それから一週間が経った頃。彼は、ある街にいた。
歴史の始まる場所。あるいは、技術の生まれる場所。その戦略的貴重さから、大陸で唯一ある程度の自治が許されている街。都市国家バンガロー。
この辺りでは珍しく大きな街だった。俗に遺跡都市と分類されるその街は、貧困などとは程遠く、すれ違う人々の表情も明るい。遺跡があるというそのことだけで、その土地は潤うのだ。
彼は盗掘の犯人を探すために、早速一番狙われそうな場所にあるこの街に足を運んだ。……という訳では全然なく、彼は実は、期せずしてそこにいた。
「……ちょっとくまたそ。聞いてるの?」
隣の小柄な人物に声をかけられ、彼は我に返った。
「あ、ああ。聞いてるぜ」
大きな街というのは興味をひかれるものが多くて、どうしても過疎地出身の彼はいろんなものに目移りしてしまう。
そうして答えはしたものの、まだ周りを見るのをやめない彼に、彼女は呆れたように溜息をついた。
「もう何日もここにいるのに、まだ何か珍しいものでもあるの?恥ずかしいからあんまりキョロキョロしないでよ」
ひょんなことから彼と同行することになった彼女の名は、シノ・ミズキ。彼と並ぶとまるで大人と子供のような身長差があり、顔にもまだまだあどけなさが残っている少女だったが、これでもれっきとした考古学の研究者である。
発掘で埃っぽいところによく出入りするためか、頭には細長い布をターバンのように巻いており、それがすっぽりと頭を覆っている。服も動きやすいようにゆったり目なもので統一されているので、どこかの民族衣装のように見えなくもない。
「で、ホントに私の話聞いてた?」
「聞いてる聞いてる。新しい護衛が来るんだろ?」
見た目からして不思議な取り合わせの二人であるが、その出会い方も変わっていたから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
彼に対して、こうして彼女の声にところどころ棘のようなものが混ざるのは、その出会い方に起因する。
この辺りの主な発掘現場の多くは、街を囲っている火山地帯に集中して存在している。彼らはそこで偶然出会った。
彼が盗掘の犯人を探しにしらみつぶしに遺跡をあたっていると、たまたま同じ所で発掘をしていた彼女と鉢合わせたのである。
ただ、そのタイミングが良くなかった。
火山地帯ということもあって、この街の名物はなんといっても温泉である。街中にはもちろん、発掘現場の方にも硫黄の匂いが充満し、至るところから温泉が湧き出ている。
なのでこの辺りで発掘をしていると、度々天然の温泉に出くわす。場所によっては湯加減もちょうどよく、そのまま入ることも出来る。発掘の疲れがたまったら温泉に入ろう。そう考える発掘者は少なくない。
そして、彼女もその例外ではなかった。
その日、彼女は遺跡の奥深くにまで潜り、発掘作業で疲弊していた。帰ってから休むという選択肢ももちろんあったが、疲れ過ぎていたために、彼女はこう思ってしまった。
ここで温泉に入ってしまえば、疲れは癒せる。そうすれば発掘もこのまま続けられる、と。
「今度の場所はかなり深いから、覗き魔一人じゃ頼りないのよね」
そう言って腰に手を当てながら嘆息する彼女に、彼は強く反論した。
「おい!アレはわざとじゃねえって言ってんだろ!!」
つまり彼は、そこに居合わせてしまったのだった。そのせいで、彼は護衛の仕事をタダ同然で引き受けることになってしまったのである。
深い場所だから大丈夫だろうと、なんのついたてもないところで入浴する彼女も彼女だったが、こういう時には男の方が圧倒的に立場が弱い。彼もそこを突かれ、仕方なく彼女の護衛として同行することになってしまったのだった。
というのが、大体の事の顛末である。
「本当なら警察に突き出してるところなんだから、ありがたく思いなさいよ」
「おんどれ話聞けや……」
とにもかくにも、二人はそうして拠点にしている宿に戻ろうとしていた。
遺跡の深部の探索と、盗掘者への警戒のためにと新しく雇った護衛が、そこに顔合わせに来ることになっている。
「ん?」
と、そこで二人の歩みが止まる。
二人して連れ立って歩いていると、一人の少年が彼らの前で盛大にこけた。持っていた袋の中身も、周りにぶちまけてしまう。
「おいおい大丈夫か?」
一見すると普通の少年のようだったが、手の甲にはふさふさとした柔らかそうな銀の体毛があった。亜人である。
彼がその少年に手を差し伸べようとすると、なぜかそこに、シノが割って入った。
「だめ」
「あん?」
彼女は彼の手を取り、強引に腕を下げさせた。
彼が訝しげに彼女を伺い見ると、彼女はひどく険しい顔で、少年を見つめていた。
さっきまでの冗談のような雰囲気が嘘みたいだった。
「何だよ。別にいいだろ?まさか亜人なんかに手を貸すなとでも言うつもりか?」
彼はそう不満を漏らしたが、彼女は取り合わなかった。
彼女はただ真っ直ぐに少年を見つめながら、静かに言った。
「……立ちなさい。自分で立てるでしょ?」
それはまるで、しつけ途中の子供のいる母親のような、毅然とした態度だった。
普段彼に対しては少し辛辣な言葉を言うこともあるが、周りにはいたって普通の態度の彼女である。基本的に温和な人間のはずだったから、彼はかなり驚いた。
明るそうに見えて、もしかすると彼女も何か、自分と同じように抱えているものがあるのかもしれない。彼はそう思い、その場は彼女に従った。
少年は自分で立ち上がり、ばら撒いてしまったものを拾うと、そそくさとその場を去っていった。
それをたっぷり見送った後、彼は少しためらいつつも、彼女に訊いた。
「……なんでだ?」
単純に疑問だった。彼には彼女が亜人を差別するような人間には、どうしても見えなかった。
「そんな目くじら立てるようなことでもないと思うんだが」
そう言うと、しかし彼女は明確に首を振った。
「……だめ」彼女は目を細め、どこか遠くを見ながら言った。「自分で立ち上がっていかないと、いつまで経ってもただの“亜人”だもの」
手を貸すことは彼らのためにならない。彼女はそう言った。
「同じ亜人なら分かるでしょ?あんただって苦労してフリーになったんじゃないの?」
彼女のそれに、彼は複雑な顔をした。
彼女の言う『フリー』とは、要するに自由な亜人達のことである。この辺りではフリーの亜人はかなり少数派で、マスターと呼ばれる主人が付いている亜人達の方が、圧倒的大多数である。
いわゆる奴隷とまではいかないが、マスター付きの亜人の行動はかなり制限される。常にマスターのそばに居なければならず、その性質は農奴のそれに近いかもしれない。実際その身体能力の高さを考慮して、彼らを農業に従事させるマスターは多い。
『亜人救済法』
始まりは、生活に窮した亜人達を救済するという体で制定された、この法律である。
当時は今より亜人達への風当たりが強く、大陸で人間とのコネクションを持つことが出来ずに、うまく生活の糧を得られない亜人達が多かった。そこで、彼らと人間との間を取り持つためという名目で、亜人達に裕福な人間の主人の下に付くことを国が奨励したのである。
しかしその実態は、慢性的な食料不足を憂いた国が、その生産を担う人的資源を確保するために苦肉の策で出した悪法だった。
それは彼らの身分を決定付けるものだったから、どうするかは各々の亜人達の判断に委ねられた。
しかしそうは言っても、実際彼らに選択肢はなかった。とにかく明日の糧にも困っていた彼らは、この制度に飛びついたのである。
制度上では、いつでも抜けることは出来るようになっている。しかし従属していればある程度の生活が保証されるとなると、そこから脱却しようとするものは少ない。そのせいもあって、大多数の亜人達の地位は低いままである。
その名前とは裏腹に、静かに彼らの首を絞めている。それがこの、亜人救済法という法律なのである。
歴史の始まる場所。あるいは、技術の生まれる場所。その戦略的貴重さから、大陸で唯一ある程度の自治が許されている街。都市国家バンガロー。
この辺りでは珍しく大きな街だった。俗に遺跡都市と分類されるその街は、貧困などとは程遠く、すれ違う人々の表情も明るい。遺跡があるというそのことだけで、その土地は潤うのだ。
彼は盗掘の犯人を探すために、早速一番狙われそうな場所にあるこの街に足を運んだ。……という訳では全然なく、彼は実は、期せずしてそこにいた。
「……ちょっとくまたそ。聞いてるの?」
隣の小柄な人物に声をかけられ、彼は我に返った。
「あ、ああ。聞いてるぜ」
大きな街というのは興味をひかれるものが多くて、どうしても過疎地出身の彼はいろんなものに目移りしてしまう。
そうして答えはしたものの、まだ周りを見るのをやめない彼に、彼女は呆れたように溜息をついた。
「もう何日もここにいるのに、まだ何か珍しいものでもあるの?恥ずかしいからあんまりキョロキョロしないでよ」
ひょんなことから彼と同行することになった彼女の名は、シノ・ミズキ。彼と並ぶとまるで大人と子供のような身長差があり、顔にもまだまだあどけなさが残っている少女だったが、これでもれっきとした考古学の研究者である。
発掘で埃っぽいところによく出入りするためか、頭には細長い布をターバンのように巻いており、それがすっぽりと頭を覆っている。服も動きやすいようにゆったり目なもので統一されているので、どこかの民族衣装のように見えなくもない。
「で、ホントに私の話聞いてた?」
「聞いてる聞いてる。新しい護衛が来るんだろ?」
見た目からして不思議な取り合わせの二人であるが、その出会い方も変わっていたから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
彼に対して、こうして彼女の声にところどころ棘のようなものが混ざるのは、その出会い方に起因する。
この辺りの主な発掘現場の多くは、街を囲っている火山地帯に集中して存在している。彼らはそこで偶然出会った。
彼が盗掘の犯人を探しにしらみつぶしに遺跡をあたっていると、たまたま同じ所で発掘をしていた彼女と鉢合わせたのである。
ただ、そのタイミングが良くなかった。
火山地帯ということもあって、この街の名物はなんといっても温泉である。街中にはもちろん、発掘現場の方にも硫黄の匂いが充満し、至るところから温泉が湧き出ている。
なのでこの辺りで発掘をしていると、度々天然の温泉に出くわす。場所によっては湯加減もちょうどよく、そのまま入ることも出来る。発掘の疲れがたまったら温泉に入ろう。そう考える発掘者は少なくない。
そして、彼女もその例外ではなかった。
その日、彼女は遺跡の奥深くにまで潜り、発掘作業で疲弊していた。帰ってから休むという選択肢ももちろんあったが、疲れ過ぎていたために、彼女はこう思ってしまった。
ここで温泉に入ってしまえば、疲れは癒せる。そうすれば発掘もこのまま続けられる、と。
「今度の場所はかなり深いから、覗き魔一人じゃ頼りないのよね」
そう言って腰に手を当てながら嘆息する彼女に、彼は強く反論した。
「おい!アレはわざとじゃねえって言ってんだろ!!」
つまり彼は、そこに居合わせてしまったのだった。そのせいで、彼は護衛の仕事をタダ同然で引き受けることになってしまったのである。
深い場所だから大丈夫だろうと、なんのついたてもないところで入浴する彼女も彼女だったが、こういう時には男の方が圧倒的に立場が弱い。彼もそこを突かれ、仕方なく彼女の護衛として同行することになってしまったのだった。
というのが、大体の事の顛末である。
「本当なら警察に突き出してるところなんだから、ありがたく思いなさいよ」
「おんどれ話聞けや……」
とにもかくにも、二人はそうして拠点にしている宿に戻ろうとしていた。
遺跡の深部の探索と、盗掘者への警戒のためにと新しく雇った護衛が、そこに顔合わせに来ることになっている。
「ん?」
と、そこで二人の歩みが止まる。
二人して連れ立って歩いていると、一人の少年が彼らの前で盛大にこけた。持っていた袋の中身も、周りにぶちまけてしまう。
「おいおい大丈夫か?」
一見すると普通の少年のようだったが、手の甲にはふさふさとした柔らかそうな銀の体毛があった。亜人である。
彼がその少年に手を差し伸べようとすると、なぜかそこに、シノが割って入った。
「だめ」
「あん?」
彼女は彼の手を取り、強引に腕を下げさせた。
彼が訝しげに彼女を伺い見ると、彼女はひどく険しい顔で、少年を見つめていた。
さっきまでの冗談のような雰囲気が嘘みたいだった。
「何だよ。別にいいだろ?まさか亜人なんかに手を貸すなとでも言うつもりか?」
彼はそう不満を漏らしたが、彼女は取り合わなかった。
彼女はただ真っ直ぐに少年を見つめながら、静かに言った。
「……立ちなさい。自分で立てるでしょ?」
それはまるで、しつけ途中の子供のいる母親のような、毅然とした態度だった。
普段彼に対しては少し辛辣な言葉を言うこともあるが、周りにはいたって普通の態度の彼女である。基本的に温和な人間のはずだったから、彼はかなり驚いた。
明るそうに見えて、もしかすると彼女も何か、自分と同じように抱えているものがあるのかもしれない。彼はそう思い、その場は彼女に従った。
少年は自分で立ち上がり、ばら撒いてしまったものを拾うと、そそくさとその場を去っていった。
それをたっぷり見送った後、彼は少しためらいつつも、彼女に訊いた。
「……なんでだ?」
単純に疑問だった。彼には彼女が亜人を差別するような人間には、どうしても見えなかった。
「そんな目くじら立てるようなことでもないと思うんだが」
そう言うと、しかし彼女は明確に首を振った。
「……だめ」彼女は目を細め、どこか遠くを見ながら言った。「自分で立ち上がっていかないと、いつまで経ってもただの“亜人”だもの」
手を貸すことは彼らのためにならない。彼女はそう言った。
「同じ亜人なら分かるでしょ?あんただって苦労してフリーになったんじゃないの?」
彼女のそれに、彼は複雑な顔をした。
彼女の言う『フリー』とは、要するに自由な亜人達のことである。この辺りではフリーの亜人はかなり少数派で、マスターと呼ばれる主人が付いている亜人達の方が、圧倒的大多数である。
いわゆる奴隷とまではいかないが、マスター付きの亜人の行動はかなり制限される。常にマスターのそばに居なければならず、その性質は農奴のそれに近いかもしれない。実際その身体能力の高さを考慮して、彼らを農業に従事させるマスターは多い。
『亜人救済法』
始まりは、生活に窮した亜人達を救済するという体で制定された、この法律である。
当時は今より亜人達への風当たりが強く、大陸で人間とのコネクションを持つことが出来ずに、うまく生活の糧を得られない亜人達が多かった。そこで、彼らと人間との間を取り持つためという名目で、亜人達に裕福な人間の主人の下に付くことを国が奨励したのである。
しかしその実態は、慢性的な食料不足を憂いた国が、その生産を担う人的資源を確保するために苦肉の策で出した悪法だった。
それは彼らの身分を決定付けるものだったから、どうするかは各々の亜人達の判断に委ねられた。
しかしそうは言っても、実際彼らに選択肢はなかった。とにかく明日の糧にも困っていた彼らは、この制度に飛びついたのである。
制度上では、いつでも抜けることは出来るようになっている。しかし従属していればある程度の生活が保証されるとなると、そこから脱却しようとするものは少ない。そのせいもあって、大多数の亜人達の地位は低いままである。
その名前とは裏腹に、静かに彼らの首を絞めている。それがこの、亜人救済法という法律なのである。
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