年齢は14、5歳くらいだろうか。女王様やエクレアに比べるとまだまだ幼さの残る顔つきだが、すでに将来の器量よしの片鱗は随所に見え始めている。
レオナルド氏の容姿からして予想はしていたが、綺麗な緑色の髪が印象的な、とても可愛らしい少女だった。
エクレアより短めのショートカットだが、もみあげの部分だけが長めに伸ばされていて、それがリボンのようなもので綺麗に結われている。
その太めに結われた髪を揺らしながら彼女はゆっくりと歩き、やがて、彼女は俺の目の前に立った。
レオナルド氏と同じく青を基調とした、ディアンドルのような服装がよく似合っていた。ただ下はスカートではなくキュロットのようなものを履いていて、これがまたアクティブな感じのアイドル衣装のように見え、大変可愛らしい。
「…………」
しかしそんな可愛い子が、なぜかずっと黙ったままジト目で俺を見下ろしてくる。まだ会ったばっかなんだけど、俺何かしましたかね。もしかしてデブが気に入らないの……?
そうして見つめ合うこと数十秒。沈黙に耐えかねて俺が口を開きかけたちょうどその時、ふいにどこかから声が聞こえて来た。
「いやはやいやはや、まさか2回も呼び出されるなんてね。精霊使いの荒い人達だよ、全く」
と、そんなぼやきめいたことを言いつつ部屋に入って来たのは、人ではなかった。
つぶらな瞳に、乳白色のつるりとした肌。何やら額縁のようなものを体に提げた体長30センチ程のイルカみたいな顔をした物体が、フクロウか何かのように胸ヒレ部分を振りつつふよふよと飛び、こちらに向かって来る。
頭にはどうやってくっついているのか、斜めに小さなシルクハットのようなものをかぶっている。その帽子に合わせるかのように蝶ネクタイ付きのちょっとフォーマルっぽい衣装も羽織っていたが、それが逆により珍獣感を増す結果となってしまっている。
その得体の知れないものは、今もまだ目の前で黙っている少女の肩の上に乗ると、
「はあ~やれやれっと。ほい、お嬢」
体に提げていた額縁のようなものを、ヒレで器用に彼女に手渡す。
「…………」
彼女はそれを黙って受け取り、どこかから持ち出したペンでその額縁の中央部分に何かを書きつける。
そしてそれを、こちらに少し不満げな顔を向けつつ俺に見せた。
『ティアッツェ・マグナース』
またあの光る文字、マナ文字だ。例によって書いてある文字は読めなかったが、発音が頭の中に入って来た。
光る文字が書けるということは、おそらくあの額縁に入っているのは魔鋼紙なのだろう。しかし、何でわざわざ書いて見せるのだろうか。
訝しげな視線をレオナルド氏に向けてみると、彼は眉尻を下げ、困ったような顔を俺に向けた。
「うん、もういいよ。ありがとうティア。フージンも、わざわざありがとう」
彼がそう言ってもティアと呼ばれた少女はまた黙って頷くのみだったが、イルカ顔が代わりにそれに答える。
「うむ。まあお嬢が行くところならワタシも行く。そう改まって礼を言われるようなものでもないさ」
偉そうな物言いのイルカ顔だったが、レオナルド氏は特にそれを咎めることはせず、ただ笑顔で頷いた。
それを見るとイルカ顔はふふんと満足そうに胸を張り、とっくに踵を返していた少女の後を追うように、さっさと部屋から去って行った。
何だか慌ただしい上に、よく分からない自己紹介だった。
本当に顔合わせだけという感じだったが、今の一連の流れで一つだけ推し量れることがある。
「もしかして彼女、喋れないんですか?」
率直に聞いてみると、レオナルド氏は肩を下げ、俺に少し疲れたような顔を向けた。
「ええ。もうかれこれ10年程になります」
そう言うと、彼はますます表情を暗くした。
唇は険しく引き結ばれ、眉間に深くシワが刻まれる。まさに沈痛、といったような面持ちで、彼は床に目を落とす。
10年というのは、他人の俺からしても尋常な数字ではない。もう少し詳しく聞きたいところだったが、この様子だと先を促すのは酷かと思い、俺はとりあえず話を先に進めた。
「……大体分かりました。つまりこれは、ただ彼女の導師をやればいいという仕事ではなく、彼女のあれをどうにかしてくれと、そういうお話なんですね?」
すると彼は、まだいくらかつらそうな顔を残しつつもそれに頷いた。
「そういうことになります」
おそらく彼としても、いろいろ手を打ったに違いない。しかしそれでもダメで、仕方なく外部に頼ろうということなのだろう。
なるほどね。確かにこれは難しい。依頼が悪名高い掲示板に貼ってあったのも、その達成困難さゆえ、ということか。
「どうでしょう、やはり難しいでしょうか」
「そうですね……。さすがに10年ともなると、並大抵のものではないはずですから」
あまり力強い言葉を返せなかったが、こうした反応は見慣れているのか、彼は特に気落ちする様子は見せなかった。
「まあ、そうですよね。しかしあなたはあの黒の賢者の一族。いきなり治したりするのは無理にしろ、彼女に何らかの変化は与えることができるような気がします。なのでまずは一度、娘と話をしてみてはもらえませんか? もし続けられそうなら、そのままあなたを雇用いたしますが」
え? マジで?
「やります」
考えるより先に口が動いていた。
彼も俺のその即答に反応できず、え? と目を丸くする。
「やらせてください。必ずやお嬢様の心を開いてみせますゆえ!」
ダメ元で来たはずのこの面接だったが、何とまさかの雇用予告宣言である。ここを逃す手は絶対にない。
彼は俺のその気勢にますます眉を上げた。しかし俺がそのまま真剣な顔で見つめ返していると、ふっと顔をほころばせて笑みをこぼす。
「そうですか。それでは早速お願いしてもいいでしょうか」
「はい喜んで!」
某居酒屋の店員のごとく元気よく返事をすると、彼はまたニコリと笑った。
「ではバーンズ。ドルオタさんを娘の部屋に案内してやってくれないか」
「えっ? ……うわ!」
視線が少し外れたので変に思っていたら、いつの間にかバーンズさんが俺のすぐ後ろに立っていた。気配全く感じなかったんですけど。忍者か何かかな?
「こちらに」
促され、早速立ち上がろうとすると、
「ではドルオタさん、よろしくお願いしますね」
「あ、はい。何とかやってみます」
去り際になぜかレオナルド氏に意味深な微苦笑を向けられる。少し妙に思ったが、俺はそのままバーンズさんの後を追った。
さっきまで皆で集まっていた玄関ホールから、2階へと上がる。そのまま真っすぐに進み、突き当たりのT字路を左に曲がる。
きっちりと綺麗な赤い絨毯が敷かれた広い廊下だ。端が見えないほどのべらぼうな長さの廊下ではないが、それでも100メートル以上はゆうにある。さすがは貴族の家、と言ったところか。
「こちらです」
と、その廊下を半分程行ったところ。両開きの扉の前で、バーンズさんが歩みを止めた。
ドアノブに掛札が掛かっていたが、読めない。しかしたぶん、あのティアちゃんの名前が書いてあるのだろう。
(まさかここまで来れるとはな……)
異世界転移のボーナス設定、『黒の賢者』を使ったとは言え、日本であれだけ堕落を貪っていた俺が、まさかほぼほぼ雇用が決まった内々定をもらえるとは。
仕事もそんなに大変じゃなさそうだしな。アレを治せって言われたらそりゃきついけど、そこまでは期待してないみたいだし、全然どうにでもなりそうだ。
「じゃ、行きます」
俺のそれに、ご武運を、と腰を折るバーンズさん。
ずいぶんと大げさだなあと思いつつもどうもと返し、俺は早速ドアをノックした。
「ティアッツェさん? 先程お会いしたドルオタという者です。これからあなたの導師を請け負うことになるかもしれないので、少しお話させていただけませんか?」
数瞬の後、入りたまえ、という声が返ってくる。さっきのあのイルカ顔の声だ
。
とにかくことを荒立てないように、慎重に話を聞くスタイルで行こう。それで当面の生活基盤は確保できる。簡単だ。とても簡単な仕事だ。
と、そうして割と意気揚々とドアノブに手を掛け、部屋に入った俺だったが……、
「じゃあすいません。ちょっと失礼しまー……ってぶふぇ!?」
突如冷たい液体が、大量に俺に降りかかった。
完全に意識の外のことで当然避けられるはずもなく、俺はそれを頭からモロにかぶってしまった。一瞬で全身ずぶ濡れである。
すんすんと腕を嗅いでみたが、幸い匂いとかはない。たぶんただの水だ。
しかしそれでも、女王様からもらった一張羅が台無しになったことに変わりはない。
(一体これは……)
呆然としつつも正面に目をやる。すると、さっきの二人(?)が、椅子に腰掛けて優雅にお茶を楽しんでいるのが目に入った。俺がこんなことになっているのに、こちらを気にする様子は全くない。
しかし俺は、同時に見てしまった。
ことりとカップを置いた彼女の横顔。口元に、ニヤリと意地が悪そうな笑みが、ゆっくりと浮かぶのを……。
何……だと……?
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