「さて、まずは何から話そうかな」
ウォンのそれに、ムカイが早速手を上げて言った。
「わしほとんど何も聞かないできたんぢゃけど、一体おぬしらを何から守ればええんかの?」
ウォンはふむ、と頷き、それに答えた。
「じゃあその辺りも含めて、僕らのことを少し話しておこうかな。全体的な説明にもなるし」
そもそも考古学者とは何なのか。それが分かれば、この仕事の大半の説明はつく。そう前置きをして、ウォンは話し始めた。
「まず、僕ら。僕とシノは、一般的に考古学者と呼ばれている人間なんだけど、どういうことをやっているかはさすがに分かるよね?」
「発掘とか、研究だろ?」と彼。
ウォンが頷く。
「そう。じゃあ、何で僕らに護衛が必要なのかは分かるかい?」
そう問われて、彼は答えた。今までに二人に降りかかったような状況に陥るからだろうと。例えば、岩が頭上から降ってくるなど。発掘時における地形的な危険から、二人を守ればいいのだろうと彼は言った。
するとウォンは、「うん、それもあるね」と答えた。「だけどそれは、どちらかと言うと副次的なものだね。本来はもっと違うものから守ってもらっているんだ」
「もっと違うもの?」
彼がそう訊くと、ウォンは少し困ったように笑って言った。「人間さ」
「人間?」
「そう、ふいに頭上に降ってくる大岩なんかよりもっと恐ろしい、人間さ」
そこで彼は、ああ、と何か思い出したように言った。
「そういや、遺跡を盗掘してるやつがいるって話あったな。そいつらとかに鉢合わせした時にも守れってことか。武装してそうだもんな」
しかしウォンは、それに首を振った。
「今回は確かにそれもあるんだけど、普段は別の人間から守ってもらっているんだ」
分からなくて眉根を寄せた彼に、ウォンは少し険しい顔で続けて言った。
「人攫いだよ」
彼とムカイは、顔を見合わせた。
突然出てきたその穏やかではない言葉。彼の方は単純に外界の情報不足だったが、ムカイの方も、ピンと来ないようだった。
一体どういうことなのか。この地方では、人攫いが横行しているのだろうか。
しかしウォンの口ぶりからすると、考古学者は特別人攫いに狙われやすい。彼にはそういうふうに聞こえた。
彼がそのままその疑問をウォンにぶつけてみると、
「さすがくまたそ。理解が早いね」と、ウォンはにこやかに答えた。「その通り。僕らは人攫いに狙われやすい。その立場的にね」
「立場的?」
「そう」
「考古学者って、そんなにすげえのか?」
その彼の言葉を聞いて、今まで黙って聞いていたシノが、我慢出来なくなったかのように口を開いた。
「あんたって、ほんっと何も知らないのね」
「ああん?」
「いい?この地方では、生きていくのに最高に有利な職業が二つあるの。一つは私達みたいな、考古学者。もう一つは料理人。専門的な知識が必要になるから人数が少なくて貴重なの。常識よこんなの」
シノは彼にそう言ったが、彼の方は首を傾げていた。
そう言われても、どうも彼にはピンと来ないのだった。もっと他に良さそうな職はいくらでもありそうなのに、なぜその二つが特別扱いされているのかが分からないのだ。
彼がそう言うと、
「はは。そうだよね。余所から来た人にはちょっと分かりづらいよね」と、ウォンが笑って言った。「でも、ほんとなんだ。僕らはかなり優遇されてる。今泊まってるここの宿代だってタダ同然だし、君達への報酬も僕らからじゃなくて、国から出るしね。ほとんどVIPみたいなものだよ」
ウォンはわざわざ紙とペンを取り出し、彼に分かりやすいように説明してくれた。
「料理人なんかは、特に分かりづらいかもね。彼らは普通他の地方だと、かなり一般的な職業だから。特別な知識はあんまり必要なくて、技術の方が大事な仕事だからね。でもここらだと、ちょっと違うんだ。彼らはこの地方では、どちらかというと栄養士という意味合いの方が強い。どうすれば少ない食材で栄養の偏りが無く、かつなるべく美味しい料理が出来るのか。そういうことを考える人達なのさ。元はもちろん違ったんだろうけど、今は食糧難の土地が多いからそうなっちゃったんだろうね」
彼はそれを聞いて、なるほど、と思った。
確かに、栄養学は奥が深い。彼もその肉体維持のためにいくらかの知識が必要だったので、少しその辺りの学問にも手を出したことがあったが、とても修めきれるようなものではなかった。そう考えると、この地方で料理人が特別扱いされるのも、納得がいく。
彼がそうして理解したのを確認すると、ウォンは続けた。
「それから、僕ら考古学者の厚遇のことだけど。これはもうちょっと簡単な話で、単純に僕らのやっていることが、そのまま国の発展に繋がるからなんだ」
彼はまた、首を傾げた。
考古学で国が発展?一体どういうことだろうか。
「この都市は、なぜ国から自治を許されているか知っているかい?」
と、急に話がそれたような気がしたが、彼は黙って答えた。
それはすでに知っている。この都市が、国にとって戦略的に重要な都市だからだ。歴史が始まり、技術が生まれる。そういう場所だからだ。
そう答えると、ウォンは言った。
「そう。でもこの都市がただそのまま存在してるだけじゃ、そうはならないのさ。僕ら考古学者がいて、初めてこの都市はそういう特別な都市になれる。なぜなら僕らが発掘をしなければ、この都市で技術が生まれるなんてことにはならないから」
ウォンは彼に紙で図示しながら続ける。
「遺跡には、僕らの知らない技術で作られたものが多く眠っている。つまり単純に、僕らが発掘で得たもの。そこから技術が生まれることが多いのさ。そしてそれを見つけるための、古代文字で書かれた文献なんかを解読出来る可能性があるのは、高度な教育を受けた考古学者しかいない。僕らが優遇されてるのは、そういう訳さ」
学者というのは、どうも人に何かを教えるのが好きな人種らしい。そうして嬉々として色々なことを話してくれるウォンに、彼は興味深そうに耳を傾けていた。
里を出て、まだ数週間程。最初はどうなることかと思っていたが、徐々にこうして世界の形があらわになっていくにつれて、漠然とあった不安感はすでになくなりつつあった。
ただ純粋に、世界を歩くのが楽しい。彼は今、そう思えるようにまでなっていた。
「なるほどなあ」
彼の溢れる知識欲とウォンの教えたい欲は、相性が良かった。“知らない人間”と、“知っている人間”。両者はよく出来た生態系のように互いの欲を埋め合い、循環する良い関係にある。
しかし、それは当人達にとってしかそうなり得ない。周りの“知っている人間”からすると、ウォンのそれは厄介なものとなる可能性も秘めていた。
「そんなすげえのが発掘されるんだな。具体的にはどういうもんが出てくるんぞ?」
彼がそう言った瞬間、
「ばっか……」
横でシノがぼそりと呟き、目頭を手で抑えた。
「馬鹿?」
どうして急に罵られたのか。彼は小首を傾げた。
しかし、シノから視線を戻してみると、すぐにその理由は分かった。
彼はそれに気付いた途端、思わずギョッとして身を引いてしまった。
ウォンが、目をこれでもかとキラキラさせながら、こちらを見つめていたのだ。
「いや、やっぱ……」
嫌な予感がして、彼が反射的に話を断ろうとしてみても、もう遅かった。
「よくぞ聞いてくれました!」
ウォンはそうして急に立ち上がり、まるで大きなステージに立った舞台俳優のような大仰な振る舞いで、話し始めてしまった。
「時は遡ること数百年。それはある国と、ある種族の不和から始まった物語……」
そうなると、彼が話しかけても無駄だった。助けを求めてシノに顔を向けてみたが、その彼女も首を振って、諦めろと目で言ってきた。ムカイはムカイで、面白い人ぢゃのおなどと暢気な事を言って、まるで咎める気が無さそうだった。
「その種族の力を欲した、今のギアース国の前身。神聖ギアース帝国は、彼らの技術力を欲し、彼らを傘下に収めようとした。しかし誇りある彼らは、その国に従属することを良しとしなかった……」
どうやらこれは、ウォンの悪い癖のようである。自分の好きなことについては、無尽蔵に話をしてしまう。学者とはやはり、こういう人種なのだ。
しかしこうなってしまったのは自分のせいなので、さほど興味がなくとも、もはや黙って聞くしかない。
そう思って苦笑いしながら話を聞いていた彼の顔が、しかし次にウォンから出てきたある単語により、一変した。
「ああ、タソ族。彼らは本当に素晴らしい!」
突然話に現れた自分の種族の名前。
彼は目を見開いた。思わず声が出そうになったのは、なんとかこらえた。
「支配出来ないことが分かると、ギアースは一転、彼らを迫害する政策を取った。そうすればいずれ音を上げて、従属する道を選択するだろうと考えた訳だ」
彼は少し険しい顔で話を聞いていたが、ウォンはそれに全く気付かずに話し続けた。
「しかし、そうはならなかった。彼らはただ飄々とこの大地で生き続けた。そこで帝国は、彼らが土地にある程度根付くと、彼らをその土地から他に移るように厳しく追い立てた。そうすれば完全に支配しなくとも、その土地に彼らの技術の一部が残る。それを繰り返すことにより、帝国は彼らの技術を無理やり吸収しようとしたんだ」
気付くと彼は、拳を強く握り締めていた。
まさか自分の種族のことだとは、思ってもみなかった。彼は複雑な気持ちで、ウォンの話を聞いていた。
誉められていると言えなくもなかったが、彼にとってこの史実は、あまり誇れるものではなかったのだ。幼い頃に自らの種族の歴史を学ぶ機会があった際も、彼はこうした表層的な部分だけは聞いたものの、後のことは聞きたくないと耳を塞いできた。だから実際にタソ族の名前が出るまで、自分の種族のことを話しているということに気付かなかったのだ。
今回のこれは、その知識を補完するいい機会ではある。だがそれでもやはり、彼はこの話を詳しく聞く気になれなかった。
誇りを守るためであったとしても、彼らはそうして逃げ続けたのだ。その事実は、どうしたって変わらない。
彼は、ウォンになんとか話を切り上げさせようと口を開きかけた。やはり聞いていて楽しいものではない。早々に打ち切って、別の話に持っていったほうがいい。
しかし彼は、そのまま何も言わずに口を閉じることとなった。
なぜか隣で、自分よりも険しい顔でこの話を聞いている人間が居たのが気になったのだ。
「……どうしたんぞ」
シノが、まるで怖いものでも見たかのような真っ青な顔で、地面を見つめていた。自分自身が幽霊にでもなってしまいそうなほどの、蒼白い顔だった。
彼がそうして小声で話しかけてみても、彼女は眉をひそめて、
「……何でもない」
と、ぼそりと力なく返してくるだけだった。後はもう何も言わず、押し黙ってしまった。
彼はその様子を見ると、とりあえずいつものように「そうか」とだけ返し、自身も同じように黙った。
実は彼女は、こういう顔をしている時がたまにある。今日目の前で子供が転んだ時のあれもそうだが、どうも何か、彼女は腹に含んでいるものがありそうだった。
彼女のそういう顔が現れた時、彼は基本的に黙って静かに彼女から離れ、そっとしておくことにしていた。少し経てば、また元のシノに戻るからだ。
だが今回のこれは、なぜかどうにも気になった。単純に聞き飽きた話にうんざりしたような顔ではなかったのだ。
「なぜそんな顔をするのか」と、率直に訊いてみたかった。例え彼女に嫌われてでも、なぜか訊いておかなければならないような気がした。自分の種族の話の中でそうなったから、気になるのかもしれない。
しかし、ウォンの話は続いていた。そうした込み入った話は、まだまだ出来そうもない。
「ギアースが追い立てを行うと、彼らは脱兎のごとく逃げた。そのうち厳しい追い立てに遭っても落ちのびられるように、あらかじめ彼らは逃げ道を用意するようになった。そうしてだんだんと造られていったのが、今の逃亡街道という訳だ。だから街道沿いには、彼らが遺した遺跡が至る所に存在している。今でもその素晴らしい技術の結晶を内包したまま、ね」
この話は彼にとって急所であったが、彼は今、シノの方が気になって仕方がなかった。
その、はずだった。しかし次の瞬間にはもう、彼の頭からは彼女のことが吹き飛んでしまっていた。
彼が危惧していた、最も危険な世界の形。それがまさに今のこの世界の形なのだと、はっきりと分かってしまった。
ウォンの口から、出てはならない単語が出てきてしまったのだ。
「そう。つまり主に僕らが発掘しているのは、そんな彼らの技術が生んだ最高傑作。通称……」
聞き違えるはずもなかった。そうしてウォンは今日一番の大仰な振る舞いで、高らかにその言葉を、確かに口にしたのだった。
兵器、と。
ウォンのそれに、ムカイが早速手を上げて言った。
「わしほとんど何も聞かないできたんぢゃけど、一体おぬしらを何から守ればええんかの?」
ウォンはふむ、と頷き、それに答えた。
「じゃあその辺りも含めて、僕らのことを少し話しておこうかな。全体的な説明にもなるし」
そもそも考古学者とは何なのか。それが分かれば、この仕事の大半の説明はつく。そう前置きをして、ウォンは話し始めた。
「まず、僕ら。僕とシノは、一般的に考古学者と呼ばれている人間なんだけど、どういうことをやっているかはさすがに分かるよね?」
「発掘とか、研究だろ?」と彼。
ウォンが頷く。
「そう。じゃあ、何で僕らに護衛が必要なのかは分かるかい?」
そう問われて、彼は答えた。今までに二人に降りかかったような状況に陥るからだろうと。例えば、岩が頭上から降ってくるなど。発掘時における地形的な危険から、二人を守ればいいのだろうと彼は言った。
するとウォンは、「うん、それもあるね」と答えた。「だけどそれは、どちらかと言うと副次的なものだね。本来はもっと違うものから守ってもらっているんだ」
「もっと違うもの?」
彼がそう訊くと、ウォンは少し困ったように笑って言った。「人間さ」
「人間?」
「そう、ふいに頭上に降ってくる大岩なんかよりもっと恐ろしい、人間さ」
そこで彼は、ああ、と何か思い出したように言った。
「そういや、遺跡を盗掘してるやつがいるって話あったな。そいつらとかに鉢合わせした時にも守れってことか。武装してそうだもんな」
しかしウォンは、それに首を振った。
「今回は確かにそれもあるんだけど、普段は別の人間から守ってもらっているんだ」
分からなくて眉根を寄せた彼に、ウォンは少し険しい顔で続けて言った。
「人攫いだよ」
彼とムカイは、顔を見合わせた。
突然出てきたその穏やかではない言葉。彼の方は単純に外界の情報不足だったが、ムカイの方も、ピンと来ないようだった。
一体どういうことなのか。この地方では、人攫いが横行しているのだろうか。
しかしウォンの口ぶりからすると、考古学者は特別人攫いに狙われやすい。彼にはそういうふうに聞こえた。
彼がそのままその疑問をウォンにぶつけてみると、
「さすがくまたそ。理解が早いね」と、ウォンはにこやかに答えた。「その通り。僕らは人攫いに狙われやすい。その立場的にね」
「立場的?」
「そう」
「考古学者って、そんなにすげえのか?」
その彼の言葉を聞いて、今まで黙って聞いていたシノが、我慢出来なくなったかのように口を開いた。
「あんたって、ほんっと何も知らないのね」
「ああん?」
「いい?この地方では、生きていくのに最高に有利な職業が二つあるの。一つは私達みたいな、考古学者。もう一つは料理人。専門的な知識が必要になるから人数が少なくて貴重なの。常識よこんなの」
シノは彼にそう言ったが、彼の方は首を傾げていた。
そう言われても、どうも彼にはピンと来ないのだった。もっと他に良さそうな職はいくらでもありそうなのに、なぜその二つが特別扱いされているのかが分からないのだ。
彼がそう言うと、
「はは。そうだよね。余所から来た人にはちょっと分かりづらいよね」と、ウォンが笑って言った。「でも、ほんとなんだ。僕らはかなり優遇されてる。今泊まってるここの宿代だってタダ同然だし、君達への報酬も僕らからじゃなくて、国から出るしね。ほとんどVIPみたいなものだよ」
ウォンはわざわざ紙とペンを取り出し、彼に分かりやすいように説明してくれた。
「料理人なんかは、特に分かりづらいかもね。彼らは普通他の地方だと、かなり一般的な職業だから。特別な知識はあんまり必要なくて、技術の方が大事な仕事だからね。でもここらだと、ちょっと違うんだ。彼らはこの地方では、どちらかというと栄養士という意味合いの方が強い。どうすれば少ない食材で栄養の偏りが無く、かつなるべく美味しい料理が出来るのか。そういうことを考える人達なのさ。元はもちろん違ったんだろうけど、今は食糧難の土地が多いからそうなっちゃったんだろうね」
彼はそれを聞いて、なるほど、と思った。
確かに、栄養学は奥が深い。彼もその肉体維持のためにいくらかの知識が必要だったので、少しその辺りの学問にも手を出したことがあったが、とても修めきれるようなものではなかった。そう考えると、この地方で料理人が特別扱いされるのも、納得がいく。
彼がそうして理解したのを確認すると、ウォンは続けた。
「それから、僕ら考古学者の厚遇のことだけど。これはもうちょっと簡単な話で、単純に僕らのやっていることが、そのまま国の発展に繋がるからなんだ」
彼はまた、首を傾げた。
考古学で国が発展?一体どういうことだろうか。
「この都市は、なぜ国から自治を許されているか知っているかい?」
と、急に話がそれたような気がしたが、彼は黙って答えた。
それはすでに知っている。この都市が、国にとって戦略的に重要な都市だからだ。歴史が始まり、技術が生まれる。そういう場所だからだ。
そう答えると、ウォンは言った。
「そう。でもこの都市がただそのまま存在してるだけじゃ、そうはならないのさ。僕ら考古学者がいて、初めてこの都市はそういう特別な都市になれる。なぜなら僕らが発掘をしなければ、この都市で技術が生まれるなんてことにはならないから」
ウォンは彼に紙で図示しながら続ける。
「遺跡には、僕らの知らない技術で作られたものが多く眠っている。つまり単純に、僕らが発掘で得たもの。そこから技術が生まれることが多いのさ。そしてそれを見つけるための、古代文字で書かれた文献なんかを解読出来る可能性があるのは、高度な教育を受けた考古学者しかいない。僕らが優遇されてるのは、そういう訳さ」
学者というのは、どうも人に何かを教えるのが好きな人種らしい。そうして嬉々として色々なことを話してくれるウォンに、彼は興味深そうに耳を傾けていた。
里を出て、まだ数週間程。最初はどうなることかと思っていたが、徐々にこうして世界の形があらわになっていくにつれて、漠然とあった不安感はすでになくなりつつあった。
ただ純粋に、世界を歩くのが楽しい。彼は今、そう思えるようにまでなっていた。
「なるほどなあ」
彼の溢れる知識欲とウォンの教えたい欲は、相性が良かった。“知らない人間”と、“知っている人間”。両者はよく出来た生態系のように互いの欲を埋め合い、循環する良い関係にある。
しかし、それは当人達にとってしかそうなり得ない。周りの“知っている人間”からすると、ウォンのそれは厄介なものとなる可能性も秘めていた。
「そんなすげえのが発掘されるんだな。具体的にはどういうもんが出てくるんぞ?」
彼がそう言った瞬間、
「ばっか……」
横でシノがぼそりと呟き、目頭を手で抑えた。
「馬鹿?」
どうして急に罵られたのか。彼は小首を傾げた。
しかし、シノから視線を戻してみると、すぐにその理由は分かった。
彼はそれに気付いた途端、思わずギョッとして身を引いてしまった。
ウォンが、目をこれでもかとキラキラさせながら、こちらを見つめていたのだ。
「いや、やっぱ……」
嫌な予感がして、彼が反射的に話を断ろうとしてみても、もう遅かった。
「よくぞ聞いてくれました!」
ウォンはそうして急に立ち上がり、まるで大きなステージに立った舞台俳優のような大仰な振る舞いで、話し始めてしまった。
「時は遡ること数百年。それはある国と、ある種族の不和から始まった物語……」
そうなると、彼が話しかけても無駄だった。助けを求めてシノに顔を向けてみたが、その彼女も首を振って、諦めろと目で言ってきた。ムカイはムカイで、面白い人ぢゃのおなどと暢気な事を言って、まるで咎める気が無さそうだった。
「その種族の力を欲した、今のギアース国の前身。神聖ギアース帝国は、彼らの技術力を欲し、彼らを傘下に収めようとした。しかし誇りある彼らは、その国に従属することを良しとしなかった……」
どうやらこれは、ウォンの悪い癖のようである。自分の好きなことについては、無尽蔵に話をしてしまう。学者とはやはり、こういう人種なのだ。
しかしこうなってしまったのは自分のせいなので、さほど興味がなくとも、もはや黙って聞くしかない。
そう思って苦笑いしながら話を聞いていた彼の顔が、しかし次にウォンから出てきたある単語により、一変した。
「ああ、タソ族。彼らは本当に素晴らしい!」
突然話に現れた自分の種族の名前。
彼は目を見開いた。思わず声が出そうになったのは、なんとかこらえた。
「支配出来ないことが分かると、ギアースは一転、彼らを迫害する政策を取った。そうすればいずれ音を上げて、従属する道を選択するだろうと考えた訳だ」
彼は少し険しい顔で話を聞いていたが、ウォンはそれに全く気付かずに話し続けた。
「しかし、そうはならなかった。彼らはただ飄々とこの大地で生き続けた。そこで帝国は、彼らが土地にある程度根付くと、彼らをその土地から他に移るように厳しく追い立てた。そうすれば完全に支配しなくとも、その土地に彼らの技術の一部が残る。それを繰り返すことにより、帝国は彼らの技術を無理やり吸収しようとしたんだ」
気付くと彼は、拳を強く握り締めていた。
まさか自分の種族のことだとは、思ってもみなかった。彼は複雑な気持ちで、ウォンの話を聞いていた。
誉められていると言えなくもなかったが、彼にとってこの史実は、あまり誇れるものではなかったのだ。幼い頃に自らの種族の歴史を学ぶ機会があった際も、彼はこうした表層的な部分だけは聞いたものの、後のことは聞きたくないと耳を塞いできた。だから実際にタソ族の名前が出るまで、自分の種族のことを話しているということに気付かなかったのだ。
今回のこれは、その知識を補完するいい機会ではある。だがそれでもやはり、彼はこの話を詳しく聞く気になれなかった。
誇りを守るためであったとしても、彼らはそうして逃げ続けたのだ。その事実は、どうしたって変わらない。
彼は、ウォンになんとか話を切り上げさせようと口を開きかけた。やはり聞いていて楽しいものではない。早々に打ち切って、別の話に持っていったほうがいい。
しかし彼は、そのまま何も言わずに口を閉じることとなった。
なぜか隣で、自分よりも険しい顔でこの話を聞いている人間が居たのが気になったのだ。
「……どうしたんぞ」
シノが、まるで怖いものでも見たかのような真っ青な顔で、地面を見つめていた。自分自身が幽霊にでもなってしまいそうなほどの、蒼白い顔だった。
彼がそうして小声で話しかけてみても、彼女は眉をひそめて、
「……何でもない」
と、ぼそりと力なく返してくるだけだった。後はもう何も言わず、押し黙ってしまった。
彼はその様子を見ると、とりあえずいつものように「そうか」とだけ返し、自身も同じように黙った。
実は彼女は、こういう顔をしている時がたまにある。今日目の前で子供が転んだ時のあれもそうだが、どうも何か、彼女は腹に含んでいるものがありそうだった。
彼女のそういう顔が現れた時、彼は基本的に黙って静かに彼女から離れ、そっとしておくことにしていた。少し経てば、また元のシノに戻るからだ。
だが今回のこれは、なぜかどうにも気になった。単純に聞き飽きた話にうんざりしたような顔ではなかったのだ。
「なぜそんな顔をするのか」と、率直に訊いてみたかった。例え彼女に嫌われてでも、なぜか訊いておかなければならないような気がした。自分の種族の話の中でそうなったから、気になるのかもしれない。
しかし、ウォンの話は続いていた。そうした込み入った話は、まだまだ出来そうもない。
「ギアースが追い立てを行うと、彼らは脱兎のごとく逃げた。そのうち厳しい追い立てに遭っても落ちのびられるように、あらかじめ彼らは逃げ道を用意するようになった。そうしてだんだんと造られていったのが、今の逃亡街道という訳だ。だから街道沿いには、彼らが遺した遺跡が至る所に存在している。今でもその素晴らしい技術の結晶を内包したまま、ね」
この話は彼にとって急所であったが、彼は今、シノの方が気になって仕方がなかった。
その、はずだった。しかし次の瞬間にはもう、彼の頭からは彼女のことが吹き飛んでしまっていた。
彼が危惧していた、最も危険な世界の形。それがまさに今のこの世界の形なのだと、はっきりと分かってしまった。
ウォンの口から、出てはならない単語が出てきてしまったのだ。
「そう。つまり主に僕らが発掘しているのは、そんな彼らの技術が生んだ最高傑作。通称……」
聞き違えるはずもなかった。そうしてウォンは今日一番の大仰な振る舞いで、高らかにその言葉を、確かに口にしたのだった。
兵器、と。
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