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「は~あ……」

 ゆっくりと移りゆく田園風景を眺めつつ、俺はため息を吐いた。
 横面が開け放たれた幌馬車、ならぬ幌竜車の中は、快適とは言い難かった。2匹のマンダが牽引しているせいか、揺れが少し強くてケツが痛い。

 しかし時折客車の中を優しく通り過ぎて行く、ほのかな草の香りの混じった風は気持ちよく、俺のささくれだった心を少しだけ癒やしてくれる。
 とは言えそれも、あくまでも少しだけだ。俺が先刻心に負った傷が、あまりにも深過ぎるのだ。

「んは~ぁ……」

 と、そうして今日何度目かの長いため息を吐いた時、少し離れたところからそれを非難するような声が上がった。

「ちょっと~。さっきから何なのさ~うっと~しいな~」

 視線を声のした方に向けると、むくりと起き上がる影があった。

「ため息つかれると幸せのマナが逃げてっちゃうんだからやめてよね~」

 そんなことを言いつつ自分も盛大にため息を吐いたのは、一人の女の子だった。

 滑らかそうな肌と、頬から顎にかけて少し丸みのある輪郭からすると、妹や女王様と同じで16、7歳程だろうか。ちゃんとクシを通せば女の子らしいキレイな髪になりそうだが、その鮮やかな水色のショートカットはところどころ端がハネていて、少し奔放な印象を受ける。

(ふむ、胸はちょっとばかし控えめかもしれないけど、それを補ってあまりあるプロポーションと可愛さ! デュフフ! 否めないですねぇ……)

 どちらかというとスレンダーな体型で、軽装服の半袖から伸びる手足も結構筋肉質だ。しかしあくまでも女の子らしさは失わない程度であり、思わずキモいデュフりが漏れてしまうくらいの好ましい塩梅である。

 見たところほとんど人間と変わらないように見えたが、耳の毛がふさふさしているので、おそらく彼女も亜人だ。
 その三角の耳と、大きなくりっとした瞳からして、全体的にちょっと猫っぽい。かわゆい。

(何とまあ、出会う女の子が皆可愛いなあ……眼福眼福)

 この世界の女の子って皆こんなに可愛いのかな? 気のせいか彼女もちょっと妹と言うか、女王様に似ている気がする。ううむ。異世界素晴らしい。
 と、そうして好きなアイドルのグラビアを眺めている感覚で、ついつい彼女を無遠慮に見つめてしまっていると。

「ねえちょっと聞いてる?」

 彼女はそのままずりずりと這いずるようにしてこちらに近づいてくると、いきなりずいと俺に顔を寄せた。

「ひえ!? な、何ですか?」
「何ですか? じゃないでしょ~。そんなに何度もため息しないでって言ってるの。こっちの気まで滅入っちゃうよ~。せっかく気持ちよく風に当たってたのにさ~」

 彼女はそう言いつつ、猫のようなしなやかな仕草でううんと伸びをする。

「まあでもちょうどいっか。この竜車おじいちゃんおばあちゃんしか乗ってなくて暇だったんだよね。どれどれ、何か悩みがあるならお姉さんが話を聞いてあげちゃうぞ~」

 と、あぐらをかいて完全に聞く体勢。そのまま尻歩きでじりじりと俺に寄る。

「あたしはエクレア。君の名前は?」

 まだ何も了承していないのに、もうすっかり話をする流れになってしまっている。見た目通りかなり奔放な性格のようである。
 どうしたもんかと思ったが、目的地に着くまでまだ少し時間がありそうなので、俺は彼女と少し話してみることにした。
 
「あ、ドルオタ……っす。よろしく、っす」

 距離感が分からずについつい敬語っぽく話してしまうと、彼女は笑いながらぱしぱしと俺の腕を叩いた。

「なになにそんなかしこまっちゃって~。お兄さんの方が年上っぽいし、普段どおり話してくれればいいよ。あたしもその方がめんどくさくなくていいしさ~」

「そ、そう?」

 とまどいながらもそう返すと、彼女はそれに満足そうにうんと頷いてくれた。

「で? で? そのドルオタ君は、一体何をそんなに憂いていたのかな? 失恋でもした? ホントのホントに暇だからさ~、なるべく込み入った話の方がいいな~」

 そんな勝手なことを言いつつ、彼女はまたまたずずいと俺に顔を寄せる。若いからなのかお国柄なのか、やたらとパーソナルスペースの狭い子である。

 妹や女王様とは違い、そうして近づいても彼女からは香水めいた匂いはしなかった。しかし代わりにお日様の匂いと言うか、よく乾かされた干し草のような匂いがした。何も混ざっていない生成りの、おそらく彼女本来の匂いだ。

 亜人の女の子だから、もしかしたらフェロモン的な何かも強く出ているかもしれない。
 このままだと血液がまずいところに集結すると感じた俺は、彼女から少し距離を取ろうと尻を浮かした。
 しかし……。

「おっとぉ~逃さないよ~!」
「うぶっ!?」

 それを察知した彼女が、俺の頭を思い切りヘッドロックする。
 必然、彼女のその匂いがさらに濃くなる。しかもそれに加え、柔らかい何かが俺の頬を圧迫する。

「ぎゃあああああああああやめてやめてやめて! ほんとにもうやばいからあああああ! 血液がやばいとこいくからああああああ!」

「んん~? やめて欲しいなら話してごらん~?」

 彼女がそうしてん? ん? と脇を強く締める度にぷにっとやわらかいものが頬をくすぐる。

「わ、分かった! 話す! 話すからはなしてンゴおおおおおおおおお!!」

 風呂場に突入してきた女王様といい、この世界の女の子は貞操観念が薄いのだろうか。俺みたいなプロ童貞には刺激が強いので、スキンシップはもう少し抑え目にして欲しいところです……。

 と、息も絶え絶えになりながら観念した俺は、彼女に促されるままに話し始めた。


※※※


「実は……」

 さすがに異世界召喚されて死の宣告を受けて……のくだりは伏せ、俺はついさっきギルドで自分に起こった不幸を彼女に伝えた。
 
 悪徳商人に騙され、まんまと激高い買い物をさせられたこと。
 吟遊詩人の戒言により、残った金の大半を歌の代金として支払うハメになったこと。
 脇が甘かったのは認めるけど、勉強代にしては高過ぎでしょうこれ……。話しているだけでも萎えて来る。
 
 しかし、そうして身振り手振りで感情豊かに悲劇の顛末を演じた俺に対し、彼女は同情の念を向けてはくれなかった。代わりに、
 
「……ぷっ」

 その一度の失笑をきっかけとし、彼女は盛大に吹き出した。

「あーーーーーはっはっはっは!」

 腹を抱え、あぐらのひざをパンパン叩きながらのマジ笑いである。
 
「ぶははははは! あーはっはっはっは!」

 あれれー? 俺的にはシェイクスピアばりの悲劇だと思うんだけどな? おかしいな?

「そ、そんなに面白かったかな……?」 

 内心首を傾げつつそう言ってみたが、彼女はなおも肩を小刻みに震わし、

「ふひっ、いや、面白過ぎでしょー。どんだけ隙だらけなのさ君!」

 と、興奮冷めやらぬ様子で腹を抱える。

「あ、だめ、抑えらんない! くふっ……あはははははは!! あーっはっはっは! ……ぁ痛あ!!」

 そうして何とか俺に返答しつつも、転げ回る勢いで笑い倒していたので近くにあったツボに頭を打つという体たらくである。アホの子かな?

 俺的に最高級の悲劇を笑われたのはちょっと心外だったが、どうにも憎めないキャラをしているのでそんなに腹も立たない。何だかちょっと不思議な感じの子だ。
 
「えっと……大丈夫?」

 恐る恐る声を掛けると、彼女は額をさすりながら大丈夫大丈夫と涙目で笑う。
 続いて俺が話しかけようとしたが、彼女に手で制される。
 すーはーと何度か深呼吸して息を整えると、彼女はよし、とその少し控えめな胸を張った。

「ふー……。うん、もう大丈夫。いやあ、早速いい感じに退屈しのぎになったよ~。ありがとね」

 そうして俺に向けられたのは、またしてもニカっとした無防備な眩しい笑顔だ。
 ううむ、可愛い。日本だとこういう感情丸出しの女の子ってなかなかいなかったからなあ。異世界で知り合いもいないし、このままお近づきになれればいいんだけど……。

 と、そんな邪なことを考えていると、彼女がふむうと腕を組みつつ言った。

「それで、お金がほとんどなくなっちゃった君は、何でこんなところにいるの? この竜車はマグナース邸に向かう竜車だよ? 何か用事でもあるの?」

「ああ、うん。それは……」

 問われて俺は、自分がこの竜車に乗ることになった経緯をまた話し始めた。

 俺はあの事件の後、落胆しつつも受付のお姉さんに励まされ、何とかすぐに立ち直ることができた。
 しかしそうしてせっかくやる気になっている俺に、そこでお姉さんから衝撃的な事実が告げられたのである。

「すみません。実は今、初級冒険者の方々に頼めるようなお仕事があんまりなくて……」

 異世界の冒険者の仕事と言えば魔物退治だ。ご多分に漏れず、やっぱりこの世界にも魔物はいるらしい。

 しかしお姉さんが言うには、今は女王様の魔法障壁のおかげで王都周辺に発生する魔物の数が減っており、それによって冒険者の仕事が激減している、とのことだった。

 そこそこ強い魔物はまだいるらしいのだが、弱い魔物は発生すらほとんどしないらしい。だから俺みたいな冒険者になりたてのやつには、薬草集めとかの雑用くらいしか仕事がない。
 ただその仕事も、俺と同じような境遇のやつが多いせいですぐに埋まってしまうらしい。

 こんなんどうもできませんやん? とやけくそ気味にやれやれと肩をすくめて見せると、彼女もそれに困ったように腕組みしつつうんうんと頷いてくれた。

「あーそうそう。ないんだよね、仕事。魔物がいなくなるのは純粋にいいことだとは思うけど、困ったもんだよね~」

「そうなんよ……もう無理よこんなん……」

 と、気疲れからか思わず慣れ親しんだ友達と話すような口調で返してしまうと、彼女がアハハと苦笑気味に笑う。

「でもそうは言っても君、わざわざ王都から出てマグナース領に来たってことは、アテがあって来たんでしょ? 何かおいしい話でもあったの?」

 彼女のその言葉に、今度は俺が苦笑しつつ返した。

「ん~……おいしい話かどうかは、実際に行ってみないとわかんないんだよなあ……」

「? どういうこと?」

 くりっと可愛く小首をかしげる彼女に促され、俺は再び経緯を話し始めた。

「何か、普通にギルドが斡旋してる仕事はないんだけど、それ以外にも一応仕事はあるらしくてさ」

 しかし俺が話の枕詞にそう言うと、彼女は眉をひそめた。

「もしかしてそれ、“掲示板”の仕事?」

「え? あーうん。そうそう。よく分かったね」

 答えると、彼女はさらに露骨にうぇ、と顔をしかめた。
 何でそんな顔するん? と思ったが、彼女がそれきり何も言わないので、仕方なく俺はそのまま説明を続けた。

 ギルドに仕事がないことを知った俺は、それでも諦められずに何かないかとギルド内を見て回った。
 すると何と、見つかったのである。仕事が。

 窓口の向かい側の壁に掲示板のようなものが設置されていて、そこに張り紙で仕事の募集がされていたのだ。

 紙の種類はバラバラ。書体も全く統一されていない。中には貼り出されてから時間が経ち過ぎたのか、黄ばんでボロボロになっているようなものもある。
 こりゃ期待できんかなと思ったが、その膨大な張り紙の中に一つ、目を引くものがあった。

 その張り紙だけは、俺でも何が書いてあるのかが分かったのである。つまり、魔鋼紙にマナ文字で依頼が書かれていたのだ。

『娘の導師募集。勤務日数など応相談。住み込みも可。ご興味のある方はこちらの紙を複写してお持ちください。即日で面接いたします。
                         レオナルド・マグナース』

 導師というものが何なのかは全く分からなかったが、現状俺ができそうなことが他にない。住み込み可という条件にも惹かれ、俺は今とりあえずダメ元でそのマグナース邸に向かっている……というのがこれまでの顛末となる。

 竜車の御者をしている人に聞いてみると、マグナースさんというのは王都のほど近くの領地を治めている貴族らしい。
 貴族なら金払いも悪くはないだろうし、うまく行けば当面の生活基盤ができる。俺としてはここは絶対に逃したくない案件なのだが……。

 しばらく俺の話を黙って聞いていたエクレア氏が、呆れたように目を細めつつこんなことを言った。

「君、バカ?」

「えっ」

 突然の罵倒に、俺は呆けた声を上げてしまった。
 美少女からの罵倒とか、ドMからしたらご褒美みたいなものなのかもしれないが、生憎俺にそういう趣味はない。たぶん、おそらく。あんまり。

 ただぼけっとした顔を返してしまうと、彼女は何やら不満そうに鼻をならした。

「そこまでいくと笑えないなあ。君、掲示板の仕事がどういうものか分かってないでしょ」

「何かまずいことでもあるの?」

 そう返すと、彼女は目をくわっと見開き、

「まずいもまずい! おおマズだよ!」

 とどんと床に両手をつき、また俺に顔を寄せた。近い。
 
「掲示板の仕事っていうのは、ギルドに登録できないような仕事が貼り出されてるんだよ! 報酬がしょぼ過ぎるとか、危険過ぎるとか、実際に指定された場所に行ってみたら盗賊の罠で、とか……! とにかく掲示板の依頼は曰く付きのものばっかりなんだよ!!」

 一気にそこまで言うと、最後に「そんなの冒険者の常識だよ!」と叫ぶように断言し、はあはあと肩を上下させるエクレア氏。
 よっぽどひどい目にでもあったのだろうか。目が少し血走っている。

「いやあ、そう言われてもなあ。現状できることがこれくらいしかなさそうだからさ。一応名前の知られてる貴族さんみたいだし、そんなに変なことにはならないと思うけど……」

 と、そこまで言ったところで、俺ははたと思いついた。

「てかさ、この竜車ってそのマグナース邸に向かうやつなんだけど、エクレアは何しに行くの? 俺はてっきり同じ張り紙を見て来たものだと思ってたんだけど、その様子だと違うよね?」

 そう聞いてみると、なぜか彼女はうっ、と気まずそうに目をそらしてトーンダウンする。

「や、あたしはその~……」

「?」

 頬をぽりぽりとかきながら、ちらちらとこちらを見やる。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
 何だか気になる反応なので、そのまましばらく彼女が話し出すのを待っていると、彼女は観念したように頭をがしがしかきつつ言った。

「木の実がね、なってるんだよ。あそこ」

「え? 木の実?」

「うん。それをね。その~……。ちょっと、拝借しようと思ってね」

「えっ」

 それって……。

「それってもしかしてどろぼ……むぐっ!」

 と、俺が核心を突く言葉を言おうとした瞬間、彼女が後ろから羽交い締めにするように俺の口を塞いだ。

「あっはっはっは。何を言っているのかなあドルオタ君。人聞きの悪いことを言っちゃあいけないよ」

「むぐっ! むぐぐぅ!?」

 ああああまたしても胸が! 今度は背中に!!
 しかも今度はさっきより顔が近い。それをいいことに、彼女は分かったかな? と俺の耳に温かい息をふっと吹きかける。

 ぞわぞわと全身に駆け巡るその刺激に、俺は即事全面降伏した。
 全力でこくこく頷くと、彼女はそこでようやくよおし、と俺を解放してくれた。

「まああたしの方はそんな感じ。状況的には君とおんなじかもね~。仕事がないから仕方なく情報屋みたいなことして何とか生きてるって感じだし」

「情報屋?」

 まだぞわぞわする耳をさすりながらそう返すと、彼女はそんな俺を楽しそうに見ながらうんと頷いた。

「まあ始めたばっかで真似事みたいなものだけどね。いろんなとこ回って話を聞いたり、その辺の人の噂話に聞き耳たてたりとか、そんなことくらいしかしてないし」

「ほほ~。じゃあエクレアもそこそこ苦労してるってことか。やっぱり結構厳しいんだなあ……」

 俺も面接受からなかったらどうしよう。他の仕事なんてたぶん見つからないだろうしなあ。
 そうして肩を落としていると、彼女がそこで何かを閃いたかのように目を見開いた。

「そうだ!」

 彼女はやにわにそばに置いてあった自分のカバンに手を伸ばすと、中をごそごそとやって何かを取り出した。

「ふっふっふ。この魔鋼紙を……」

「あ! 何を!?」

 そして彼女は俺のカバンにも手を入れ、

「へっへっへ~。こうして、こうじゃ!!」

 仕事の概要を写した俺の魔鋼紙を取り出すと、自分の魔鋼紙に重ね合わせてすりすり擦る。

「ふっふ~! 完成!!」

 と、彼女がそう言って両手を広げるとあら不思議! そこには同じ依頼が書かれた魔鋼紙が2枚も!

「──ってことで、あたしもその面接受けるからよろしく~!」

 えっ、さっき掲示板の仕事でめっちゃひどい目に遭ったって言うてましたのに?
 にんまりとした笑顔でそう言う彼女に、俺はまた呆然とした顔を向けてしまった。

 やっぱりこの子、アホの子なのかな? このまま一緒に居て大丈夫かしら……。

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