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(くまたそブログ)
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やっぱ来てねえよな、あいつ。
程よく冷えた壁が、興奮して火照った体を背中から冷やした。血が上り気味だった頭もいくらかクールダウンして、少しは冷静にものを考えられるレベルにまで回復した。

改めて、俺はぐるりと辺りを見回した。休日にしてはやっぱり人がまばらで、いつもより人通りも落ち着いているような気がした。
近くの立て看板に、今やっている映画の上映時刻が書いてあるのを見つける。つられて俺は、時計に目を落とした。

AM10:12。
俺は納得した。今は映画が始まったばかりの時間で、おそらくここで上映を待っていた連中がはけていったんだろう。また上映時刻が近くなれば、ここも人でごった返すということだ。なるほど。これをあいつは想定していたということなのかもしれない。

しかし同時に、俺は首を傾げる。当の本人がきていないのはどういうことだ?と。

約束の類を忘れたり、反故にしたりするやつでないことは明らかだった。そう長くはない付き合いだが、それくらいは俺にだって分かる。あいつはいつだって手帳を持ち歩いていて、事あるごとにそれを開いているのを見たし、たぶん仕事のせいもあって、かなり几帳面な方だと思う。

じゃあ一体、何でなんだ?
ヒントはそこかしこにあった。いつもの自分なら、もしかしたら答えを見つけることも出来たのかもしれない。

「…………ったですね」

隣の女が、急にぼそりと漏らした。
俺はけげんに思って、分からないようにちらっとだけそいつの方を見た。携帯で誰かと話し始めたのかと思った。

……ああ?
しかし、手には何も持っていないのだった。なのにかぶっている帽子の奥で、なおもそいつはぼそぼそとしゃべりはじめた。

「どうして遅れたんです?」

そいつの声を改めて聞いて、俺はビックリしすぎて思わず壁から背を離した。
……………………は?
俺の頭から必要以上の血が引けていった。もう壁にはもたれていないのに、体から熱という熱が逃げていく。背筋が凍るとは、まさにこの事だった。

「今日だけは!絶対に遅れないでくださいって言ったじゃないですか!!」

帽子を乱暴にはぎ取ってから、そいつは俺を思い切り睨みつけた。……ちょっと涙ぐみながら。
俺は、はっきりと見た今でも信じられなかった。でも注意深く見てみると、確かにそいつは俺のよく知ってるあいつに、色んな各パーツが似ているのだった。

「な……おと?」

俺は恐る恐る口に出したが、そうやって名前を呼んだ後でも、まだ半信半疑だった。先輩たちにだってきっと分からないと思う。普段の面影はほとんどないと言っていいくらいなのだ。

「……そうですよ。やっぱり変ですか?」

さっきの剣幕を恥ずかしく思ったのか、一転静かに、こいつは目を背けた。帽子を深くかぶり直すしぐさは、確かにいつものあいつのものだった。

今日のこいつ。直斗は、本当にいつもと全く違うイメージの格好をしていた。ジャケットにパンツスタイルしか知らない自分は、こいつがこういう格好をするという想像が全く出来なかったのだった。

俺は、目をそらされているのをいいことに、改めて上から下までこいつをまじまじと観察してみた。するとやっぱり、見れば見るほど信じられなくなった。

落ち着いた色のキャスケットをかぶっているのが、唯一直斗らしいといえばらしかったが、この……なんだ。ちょっとスカートっぽいショートパンツに、黒タイツか?それにブーツ。4月でまだ肌寒いからか、薄手のグレーのタートルネックセーターにジャケットを羽織っている。おまけに、ちっこいポシェットまで首から提げていやがったりする。

分かるか?これ分かるか?

……ぜってー分かんねーよ!

俺は喉元いっぱいで、何とかその言葉を押しとどめた。

「や、別に、変じゃ……ねぇよ?」

直斗は、俺のその言葉に心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。どうやら相当張り詰めていたみたいで、深く深く息を吐いていた。
俯くと、まぶたの下に睫毛の影が落ちた。ごく薄くではあるが、メイクもしているようだった。
メールを貰った時から今に至るまでずっと分からない。一体こいつは、何がしたいんだ?何で急にこんな……あ、こっち見んなバカ。そんなうるうるした目を俺に向けるんじゃねえ。

「そ、そうですか……。なら、いいんです」それでも恥ずかしそうに、こいつはまぶたを伏せた。「不安で仕方なかったんです。急にすみません。怒鳴ったりして」

謝らないといけないのはこっちなのに、俺は「お、おう」などと気の抜けた返事しか返すことが出来なかった。
情けねえ、と思った。こういう時、きっとセンパイなら上手いこと言えてしまうんだろう。完全には無理だということは分かっているが、ああいう風になりたいといつも思っているのに、未だに少しも自分を変えれている気がしない。
……マジで、成長しねえな。俺。
直斗は、まだ不安感が拭い切れないのか、いつもよりいくらか高いトーンで続けた。

「でも本当に恥ずかしかったんですよ?なぜか人にはじろじろ見られるし、さっきは男の人に急に声をかけられて、やり過ごすのが本当に大変だったんですから」

「わ、わりい!マジで!」俺は精一杯、謝罪の言葉を並べることしか出来なかった。「ちっと急な用事が入っちまって!ほんとにわりい!何でもすっから許してくれ!」

そりゃ、見られるわな。そんな完成度だったら。
俺の最大の失敗は、認識が甘過ぎたことだった。少しくらいなら大丈夫かもしれないと頭に少しでもあったから、あんな寄り道が出来たのだ。この様子を見ると、こいつを一人で待たせたのはやっぱりまずかったと今になって思う。

しかし俺も、まさかここまでとは思わなかったのだ。これはもう、一瞬たりとも男だと見紛うこと自体許してくれない、ほぼ完璧な…………
そう。言ってみれば、ほとんど変装と言っていい出来栄えだった。

いや、マジやべーだろこれ。正直りせなんかよりよっぽど……
しばらくその、一つの作品とも言える完成度に呆けていると、あの特徴的なハスキーボイスが不意に鼓膜を揺らした。

「何でも、ですか?」

俺はふるふると頭を振り、雑念を払ってから再び直斗と向かい合った。
そのつもりで言ったので別に問題はないが、直斗はしっかりと俺の終わりの言葉を拾った。狙ってなのか天然なのか、上目遣いで俺を見上げながら。

「お、おう。どんとこいや」

どうせ俺にはもう、それ以外の選択肢は無いのだ。あとは覚悟を決めて、流れに身を任せるだけだ。こいつはぜってー言わねえだろうけど、ふんどし一丁で町内一周くらいだったら、喜んでやってやるぜ。
俺はやる気満々でそう思っていた。一つや二つのムチャぶりくらい、この俺にはどうってことはない。もう色々恥ずかしい所も見られてしまっているし、取り繕っても今更というものだから。

しかしこいつが次に言った言葉は、そんな俺の考えをことごとく裏切るものだった。

「では巽君。君の……」と、一度小さくコホンと咳払いをしてから、直斗はゆっくりと言った。

「君の一日を、僕にください」

こいつはいつの間にか落ち着きを取り戻して、ちょっと低くて耳元をくすぐる、あの不思議な声でそう宣った。

気付くと、深くかぶった帽子の奥で光る目も、すでにいつものものだった。あのフードコートで何かの推理をしていた時のように、一種楽しげな光を帯びた、あの目だ。

それを見て、普段なら絶対に挙がらないはずの考えが、俺の頭に浮かんできていた。
……ああ?もしかして俺、嵌められたのか?まさか、さっきの涙も……
不器用なこいつにそんな事が出来るはずがない。でも考え始めたら、もしかしたら、という考えが拭えなくなっていった。

今日のこいつは、どう見ても普通に女なのだ。俺に自然に何かペナルティを与えるために、一芝居うったんじゃないか。あの事件を乗り越えた今、もう全てを克服して、普通の女がやりそうなことも、実は普通に出来てしまったりするんじゃないか。そう思った。

そしてこの頼み方も、よく考えるとかなりたちが悪いのだった。最悪一日中引き回されて、何かある度にこいつの言う事を聞いていかなければならないかもしれない。下手に何か一つのことをやらせてしまうよりも、これならより多くの事をさせられる。そういう頼み方だ。これは。

自分が考えるよりも遥かにこいつは上を行く。そんな事、とっくに分かっていたはずだったのに……
俺は悔しくて、すまし顔で返答を待つこいつに言ってやった。

「き、きたねえぞ……」

するとこいつは、今更わざとらしく目を見開いた。

「は?汚い?何がです?」

いいっつの。分かってんだ。分かってんだよ俺にはもう。
だが、仕方ねえ!男に二言はねえんだ。漢巽完二の生き様、お前にとくとみせてやろうじゃねえか!
俺はこいつに向かって、仁王立ちをかましてやった。

「何でもねえよ!わーった!この巽完二の一日、お前にくれてやるぜ!煮るなり焼くなり好きにしな!」

思い切りよく言い放つと、こいつは俺のその圧倒的な胆力に恐れを為したのか、急に周りを気にしてオロオロし始めた。

「た、巽君!声が大きいですよ……っ!」

それでも、俺は引かなかった。こういうのは先にイモ引いた方が負けなんだよ。

「さあ!まずは何だ!なんでも来むぐふぉっ!」

続けようとした所に、直斗の右手がバチンと俺の口元に突き刺さった。
身長が違いすぎるせいで距離感が掴めなかったのか、それとも単に感情をこめたらこうなったのか。分からなかったが、どちらにしろ結構なものをもらってしまった。全く容赦のない一撃だ。
くっそ油断した。……結構いてえ。

「もう!声が大きいって言ってるでしょう!何なんですか!?」
「むぐぁ……いやお前もだけどな……」

自分の最初の剣幕を忘れたのだろうか。
そんなに心配しなくても、ここはちょうど通りからは影になっているから特に目立つこともないだろうに。別に誰か見てきやがったら、ちょっとひと睨みしてやれば解決じゃねえか。何をそんなにびびってやがる。

こいつは俺が大人しくなったのを見てやっとその手を離したが、またいつでも抑えられるように、両手を準備したまま俺を見上げていた。
……つか、空気に触れるとヒリヒリしやがる。これ赤くなってるだろぜってー。

「何を勘違いしているのか分かりませんが、とにかく巽君の答えは、OKということでいいんですね?」

俺はもう、こいつの言う事にただ黙って頷いた。いくら俺が喧嘩慣れしてると言っても、平手に当たれば痛いものは痛い。角度的にも見切りにくいんだよ、こいつの攻撃。

俺の返答に、なぜかこいつはまたほっとしたような顔を見せていた。そっちの方が断然立場は強いんだから、堂々としていればいいものを。
今日のこいつは、やっぱりちょっとおかしい。コロコロ態度が変わりやがる。

「で、どうすんだよ。具体的に何すりゃいいんだ。やる事あんなら別に保留でもいいけどよ。つか今日って何するんだ?」

俺は改めて、こいつに聞いてみた。
元々送られてきていたメールにも、実際何をやるのかについては何も書いていなかったのだった。ただ10時きっかりにここに来てくれという事と、あとはちょっといつもと違う格好をしてみるのでよろしくという旨の事が書かれていただけだった。後者については事前にりせのやつがごちゃごちゃ言ってきていたので、こいつが女の格好をしてみるんだろうという事自体に察しはついていたのだが……。

しかしやっぱり、肝心の目的が分からない。
マジで、何なんだこれ?つかそもそも何で俺だけしか呼んでねえのこいつ。
言えない事でもあるのだろうか。直斗は、返答に困っているようだった。

「そ、それはその……」

まさか、こうまでしてノープランって訳じゃねえだろ。

「決めてねえのか?何も」
「い、いえ!そういう訳では」
「じゃあ、早く行こうぜ。ずっとここにいるのも変だしよ」

チケット売り場のスタッフが、さっきからずっとそわそわこっちを見ていた。客かもしれない人間が何もせずにその場にい続けたら、気になって落ち着かないだろう。
そう言うと、やっとこいつは切り出した。

「巽君は」
「あん?」
「巽君は何か用事はないんですか?せっかく沖奈にまで来たんですから」
「いや俺は別に」
「僕の方はそう急ぎでもないので、もしあればそちらから行きましょう」

理由は分からないが、どうやら目的については話す気はないらしい。まあ、そんなに言いたくねえなら聞かねえでおいてやるか。そのうち分かんだろ。
そう言えば直斗に言われて思い出したが、昨日また何個か力作を生み出してしまったせいで、もう編み物の材料がそこをつきそうになっていたのだった。急がないなら、ちょっとあそこに寄らせてもらうか。

「あー……、ちっと、手芸屋に行きてえかも」
未だに小さい声になってしまうが、こいつは特に気にならなかったようだった。
「ああ!ではまず、そこに行きましょう。どの辺りですか」
「駅の向こう側なんだよな。ちと歩くな」

そう言うと、構いませんよ、と直斗はいつものように目を瞑り、早速前を歩き出した。
こういう風にいつもの感じで受け答えすると直斗なんだけどな。と、前を歩く直斗に何となく目を落として、俺はドキリとした。
小さい背中に、異常に薄い肩。後ろから見ると、もうこいつが本当に女にしか見えなかったのだ。
普段はパットが入っているような制服とかジャケットを着ているせいで、どうにも俺から見ると違いが目立ってしまう。これでもしハイネックじゃなくて普通のシャツなんか着ていたとしたら、ますます細い首と相まって女っぽさに拍車がかかってしまう所だろうと思う。

「つか今日って、何で俺だけなんだ?他のやつは?」

俺は、釘付けになってしまった目を何とかそらしてこいつに並び、思い切ってもう一つの疑問をぶつけてみた。
するとこいつは、それには特に躊躇もせずすぐに答えた。

「先輩方は、皆用事があるようでした。天城先輩はご実家の手伝いで、里中先輩と花村先輩は、学年末にやった実力テストがちょっとダメだったみたいで、補習を受けているようですね。クマ君は、花村先輩がいない代わりにジュネスでお仕事を頑張るみたいで」
まるであらかじめ用意していた回答を読み上げるかのように、すらすらと言った。

「……りせは?」俺がなるべく怪訝な色を込めないように続けて聞くと、
「久慈川さんは、今稲羽にいないんです。なので必然的にこうなってしまって。すみません、やっぱり皆いた方が良かったですよね」と、直斗は視線を落とした。

「いや、別にそういう事言ってるんじゃねえけど」

まあ、ちょっと変な状況だなとは思ってるけどよ。でもそれよりよ。
迷い足になったこいつを見て、俺は少し前に出てやった。

「お前はいいのかって事だよ。別に俺しか空いてなかったんなら、無理して今日じゃなくても良かったんじゃねえの」

更に俺がそう突っ込んでやると、やっぱりこいつの歯切れは悪くなった。

「それは……」



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