【俺が完直に飽きる時。そりゃ死ぬ時だ】
さっきからずっとひょこひょこと歩きづらそうにしていたブーツのせいではなく、こいつは目に見えて歩みを遅くし、顔を曇らせた。
何か後ろめたいことでも隠しているような感じだったが、俺はその顔を見て、もうこれ以上何も聞かないことに決めた。肩で風を切って歩けとまでは言わないが、せっかくこんな格好をしているのに下を向きながら歩いてしまうのは、少し勿体無いような気がした。
「ま、別にいいけどよどうでも。ちっと気になっただけだしな」
そうやってわざわざ気がないように言ってやったというのに、こいつはまた、ばつが悪そうに目を伏せるばかりだった。
途中、何度も何かを言いかけてはやめるという動作をこいつは繰り返したが、結局最後まで何も言わず、その間に目的地の手芸屋にさっさと着いてしまった。
ジュネスよりは小さいが、最近できたばかりのショッピングセンターの一角に、その店はあった。
「よ、よーしここだ。着いたぜ」
何となく、気を使ってしまう。俺は相変わらず下を向くこいつの手を無理やり取って引っ張り、早く入れと促した。
「た、巽君!?なんですか!?」
「いいから早く入れ。いつまでもんな辛気くせー顔してんじゃねえよ。ここはクリエイティブな空間なんだ。もっといい顔して入れよ」
稲羽にも同じような所はもちろんあるが、こっちにしかないものも結構あったりするから、たまに時間がある時はこっちに来ることもある。
そういや、誰か人と来たのって初めてか。なんか変な感じだな。
俺は直斗の背中をぐいぐい押しながら、中へと入っていった。
「も、もう分かりました!分かったんで押さないでください!」
「あぁ?そうか?お、これだこれだ」
俺は入ってすぐのコーナーにあった一つの毛糸を取りながら言った。
「白と青と……あと黒か。あー……あと何か減ってた気がすんだよなー。なんだっけな」
布は腐るほどあったけど、今風のじゃねんだよなあ。そっちも見てくか。そういや目とかもそろそろ……
頭の中に在庫を思い浮かべていると、すぐ隣で直斗が言った。
「ああ、あみぐるみの材料ですか?」そこらから適当に毛糸を取り、眺めた。「巽君のはすごいですよね。前に菜々子ちゃんにあげていたものは、もう完全に売り物にしか見えませんでした」
幾分いつもの調子に戻ったようで、少し安心した。
直斗は毛糸を戻して俺に軽く笑いかけた後、なぜか俺の腰辺りに視線を落とした。
「それは?」
「あん?」
ポケットの辺りを指差される。
「それも巽君が作ったんですか?」
どうやら、ポケットから出ていたあみぐるみの携帯ストラップが目に入ったらしい。言われて俺はポケットに手を突っ込み、携帯を取った。
「ああ、これな」
俺はそのあみぐるみの表面を撫でさすった。失敗した部分が少し浮き出てしまっているのが、どうしても気になってしまう。
自慢じゃないが、俺はあみぐるみにはかなり自信がある。しかしそれでも、少なからず失敗はあるのだ。
俺 はまず一つのデザインを思いついたら、まずそれをとにかく形にしてみるようにしている。それを何度か繰り返し、最終的に納得のいくものを作り出す。だから 途中で出来るものは、やっぱり少し人に見せるのが恥ずかしいものも結構あったりする。今日付けているこれも、そういう“ちょっとしっぱいぐるみ”の一つ だ。
でも毎回丹精込めて作っているものだから、捨てるのは少し忍びない。だから、自分で付けているのだ。
そう教えてやると、こいつは言った。
「これで失敗なんですか??巽君は自分に厳しいですね」
「いややっぱそこは妥協出来ねんだよ。特に人にやるやつとかは100%完全なものにしてえだろ?」
答えると、ふうむ、と口の辺りに手を当てながらちょっと見てみていいですかと言われ、俺は仕方なく携帯ごと渡してやった。
「いや、すごいですねこれ。ほんとに」
あんま見んなよ。恥ずいんだよ色々と。
言いたかったが、そのあまりの熱心さに俺は口をつぐむしかなかった。
たっぷり一分くらい黙ってあみぐるみを眺めた後、こいつは言った。
「実は、前から頼みたいことがあったんですが、いいですか?」と、手の平であみぐるみを転がした。
俺は聞いた瞬間、ついに来た、と身構えた。
これから大変な無茶ぶり祭が始まるかもしれない。気を引き締めねえと。そう思ったのに、しかしこいつは、なんともぬるいことを言い出すのだった。
「僕に教えてくれませんか。これの作り方」俺に携帯を返して、またそばにあった毛糸を何個か手に取る。「前からやってみたかったんですが、なかなか機会を持てなくて。巽君さえよければ少し教えて欲しいんですが……。ダメですか?」
キャスケットの奥から、すがるような目で見上げてくる。
だから、『教えろ』と言って当然の権利を行使してしまえばいいだけなのに、なんでそんな顔をする必要があるのか。
今日のこいつは、本当にマジで全然、分からない。
「別にだめじゃねえけど……」
そんなの、言ってくれりゃいつでも教えたのによ。こんな強権発動しなくても。
「でも何でまた。実は可愛いもの好きだったのか?早く言えよそういう事は」
そう言うと、こいつは軽くははっ、と少年ぽく笑った。
「いえ、確かに可愛いものは嫌いではないんですが、それよりも」ポシェットから何かをごそごそと取り出し、言った。「これ、何だか分かりますか?」
見せられたのは、小さな六角形のバッジのようなものだった。
「何だあ?これ」
促され、俺は直斗の手からそれをつまんで取り、見てみた。
「バッジ……だよな?」
「ええ」
どう見ても、ただの小さなバッジ。金属っぽい表面に何かのマークみたいなものが彫ってあり、裏には服に付けられるように針がある。本当に、どこにでもあるようなただのバッジだった。
そう言ってやると、こいつはまたごそごそとポシェットを漁り、もう一つ同じ物を出した。
「もちろんただのバッジじゃありません。側面にスイッチがあるのが分かりますか?」
言われて見てみると、確かにあった。よく見ると完全な正六角形ではなく、少し膨らんでいる所がある。厚さはほんの数ミリしかないバッジだったが、六辺の中の一辺が少しだけ浮いていて、スイッチのようになっているのだった。
「押してみてください」
言われるがまま、俺はそこを押した。
するとこいつは、持っていたもう一つのバッジを握って、口元に持っていった。
『あ、あー。巽君。応答願います』
急にこいつがそう喋ったかと思うと、自分の持っているバッジからも同じ声が聞こえ、びっくりして俺は目を見張ってしまった。
「なななななんだぁ!?どうなってんだこれ」
思わず持っていたバッジを落としそうになる。
そんな俺を見て、こいつはまた楽しそうに笑った。
「ああ、そこまで驚いてもらえると作者冥利に尽きますね」
よほど俺のリアクションが面白かったのか、こいつはそのままくくくっ、と笑いを収めることが出来ずにいた。
俺は少し悔しくて、どこかしらにケチでもつけてやろうとバッジを舐め回すように見たが、やっぱり見つからなかった。
自分から見ても分かるのだ。これはもう、ほとんど職人レベルに達したものの仕事だった。
つか無線ってなんだよ。こんなもん自分で作れるもんなのか?
「これお前が作ったのか?」半信半疑のまま俺が言うと、
「ええ。巽君のとはかなり毛色は違いますが、一応僕の趣味みたいなものです」と、こいつは少しはにかんだ。
小さい頃、探偵に憧れているうちにいつの間にか作るようになったと言う。最初は簡単なものだけだったはずが、段々手の込んだものに手を付け始め、気付くとこのバッジのような本格的な探偵道具を自作するようになっていた、ということらしい。
俺は、改めて感嘆の声を漏らしてしまった。
なんだよ。すげえの持ってんじゃねえかこいつ。こんなすごい工作ができるのに、何でまたあみぐるみに興味を持ったんだ?これ極めればいいじゃねえか。
そんなような事を言ってやると、こいつは言った。
「え え。好きな事なので、これからもこれはやり続けるとは思います。でもたまに、全く違うことをやってみたくなるんですよ。探偵なんてやってると、なおさら」 バッジを握りしめて、目を瞑る。「人が残した軌跡を追ったり、洗ったり。結局僕がいつもやっていることは、元々あるものを“解釈”しているに過ぎないんで す。積み木を組み立てることはあっても、積み木自体を作ることはない。そんな事ばかりやっていると、時折羨ましくなるんです。何かを0から生み出すような 事をやっている人達が」
「お前も作ってるじゃねえか。こういうの」
少し寂しそうに言うこいつに、ついフォローをいれてしまう。
するとこいつは、困ったように眉を寄せて、無理に笑った。
「そ うですね。でも違うんです。僕がやっていることは、そういうのとは少し性質が違うような気がするんです」手のひらに目を落とし、バッジを人差し指で転が す。「おかしいですよね。僕には、さっき巽君がちょっと言いましたが、クリエイティブな事をしているという感覚があまりないんです。実用性ばかり気にして しまうのがいけないのかもしれませんが、やっていることは同じなはずですよね」
一体何が違うんでしょうね。そう続けて、こいつは顔を上げた。
「やってみれば理由が分かる気がするんです。なので、頼めませんか?あみぐるみ。作ってみたいんです」
【俺の完直は108式まであるぞーーーバリバリーーーーー!!】
俺は、またあの顔で見上げられる前に、今度は即答してやった。別に断る理由なんかなかった。
「ああ。何かよくわかんねえけど、作ってみたいんだろ?別にいいぜ?」
こいつが何か、大きくはないが、決して小さくもない悩みを抱えているような気がして、俺は早速適当に毛糸を見繕ってやり、他に必要な道具も教えてやった。
あみぐるみが助けになるんなら、そこは俺の土俵だ。協力してやろうと思った。
直斗はそれに、心底嬉しそうな顔で答えた。
「よかった。本当にありがとうございます、巽君」
俺はその顔を見て、慌てて生返事をしながら視線を外し、こいつに背を向けた。
段々と、変化してきているのだった。前はもっと、気取ったように笑うことしかしなかったこいつが、最近は本当に嬉しい時には不意に素になったりして、周りに自然な笑顔を見せるようになったのだ。たぶん、皆であの事件を乗り越えたおかげで。
俺は、心臓の辺りを抑えながら、でも、と思うのだった。
それは、単純にいい事だと思う。でも俺は、そんな笑顔を向けられる度にどぎまぎしてしまって、まともにこいつの顔を見る事が出来なくなってしまう。このところ頻度も上がってきていて、突然襲ってくるそれに、俺はいつか心臓が潰されそうで怖かったりするのだった。
毛糸を抱えるふりをして、キリキリとするその胸の痛みを散らしていると、店内で流れているBGMが一巡していることに俺は気付いて、いい加減商品を持って会計に持って行った。こいつも、それに倣った。
「巽君」
会計の順番待ち中に、後ろで直斗が言った。
俺は、この心臓の高鳴りがバレたのかと思って一瞬ビビったが、すぐにそんなわけねえだろと思い直して、なるべく平静を保つようにして肩越しに言った。
「あん?何だ?」
「いつなら大丈夫ですか?空いてる日はありますか?」
特に違和感なく答えが返ってきたので、俺はとりあえず安心してそれに答えた。
「別に、いつでも空いてるぞ?」
学校が終われば帰ってあみぐるみ作ってるし、休みの日は先輩たちに呼ばれでもしない限り家であみぐるみ作ってるし。んで疲れたら昼寝して……
……ああ?
俺は、過日を振り返ってみて思ってしまった。
俺ってこれ……実はただの暇人なんじゃねえの……
こいつも、やっぱり俺の言葉に疑問を持ったようだった。
「え?いつでも、ですか?何か決まった用事があったりは……」
俺はそれに、半ばヤケクソ気味に答えた。
「ねぇよ!ねぇねぇ!何もねぇ!悪かったな暇人でよ!別にいいだろ!」
「えぇ!?僕はそんなつもりで言ったんじゃ……!」
気付きたくなかった事実に気付かされ、つい大きな声を出してしまうと、会計中のレジのおばちゃんがびっくりして体をびくつかせた。他で買い物をしていたやつらも、何だ何だとこっちに目を向ける。
またやっちまった、と俺は思った。
俺は周りに見えないように隠して、自分の手の甲を思い切りつねった。それからおばちゃんにちゃんと軽く謝ってから、後ろに向いた。
散々今日のこいつの事を分からないとか思っときながら、てめーで不安な顔にさせてりゃ世話ねえな。くそ。
いい加減こういう誤解されるような流れも卒業しねえと。何時まで経ってもこんなんじゃ、変わることなんかできねえだろ。俺。
「いや、わりい。冗談だから」俺は、思っている限りの柔らかい声色で直斗に言った。「あー……別に、お前が暇な時にいつでもうちきてくれていいからよ。そしたらすぐにでも教えてやるし」
うちにくれば、道具は全て揃っている。それに毛糸も豊富だから、急にプラン変更で色が必要な時とかにも対応できる。おまけにあみぐるみ関係の本もたくさんあるし、ビギナーにはいい環境だろう。
よかれと思ってそう言った俺だったが、しかし肝心なことが、頭から抜け落ちていた。
「え、巽君の家、ですか?」
なぜかいぶかしげに言う直斗に、俺はハッとなった。
「あ!あー……ちがくてだな……」
馬鹿か!俺の家はダメじゃねえか!なにさらっと変な事言い出してんだ俺は!
とっさにごまかすために言葉を濁して時間稼ぎをしようとしたが、しかし同時に俺は、そこで気付いてしまった。
良い代替案がないのだった。他の場所は、どうしたって人の目につくのだ。
学校はもちろんダメ。だからと言って、ジュネスのフードコートで俺が編み物なんかやってたら、絶対周りに変な目で見られるだろう。少しづつ、自分のこの趣味を周りにカミングアウトしてきている所とは言え、まだまだそういう場所で大々的にやれるほどではない。そうするには、もう少し時間が欲しい所なのだ。
お互いの会計が終わってもそうして俺が何も言えないでいると、直斗の方が言った。
「あの……」
もじもじしながら、ちらちらと俺を見やる。
俺は、これ幸いとばかりに変な流れになってしまった場をごまかそうとした。
「な、何だ?どうした」
そう聞いたのに、直斗はまだ逡巡した。俺はまたしてもそれをいい事に、もしかしてトイレか?などとバカなことまで口に出してこの流れを断ち切ろうとした。
こいつのためにもその方がいい。そう考えてのことだったのに、俺が口を開く前に結構あっけなくこいつは先を言ってしまった。
「あの、行っていいんですか?巽君の家」
……………………は?
一瞬、思考が止まる。それから、壊れかけのテレビみたいに急にブツンと頭の回路が落ちてしまい、俺はしばらく呆気にとられて、その場に立ち尽くした。
「あの……巽君?」
しかし、勝手に切れたんなら、勝手に立ち上がるのが道理だ。俺は頭に再起動がかかるまで、じっと待った。
そして。
「はぇ!?」
意味を理解して、俺は驚きすぎて素っ頓狂な声を上げてしまった。
ななななな何言ってんだこいつ!意味分かってんのか!?
「ど、どうしたんです?大丈夫ですか?」
全然普通にそう言うもんだから、また俺はつい大きな声を出してしまった。
「だ、大丈夫な訳ねえだろ!!何言ってんだお前!」
「えぇ!?僕また何か変なこと言いましたか??」
当たり前だ!と返そうとしたが、またしても先に直斗が言った。
「いえ、だって!誰かの家にまともに呼ばれた事って僕初めてで!だからちょっと嬉しくて……っ!」
別に変なことなんか……と、ブツブツさらに続けようとした所で、こいつはハッとして顔を赤くした。
「な、何を言わすんですか!!行きますよ!もう!」
「あ!おい!」
ぷいっ、とそっぽを向いて、それきり。こいつは、足早にどこかへと歩き始めてしまった。
(え~……)
こいつが急にこんな風になる理由が分からなくて、俺はバレないようにため息をついた。
何なんだ、一体。別にそんな恥ずかしがるようなことか?
俺は思考が口から漏れないように注意しながら、とりあえず直斗について歩いた。
何だ。ダチの家に行ったことがない?っていうのがそんなに恥ずかしいのか?つかそもそも、センパイの家とかすげえ皆で行ってたじゃねえか。それは先輩枠だからダメとかなのか?
聞こうと思ったが、何度声をかけても無駄だった。もうこいつはこの話には答える気がないらしい。俺は仕方なく、ただ黙って後ろからついていくしか無かった。
いや俺、別に何もバカにしたりしてねえのに……つか俺だって似たようなもんなのによ……
油断すると、離されそうだった。俺は大股歩きで、直斗のすぐ後ろにぴたりと付いて歩いた。
そうして何も出来ずに、200メートルか、300メートルくらい行った頃だろうか。俺は何やら視線を感じることが多くなったので、怪訝に思いながら周りを伺った。
最初は、自分に向けられてる視線かと思った。俺が手芸屋の紙袋なんて持ってるから、それで目立ってしまっているのだと。
でも、違うのだった。
ずんずんという音が聞こえそうなほどしっかり地面を踏みしめながら歩いて行く直斗に、すれ違うやつらが振り返っていく。
「おい、あの子」
「おお」
「可愛いかったな」
俺がひと睨みしてやるとすぐ収まったが、キリがなかった。次から次へと野郎どもが直斗を見ては、そんなことを口々に述べていくのだった。
俺は少し呆れながら、前を行く直斗に目を落とした。
こいつ。さっきはあんなに恥ずかしいって言ってたのに、そんな歩き方じゃ目立っちまってしょうがねえじゃねえか……
ちょっと目を離した隙にまた変わって、今度はほとんど競歩みたいになっている。
さすがに変に思って、こいつに並んでみる。すると、分かった。
(あ……こいつ)
直斗は、まるで周りが見えていなかったのだった。俺が隣で顔を覗き込むようにしても、全然気付かないのがその証拠だ。よほどさっきのことが恥ずかしかったのか、こいつはまだ顔を真っ赤にしたままで、口を固く結んで真っ直ぐ前だけを見て歩いていた。
俺はそれを見て、心の中で思いっきり突っ込んでしまった。そこまでかよ!!
俺はもう、何だかこいつがすごい可哀想になってきたので、今日は本当に黙って過ごそうと思った。今日はあれだ。こいつの好きにさせよう。意見はせずに、調子を合わせる感じで。それが多分、一番いい。
直斗は行き先が決まっているのか、迷いなくどこかへ一直線に向かっていく。
駅の連絡通路を通って、エスカレーターを降りる。気付くとまた俺達は、最初の映画館前に戻ってきていたのだった。
こいつはそこでようやく、歩みを止めた。その場で深く深呼吸して、息を整えようとする。
俺も一息つこうと、ゆるく息を吐きながら地面に目を落とした。足元から伸びる影が、ここを出た時よりも幾分短く、濃くなっている。
時計は、ちょうどAM11時を知らせていた。未だ、映画館に人は集まっていない。
すごい長い時間こいつと話していたような気がするのに、実際に時計を見てみるとそれ程大した時間は経っていないのだった。一連のやり取りでかなりのエネルギーを使ったからなのか、ひどく密度の濃い時間を過ごしたような気はする。もしかすると、そのせいなのかもしれなかった。
俺は、視線を直斗に戻した。
俺でさえ少し息が上がるくらいのペースだったから、こいつの歩幅じゃかなり疲れただろう。そう思って見てみると、案の定直斗は、胸を軽く抑えながら肩で息をしていた。
俺はこいつが落ち着くまでしばらく待って、それからなるべく何気なく声を掛けてみた。
「よ、よお。どこ行くんだよ次は」
しかし、そう言っても返事はなく、直斗は肩を上下させるだけだった。
「…………直斗?」
いや絶対聞こえてるだろ。
仕方なく肩に軽く手を置いてやると、こいつはなぜかそれに、過剰に反応した。
「ひぁ!?」
びくっ、と小さく飛び上がり、持っていた紙袋をその場に落とす。「ななななんです!?」
キッ、と勢い良く顔をこちらに向けて言うこいつに、俺もちょっとびっくりして思わず一歩後ずさってしまった。
「い、いや何っていうか。次どこ行くんだ?って聞いただけなんだけどよ」
そう言うと、またこいつはカーっと思い切り顔を赤くした。マジでもう、血圧おかしくなって倒れるんじゃないかってくらいに。
「すすすすみません。ちょっと考え事をしていたもので」
さっきからずっとひょこひょこと歩きづらそうにしていたブーツのせいではなく、こいつは目に見えて歩みを遅くし、顔を曇らせた。
何か後ろめたいことでも隠しているような感じだったが、俺はその顔を見て、もうこれ以上何も聞かないことに決めた。肩で風を切って歩けとまでは言わないが、せっかくこんな格好をしているのに下を向きながら歩いてしまうのは、少し勿体無いような気がした。
「ま、別にいいけどよどうでも。ちっと気になっただけだしな」
そうやってわざわざ気がないように言ってやったというのに、こいつはまた、ばつが悪そうに目を伏せるばかりだった。
途中、何度も何かを言いかけてはやめるという動作をこいつは繰り返したが、結局最後まで何も言わず、その間に目的地の手芸屋にさっさと着いてしまった。
ジュネスよりは小さいが、最近できたばかりのショッピングセンターの一角に、その店はあった。
「よ、よーしここだ。着いたぜ」
何となく、気を使ってしまう。俺は相変わらず下を向くこいつの手を無理やり取って引っ張り、早く入れと促した。
「た、巽君!?なんですか!?」
「いいから早く入れ。いつまでもんな辛気くせー顔してんじゃねえよ。ここはクリエイティブな空間なんだ。もっといい顔して入れよ」
稲羽にも同じような所はもちろんあるが、こっちにしかないものも結構あったりするから、たまに時間がある時はこっちに来ることもある。
そういや、誰か人と来たのって初めてか。なんか変な感じだな。
俺は直斗の背中をぐいぐい押しながら、中へと入っていった。
「も、もう分かりました!分かったんで押さないでください!」
「あぁ?そうか?お、これだこれだ」
俺は入ってすぐのコーナーにあった一つの毛糸を取りながら言った。
「白と青と……あと黒か。あー……あと何か減ってた気がすんだよなー。なんだっけな」
布は腐るほどあったけど、今風のじゃねんだよなあ。そっちも見てくか。そういや目とかもそろそろ……
頭の中に在庫を思い浮かべていると、すぐ隣で直斗が言った。
「ああ、あみぐるみの材料ですか?」そこらから適当に毛糸を取り、眺めた。「巽君のはすごいですよね。前に菜々子ちゃんにあげていたものは、もう完全に売り物にしか見えませんでした」
幾分いつもの調子に戻ったようで、少し安心した。
直斗は毛糸を戻して俺に軽く笑いかけた後、なぜか俺の腰辺りに視線を落とした。
「それは?」
「あん?」
ポケットの辺りを指差される。
「それも巽君が作ったんですか?」
どうやら、ポケットから出ていたあみぐるみの携帯ストラップが目に入ったらしい。言われて俺はポケットに手を突っ込み、携帯を取った。
「ああ、これな」
俺はそのあみぐるみの表面を撫でさすった。失敗した部分が少し浮き出てしまっているのが、どうしても気になってしまう。
自慢じゃないが、俺はあみぐるみにはかなり自信がある。しかしそれでも、少なからず失敗はあるのだ。
俺 はまず一つのデザインを思いついたら、まずそれをとにかく形にしてみるようにしている。それを何度か繰り返し、最終的に納得のいくものを作り出す。だから 途中で出来るものは、やっぱり少し人に見せるのが恥ずかしいものも結構あったりする。今日付けているこれも、そういう“ちょっとしっぱいぐるみ”の一つ だ。
でも毎回丹精込めて作っているものだから、捨てるのは少し忍びない。だから、自分で付けているのだ。
そう教えてやると、こいつは言った。
「これで失敗なんですか??巽君は自分に厳しいですね」
「いややっぱそこは妥協出来ねんだよ。特に人にやるやつとかは100%完全なものにしてえだろ?」
答えると、ふうむ、と口の辺りに手を当てながらちょっと見てみていいですかと言われ、俺は仕方なく携帯ごと渡してやった。
「いや、すごいですねこれ。ほんとに」
あんま見んなよ。恥ずいんだよ色々と。
言いたかったが、そのあまりの熱心さに俺は口をつぐむしかなかった。
たっぷり一分くらい黙ってあみぐるみを眺めた後、こいつは言った。
「実は、前から頼みたいことがあったんですが、いいですか?」と、手の平であみぐるみを転がした。
俺は聞いた瞬間、ついに来た、と身構えた。
これから大変な無茶ぶり祭が始まるかもしれない。気を引き締めねえと。そう思ったのに、しかしこいつは、なんともぬるいことを言い出すのだった。
「僕に教えてくれませんか。これの作り方」俺に携帯を返して、またそばにあった毛糸を何個か手に取る。「前からやってみたかったんですが、なかなか機会を持てなくて。巽君さえよければ少し教えて欲しいんですが……。ダメですか?」
キャスケットの奥から、すがるような目で見上げてくる。
だから、『教えろ』と言って当然の権利を行使してしまえばいいだけなのに、なんでそんな顔をする必要があるのか。
今日のこいつは、本当にマジで全然、分からない。
「別にだめじゃねえけど……」
そんなの、言ってくれりゃいつでも教えたのによ。こんな強権発動しなくても。
「でも何でまた。実は可愛いもの好きだったのか?早く言えよそういう事は」
そう言うと、こいつは軽くははっ、と少年ぽく笑った。
「いえ、確かに可愛いものは嫌いではないんですが、それよりも」ポシェットから何かをごそごそと取り出し、言った。「これ、何だか分かりますか?」
見せられたのは、小さな六角形のバッジのようなものだった。
「何だあ?これ」
促され、俺は直斗の手からそれをつまんで取り、見てみた。
「バッジ……だよな?」
「ええ」
どう見ても、ただの小さなバッジ。金属っぽい表面に何かのマークみたいなものが彫ってあり、裏には服に付けられるように針がある。本当に、どこにでもあるようなただのバッジだった。
そう言ってやると、こいつはまたごそごそとポシェットを漁り、もう一つ同じ物を出した。
「もちろんただのバッジじゃありません。側面にスイッチがあるのが分かりますか?」
言われて見てみると、確かにあった。よく見ると完全な正六角形ではなく、少し膨らんでいる所がある。厚さはほんの数ミリしかないバッジだったが、六辺の中の一辺が少しだけ浮いていて、スイッチのようになっているのだった。
「押してみてください」
言われるがまま、俺はそこを押した。
するとこいつは、持っていたもう一つのバッジを握って、口元に持っていった。
『あ、あー。巽君。応答願います』
急にこいつがそう喋ったかと思うと、自分の持っているバッジからも同じ声が聞こえ、びっくりして俺は目を見張ってしまった。
「なななななんだぁ!?どうなってんだこれ」
思わず持っていたバッジを落としそうになる。
そんな俺を見て、こいつはまた楽しそうに笑った。
「ああ、そこまで驚いてもらえると作者冥利に尽きますね」
よほど俺のリアクションが面白かったのか、こいつはそのままくくくっ、と笑いを収めることが出来ずにいた。
俺は少し悔しくて、どこかしらにケチでもつけてやろうとバッジを舐め回すように見たが、やっぱり見つからなかった。
自分から見ても分かるのだ。これはもう、ほとんど職人レベルに達したものの仕事だった。
つか無線ってなんだよ。こんなもん自分で作れるもんなのか?
「これお前が作ったのか?」半信半疑のまま俺が言うと、
「ええ。巽君のとはかなり毛色は違いますが、一応僕の趣味みたいなものです」と、こいつは少しはにかんだ。
小さい頃、探偵に憧れているうちにいつの間にか作るようになったと言う。最初は簡単なものだけだったはずが、段々手の込んだものに手を付け始め、気付くとこのバッジのような本格的な探偵道具を自作するようになっていた、ということらしい。
俺は、改めて感嘆の声を漏らしてしまった。
なんだよ。すげえの持ってんじゃねえかこいつ。こんなすごい工作ができるのに、何でまたあみぐるみに興味を持ったんだ?これ極めればいいじゃねえか。
そんなような事を言ってやると、こいつは言った。
「え え。好きな事なので、これからもこれはやり続けるとは思います。でもたまに、全く違うことをやってみたくなるんですよ。探偵なんてやってると、なおさら」 バッジを握りしめて、目を瞑る。「人が残した軌跡を追ったり、洗ったり。結局僕がいつもやっていることは、元々あるものを“解釈”しているに過ぎないんで す。積み木を組み立てることはあっても、積み木自体を作ることはない。そんな事ばかりやっていると、時折羨ましくなるんです。何かを0から生み出すような 事をやっている人達が」
「お前も作ってるじゃねえか。こういうの」
少し寂しそうに言うこいつに、ついフォローをいれてしまう。
するとこいつは、困ったように眉を寄せて、無理に笑った。
「そ うですね。でも違うんです。僕がやっていることは、そういうのとは少し性質が違うような気がするんです」手のひらに目を落とし、バッジを人差し指で転が す。「おかしいですよね。僕には、さっき巽君がちょっと言いましたが、クリエイティブな事をしているという感覚があまりないんです。実用性ばかり気にして しまうのがいけないのかもしれませんが、やっていることは同じなはずですよね」
一体何が違うんでしょうね。そう続けて、こいつは顔を上げた。
「やってみれば理由が分かる気がするんです。なので、頼めませんか?あみぐるみ。作ってみたいんです」
【俺の完直は108式まであるぞーーーバリバリーーーーー!!】
俺は、またあの顔で見上げられる前に、今度は即答してやった。別に断る理由なんかなかった。
「ああ。何かよくわかんねえけど、作ってみたいんだろ?別にいいぜ?」
こいつが何か、大きくはないが、決して小さくもない悩みを抱えているような気がして、俺は早速適当に毛糸を見繕ってやり、他に必要な道具も教えてやった。
あみぐるみが助けになるんなら、そこは俺の土俵だ。協力してやろうと思った。
直斗はそれに、心底嬉しそうな顔で答えた。
「よかった。本当にありがとうございます、巽君」
俺はその顔を見て、慌てて生返事をしながら視線を外し、こいつに背を向けた。
段々と、変化してきているのだった。前はもっと、気取ったように笑うことしかしなかったこいつが、最近は本当に嬉しい時には不意に素になったりして、周りに自然な笑顔を見せるようになったのだ。たぶん、皆であの事件を乗り越えたおかげで。
俺は、心臓の辺りを抑えながら、でも、と思うのだった。
それは、単純にいい事だと思う。でも俺は、そんな笑顔を向けられる度にどぎまぎしてしまって、まともにこいつの顔を見る事が出来なくなってしまう。このところ頻度も上がってきていて、突然襲ってくるそれに、俺はいつか心臓が潰されそうで怖かったりするのだった。
毛糸を抱えるふりをして、キリキリとするその胸の痛みを散らしていると、店内で流れているBGMが一巡していることに俺は気付いて、いい加減商品を持って会計に持って行った。こいつも、それに倣った。
「巽君」
会計の順番待ち中に、後ろで直斗が言った。
俺は、この心臓の高鳴りがバレたのかと思って一瞬ビビったが、すぐにそんなわけねえだろと思い直して、なるべく平静を保つようにして肩越しに言った。
「あん?何だ?」
「いつなら大丈夫ですか?空いてる日はありますか?」
特に違和感なく答えが返ってきたので、俺はとりあえず安心してそれに答えた。
「別に、いつでも空いてるぞ?」
学校が終われば帰ってあみぐるみ作ってるし、休みの日は先輩たちに呼ばれでもしない限り家であみぐるみ作ってるし。んで疲れたら昼寝して……
……ああ?
俺は、過日を振り返ってみて思ってしまった。
俺ってこれ……実はただの暇人なんじゃねえの……
こいつも、やっぱり俺の言葉に疑問を持ったようだった。
「え?いつでも、ですか?何か決まった用事があったりは……」
俺はそれに、半ばヤケクソ気味に答えた。
「ねぇよ!ねぇねぇ!何もねぇ!悪かったな暇人でよ!別にいいだろ!」
「えぇ!?僕はそんなつもりで言ったんじゃ……!」
気付きたくなかった事実に気付かされ、つい大きな声を出してしまうと、会計中のレジのおばちゃんがびっくりして体をびくつかせた。他で買い物をしていたやつらも、何だ何だとこっちに目を向ける。
またやっちまった、と俺は思った。
俺は周りに見えないように隠して、自分の手の甲を思い切りつねった。それからおばちゃんにちゃんと軽く謝ってから、後ろに向いた。
散々今日のこいつの事を分からないとか思っときながら、てめーで不安な顔にさせてりゃ世話ねえな。くそ。
いい加減こういう誤解されるような流れも卒業しねえと。何時まで経ってもこんなんじゃ、変わることなんかできねえだろ。俺。
「いや、わりい。冗談だから」俺は、思っている限りの柔らかい声色で直斗に言った。「あー……別に、お前が暇な時にいつでもうちきてくれていいからよ。そしたらすぐにでも教えてやるし」
うちにくれば、道具は全て揃っている。それに毛糸も豊富だから、急にプラン変更で色が必要な時とかにも対応できる。おまけにあみぐるみ関係の本もたくさんあるし、ビギナーにはいい環境だろう。
よかれと思ってそう言った俺だったが、しかし肝心なことが、頭から抜け落ちていた。
「え、巽君の家、ですか?」
なぜかいぶかしげに言う直斗に、俺はハッとなった。
「あ!あー……ちがくてだな……」
馬鹿か!俺の家はダメじゃねえか!なにさらっと変な事言い出してんだ俺は!
とっさにごまかすために言葉を濁して時間稼ぎをしようとしたが、しかし同時に俺は、そこで気付いてしまった。
良い代替案がないのだった。他の場所は、どうしたって人の目につくのだ。
学校はもちろんダメ。だからと言って、ジュネスのフードコートで俺が編み物なんかやってたら、絶対周りに変な目で見られるだろう。少しづつ、自分のこの趣味を周りにカミングアウトしてきている所とは言え、まだまだそういう場所で大々的にやれるほどではない。そうするには、もう少し時間が欲しい所なのだ。
お互いの会計が終わってもそうして俺が何も言えないでいると、直斗の方が言った。
「あの……」
もじもじしながら、ちらちらと俺を見やる。
俺は、これ幸いとばかりに変な流れになってしまった場をごまかそうとした。
「な、何だ?どうした」
そう聞いたのに、直斗はまだ逡巡した。俺はまたしてもそれをいい事に、もしかしてトイレか?などとバカなことまで口に出してこの流れを断ち切ろうとした。
こいつのためにもその方がいい。そう考えてのことだったのに、俺が口を開く前に結構あっけなくこいつは先を言ってしまった。
「あの、行っていいんですか?巽君の家」
……………………は?
一瞬、思考が止まる。それから、壊れかけのテレビみたいに急にブツンと頭の回路が落ちてしまい、俺はしばらく呆気にとられて、その場に立ち尽くした。
「あの……巽君?」
しかし、勝手に切れたんなら、勝手に立ち上がるのが道理だ。俺は頭に再起動がかかるまで、じっと待った。
そして。
「はぇ!?」
意味を理解して、俺は驚きすぎて素っ頓狂な声を上げてしまった。
ななななな何言ってんだこいつ!意味分かってんのか!?
「ど、どうしたんです?大丈夫ですか?」
全然普通にそう言うもんだから、また俺はつい大きな声を出してしまった。
「だ、大丈夫な訳ねえだろ!!何言ってんだお前!」
「えぇ!?僕また何か変なこと言いましたか??」
当たり前だ!と返そうとしたが、またしても先に直斗が言った。
「いえ、だって!誰かの家にまともに呼ばれた事って僕初めてで!だからちょっと嬉しくて……っ!」
別に変なことなんか……と、ブツブツさらに続けようとした所で、こいつはハッとして顔を赤くした。
「な、何を言わすんですか!!行きますよ!もう!」
「あ!おい!」
ぷいっ、とそっぽを向いて、それきり。こいつは、足早にどこかへと歩き始めてしまった。
(え~……)
こいつが急にこんな風になる理由が分からなくて、俺はバレないようにため息をついた。
何なんだ、一体。別にそんな恥ずかしがるようなことか?
俺は思考が口から漏れないように注意しながら、とりあえず直斗について歩いた。
何だ。ダチの家に行ったことがない?っていうのがそんなに恥ずかしいのか?つかそもそも、センパイの家とかすげえ皆で行ってたじゃねえか。それは先輩枠だからダメとかなのか?
聞こうと思ったが、何度声をかけても無駄だった。もうこいつはこの話には答える気がないらしい。俺は仕方なく、ただ黙って後ろからついていくしか無かった。
いや俺、別に何もバカにしたりしてねえのに……つか俺だって似たようなもんなのによ……
油断すると、離されそうだった。俺は大股歩きで、直斗のすぐ後ろにぴたりと付いて歩いた。
そうして何も出来ずに、200メートルか、300メートルくらい行った頃だろうか。俺は何やら視線を感じることが多くなったので、怪訝に思いながら周りを伺った。
最初は、自分に向けられてる視線かと思った。俺が手芸屋の紙袋なんて持ってるから、それで目立ってしまっているのだと。
でも、違うのだった。
ずんずんという音が聞こえそうなほどしっかり地面を踏みしめながら歩いて行く直斗に、すれ違うやつらが振り返っていく。
「おい、あの子」
「おお」
「可愛いかったな」
俺がひと睨みしてやるとすぐ収まったが、キリがなかった。次から次へと野郎どもが直斗を見ては、そんなことを口々に述べていくのだった。
俺は少し呆れながら、前を行く直斗に目を落とした。
こいつ。さっきはあんなに恥ずかしいって言ってたのに、そんな歩き方じゃ目立っちまってしょうがねえじゃねえか……
ちょっと目を離した隙にまた変わって、今度はほとんど競歩みたいになっている。
さすがに変に思って、こいつに並んでみる。すると、分かった。
(あ……こいつ)
直斗は、まるで周りが見えていなかったのだった。俺が隣で顔を覗き込むようにしても、全然気付かないのがその証拠だ。よほどさっきのことが恥ずかしかったのか、こいつはまだ顔を真っ赤にしたままで、口を固く結んで真っ直ぐ前だけを見て歩いていた。
俺はそれを見て、心の中で思いっきり突っ込んでしまった。そこまでかよ!!
俺はもう、何だかこいつがすごい可哀想になってきたので、今日は本当に黙って過ごそうと思った。今日はあれだ。こいつの好きにさせよう。意見はせずに、調子を合わせる感じで。それが多分、一番いい。
直斗は行き先が決まっているのか、迷いなくどこかへ一直線に向かっていく。
駅の連絡通路を通って、エスカレーターを降りる。気付くとまた俺達は、最初の映画館前に戻ってきていたのだった。
こいつはそこでようやく、歩みを止めた。その場で深く深呼吸して、息を整えようとする。
俺も一息つこうと、ゆるく息を吐きながら地面に目を落とした。足元から伸びる影が、ここを出た時よりも幾分短く、濃くなっている。
時計は、ちょうどAM11時を知らせていた。未だ、映画館に人は集まっていない。
すごい長い時間こいつと話していたような気がするのに、実際に時計を見てみるとそれ程大した時間は経っていないのだった。一連のやり取りでかなりのエネルギーを使ったからなのか、ひどく密度の濃い時間を過ごしたような気はする。もしかすると、そのせいなのかもしれなかった。
俺は、視線を直斗に戻した。
俺でさえ少し息が上がるくらいのペースだったから、こいつの歩幅じゃかなり疲れただろう。そう思って見てみると、案の定直斗は、胸を軽く抑えながら肩で息をしていた。
俺はこいつが落ち着くまでしばらく待って、それからなるべく何気なく声を掛けてみた。
「よ、よお。どこ行くんだよ次は」
しかし、そう言っても返事はなく、直斗は肩を上下させるだけだった。
「…………直斗?」
いや絶対聞こえてるだろ。
仕方なく肩に軽く手を置いてやると、こいつはなぜかそれに、過剰に反応した。
「ひぁ!?」
びくっ、と小さく飛び上がり、持っていた紙袋をその場に落とす。「ななななんです!?」
キッ、と勢い良く顔をこちらに向けて言うこいつに、俺もちょっとびっくりして思わず一歩後ずさってしまった。
「い、いや何っていうか。次どこ行くんだ?って聞いただけなんだけどよ」
そう言うと、またこいつはカーっと思い切り顔を赤くした。マジでもう、血圧おかしくなって倒れるんじゃないかってくらいに。
「すすすすみません。ちょっと考え事をしていたもので」
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