盆地の嫌な所。暑さ。
「ぶへー……」
額の汗を腕で拭おうとしても、とうの腕が汗だくで全く意味を為さない。もうとっ くに慣れてもいいはずの年月をここで過ごしているはずなのに、僕の体は一向にこの暑さに慣れてくれる気配がない。アスファルトからの照り返しにうなだれな がら、僕はこのゆるくて長い坂道を歩くしかなかった。
(何もこんな日に指定してくれなくともいいだろうに……)
頭の中でそうぼやきながら俯くと、照り返しがむわっともろに顔に当たり、思わず勢い良く顔を上に背ける。真夏のアスファルト恐るべし。これなら太陽に向かって顔を向けていたほうがまだマシなくらいだ。僕はしばらく、そのまま空を仰ぎながら歩いた。
いつの間にか、空にはでっかい入道雲が久しぶりに姿を現していて、それがまた信じられないほどの青い空と相まって、綺麗なコントラストを作り出していた。連なる山も加えれば、そのまま油絵か何かになりそうだった。
あの雲がこちらに来れば、おそらく夕立になる。それがもたらすだろう天然のシャワーを思うと、少し暑さが和らいだ気がした。
僕は、歩を進めた。
小高い山に囲まれてすり鉢状になっているこの盆地は、中心に発展した街がある。そこから外側に向かっていくと、昔ながらの家屋が立ち並ぶ、下町風情の住宅街になっていく。
僕は生まれてからの殆どを中心部で過ごしてきたから、こんなはずれまで来たのは初めてだった。学校は近くにあるし、スーパーやデパート、娯楽施設など、お よそ生活に必要な要素は全て中心部に揃っているから、特に用事がなければこんな所まで普通は来ない。僕にとって、ここは生活する分には全く関係のないはず の場所だった。
じゃあ、一体なぜ僕はこんな所にいるのか。
あまりの暑さに朦朧として自分でも分からなくなりかけてたが、それにはちゃんとした理由がある。そうでもなければ、こんなクソ暑い時間に、わざわざクソ暑い所を通ったりはしないのだ。
いい加減、僕はポケットからすっかりくしゃくしゃになってしまった地図を取り出し、広げた。このとおりに歩いてきているはずなのに、一向に目的地らしい建物が無いのだった。
「っかしーな。この辺のはずなんだけど……」
ペットボトルの飲み物に口をつけ、しかしとっくに中身が無くなっていることに気付いて愕然とする。マジかよ……と僕は力なく一人ごちり、もう少しだけ登って見つからなかったら帰ろうという、目先のネガティブな目標を掲げることで自我を保とうとした。
全くもって、この暑さは異常なのだった。理由もなく人を殴ってしまいたい衝動にまで駆られるが、それはさすがに人としてまずいと、僕は握ってしまっていた拳を開いた。
そうしてやっとの事で、僕はまた重たい足を引き摺るように歩き出した。
のたのた。もたもた。今自分の歩き方に効果音をつけるとしたら、きっとこうなる。
しかしそんな歩みでも、きちんと人は前へと進んで行けるのだ。僕の周りの景色はすっかり変わって、脇には木造の低い建屋の家々が軒を連ねていた。
瓦の屋根に、白く塗られた壁。天井の低い2階。そしてそんな家々の軒下には、朝顔だとかカラスウリだとかが置かれていて、大正か、もしくは明治時代にでも タイムスリップしたような気分になる。青いバケツに小ぶりのスイカと、あとトマトとキュウリがぷかぷか浮んでいる所まである。
ああ……もうこれで打ち水とかやってたら完璧だな……などとすっかり霞のかかったようになってしまった頭でそう考えていると、着物の品のいい老婆が、これまた絵に描いたようにいそいそとじょうろで鉢に水をやっている所にでくわした。
朝顔の大きな葉に水滴がきらきら光り、湿った土の匂いがここまで香ってくる。
こうやって道すがら少しずつ涼をもらっているにも関わらず、僕の重くなった足にはもうほとんど効果が無い。飲み物も無くなった今、悪くすると熱中症にもなってしまいかねない状況だ。そう思って、僕はちょうどいいので彼女に道を聞くことにした。
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「ぶへー……」
額の汗を腕で拭おうとしても、とうの腕が汗だくで全く意味を為さない。もうとっ くに慣れてもいいはずの年月をここで過ごしているはずなのに、僕の体は一向にこの暑さに慣れてくれる気配がない。アスファルトからの照り返しにうなだれな がら、僕はこのゆるくて長い坂道を歩くしかなかった。
(何もこんな日に指定してくれなくともいいだろうに……)
頭の中でそうぼやきながら俯くと、照り返しがむわっともろに顔に当たり、思わず勢い良く顔を上に背ける。真夏のアスファルト恐るべし。これなら太陽に向かって顔を向けていたほうがまだマシなくらいだ。僕はしばらく、そのまま空を仰ぎながら歩いた。
いつの間にか、空にはでっかい入道雲が久しぶりに姿を現していて、それがまた信じられないほどの青い空と相まって、綺麗なコントラストを作り出していた。連なる山も加えれば、そのまま油絵か何かになりそうだった。
あの雲がこちらに来れば、おそらく夕立になる。それがもたらすだろう天然のシャワーを思うと、少し暑さが和らいだ気がした。
僕は、歩を進めた。
小高い山に囲まれてすり鉢状になっているこの盆地は、中心に発展した街がある。そこから外側に向かっていくと、昔ながらの家屋が立ち並ぶ、下町風情の住宅街になっていく。
僕は生まれてからの殆どを中心部で過ごしてきたから、こんなはずれまで来たのは初めてだった。学校は近くにあるし、スーパーやデパート、娯楽施設など、お よそ生活に必要な要素は全て中心部に揃っているから、特に用事がなければこんな所まで普通は来ない。僕にとって、ここは生活する分には全く関係のないはず の場所だった。
じゃあ、一体なぜ僕はこんな所にいるのか。
あまりの暑さに朦朧として自分でも分からなくなりかけてたが、それにはちゃんとした理由がある。そうでもなければ、こんなクソ暑い時間に、わざわざクソ暑い所を通ったりはしないのだ。
いい加減、僕はポケットからすっかりくしゃくしゃになってしまった地図を取り出し、広げた。このとおりに歩いてきているはずなのに、一向に目的地らしい建物が無いのだった。
「っかしーな。この辺のはずなんだけど……」
ペットボトルの飲み物に口をつけ、しかしとっくに中身が無くなっていることに気付いて愕然とする。マジかよ……と僕は力なく一人ごちり、もう少しだけ登って見つからなかったら帰ろうという、目先のネガティブな目標を掲げることで自我を保とうとした。
全くもって、この暑さは異常なのだった。理由もなく人を殴ってしまいたい衝動にまで駆られるが、それはさすがに人としてまずいと、僕は握ってしまっていた拳を開いた。
そうしてやっとの事で、僕はまた重たい足を引き摺るように歩き出した。
のたのた。もたもた。今自分の歩き方に効果音をつけるとしたら、きっとこうなる。
しかしそんな歩みでも、きちんと人は前へと進んで行けるのだ。僕の周りの景色はすっかり変わって、脇には木造の低い建屋の家々が軒を連ねていた。
瓦の屋根に、白く塗られた壁。天井の低い2階。そしてそんな家々の軒下には、朝顔だとかカラスウリだとかが置かれていて、大正か、もしくは明治時代にでも タイムスリップしたような気分になる。青いバケツに小ぶりのスイカと、あとトマトとキュウリがぷかぷか浮んでいる所まである。
ああ……もうこれで打ち水とかやってたら完璧だな……などとすっかり霞のかかったようになってしまった頭でそう考えていると、着物の品のいい老婆が、これまた絵に描いたようにいそいそとじょうろで鉢に水をやっている所にでくわした。
朝顔の大きな葉に水滴がきらきら光り、湿った土の匂いがここまで香ってくる。
こうやって道すがら少しずつ涼をもらっているにも関わらず、僕の重くなった足にはもうほとんど効果が無い。飲み物も無くなった今、悪くすると熱中症にもなってしまいかねない状況だ。そう思って、僕はちょうどいいので彼女に道を聞くことにした。
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