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「強いわね」

突如、すぐそばで低い声がした。

「これは、彼にはちょっと荷が重かったようね」

彼は男が目を覚ましたのかと思って素早くその場から飛び退いたが、違うのだった。
男がうなだれている木に、いつの間にやら腕を組みながら寄りかかっている人間がいたのだ。全くの第三者である。

「……誰だお前」

彼は平静を装っていたが、完全には驚きを隠せないでいた。
戦闘が終わった今も、確かに彼はこの辺り全てにアンテナを巡らせていたはずだった。勝利の余韻に浸っている時が、一番身を危うくする瞬間だと彼は知っているからだ。
しかしそれでも彼は、この人間の気配には全く気付けなかった。彼の研ぎ澄まされた五感をもってしても、毛程も感じる事が出来なかった。

口ぶりからして、おそらく男の仲間。
彼の額に一筋の汗が流れた。緊張がはしる。この事実が意味する所は、彼が先刻危惧していた、ある可能性を示唆していたからである。

「お前……」

彼ほどの力を持っている人間にも、簡単にはその存在を気取らせない。

「強いな……?」

真の強者。達人が、この場にいるかもしれないという可能性である。

「あら。光栄だわ」

問われた相手は、木から背を離し、腕を解いた。
いささか機嫌よさそうに彼に答えた後、柔らかくしなやかに動きながら、その人間はこちらに歩いて来た。

(んん?)

月明かりに照らされ、相手の姿が徐々にあらわになっていく。堂々とそうしてくれるのは有り難いのだが、それに連れて、なぜか彼の頭のなかにいくつもクエスチョンマークが湧き出す。

背が大きいのだった。“変身”した彼と、ほぼ同じくらいである。彼はかなり身長が高く、190cmはゆうにあるはずなのに、その彼と比べてもほとんど遜色ない。それどころかその体つきも似通っている。つまり、筋骨隆々爆肉鋼体である。
敵意はあまり感じられないので、そのまま全貌が見える所まで接近を許してみて、彼は確信した。





















挿絵:秋桐やん 氏

「女にしちゃあ声が低いなあとは思ってたが、そういう事か」
彼のその言葉に、男は眉根を寄せ、再び腕を組んだ。
「あら、どういう意味よ。失礼ね」

あらゆる所作から見取る事が出来る。この男は、間違いなく強い。おそらく彼が出会ってきた中で、最も。

「目の前の人間が男か女かなんて、どうでもいいじゃない。このすさんだ世界じゃ、強いか弱いかの方がずっと重要なんだから」

妙に実感のこもった物言いに少し疑問はあったが、彼はとりあえず話を合わせる事にした。
色々と聞きたい事が多い。饒舌になってもらった方が都合が良い。

「……まあ、そうかもな」
「あら!」

気が合うわね、と相手の機嫌が目に見えて良くなる。どうやらうまくいったらしい。

「ほんと、すさんできちゃったわよね~。あるとこにはあり過ぎるくらいなのに、この辺だとご飯食べるのもままならない人がいるって言うんだから。大変よね」
「おいおい。それが分かってんだったら、人から物盗ったりするんじゃねえよ」

他人事みたいに言うな。そう思い、彼はつい脊髄反射で反論してしまった。
まずい、と彼は思った。相手を挑発するような言動は、なるべく避けるべきだ。これでは情報を引き出すのが難しくなる。
しかし男は、そんな彼の懸念とは全く違う方向の反応を示した。え?と男は気の抜けたような声を上げ、きょとんとした顔を彼に向けた。何を言われたのか全く理解出来ていないような顔である。

演技には見えにくかったが、彼はそんな男の様子をしらじらしく感じたのか、苛ついた声で言った。
「え?じゃねえよ。お前そこのやつの仲間なんだろ?」
すると今度は、「そうよ」と、しっかりとした答えを返してきた。
訳が分からない。彼は首を傾げながら言った。
「じゃあ、やっぱり盗賊じゃねえか」

彼はあの男にやられた事を思い返してみたが、やはりそうだった。ただ歩いているだけで、「荷を置いていけ」と言われたのだ。これを盗賊と言わずして何と言う。そしてここにはそもそも、村で盗賊が出て困っていると聞いてやって来たのだから、あの男が盗賊である事に争いは無いはずだ。

それなのに、である。

「……ふふ」
男がなぜか笑い出す。
「ふっふ……あ、ごめんなさい。別に馬鹿にしてる訳じゃないのよ?ふふ……」

訳も分からず訝しげに見つめる彼に、男は無理やり笑いを収めようとしながら、言った。
そう言えば今回は、そういう設定だったわね、と。

「違うのよ。ほんとは。私達は盗賊なんかじゃない」
「なにい?じゃあ何なんだよ」

彼がそう訊くと、男はそこでピタリと笑うのを止めた。今までの一種冗談のような雰囲気も、一瞬にして消え去る。敵となる人間と対峙した時、恐怖で竦んだり気圧されたりしているのを相手に悟られるのは得策では無い。その事を彼はよく知っていたが、それでもたじろぎそうになった。
ただの盗賊とはどうしても思えない。男は曇りのない眼で、彼を見つめ返してきたのである。


「私達は、“アームズ”」


先程までは幾分高かった声も、また低くなった。

「アームズ?」

彼が訊き返すと、男が頷く。

「そう、アームズ。それが私達の組織の名前」

外来語の名前のようで、ご丁寧にそのスペルまで解説された。
“ARMS”と、男は自らの組織をそう呼んだ。

「平和を愛する人間達の集まりよ。今この地を蝕んでるような、力による無理な統治は絶対に許さない」
「それにしちゃ随分物騒な名前じゃねえか。ARMSって“武器”って意味だろ確か。戦争でもおっ始めそうな名前だぜ」

兵器も持ってるようだし、やっぱり盗賊と大して変わらねえんじゃねえか。
彼がそう言うと、男は外来語にも詳しい彼の博識さに感心しながらも、首を横に振った。

「本当に、色んな事知ってるのね。けど、違うわ。確かに意味はその通りだけど、私達は基本的に反戦派だもの」
「反戦だあ~?」

さらりと出てきた単語に明らかな嫌悪感を示す彼。その片眉が大げさに吊り上げられる。

「いやだからよ、そこで倒れてる奴にも言ったけど、言ってる事とやってる事が合ってねえじゃねえか。そんな組織の人間が、なんで普通に暮らそうとしてる人間を襲ったりするんだよ」

彼はおかしな事は言っていないはずであった。それは実に論理的な思考から生み出された帰結であり、徹頭徹尾正しいもののはずだった。
しかし、論理というものはまずその始点がきっちりと確定していないと、全てが台無しになるものなのだ。間違ったものを正しく論じる事が出来ても、仕方がないのだから。

男は言った。

「襲ってないわ」

ふふ、と控えめに男は笑う。
分からなくても仕方がない。これはそもそも嘘なのだから。男はそう言った。

「嘘、だと?」
「そうよ」
腕を組んで、のけぞるようにして男は言う。やましい事は何も無いと、自信たっぷりのようだった。

「あなたは誰に聞いたのかしら。彼の、“ナハトイェーガー”の事を」
「誰って……」彼はそんな男を訝しみながらも言った。「村の、なんだ。炊き出しをしてたシスターに盗賊が出て困ってるって聞いたんだが」

彼のそれに、男はふふんと胸を張る。
それよ、と男は言った。

「頭はいいけど素直過ぎるわねえ。人から聞いた情報をそのまま鵜呑みにして危険な場所に来るだなんて。……まあ、私達もそれを期待してやってるんだけどね」

彼には男の言っている事がよく分からなかった。彼の生粋の人の良さが思考の邪魔をし、すぐに浮かんだはずの考えを、彼は頭の隅に無意識に追いやっていた。

「……つまり、どういう事だ」

彼がまた訊く。すると、男はおおげさにため息をついて見せ、やれやれとばかりに首を振った。

「存外察しが悪いのねえ。……でも、教えてあげる。あなたはつまり、釣られたのよ。まさにまぐろの一本釣りのごとく、ね」

まずは何から話そうかしら。男は顎に人差し指を当て、考えながら話し出した。
彼はそして、いきなり度肝を抜かれる事になる。なぜなら次に男の言った言葉が、思いもよらないスケールの大きさを持っていたからである。

私達は、“国”を作るために活動している。

まず最初に、男はそう言ったのだ。

「この辺りに難民が増えてきているのはなぜか知っていて?」
続けて男に問われ、彼は首を振った。
どこかの国から流れてきているという事だけで、詳しくは知らない。彼がそう答えると、男は言った。
この大陸を治める一つの大国の困窮が、その原因なのだと。


北方の大国家、ギアース。武勇で名を馳せた国で、その強大な力をもって近年急速に勢力を拡大し、今ではこの大陸のほぼ全てを掌握していると言われる大国である。
大陸の統一を進めたその国のお陰で、今の大きな戦乱の無い世がある……というのが、ギアースに対するこの辺りの人間の一般的な認識である。

そんな国が、しかし男の話からすると、今は危機に瀕しているらしい。ここ数年の農作物の不作がたたり、中央を維持するために、属国に高い税金をかけざるを得ない状況になったようである。そしてそれを払えない者達が粛清を恐れ、領地を脱出。難民になり、この状況を生んでいる……というのが、事の顛末らしい。

食べ物が無ければ、外国から金を出して買えば良いだけ。他には何も考えず、税金を上げるだけですますというその対症療法的な国の政策が、もう限界にきているのだと男は言う。諸外国に足元を見られ、食糧の輸入金額を引き上げられてしまった結果、首が回らなくなりつつあるらしい。

何かもっと、抜本的な対策を。この状況に憂いた国民が、そう国に変革を求めても、無駄だったようだ。その意見が聞き入れられる事は全く無く、それどころか、少し大きな声で国の批判をしようとするだけで逮捕監禁という憂き目にまであうらしく、国民は大人しく従う他ない状況のようである。

本当なら、ひどい話。彼は話を聞きながらそう思っていたが、しかし男の方は、この状況はある意味では仕方のない事なのだと、諦めたようにため息をつくのだった。
曰く、
「人間様が、蟻の話に耳を貸すかしら?貸さないでしょう?相手に痛みを与えたら、同じ痛みが返ってくる可能性がある。そういう状況になって初めて人は他人の話を聞いたり、相手の事を思いやるようになるのよ」
強者は強者の言う事しか聞く耳を持たない。強者と話をするには、どうしても自分達も強者になる必要がある。そう言って、男は右拳を胸の前で握り締めた。

「だから、国なの」

ここでようやく、男の始めの言葉に繋がる。
しかし究極的には国でなくても良い。男はそこで、そうも言った。
“国のように強い存在”でありさえすれば良い。そうすればとりあえず、話をする事くらいは出来るから……と。
男は言いながら、何やら遠い目で自分の拳を見つめていた。まるで男にしか見えない映像か何かが、そこに映しだされているかのように。

「……どうも、感情が入り過ぎちゃうわね」

男は少しバツが悪そうに彼を見て、自嘲気味に笑った。
確かに今までの落ち着いた口調からすると、いやに熱を帯びた話し方だったかもしれない。
「ちょっと、喋り過ぎたわね……」
喉元まで来ていた言葉を散らすためか、コホンと一度咳払いをしてから、男は仕切り直した。

「こんな所で、そろそろ分かってきたかしら。私達は強くならなければならないの。だから各地に散らばって、こうしてあなたみたいに強い兵器使いをスカウトしているって訳。強そうな人を見繕っては誘き出す“紹介人”と、その強さを実際に戦って見定める“案内人”を使ってね。ただ声をかけるんじゃなくて、こうして実際に戦ってもらって、それから初めて切り出すの。そうしないと、本当に強い人間は集められないから」

男も女も、見た目だけじゃ分からない。ぶつかり合わなきゃ見えてこないものもあるでしょう?そう男は加えた。

「兵器使いって、基本自分が一番強いと思ってるから、機会があればいつでも力を試したいって思ってるのよね。だからちょっとエサを撒くと、すうぐ釣れるの。例えば今回みたいに、悪い奴がいるから困ってる~って言うと、その討伐を大義名分にして力を試そうとするのよ。それに能力をあまり知られたくない秘密主義者が多いから、ほとんど単独で来てくれるのよねえ……」

男の話の筋は、一応通っているように彼には思えた。ギアースという国についても、嘘を言っているようには思えなかった。おそらくその辺りの情報には、嘘はないのだろう。

「あら?」

しかし、彼は再び男に向かって構えを取っていた。

「……何か、不満かしら?納得いかない事でもあった?」

男の話を聞いている間ずっと、彼の頭に、あの時のシスターの顔が浮かんでいた。心の底から悲しそうに、今にも泣き出しそうに口元を歪ませる、こちらの胸まで締め付けられるように沈む、あの彼女の顔だ。

男の話から推し量っていくと、そんな彼女もまた、男の仲間だという事になる。彼は彼女から盗賊の話を聞き、この仕事を請け負った。状況的に見て、彼女以外に彼をこの場に送り込めるような人間は他にいない。夜の狩人が男の言う“案内人”だとすると、必然、あのシスターは“紹介人”という立場の人間になってしまうのだ。
それを彼は、頭の片隅では理解していたのだが、どうしても素直に頭に入って来ない。彼には、彼女が男と同じような理論で動いているようにはどうしても見えなかったのだった。
体よく取り繕ってはいるが、結局男の言う所は、『力をもって力を制す』。そういう方法だと思われる。そんなやり方を、彼女はよしとしないはずなのだ。


彼女のあの伏せた目が、震える唇が。全てを物語っていた。
彼女はおそらく、武器そのものを嫌っている、と。


「…………」

やはり、彼女が男の仲間だとはどうしても思えない。男の話も、盗賊が自分達の稼業を正当化するために作り出した方便のように思えてならない。
そうして彼が眉根を寄せながら黙っていると、男が言った。

「……信じられない?」

それでも黙っていると、男は少し困ったように目を伏せ、長く嘆息した。

「まあ、そうよねえ……。素直過ぎるなんてあなたに言っておいて、私の話は信じろって言うのもおかしな話よね」

仕方ないわね。そう言うと、男は彼に背を向けた。

「今日の所は帰るわ。また会いましょ」

そうしてすっ、と男が一歩踏み出した所で、彼がようやく動く。

「待て」

彼の呼びかけに、男が再びこちらに振り返る。

「……何かしら」

彼が男の奥の方を指差す。

「分かってんだろ?そいつは置いてけ」

男の後ろで今もうなだれている夜の狩人を指差し、彼は言った。
とにもかくにも、自分が夜の狩人から攻撃を受けたのは事実なのだ。持っている兵器の事もあるし、このままただで帰す訳にはいかない。
彼がそう詰め寄ると、男はひょいと肩をすくませ、言った。

「……嫌だと言ったら、どうなるのかしら?」

疑問形だが、彼にはもう分かっていた。男はきっと、どうあっても渡す気はないのだろう。
彼は何も言わなかった。たださらに腰を低くして構え、男ににじり寄った。それが彼の答えだった。

男は再びそうして臨戦態勢を取る彼を見ると、虫でも払うかのようにひらひらと手を振り、それを拒否した。

「あら、嫌よ。そんなので殴られたら痛そうだし」

あの決着からそれなりに時間は経っていたが、未だ彼の腕はその大きさを保っている。確かな実力をもっているだろう男にも、さすがにこの腕を無視する事は出来ないようだ。
そんな男に、しかし彼は暴挙に出る。

「まあまあ。そう言う……」おもむろにクラウチングスタートの態勢を取ったかと思うと、次の瞬間、彼はいきなり男に飛びかかった。「なって!!」

男が邪魔になるなら、やるしかない。
一瞬にして双方の距離が詰められる。程なく男に迫る彼の巨大な拳。豪拳が男の左頬に突き……

「……むう!」

刺さらない。
盛大に空を切ったそれのせいで、周辺にあった水たまりの水が吹き上げられる。水滴が月の光を反射して、そのままキラキラと舞い散る。

「すごい風圧ねえ。当たったら本当に痛そう」

男は彼の攻撃を紙一重でかわしていた。まさに間一髪、と言った所だろうか。
いや、間一髪というのをギリギリで切羽詰まった様と捉えると、それは正確な表現ではない。男の顔は、余裕で満ちている。

男は、“最小限の動きでかわした”だけなのだった。彼の攻撃の速度に着いていく事が出来なかった訳では全くない。
それはまるで、軟体動物のようないなしだった。男の左頬に突き刺さるはずだった彼の拳は、男が身を捩ると、ぬるりとその体表面上を滑らされ、見事にそのベクトルをずらされてしまったのだ。

彼は、その一瞬の接触だけで理解した。
これは、圧倒的な技術だ。完全に堂に入った、何かしらの武術だ、と。

「……あら?」

しかし元々、彼の目的は男への攻撃ではなかった。男が強かろうと弱かろうと、今はそんな事は問題ではない。
今最優先にしなければならないのは、“夜の狩人”である。その夜の狩人を庇うように立っていた男を、その場からどうにかして動かさなければならなかった。だから彼は、全く敵意の無かった男に対してこんな暴挙に出たのだ。

攻撃をかわされた次の瞬間には、彼はもう走っていた。なんとしても、あの兵器だけは回収しなければならない。先程は男の出現に面食らって邪魔をされてしまったが、今度こそはと彼はそこに迫った。
しかし、彼がそうしてまさに夜の狩人の目前にまで迫り、その襟首に再び手を伸ばしかけた時だった。

「!?ああん??」

またしても、かれのそれは失敗する。
彼の手がそこに到達する直前、突然夜の狩人が不可思議な動きをして、それをかわした。二人の距離は、また大きく空いてしまう。

一瞬自らで立ち上がったかのように見えたが、それは違う。夜の狩人の首はうなだれたままで、まだ確かにその瞬間も気絶していたのは間違いないからだ。
ではなぜ夜の狩人は彼の手をかわせたのか。その答えはすぐには分からなかったが、見た瞬間から頭に去来するものが彼にはあった。

あれに似ている、と彼は思っていた。人形劇。背中や腕を吊られた人形が、人に操られて動く様に。ぐにゃぐにゃと力の抜けた足が、特によく。
夜の狩人は、何かに引っ張られていたのだった。だらりと腕を垂らし、足を引きずられたまま左方に引っ張られていき、そのまま……

「だ・め・よ♪」

最も渡ってはいけない者の手に、いとも簡単に収まってしまった。

「彼は大事な仲間なの。渡せないわ」

月の光の当たらない暗がりから、その太い腕だけを表に出して、男が言った。
いつの間にか男は元いた場所から移動していて、夜の狩人の襟首の辺りを掴みながら、彼から少し離れた木陰に立っていた。
完全に出し抜いたと思ったのに、逆にまんまとしてやられてしまった。
彼は気付くと、拳を固く握り締めていた。

「てめえ……」彼はしかし、解せぬといった面持ちで、少し刺々しい声色で男に言った。「今、何した」

彼のそれに、暗がりからふふ、と声が漏れ出る。
先程までは気にならなかったそれも、今の彼には耳障りだった。顔はよく見えないが、男はおそらく、してやったりと笑っているのだ。

「さあ、何かしらね」

男は彼の問いに当然のようにそうぼかしたが、彼は元々それには答えてくれるとは思っていなかったので、特にどうとも思わなかった。それについては、おそらく自分でも答えないからだ。
が、これならどうかと彼は言う。

「なんで分かった」

男が何かしらの力を使ったのは明らかだが、それはまあいい。問題はそこではない。なぜ自分の目的が男への攻撃ではなく、夜の狩人の方にある事が瞬時に分かったのかだ。そうでなければあり得ないだろう。あの対応の早さは。
彼がそう訊くと、男は笑って言った。

「だってあなた、やる気なかったじゃない」
「何?」

少し気の抜けた返事を彼が返してしまうと、男はなぜかあえて暗がりから一歩前に出てきて、再び顔を晒した。そして癖なのか何なのか、またひょいと肩をすくめ、男は言った。
「殺気がこもってなかったって事。だめよあんなんじゃ。目的が別にあるって事がバレバレだもの。フェイントでも何でも、相手を騙したいと思ったなら、ちゃんと殺気もこめないと」

さっきまではどうにも苛立ちが強かったが、その返答を聞いた瞬間から、それは綺麗に消え去ってしまった。
彼はふうむ、と唸ってしまっていた。分かってはいたが、やはりこの男只者ではない。間違いなく自分と同じくらいか、それ以上の力を秘めている。

「……なるほど」

夜の狩人を渡してはならない。あの兵器は危険なものだ。
そういう理性的な感情の上に。ダメだと思ってはいても、しかし。
抗い難い好奇心が、腹の底からこんこんと湧いてきてしまっていた。

“こいつと闘ってみたい”

思わず、男に向かって構えた腕に力が入る。口元がにやけるのを隠そうとしても、うまく隠す事が出来ない。彼のその顔は、新しいおもちゃを目の前にぶら下げられてうずうずしている子供と、何ら変わりの無いものだった。

「……ふふ」

男は、その彼の感情を知ってか知らずか、瞑目しながら笑みをこぼした。
強さを持つ者が、強者と拳を交えたいと思っているのは、どこの世界でもきっと同じ。
男の笑みを見てそれを確信し、自分の意思が通じたかと思って彼もニヤリと笑ったが、しかしすぐにそれは違うという事に彼は気付かされる。

今この時になっても、やはり男の戦意が全く感じられない。
男の方が、ここにおいては彼よりも遥かに理性的だった。

「……まぁ、やってみたくないって言ったら嘘になるわね……」男はそう言いながらも、持っていた荷物を左腕に抱え直す。「でも、今日の所はやめておきましょ。楽しみは後にとっておくものよ」

男は諭すように彼に言ったが、彼の方はその構えを解く事はなかった。
一度ついてしまった炎は、どんなに小さくてもやがて周りに燃え広がっていく。
彼にももう止められないのだった。後はもう、流れに身を任せるだけだ。

視線が交錯し、彼が再びその意志を無言で伝えると、男ももう無駄と悟ったか、黙り込んだ。
睨み合いながら一息、また一息としていくうち、徐々に両者の呼吸が合わさっていく。リズムを取りやすいように、彼はあえて肩で大きく息をして、そのリズムを男へと伝える。完全に呼吸がシンクロするその時が開戦の時だと、双方は言わずとも理解していた。

そして、その瞬間はすぐに訪れた。彼はふっ、と大きく息を吐いて全身を硬直させ、思い切りよく踏み込んだ地面を、ぐっと蹴り出そうと前屈みになった。さながら闘牛における、マタドールを突き破らんとする牛のようである。
後はその足を踏み出すだけ。
そんな時、しかし予想だにしない所からの攻撃により、彼はその足を止められる事となる。

男がいつの間にやら拳に数センチ程の小さな石を仕込んでいて、それを彼に向かって指で弾いてきたのだ。

「むお!?」

撃ち出された石はかなりの速さであったが、彼は首をひねり、なんとかそれをかわした。親指で弾くだけという小さな予備動作のせいもあって、意表を突かれてしまった。
男が彼の出鼻をくじいた形となる。

「い・や・よ♪」

力のある者同士の戦いは、どうしても呼吸を整える必要があるのだった。ただぶつかる事の危険さを、達人と呼ばれる人間は熟知している。ちょうど、熟練した何らかの楽器の奏者が、例え呼吸の関係のない弦楽器であったとしても、不用意に演奏を始めないのと同じように。
男はこの習性を利用し、彼の足を止めたのだった。

「やらないって言ったでしょう?向かってきちゃい・や」

次の弾を指に準備しながら男が言うので、彼は無闇に男に向かって飛び込んで行く事が出来ない。当たればおそらく、彼でもダメージを受ける。
その場に釘付けになった彼を確認すると、男はニコリと笑った。

「そう、それでいいのよ。少し落ち着きなさい」

そうしてニコニコしながら彼を眇めつつ、男は人差し指を顎の辺りに当て、うーんと唸った。
何かに迷っているように見えたが、それが何かはすぐに分かった。

「これを避けられたら今闘ってみてもいいかなって思ったんだけど……」

まあ、無理よね。
と、男がそう不敵に笑いながら言った瞬間だった。

「ああん?……へぶっふ!!!!!!」

突如、目玉が飛び出そうになる程の激しい痛みが、彼の後頭部を襲った。
何やら硬くて小さなものが、彼のそこに激しく打ちつけられたのだ。

「ぐ……っ!」

それでもふるふると頭を振り、急いで彼は立ち上がる。
しかしやはり……。

「……くそ!」

男の姿は、もうそこにはなかった。
彼は唇を噛み、急いで男の影を追おうとしたが、無駄だった。
男は、そこに何の気配も残してはいなかった。男がここに本当にさっきまでいたのか疑わしくなる程、僅かな余韻すら残っていない。これでは追う事など完全に不可能だった。

「ちっ」

彼は追跡を早々に諦め、傷んだ頭をすりすりと擦った。

「…………」

彼はその自身のコブの大きさを確認しながら、それを作っただろう物にじろりと目を向けた。
石だ。何の変哲もない石。しかしおそらく、男が先程弾いた石だろう事は分かる。
しかし彼方に飛んでいったはずのそれがなぜ、ここにあるのか。彼は考えながら、それをつまみ上げた。

物体をブーメランのように行使する能力か。あるいは単純に、夜の狩人のように自由に物体を操作出来る能力か。夜の狩人を手元に持っていった所から見るに、後者の可能性の方が少し高いかもしれない。

男とはどこかでまた会う事になるかもしれないが、彼はそこで思案を無理やり打ち切った。それ以上の事は何も分からないし、憶測で仮説を立ててみても仕方がない。それよりも他に考える事が多すぎて、今は男の能力などどうでもよかった。
彼は複雑な面持ちでその石をめんどくさそうにそこらに放り投げ、今はもう誰も居なくなってしまった森の闇を見つめながら、ため息をついた。







翌日。
彼は再びあの村に赴き、仕事の報告をするために教会を訪れていた。朝一番だというのに、そこはたくさんの人で溢れていた。

信心深い人間が多いのか。そう彼は感心しそうになったが、その集まっている人間の顔ぶれを見て、すぐにそうではない事に気付いた。
作業着の人間や、ヘルメットをかぶった人間がちらほら散見出来る。この人ごみは、労働者の集まりなのだった。シスターからは教会ではなく外で直接仕事を受けたので、今この村に存在する仕事の割り振りなどが、ほぼここで行われているのだという事を彼は失念していたのだ。
その人の多さに多少辟易としつつも、彼はその男も女も関係なくもみくちゃになっている人の海を少しづつかき分けていき、何とかシスターの所へと向かった。

「ちゃーっす」

軽く挨拶をしつつ、彼はその労働者の詰め所のようになっている所へと入って行った。
誰も彼もが整然とシスターの元に並ぶ横で、労働者達が用意されたテーブルについて談笑したり、仕事の話をしている。これで酒瓶でも置いてあれば、簡素な酒場のように見えなくもない。
難民が多くて大変なのだろうが、賑わっているのは単純に良い事だ。そう思って少しほっこりとしながら彼が列に並ぼうとすると、しかしその瞬間、場に小さなどよめきが起こった。

視線が急に自分に集まり、何が起こったのか分からなくて彼が立ち尽くしていると、横に並んでいた一人の初老の男が訝しそうに寄ってきて、思い切り値踏みされた。下から上までたっぷり舐めるように彼を見つめてから、ようやくその男は口を開いた。

「あんちゃん」

何かまずかったのだろうか。実は自分の知らないローカルルールのようなものが存在するのだろうか。
彼はそうして固唾を呑んだが、事はそう深刻なものでもないらしく、男の表情は硬いものではなかった。

「お前さん、マスターは?一緒ぢゃないんか?」

彼は首を傾げた。マスター?依頼人の事だろうか。
そう言えば、と彼は思い当たる。自分はこの所人が多い所によく出入りしていたから、背が低いと煩わしい事が多かったので、変身した状態でずっといたのだった。そのせいで金持ちや、何か要人のお抱え用心棒にでも見えたのかもしれない。

「いや、俺は……」
「あー、もう言わんでええ言わんでええ」
何も答えなかったのに、なぜか男はウンウンと頷いて勝手に何かを納得し、彼の肩をポンと叩いた。
「いや何、気を悪くせんでな。皆亜人の労働者が珍しかっただけなんよ。そうかいそうかい。一人で頑張っとるんじゃのお」

言われて彼は周りを伺う。外では何度か見かけたような気がしていたが、よくよく見てみると、この場には彼以外亜人が一人もいない。その体格の良さもあって、彼一人が完全に浮いてしまっていた。
やはり亜人は少数派で、あまり一般的ではないという事なのだろうか。彼は居心地悪そうにぷんと鼻を鳴らし、眉を寄せた。

しかし別にここにいてはダメというものでもないらしく、少しの間好奇の目に晒されはしたが、もうすでに周りは各々の会話に戻っていた。話しかけてきた男も、去り際に背中を擦るようにポンポンと叩いた後は、また列に戻って大人しく順番待ちをしているだけだった。
勝手に完結されて何となく納得いかない気持ちもあるにはあったが、彼も気を取り直して、列に黙って並んだ。変に何か喋っても、藪蛇になりかねない。

そうして目立たないように縮こまって順番を待っていると、あっという間に彼の順番が回ってきた。持っている報告書を見せ、その場で給金を受け取るだけというスタイルなので、対応も早いのだろう。
早速彼が対面したシスターに報告書を渡すと、シスターは言った。

「通商業務ですか。向こうの判は……大丈夫ですね。お給金はこちらになります」

どさりと、かなりの量の硬貨が入っているだろう革袋を渡される。

「……なんか多くねえか?」
彼がそう言ってそれをつまみ上げると、彼女は言った。
「え?そうでしょうか?皆さんで分けたらそこまで多いものではないはずですが」

なるほど、と彼はポンと手を叩き、きょとんとするシスターに訳を話してみた。すると、

「え!?これお一人でやられたんですか?ええ??」

本来一人でやる仕事ではないので、彼女は報告書と彼を何度も見直して、驚愕の声を上げた。藪蛇をつついてしまったかと彼は思ったが、彼女は彼の体つきを改めて見ると、勝手に納得してくれた。
そう言えば、自分に仕事をくれたあのシスターはどこにいるのだろうか。彼女がいれば一番話が早くて助かるのだが、少し見渡してみても見当たらない。
仕方ないので彼は盗賊についての報告も目の前の彼女にする事にしたのだが、その話をすると、彼女は首を傾げた。

「盗賊ですか?」
「おう。ほら、なんか兵器を使うでかい盗賊団がいて困ってるっていう話。あったろ?」

実際には盗賊団ではなく、兵器を巧みに使った単独犯だった。しかしその男は何やらよからぬ組織の構成員で……。
彼はそうして詳しく説明したが、彼女はぽかんとしたままだった。

「へいき……?」

それもそのはず。彼女はそれ自体を知らないのだった。盗賊団の話はもちろん、兵器の話まで、全てを。

「…………マジか」

それなら炊き出しの時に自分が会ったシスターはどこに居るのか、と試しに尋ねてみると、驚くべき答えが返ってきた。
彼女はここのシスターではなく、全くの部外者なのだった。どこかから流れてきた旅のシスターとして、彼女はあの炊き出しを手伝ってくれたのだという。それ自体よくある事であるし、人出も足らなかったので、喜んでそれを受け入れたらしい。この短い期間によっぽど気に入られたのか、彼女の事を話すシスターの表情は、とても明るかった。
そんな彼女だったが、しかし炊き出しが終わった後は、すぐにまた旅に出てしまったらしい。とても真面目で、誰にでも優しく振る舞うシスターだったので、送り出すのが惜しかった……と、目の前の彼女は少し残念そうに言った。

それを聞くと、彼はもう何もかもを理解して、もうこれ以上彼女に何か訊く事はしなかった。そうか、と一言寂しそうに呟くと、シスターに給金の礼を言い、彼はその場を後にした。


自分は知らないのだ。何も知らない。分からない。彼は旅に出て初めて、そうした無力感に苛まれてしまっていた。いつも覇気のあるあの彼には程遠く、とぼとぼと音が聞こえてきそうな程、彼は肩を落として廊下を歩いた。
知識だけではどうにもならない事がある。だからこうも易々と騙される。あのシスターの全てが演技だというのなら、この先自分は、何が本当の事で、何が嘘なのかを見極めていく事が出来るのだろうか……。
彼は教会の外に出ると、その鬱屈としてしまった気持ちが少しでも晴れないだろうかと、空を見上げずにはいられなかった。

外の世界は思っていたよりずっと厳しい。自分の旅はおそらく、順風満帆なものにはならないだろう。
空は晴れ渡っているように見えたが、遠く上空には、この地にスコールをもたらすあの暗雲が、またもくもくと立ち込めていた。これから少しすればここにやってきて、再びあの滝のような土砂降りの雨を降らすのだろう。
彼はその雲を少し恨めしそうに見つめると、すっかり鉛のように重くなってしまったその足を引き摺るようにして、歩き出した。



旅はまだまだ始まったばかり。彼の道は続いていく。
その空に暗雲が立ち込めていようと、その道が泥道だろうと、そこに大岩が立ちはだかっていようと、続いていく。

続いていくのだ。





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無題
挿絵ワロタwwwwwwwwwwwww

少しずつ兵器千戦とリンクしてきましたな……?!
これは熱い!
そして長い!
のすけ 2014/02/24(Mon) 編集
無題
更新乙たそ~!
女子キャラが出てくるのかと思ったら予想外な挿絵がww
RR 2014/02/24(Mon) 編集
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