こういう時、きっとセンパイなら上手いこと言えてしまうんだろう。完全には無理だということは分かっているが、ああいう風になりたいといつも思っているのに、未だに少しも自分を変えれている気がしない。
……マジで、成長しねえな。俺。
直斗は、まだ不安感が拭い切れないのか、いつもよりいくらか高いトーンで続けた。

「でも本当に恥ずかしかったんですよ?なぜか人にはじろじろ見られるし、さっきは男の人に急に声をかけられて、やり過ごすのが本当に大変だったんですから」

「わ、わりい!マジで!」俺は精一杯、謝罪の言葉を並べることしか出来なかった。「ちっと急な用事が入っちまって!ほんとにわりい!何でもすっから許してくれ!」

そりゃ、見られるわな。そんな完成度だったら。
俺の最大の失敗は、認識が甘過ぎたことだった。少しくらいなら大丈夫かもしれないと頭に少しでもあったから、あんな寄り道が出来たのだ。この様子を見ると、こいつを一人で待たせたのはやっぱりまずかったと今になって思う。

しかし俺も、まさかここまでとは思わなかったのだ。これはもう、一瞬たりとも男だと見紛うこと自体許してくれない、ほぼ完璧な…………
そう。言ってみれば、ほとんど変装と言っていい出来栄えだった。

いや、マジやべーだろこれ。正直りせなんかよりよっぽど……
しばらくその、一つの作品とも言える完成度に呆けていると、あの特徴的なハスキーボイスが不意に鼓膜を揺らした。

「何でも、ですか?」

俺はふるふると頭を振り、雑念を払ってから再び直斗と向かい合った。
そのつもりで言ったので別に問題はないが、直斗はしっかりと俺の終わりの言葉を拾った。狙ってなのか天然なのか、上目遣いで俺を見上げながら。

「お、おう。どんとこいや」

どうせ俺にはもう、それ以外の選択肢は無いのだ。あとは覚悟を決めて、流れに身を任せるだけだ。こいつはぜってー言わねえだろうけど、ふんどし一丁で町内一周くらいだったら、喜んでやってやるぜ。
俺はやる気満々でそう思っていた。一つや二つのムチャぶりくらい、この俺にはどうってことはない。もう色々恥ずかしい所も見られてしまっているし、取り繕っても今更というものだから。

しかしこいつが次に言った言葉は、そんな俺の考えをことごとく裏切るものだった。

「では巽君。君の……」と、一度小さくコホンと咳払いをしてから、直斗はゆっくりと言った。

「君の一日を、僕にください」

こいつはいつの間にか落ち着きを取り戻して、ちょっと低くて耳元をくすぐる、あの不思議な声でそう宣った。

気付くと、深くかぶった帽子の奥で光る目も、すでにいつものものだった。あのフードコートで何かの推理をしていた時のように、一種楽しげな光を帯びた、あの目だ。

それを見て、普段なら絶対に挙がらないはずの考えが、俺の頭に浮かんできていた。
……ああ?もしかして俺、嵌められたのか?まさか、さっきの涙も……
不器用なこいつにそんな事が出来るはずがない。でも考え始めたら、もしかしたら、という考えが拭えなくなっていった。

今日のこいつは、どう見ても普通に女なのだ。俺に自然に何かペナルティを与えるために、一芝居うったんじゃないか。あの事件を乗り越えた今、もう全てを克服して、普通の女がやりそうなことも、実は普通に出来てしまったりするんじゃないか。そう思った。

そしてこの頼み方も、よく考えるとかなりたちが悪いのだった。最悪一日中引き回されて、何かある度にこいつの言う事を聞いていかなければならないかもしれない。下手に何か一つのことをやらせてしまうよりも、これならより多くの事をさせられる。そういう頼み方だ。これは。

自分が考えるよりも遥かにこいつは上を行く。そんな事、とっくに分かっていたはずだったのに……
俺は悔しくて、すまし顔で返答を待つこいつに言ってやった。

「き、きたねえぞ……」

するとこいつは、今更わざとらしく目を見開いた。

「は?汚い?何がです?」

いいっつの。分かってんだ。分かってんだよ俺にはもう。
だが、仕方ねえ!男に二言はねえんだ。漢巽完二の生き様、お前にとくとみせてやろうじゃねえか!
俺はこいつに向かって、仁王立ちをかましてやった。

「何でもねえよ!わーった!この巽完二の一日、お前にくれてやるぜ!煮るなり焼くなり好きにしな!」

思い切りよく言い放つと、こいつは俺のその圧倒的な胆力に恐れを為したのか、急に周りを気にしてオロオロし始めた。

「た、巽君!声が大きいですよ……っ!」

それでも、俺は引かなかった。こういうのは先にイモ引いた方が負けなんだよ。

「さあ!まずは何だ!なんでも来むぐふぉっ!」

続けようとした所に、直斗の右手がバチンと俺の口元に突き刺さった。
身長が違いすぎるせいで距離感が掴めなかったのか、それとも単に感情をこめたらこうなったのか。分からなかったが、どちらにしろ結構なものをもらってしまった。全く容赦のない一撃だ。
くっそ油断した。……結構いてえ。

「もう!声が大きいって言ってるでしょう!何なんですか!?」
「むぐぁ……いやお前もだけどな……」

自分の最初の剣幕を忘れたのだろうか。
そんなに心配しなくても、ここはちょうど通りからは影になっているから特に目立つこともないだろうに。別に誰か見てきやがったら、ちょっとひと睨みしてやれば解決じゃねえか。何をそんなにびびってやがる。

こいつは俺が大人しくなったのを見てやっとその手を離したが、またいつでも抑えられるように、両手を準備したまま俺を見上げていた。
……つか、空気に触れるとヒリヒリしやがる。これ赤くなってるだろぜってー。

「何を勘違いしているのか分かりませんが、とにかく巽君の答えは、OKということでいいんですね?」

俺はもう、こいつの言う事にただ黙って頷いた。いくら俺が喧嘩慣れしてると言っても、平手に当たれば痛いものは痛い。角度的にも見切りにくいんだよ、こいつの攻撃。

俺の返答に、なぜかこいつはまたほっとしたような顔を見せていた。そっちの方が断然立場は強いんだから、堂々としていればいいものを。
今日のこいつは、やっぱりちょっとおかしい。コロコロ態度が変わりやがる。

「で、どうすんだよ。具体的に何すりゃいいんだ。やる事あんなら別に保留でもいいけどよ。つか今日って何するんだ?」

俺は改めて、こいつに聞いてみた。
元々送られてきていたメールにも、実際何をやるのかについては何も書いていなかったのだった。ただ10時きっかりにここに来てくれという事と、あとはちょっといつもと違う格好をしてみるのでよろしくという旨の事が書かれていただけだった。後者については事前にりせのやつがごちゃごちゃ言ってきていたので、こいつが女の格好をしてみるんだろうという事自体に察しはついていたのだが……。

しかしやっぱり、肝心の目的が分からない。
マジで、何なんだこれ?つかそもそも何で俺だけしか呼んでねえのこいつ。
言えない事でもあるのだろうか。直斗は、返答に困っているようだった。

「そ、それはその……」

まさか、こうまでしてノープランって訳じゃねえだろ。

「決めてねえのか?何も」
「い、いえ!そういう訳では」
「じゃあ、早く行こうぜ。ずっとここにいるのも変だしよ」

チケット売り場のスタッフが、さっきからずっとそわそわこっちを見ていた。客かもしれない人間が何もせずにその場にい続けたら、気になって落ち着かないだろう。
そう言うと、やっとこいつは切り出した。

「巽君は」
「あん?」
「巽君は何か用事はないんですか?せっかく沖奈にまで来たんですから」
「いや俺は別に」
「僕の方はそう急ぎでもないので、もしあればそちらから行きましょう」

理由は分からないが、どうやら目的については話す気はないらしい。まあ、そんなに言いたくねえなら聞かねえでおいてやるか。そのうち分かんだろ。
そう言えば直斗に言われて思い出したが、昨日また何個か力作を生み出してしまったせいで、もう編み物の材料がそこをつきそうになっていたのだった。急がないなら、ちょっとあそこに寄らせてもらうか。

「あー……、ちっと、手芸屋に行きてえかも」
未だに小さい声になってしまうが、こいつは特に気にならなかったようだった。
「ああ!ではまず、そこに行きましょう。どの辺りですか」
「駅の向こう側なんだよな。ちと歩くな」

そう言うと、構いませんよ、と直斗はいつものように目を瞑り、早速前を歩き出した。
こういう風にいつもの感じで受け答えすると直斗なんだけどな。と、前を歩く直斗に何となく目を落として、俺はドキリとした。
小さい背中に、異常に薄い肩。後ろから見ると、もうこいつが本当に女にしか見えなかったのだ。
普段はパットが入っているような制服とかジャケットを着ているせいで、どうにも俺から見ると違いが目立ってしまう。これでもしハイネックじゃなくて普通のシャツなんか着ていたとしたら、ますます細い首と相まって女っぽさに拍車がかかってしまう所だろうと思う。

「つか今日って、何で俺だけなんだ?他のやつは?」

俺は、釘付けになってしまった目を何とかそらしてこいつに並び、思い切ってもう一つの疑問をぶつけてみた。
するとこいつは、それには特に躊躇もせずすぐに答えた。

「先輩方は、皆用事があるようでした。天城先輩はご実家の手伝いで、里中先輩と花村先輩は、学年末にやった実力テストがちょっとダメだったみたいで、補習を受けているようですね。クマ君は、花村先輩がいない代わりにジュネスでお仕事を頑張るみたいで」
まるであらかじめ用意していた回答を読み上げるかのように、すらすらと言った。

「……りせは?」俺がなるべく怪訝な色を込めないように続けて聞くと、
「久慈川さんは、今稲羽にいないんです。なので必然的にこうなってしまって。すみません、やっぱり皆いた方が良かったですよね」と、直斗は視線を落とした。

「いや、別にそういう事言ってるんじゃねえけど」

まあ、ちょっと変な状況だなとは思ってるけどよ。でもそれよりよ。
迷い足になったこいつを見て、俺は少し前に出てやった。

「お前はいいのかって事だよ。別に俺しか空いてなかったんなら、無理して今日じゃなくても良かったんじゃねえの」

更に俺がそう突っ込んでやると、やっぱりこいつの歯切れは悪くなった。

「それは……」



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くそ!急にあいつが変なこと言い出すから準備に手間取っちまったじゃねえか!

「ちょっと出てくるからよ」

おふくろになるべく平静を装って、いつものトーンで、いつもの顔で俺は言った。

「なあにあんた。やけに嬉しそうじゃない。デート?」
「ちちちちちげえよ!なんだよデートって藪から棒に!おかしいだろうが!」
「違うの?だってその革ジャン、ちょっといいやつでしょう?」
「たまには着てやんねえと埃かぶっちまうだろうが!……ったく。じゃあ行ってくるからな!」

俺はおふくろの二の句を待たずに、家を飛び出した。それから店のすぐ外に置いてある原付バイクに、急いでまたがった。海の一件でいい加減懲りて、速攻で免許を取ってやったのだ。これでもうあんなキツイ目にあったりはしない、はずだ。

しかし、まったく何なんだあのばばあ。どんだけ俺のことが読めるんだよ。今度一回問い質さないとダメだ。俺ってそんなに顔に出てるのか?んなこたねえだろ……

「ん?げえっ!」

くだらない自問自答をしながらふと時計を見て、俺は凍りついた。約束の時間まであと何分もない。これじゃ制限速度ギリギリで飛ばしても、時間通りに着くか五分五分だ。

「だーくっそ!!」

俺はメットを大急ぎでかぶり、バイクのエンジンをつけた。風よけに、クマ公からもらったグラサンをかけた。

「っしゃあああああああああああ!!」

なけなしの金で買った愛車が火を噴くぜ!俺は前後左右をきちんと確認し、フルスロットルの半分くらいで発車した。
この上さらに道交法違反でパクられたら遅刻どころじゃねえからな。それだけはぜってえ避けてえ。
約束の沖奈市までは少し大きい道路も通るし、安全運転でいかないと捕まりやすいのだ。そろそろと、俺は公道を走りだした。

しかしあんまりとろとろやってる暇も、自分にはない。少し飛ばしてやろうと、俺は大きい道路に出ようとした。

「ん?」

だがまたも、俺の歩みを止めるバカどもが目に入った。
工事中だあ??は!天下の巽完二様を舐めるんじゃねえよ!
この辺は族の奴らとやりあった時に、熟知していた。そんじょそこらの稲羽の人間とは土地勘がちげえんだよ土地勘が。

俺は交通整理で止められる前に、すぐ手前の路地に入っていった。ここなら、工事が終わっているその先の道路に出て、なおかつ近道のはずだ。ぬかりはねえ。

ぬかりはねえ。はずだった。

「ああん?ありゃー……」

路地に入って少し行った所で、俺は妙な光景を目にした。
ガキが、一人。それに、私服の……大学生くらいの男たちが、ガキを囲んでいた。

「何やってんだありゃ」

ガキの不安そうな顔を見ると、兄弟や知り合いというわけじゃなさそうだ。男たちも、ガキに詰め寄って穏やかじゃなさそうな空気だった。

「んぐぐぐぐぐ……っ」

捨て置け、捨て置け、と心の中で念仏のように唱えた。俺には、約束があるのだ。たぶんあいつ自身も勇気を出しての今日のはずなのだ。それを無下にすることは、俺には出来ない。あいつの勇気を、俺は買ってやりたい。それに、いつもと違うはずの格好のあいつを待たすのは、まずい気もする。いや、ものすごいまずい気がする。

「ぐぐぐぐぐぐ……ぐうううううう……だあああああああああああああああああああ!」

俺は気付くと、バイクを止めていた。
ああ、くそ!止まっちまったんならしょうがねえ!

「おいテメーら!何やってんだ」

ズカズカと俺は男どもに寄っていった。今日の俺はいつもの数倍優しくねえぞ。これでくだらねえ事だったら、絶対許さねえからな。
俺の声に振り返ったリーダー格っぽい男は、俺を見ても怯まずに睨み返してきた。

「ああ?誰だテメーは」

そいつ自体はここらで見たことが無いやつだったが、取り巻きの奴らにはちらほらと見覚えのある顔がいた。狭い町だから、誰だろうと何となく見たことがあるかないかぐらい分かる。

「別に誰でもいいだろーが。何やってんだって聞いてんだよこっちは」
「かんけーねーだろテメーには!」
「あ?」
「何なんだよテメーこそ」

メンチをきりあってる間に、ふとガキが目に入った。そいつは震えた手で、涙ぐみながらサッカーボールを抱えていた。
目の前でいきり立ってるこいつは、この調子だとどうせ喋らねえだろう。このままじゃ埒があかねえし、なんとかこっちのガキに何があったか聞いてみるしかない。

「おいお前。何があった。何にもしねえから、とりあえず俺に言ってみろ」
「なに無視してんだよてめえコラ」

リーダー格の男をおしのけ、俺は震えているそいつになるべく優しく聞いた。

「オラ、言ってみろ。何があった」
「てめ……っ」

ったく。こういうやつはやることがほとんど一緒だな。なんかそういう指南書とか定型文みたいなもんでもあるのか?
俺は飛んできた拳を軽く受け止め、少し強く握ってやった。

「い゛い!?」
「なあ。おい。ほら、言ってみろ」

最初はおろおろとしているだけのガキだったが、辛抱強く待ってやると、少しづつ事の次第を話しだした。
どうも、ここで壁相手にサッカーの練習をしていたら、あさっての方向にボールが飛んでいってしまい、ここのいるリーダー格の男の顔に当たってしまった、ということらしい。

「んだそりゃ」

俺は盛大に、ため息をついてみせた。
やっぱりくだらねえじゃねえか!ガキの蹴ったボールがちょっと顔に当たったくらいで、大の大人がこんなちいせえガキ囲みやがって。大して傷も付いてねえじゃねえか。

どうしようもねえ野郎だぜ……ガキいじめて何が楽しいんだよ。マジでバカ軍団だろ。正直。

「よおく分かったぜ。てめえらがクソだって事がな」

固く拳を握ろうとすると、リーダー格の男が叫んだ。

「いぃってえええぇええええええええええ!!!!」
「あ」

相手の拳を握りこんでいたのを忘れていた。かなり強く握ってしまったようだ。

「あーわりい忘れてたわ」

パッと手を離してやる。すると、黙って見ているだけだったその他の連中が、にわかに慌てだした。

「こ、こいつ……まさか……」
「この三白眼見たことあるぞ俺……」

ああん?誰が三白眼だ。

「まさか……この辺の族全部シメたっていうあの……巽完二!?」

この反応は、少し新鮮だった。テレビで放送されてしまってから、俺はもう町のどこにいっても名前を覚えられていたから。俺のことを少しでも知っている人は、大体困った笑い顔を俺に向けて声をかけてくれたりもするが、俺の顔と声ぐらいしか知らないやつは、俺の顔を見るなり目をそらすか、隣のやつとヒソヒソ話しながら陰気な顔を向けてきやがったりする。こいつらはそれと比べると少し違う、というか変な反応だった。

なんでだ?と考えて、俺はすぐに思い当たった。

「あー。もしかして、これか?」

俺はかぶったままだったヘルメットを外してみせてやった。すると、

「う、わーーーーーーーー!!この今時趣味の悪いオールバック金髪!!!絶対そうだ!」
「やべーーー!!おい俊!!行くぞ!」
「お、おいなんだよ急に」

慌てすぎなのかあまりの恐怖なのかは分からなかったが、何人かが臆面もなく俺のことを指差して、口々にクソ失礼なことを言ってのけた。
やっぱり俺の考えは当たっていた。どうやら俺を知らないやつに記号化された自分は、三白眼とオールバックの金髪がセットでやっと実体化するらしい。俊と呼ばれたリーダー格の男が、俺の正体を知って慌てふためく仲間達に引っ張られていく。

「くそ!なんだってんだお前ら!」
「いいから来い。もういいだろ」

留まろうとするそいつを、仲間が無理やり引きずっていく。もしかしたらこいつは元々稲羽の人間ではないのかもしれない。自慢じゃないが、自分の顔はここじゃもう知らないやつはいないくらいなのだ。知った上でこうも突っかかってくるやつは、今までいなかった。

何となく不完全燃焼に終わってしまった拳を、俺はゆっくりと開いた。
まぁ、帰ってくれんならそれが一番早くていいけどよ……
かなり時間を使ってしまった。そう思って確認しようと時計に目を落とす瞬間、しかし俺は、見逃さなかった。

(あの野郎……)

ただ引きずられているだけだった俊とかいうリーダー格の男。あいつが、去り際に一瞥くれやがった。こういう目をして俺を見てきたやつが、いろんな意味で厄介だったのを俺は覚えている。

(くそ。めんどくせえな)

俺は、未だに震えながら見上げてくるそいつに目を落とした。

「おいぼうず」

びくっと肩を震わせるそいつを見て、俺はしまったと思った。
苛ついてる声色で話しかけたら、端から見てあいつらとやってることが一緒じゃねえか……

「ビビんなって。なんもしねえよ俺は」

努めて優しく言ってやると、そいつはおずおずとしながらも返事を返してきた。

「本当?」
「あー本当だ。俺はあいつらの仲間でも何でもねえからな。それよりよ、まさかとはおもうんだが……」

首が痛くなってきて、俺はその場にしゃがみこんだ。

「お前、携帯持ってるか?」

乗りかかった舟だ。最後まで面倒見てやるのが大人ってもんだろう。
あの手の人間は、たぶん粘着してくる。自分も昔、かなりしつこく追い回されたりしたから分かるのだ。

「?持ってるよ?ほら」
「やっぱ持ってんのか。マジ世知がれえ世の中だな」

俺がこんくらいのガキん時なんか、そんなの必要なかったのにな。どうせGPSも付いているんだろう。今はこんなのがないと、きっと気軽に外で遊べもしねえんだ。
……まあ、ちょっと前にあんな事件がありゃあ仕方ねえのかもしんねえけど。

「よし。番号の登録の仕方分かるか?」
「分かるよ」
「じゃあ俺の番号送るから登録しとけ。んで、もしまたさっきみたいな風になりそうになったらすぐ俺に電話しろ。いいな?」
「でも……」
「気にすんな。ガキは遠慮せずに、大人に施しを受けときゃいいんだよ」
「でも…お母さんが……」

なおも渋り続けるそいつ。じれってえな。なんだってんだ。

「お母さんが、知らないおじさんの言う事は聞いちゃダメだって」
「誰がおじさんだ!!泣かすぞコラぁ!!!!!」

急に出たその言葉に、ほとんど脊髄反射みたいな早さで俺が叫んでしまうと、そいつは俺の急な大声でびっくりしたのか、ひっ、と肩をすくめて涙ぐんでしまった。
ああああもうめんどくせえな。これだからガキは扱いに困る。

「あー……わりい。今のはあれだ。ただのツッコミだから泣くな……あー!てめえ!鼻水を手で取ろうとするんじゃねえ!」

俺はポケットからティッシュを取り出し、そいつの鼻を拭ってやった。きったねえなマジで。どういう教育されてんだよ……
涙もハンカチで拭ってやると、そいつはまだ少しぐずつきはしたが、なんとか泣き止んでくれた。

「番号なんていつでも消せるんだからよ。家に帰って母親にでも見せて、俺の名前見て気に入らねえようなら消してもらえ。それなら問題ねえだろう」

そこまで言って、そいつはようやく首を縦に振った。今時にしては少し野暮ったいデザインの携帯を取り出すと、そいつはそれを俺の携帯にかざし、赤外線で番号を送信してきた。

続いてすぐに俺も送信しようとしたが、俺はある一点が気になって、簡単なはずの操作を何度も間違える羽目になった。

「おい」俺は我慢できずに言った。「お前、ストラップとか付けねえのか?随分味気ねえじゃねえか」

そいつの携帯は野暮ったい上に全く飾り気がなくて、俺にはまるで、時代についていけていないどっかのじじいの携帯のように見えて仕方なかった。どうも最近、こういうのが気になってしまう。
そいつは、その俺の言葉に下を向いて答えた。

「うん。友達は色んなストラップとか付けてるんだけど、僕んち貧乏だから」言いながら、ボールに付いた汚れを手で拭う。「このボールもやっと買ってもらえて、それで嬉しくて僕、公園に着く前に蹴って遊びながら来てたんだ。そしたらあの人達が……」

……そういう事かよ。

事の全貌が分かって、俺はようやく溜飲が下がる思いだった。
まぁ、こいつもいくらか悪いかもしんねえけど、でもあの程度でいちいちキレられちゃかなわねえよな。こいつは嬉しくてしょうがない気持ちを抑えられなかっただけ。そういうのって、子供の時はすげえ一杯あるもんな。

俺は鼻から大きく一度息を吐いてから、またポケットをまさぐった。

「……手ぇだせ」
「え?」
「手ぇだせってほら」俺はぐいっとそいつの手を引っ張って、それを握らせた。「それやるから付けろ。春の新作だ。ありがたく思えよ」

昨日作ったばかりの人形が、手元にあった。本当は、同じように味気ない携帯を持つあいつにやろうと思って持ってきたものだが、この際仕方がない。こいつにやることにする。

「うわー……おじちゃん何これ。雪だるまのお化け?すごい可愛いね。くれるの?」
「おじちゃんはやめろ!……ああ。やるよ。お前運いいなあ」

やったー!とか言いながらそいつは嬉しそうにそれを携帯につけようとするが、不器用なのか、うまく付けられずにいた。
こんくらいのガキにゃ、ちょっとむじいか。

「……ったく何やってんだ。貸してみろ」

俺はそれを付けてやりながら、ちょうどいいのでまた念を押してやった。

「おい。この人形の黒いとこ見えるか?『巽屋』ってタグついてるだろ?もし今日のことを親に話して、んで俺の番号とか見て嫌そうな顔したり、文句がありそうだったりしたらここに来いって親に言え。俺は大体いつもここにいるからよ」

そう言うと、そいつはコクリと頷いた。

本当に分かってるのかは疑問だったが、このストラップを見せればあとは親が勝手に推し量ってくれるだろうし、特に問題はないだろう。
とにかくこれでやっと、少し肩の荷が下りた。ゆるゆると俺は立ち上がり、言ってやった。

「さって。じゃあ俺は行くからよ。なんかあったらすぐ電話しろよ。いいな?」

うんうん頷くそいつの頭をぐしゃぐしゃと撫ででやってから、俺は早々にバイクの置いてあるところへ戻った。

分かっていたことだが、時計はすでに約束の時刻を指してしまっている。かなり長居をしてしまったツケだった。
もうとっくに確定していた。飛ばしていったとしても到底遅刻を免れる事は出来ない。それこそワープでも使わない限り。

……マジやべえよ。やべえとかいうレベルじゃねえよこれ。
長々とため息をつきながら、俺はバイクに跨った。半ばヤケになりかける気持ちを押し殺して、なんとかスロットルに手をかける。

言い訳なんてしたくねえしな……黙ってボディーブローとかですまねえかな……
そんな相手のキャラに合わない結末を考えながら発車しようとすると、後ろで声が響いた。

「おじちゃんありがとー!これ、絶対大事にするからー!」

ミラーに、両手で大きく手を振りながら叫んでいるあいつの姿が映った。俺は少し迷ったが、振り返ることはせずに、自分が見てなくても手を振り続けるそいつにぐっ、と見えるように親指を立ててやった。

バカだな俺も。原付なんかじゃ、全然サマにならねえってのに。
出発してあいつが見えなくなる頃には、不思議と絶望的な気分が少し和らいでいた。まあ、なんだ。しゃあねえよな。最悪土下座でもなんでもしてやるっつの。

腹を決めてしばらくすると、おかしなゾーンにでも入ったのか、そうやって何だか楽しい気分にまでなれた。しかしやっぱりと言うべきか、目的地の沖奈市が近づくにつれ、その気持ちは段々となりを潜めていった。

あいつの顔を想像すると、こめかみの辺りがひくひくした。眉間に皺を寄せすぎたのか、顔の筋肉も疲れて痙攣してしまっている。終いには、腹の奥がどんよりと重くなってキリキリと痛み出した。

……やっぱ全然だめじゃねーか!くそ!
俺は早くしないとやばい事になるという一心でバイクを駆った。そのおかげか、何とか少し時間を過ぎたくらいで沖奈市に着くことが出来た。大急ぎで俺はバイクを駅前に停め、もうすでに待っているはずのあいつを探した。

(あーあーあーあーやべえよどこだよまじで)

確かメールによると、あいつは映画館の前辺りにいるはずだった。しかし実際には、そこにはちらほら人がいるくらいで、それっぽいやつが来ている様子はなかった。

なんだよ。あいつも遅刻かよ。急いできて損したぜ。

「ちょっくらごめんよ。邪魔するぜ」

さっきの件もあって、俺はたぶん少し浮き足立っていた。一度自分を落ち着けようと、俺は怖がられないよう近くにいた女に一応声をかけてから、そいつと同じように映画館前のUFOキャッチャーの近くの壁にもたれかかった。


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