逃亡街道に雨が降る。
「かぁ~!気持ちわりいなあ!」
彼は、もうすでに役に立たなくなってしまっているレインコートをつまみながらぼやいた。
「あー……くっそ」
足元のぬかるみを、おおげさにばしゃばしゃと蹴り上げるようにして歩く。
「はぁ……」
心なしか、ここまで普通に引いてきたはずの荷車も重く感じる。闇には人の力を吸い取るような何かがあるのかもしれない。何となくそんな風に思ってしまうくらい、このまとわりつく雨と暗闇は、彼を少しづつ疲弊させていったのだった。
彼の溜息は、その夜の暗黒と、生ぬるい雨の音に吸い込まれるようにして、静かに消えていった。
ここは逃亡街道8号線。村と村の間を結ぶ、およそ5キロ程の短い道路である。
彼は、その中程に居た。一人で引いてくるにはかなり大きめの荷車をともなって、雨の中をゆっくりと歩いている最中だ。
荷車には、当然ながら荷物も積んであった。雨よけのカバーの下には、いくらかの食料、酒、薪などの生活用品が積まれている。簡単に見積もっても、百キロ以上はゆうにある荷物である。
普通ならそれは、大人が数人で引くか、馬を使わなければならない重量になるはずだったが、何がどうなったのか、彼はこれを一人で引くことになっているのだった。
「うひー」
このままぼやく彼を見ていてもそれは分からないままなので、少し説明を加えることにする。
彼はあの炊き出しの後、シスターに向かって、ある役を買って出ていたのだ。
「ちっと金が無さ過ぎてな。この先またこんな感じでただ誰かの厄介になるのもまずいから、何かちょっとした仕事か何かあればお願いしたいんだが。金はほんと、少しでいいし」
力が自慢だから、荷運びがいい。彼がそう言うと、彼女は喜んで彼に仕事を割り振ってくれた。
しかし、いざ彼がその仕事に出ようとすると、彼女は途端に慌て出した。
「え、あの……?」
彼が割り当てられたのは、隣村との通商の一端であった。村の名産品を別の村に持っていって物々交換し、持って帰ってくるという簡単なものである。人並みのコミュニケーション能力がありさえすれば、誰がやっても特に何も問題は出ない仕事だった。
しかし前述のとおり、物量はかなりのものとなるから、彼が一人で荷車を引こうとするのを見て、彼女は声をかけたのだった。
「あの、馬があちらにいますから、使ってください。重いですよ?あと一応あちらに警備の方もいるので」
昼間でも最近は物騒だということで、通商の時はそれなりの人をともなって行なっているらしい。最低4、5人は同行者を連れていかねばならないらしかったが、彼はなぜか、これを頑なに拒んだ。
「や、でも一人で運べるし。ほらほら」
馬でもそうは速く動けない荷車を、彼はそう言って軽々と引いて見せた。一人で引けるなら、人件費も削減できていいだろうと彼は言った。
その主張に、最初はううむと唸っていた彼女だったが、ぐるぐると驚異的な速さでその場を回り続ける彼に、全く折れる様子がないのを感じ取ったのか、ついには根負けした。
「では、こうしましょう」
そうは言ってもやはり危険。だから彼女は、彼がその仕事を一人でやるにあたり、条件を出した。
まず一つは、一番近い村との通商だけを担うこと。遠くなるとどうしても危険度が増してしまうということだったが、これには特に、彼にも異論は無かった。
しかし二つ目。この条件には、彼は眉をひそめた。
夜にまでかかりそうな時は、絶対に仕事に出てはいけない。彼女は強く光る目で、彼にそう言ったのだった。
彼がこの仕事を始めようとした理由。その動機からすれば、この条件は非常に困ったものだったが、彼はとりあえずその場では了承したのだった。
彼が仕事を請け負った経緯に関しては以上である。問題は、どうして彼が今こんな状況の中にいるのかだが、これについては簡単だ。単なる命令違反である。
もし今回彼が盗賊に襲われ、荷物を奪われてしまった場合は、全て彼の責任となる。運んでいた荷物の時価相当の金額を、彼自身が補償することになるだろう。彼は本当に路銀の類を一切持っていないから、この場合、しばらくタダ働きの刑にでもなってしまうと思われる。
しかしとうの彼は、そういう心配はしていなかった。絶対にそんな事にはならないと思っていたのである。
「かぁ~!気持ちわりいなあ!」
彼は、もうすでに役に立たなくなってしまっているレインコートをつまみながらぼやいた。
「あー……くっそ」
足元のぬかるみを、おおげさにばしゃばしゃと蹴り上げるようにして歩く。
「はぁ……」
心なしか、ここまで普通に引いてきたはずの荷車も重く感じる。闇には人の力を吸い取るような何かがあるのかもしれない。何となくそんな風に思ってしまうくらい、このまとわりつく雨と暗闇は、彼を少しづつ疲弊させていったのだった。
彼の溜息は、その夜の暗黒と、生ぬるい雨の音に吸い込まれるようにして、静かに消えていった。
ここは逃亡街道8号線。村と村の間を結ぶ、およそ5キロ程の短い道路である。
彼は、その中程に居た。一人で引いてくるにはかなり大きめの荷車をともなって、雨の中をゆっくりと歩いている最中だ。
荷車には、当然ながら荷物も積んであった。雨よけのカバーの下には、いくらかの食料、酒、薪などの生活用品が積まれている。簡単に見積もっても、百キロ以上はゆうにある荷物である。
普通ならそれは、大人が数人で引くか、馬を使わなければならない重量になるはずだったが、何がどうなったのか、彼はこれを一人で引くことになっているのだった。
「うひー」
このままぼやく彼を見ていてもそれは分からないままなので、少し説明を加えることにする。
彼はあの炊き出しの後、シスターに向かって、ある役を買って出ていたのだ。
「ちっと金が無さ過ぎてな。この先またこんな感じでただ誰かの厄介になるのもまずいから、何かちょっとした仕事か何かあればお願いしたいんだが。金はほんと、少しでいいし」
力が自慢だから、荷運びがいい。彼がそう言うと、彼女は喜んで彼に仕事を割り振ってくれた。
しかし、いざ彼がその仕事に出ようとすると、彼女は途端に慌て出した。
「え、あの……?」
彼が割り当てられたのは、隣村との通商の一端であった。村の名産品を別の村に持っていって物々交換し、持って帰ってくるという簡単なものである。人並みのコミュニケーション能力がありさえすれば、誰がやっても特に何も問題は出ない仕事だった。
しかし前述のとおり、物量はかなりのものとなるから、彼が一人で荷車を引こうとするのを見て、彼女は声をかけたのだった。
「あの、馬があちらにいますから、使ってください。重いですよ?あと一応あちらに警備の方もいるので」
昼間でも最近は物騒だということで、通商の時はそれなりの人をともなって行なっているらしい。最低4、5人は同行者を連れていかねばならないらしかったが、彼はなぜか、これを頑なに拒んだ。
「や、でも一人で運べるし。ほらほら」
馬でもそうは速く動けない荷車を、彼はそう言って軽々と引いて見せた。一人で引けるなら、人件費も削減できていいだろうと彼は言った。
その主張に、最初はううむと唸っていた彼女だったが、ぐるぐると驚異的な速さでその場を回り続ける彼に、全く折れる様子がないのを感じ取ったのか、ついには根負けした。
「では、こうしましょう」
そうは言ってもやはり危険。だから彼女は、彼がその仕事を一人でやるにあたり、条件を出した。
まず一つは、一番近い村との通商だけを担うこと。遠くなるとどうしても危険度が増してしまうということだったが、これには特に、彼にも異論は無かった。
しかし二つ目。この条件には、彼は眉をひそめた。
夜にまでかかりそうな時は、絶対に仕事に出てはいけない。彼女は強く光る目で、彼にそう言ったのだった。
彼がこの仕事を始めようとした理由。その動機からすれば、この条件は非常に困ったものだったが、彼はとりあえずその場では了承したのだった。
彼が仕事を請け負った経緯に関しては以上である。問題は、どうして彼が今こんな状況の中にいるのかだが、これについては簡単だ。単なる命令違反である。
もし今回彼が盗賊に襲われ、荷物を奪われてしまった場合は、全て彼の責任となる。運んでいた荷物の時価相当の金額を、彼自身が補償することになるだろう。彼は本当に路銀の類を一切持っていないから、この場合、しばらくタダ働きの刑にでもなってしまうと思われる。
しかしとうの彼は、そういう心配はしていなかった。絶対にそんな事にはならないと思っていたのである。
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