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「ったく! きりがねえなこいつら!」

隣で走っていた仲間が、ひいひいと肩で息をしながら不満を漏らした。

「一体何体いるんだよこいつのペルソナはよお!!」

せわしなく走り続ける俺達に向かって、次々と襲ってくる異形の生物。人型なのに馬の頭をしたやつや、古い絵巻物に描かれた餓鬼みたいなやつ。一見悪魔のようにも見えるそれらが、俺達の行く手を何度も阻んでくる。

「だー! もう疲れたってー!!」

しかしそれは仕方のないことだった。こいつらからすれば俺達こそが異形の生物なのであり、異物なのだ。排除しようとするのは、至極まっとうな反応だ。人体にウイルスが入ればたちまちわらわらと動き出す白血球。それと全く同じようなものなのだから。

その理屈を分かっているはずなのに、しかし仲間は延々とぼやき続けた。確かにいつもより多いと言えば多いので、まあ、気持ちは分からなくもない。

一体こいつらは何なのか。疑問に思って色々調べてみたが、結局正体は分からないままだ。だが、どういう存在なのかは何となく分かってきた。
俺達も今まさに行使しているこのペルソナという力と、同じくペルソナと呼ばれるこの異形の生物達は、おそらく本質的には同じものだ。『人の心から生み出される』という点において、全く同じだからだ。

本来その言葉は心理学の用語であるらしく、“人が社会の中で生きるために持つ色々な顔”のことを、ペルソナと呼ぶらしい。いつでも変えたい時に変えられ、着脱可能という点から、仮面のようなものと言うことも出来る……と、本やネットの記述にはあった。

その心理学上の用語であるところのペルソナと、俺達が目にしているこれらとを結びつけていいかはまだ微妙なところだが、その性質は似ているものがあると言っていいと俺は考えている。
なぜなら、この異形の生物達はおそらくその仮面だからだ。こいつらはその、人が持つ色々な顔が具現化したものなのだ。

だからこいつらは必死になって向かってくる。奥に隠しているものを、俺達に暴かれないように……。











「ごめーん! 今日もノート貸してもらっていい? 最近部活キツ過ぎてどうしても授業中うたた寝しちゃって」

放課後。俺の前の席では、今日も今日とて同じようなやりとりが行われていた。

「あー……うん。いいよ」

黒髪ポニーテールで少し地味目の女子。高巻杏は、そうしていつものように別のクラスの3人の女子に詰め寄られ、その申し出をあっさり了承した。

「ありがとう! いつも助かるよ~」

彼女がノートを差し出すと、詰め寄った方の女子はすぐにパッとそのノートを受け取り、笑顔でおざなりの礼を言った。
まるで返答があらかじめ分かっているかのような、スムーズなやりとり。見ていて辟易するくらい、いつもと同じだった。

「じゃあ、私達部活行くから。ノートは明日返すね」

バイバイと手を振って踵を返す3人組に、前の席の彼女も小さく手を振る。それも、いつもと同じだった。
こんなことを続けていて疲れないのだろうかと思う。俺は窓の外を見ているようにしながら、彼女がどんな顔をしているのかを盗み見てみた。すると、案の定だった。

「……はあ」

彼女の顔は、張り付いたような笑顔から乾いた笑顔へと変わっていき、最後には心底疲れたような顔で、小さく溜息をついた。
その顔を見たらさすがに一言言いたくなってしまって、俺は予定を早めて彼女に声を掛けた。

「……いいのか?」
「え?」

思い切ってそうしてみたものの、とうの彼女はどこから声を掛けられたのか分からなかったようで、周りをきょろきょろと窺った。
彼女に俺から声を掛けるのは初めてだから、それは仕方ないと言えば仕方のないことだった。せいぜい授業中でプリントをやりとりする時くらいしか顔も合わせて来なかったし、まあ、当然の反応だ。

「……えっと、今の君? 私に声掛けたの」

放課後の教室に残っているのは、自分と高巻と、あと数人だけ。廊下側でだべっているグループがいるだけだから、窓際の高巻に話しかける人間は、今俺くらいしかいない。
つまり、俺と彼女の距離感はそういうものだった。この状況を確認してやっと、高巻は今話し掛けてきたのが俺“かもしれない”と考えるに至る。仮にも近い席にいるのに、まだ俺だとは断定しない。

この辺りの、いわゆる都会という場所ではこういう人間が多い。人に深く踏み込まないし、踏み込ませない。うわべだけ取り繕って、ことなかれ主義。もしそれを嫌だと思っている人間がいたとしても、周りのそういう雰囲気に流されて結局同じように振る舞うようになってしまう。

そういう人生の過ごし方は、まあ楽だとは思う。他人と見た目や振る舞いが違わなければ、人との関係で無駄に悩むこともなくなる。そうすれば自分がやりたいことにリソースを割けるようにもなるし、合理的と言えば合理的だ。

でも俺みたいなやつは、どうしても思ってしまうのだ。
そんなのつまらないじゃないか、と。

「何? どうかした?」

彼女もそして、そういう人間の一人だった。体のいい、見た目だけは綺麗な言葉を使って他人とうまくやろうとする。典型的な八方美人だ。

(いいよ)
(ありがとう)

俺から見ると、彼女達のような人間がする言葉のやりとりは、まるでバラの花束の応酬のようだった。
これでもかという程たくさんのバラが盛られた、絢爛豪華なその花束を、彼女達は惜しげもなく贈り合っている。日がな一日、飽きもせずに。

しかし彼女達のような人間は、もらったそれを家に帰って喜び勇んで花瓶にいけようとした時、小さな悲鳴をあげることがあるはずだ。そしてその手に突然出来た傷を見て、ようやく気付かされるのだ。
『ああ、これは棘のあるものだったんだ』と。

そういった類のやりとりを見る時、俺はどうしても身震いをしてしまう。薄ら寒い。心底気持ちが悪いと思ってしまう。
そんなごてごてと装飾されたものは、自分なら絶対人に贈らない。裸のバラ一輪を、堂々と差し出す。棘があるのが一目瞭然な状態で渡された方が、後で知らずに怪我をするより納得がいくし、気持ちがいいはずだからだ。

棘があるからこそ、バラというものは美しい。だからきっと、何の処理も、飾り立てもしていない生のバラこそ、人に贈るにふさわしい。言葉もそれと同じなのだと、俺は思うのだ。

「ノート。いいのか?」

すまし顔の高巻にそう訊いてみると、彼女は不審な顔一つせずに、何くわぬ顔で「何が?」と薄く俺に笑いかけた。
普段話さないやつ、ましてよく知らない男子にいきなり話し掛けられれば普通警戒するものだが、彼女はそれをうまく隠してきた。
しかし俺は、そんな顔が見たいのではないのだ。

「……いつもあいつらにノート貸してるだろ? だから、いいのかと思って。帰ってからないと困るんじゃないか?」

そうはっきり言ってみると、やっと彼女はその顔を曇らせながら言った。

「……別に。友達だから」

そう言って、がさがさと机の中のモノをカバンに詰めて帰り支度をし始めてしまう彼女。
埒が明かないので、今度は少し棘のある質問をぶつけてみた。

「友達なのか? あれが?」

そこで彼女の動きがピタリと止まる。
俺はそれを見て、笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえた。
もう少しだと思った。

「高巻があいつらと楽しそうに話してるとこって見たことないんだけど。放課後ノート借りに来る時だけしか」
「やめて」
「うまく使われてるだけじゃないのか? 友達だったらもっと」

言いながら、どうしたらより彼女の本音を引き出せるかを考えていた。
しかし、もうその必要はなかった。

「やめてって言ってるでしょ!!」

彼女は唐突に爆発した。
窓から斜光が差し、気だるい雰囲気に包まれていた教室。そこに突然降って湧いたその大きな声に、教室に残っていた面々がなんだなんだとこちらに視線を向ける。叫び声に近いレベルだったからか、廊下からも首だけ出して様子を窺って来るやつらが居るくらいだった。

こうなるように仕向けたのは自分だが、陥落が想定よりも早かった。やはり相当溜め込んでいるものがあった、ということになるだろうか。
これ以上何か言うのはさすがにまずい。そう思って呆けたふりをしていると、彼女は周囲から自分に向けられるその好奇の視線にやっと気が付き、そそくさとまた帰り支度を始めた。

「何よ……関係ないじゃないあんたに」と、彼女はそうしながら俺にぶつぶつと文句を言った。「そんなの、知ってるし……。でも仕方ないじゃない」
「仕方ない?」

なるべく刺激しないように静かに返すと、彼女は不機嫌そうに乱暴にカバンにモノを詰めながら、「そうよ」と言った。

「だってそうしなきゃ、私の居場所がなくなっちゃうじゃない……!」

言葉に棘が混じり出し、だんだんと、彼女の本当の姿が垣間見えてくる。
彼女の方は、そうして自分の仮面が剥がれ落ちそうになっていることに、全く気が付いていないようだった。
彼女はその顔のままカバンのチャックを荒っぽく引き上げ、それを肩に掛けた。そして。

「私だって、こんなのやだよ」

キッと俺を睨んでそう言ったかと思ったら、もう彼女は遠くに居た。つかつかとヒステリックな足音を立てながら、そのままさっさと教室を出て行ってしまった。

あれだけ無秩序に会話をしていたクラスメイト達は、その足音が遠ざかって聞こえなくなるまで、一様に押し黙っていた。決して不用意に話し出すことはせず、嵐が収まるのを、小動物のようにただじっと待っていた。
彼らはこんな時にも、一人では動かなかった。誰かが率先して口火を切ることはなく、まるで合唱の歌い出しのように同時に息を吸い、同時に話し始めた。そうしてようやく、教室は元の夕刻のけだるい空気に戻っていった。

彼らにとって、他人より一歩前に出ること、目立つことは悪なのだった。彼らは“個”を排除しようとすることに躍起になっていた。問題が起こらないように、無駄にエネルギーを使わなくていいように、努めていた。
しかし彼女は、そんな彼らとはやはり少し違っていた。彼女は自分を偽ることに確かに疑問を覚えている。それはもう、間違いない。

それなら、俺のやることは決まっていた。その足元を縛る鎖とおもりを断ち切ってやり、彼女を自由な大空に還してやるのだ。俺達になら、それが出来るのだから。
彼女への意思確認はこれで済んだ。あとは俺達が、それを実行するだけだ。

俺はちらちらと好奇の目が周りから飛んでくるのに少々の睨みをきかせながら、ため息混じりに廊下の方を見やった。
しかしその計画を一緒に実行するはずの男が、ホームルームが終わった途端に教室を飛び出してどこかへと消えてしまっているのだった。これが済んだらすぐに細かい部分を打ち合わせようと思っていたのに、全くもって落ち着きがないやつだ。

と思っていたら、ちょうど彼女が立ち去った方とこちらを見比べながら、ひょっこりとあいつが廊下から顔を出した。
制服の下に校則違反丸出しの原色Tシャツを着込み、前をだらしなく開けている。しかし不良というにはあまりにも人が良さそうで、人懐っこそうなそいつ。
その男――坂本竜司――は、俺の前まですたすたと歩いてくると、腰に手を当てながら言った。

「……何か、やり過ぎたんじゃね?」

竜司の問いに、俺は頭を振った。

「いや、これでいい」

大事なのは、その人間の本質を曝け出させることだ。そうしなければ、俺達にはどこにそれがあるか分からない。分からなければ、そこに辿り着くことは出来ない。だからこれでいい。
そう言ってやったのに、「ふうん、そんなもんか」と、竜司に軽く流された。

「しかしひっでーよな。あんだけ世話になっといて、裏で高巻のこと“便利屋”呼ばわりだもんな。よく我慢してるよなあ。女はこええよマジで……」

やけに実感のこもった部分には触れないでおき、そうだな、とだけ言って俺は頷いた。
たとえいいように使われようとも、誰かに頼られるのであれば何でも構わないという人間はいるだろう。自分はここにいらない人間ではない。誰かに必要とされている。そう思えれば、それは何かとしんどい人付き合いの中で、支えにはなる。
だが、確かに彼女は俺に言ったのだ。こんなのはいやだと。

「そういや、あいつの元中のやつが言ってたんだけどさあ。高巻って勉強は昔から出来たけど、前はあんなにバリバリ優等生~、みたいな感じじゃなかったみたいだぜ。ここ入ってからあんな感じになったんだと」

へえ、と適当に返事をすると、竜司は腕を組みながら瞑目し、今度はやけにしみじみとした声で言った。

「分かるなあ。マジ、分かるわ」
「何が」
「いや、自分で入っといてなんなんだけどさ。な~んかここのやつら俺とも合わねんだよな~。大人しいというか、自分を殺してるって言うかさ。殴り合えとまでは言わねえけど、もっと真っ直ぐ周りと付き合えばいいのになあ」

細かい言葉の違いはあっても、俺と竜司のその考え方は一致している。それのせいで俺達は周りから少し浮いてしまっているが、そんなことはどうでもいい。
自分が自分であること。それ以上に大事なことなど、俺達にはないのだ。

「で? やっぱやるのか?」

竜司の問いに、俺は頷いた。
今夜決行。計画に変更なし。
そう告げると、竜司はにひっといたずらっぽく笑った。

「そう言うと思って、もう入れてきちまったぜ」
「入れてきた?」

何を? どこに?
そう訊くと、竜司はポケットから何か小さな紙のようなものを出した。

(……名刺?)

と、一瞬思ったが、それとは少し規格が違う。もうちょっと大きい。何より白地じゃなくて、黒地だ。
何か書いてあると思ってよく見てみると、『Take Your Heart』と筆記体で書かれた白い文字が、洒落た感じで斜めに印字されていた。
しかしこれだけじゃ何だか分からない。俺が首を傾げていると、竜司が言った。

「分かんねえ?」
「分からないな。何だそれ」

正直にそう言うと、竜司は俺にその紙を裏返しにして見せた。

『今宵、あなたの心を頂きに上がります』

また洒落たフォントで書いてあるその文字を見て、思わず俺は竜司を見上げた。

「どうよ」

やってやったぜとばかりにふふんと鼻の下をこする竜司に、俺は苦笑を禁じ得なかった。
それを見て気を良くしてしまったのか、ますます竜司は胸を張って言った。

「すげーいいだろ? それっぽくて」

こう見えて、意外に凝り性なのかもしれない。
竜司はつまり、いつの間にか作ってしまっていたのだ。小説や映画なんかの中で、いわゆる怪盗がお約束のように犯行前の現場に送りつける手紙。“予告状”を。

「……で、これをどうしたって?」

もはや答えは分かりきっていたが、一応訊いてみた。
するとやはり、思っていた通りの答えが返って来た。

「ん? 高巻の下駄箱に入れてきたけど?」

竜司はしれっとそう言い、屈託なく笑った。
俺は言葉が出なかった。普段怠惰で通ってるくせに、こういう風に自分が楽しめそうなものと対峙した時には、本当に行動が早い。
だが竜司のこういう所は、下手をすると自分達を窮地に陥らせるかもしれないので、一応釘は差しておかなければならない。

もうやってしまったものはしょうがない。でもこの文面ではストーカーじみたラブレターのようにも見える。最悪通報される可能性もゼロではないし、今後はやめておいた方がいい。
そう言ったのに、しかし竜司にそれを笑い飛ばされた。

「だあいじょうぶだって。一応ただのいたずらっぽくも見えるように、一緒にいれといたものもあるし」

ほら、これ。
と、竜司はまたポケットから何かをつまみ出し、俺に見せた。

「……花びら?」
「おう」

赤い、ひらひらした何か。
メガネを外して間近で見てみると、やっと分かった。

「バラ……? バラの花びらを散らしておいたのか?」

そんな結婚式の演出じゃあるまいし。そう思っていたら、少し違った。

「いやいや、もちろんちゃんとバラの花を入れといたぜ。一輪だけだけど」

その言葉に、思わず俺はまた竜司を見上げてしまっていた。

「……何だよ?」
「いや……」

『もし人に花を贈るなら、見せかけだけの豪華な花束よりも、棘がついたままの一輪のバラがいい』
ついさっきまでしていた思考をなぞるようなことをされたので、面食らってしまった。
竜司のことだから、分かってやっている訳はない。訳はないのだが、一応俺は訊いてみた。

「何でバラなんだ?」

すると竜司は、また子供みたいな笑顔でこう答えた。

「いやだって、その方がぽいだろ?」

やはりそうだった。竜司はただ連想しただけなのだ。
俺達のやっていることは、端から見ればフィクションに出てくる怪盗とほとんど変わりない。となれば、予告状とバラの花は必要だろう。たぶん、そう考えただけだ。

俺はしかし、こみ上げてくる笑いをこらえることが出来なかった。予告状と一緒にそんなものまで入れたら、逆に余計本気度が増してしまうんじゃないかとも思ったが、そんなことはどうでも良くなってしまった。
釣られて同じように笑い出した竜司に、俺はまた訊いてみた。

「棘はどうした? 女子に怪我させたらことだぞ?」

すると竜司は、あー、と頭を掻きながら言った。

「俺も取った方がいいかなと思ったんだけど、なんかそうすると長持ちしなくなるんだってよ。だから一応そのままにしてもらった」

それを聞いて、俺はいよいよ笑いを収められなくなった。ここまでなぞられると、ちょっとスピリチュアル的な何かさえ感じてくる。前世は兄弟だったとか、何とか。

予告状に添えられた、棘のある一輪のバラ。本当にこれは、俺達にぴったりな組み合わせだろう。このバラは社会という鎖にがんじがらめに繋がれてしまっている、迷える囚人達への無言のメッセージとなる。
解き放たれる時は確かに痛みをともなうだろう。だがその先にある、どこまででも羽ばたいていけるような自由は、何ものにも代え難い。

万人には理解されない考え方かもしれない。だけど俺は祈った。
まずはとにかく、この一輪のバラの精神が、どうか彼女へ伝わりますように……と。











  しかし彼女の仮面達は相も変わらず、苛烈極まりない猛攻をもって俺達の進行を妨害し続ける。やっぱりそう簡単には、受け入れてはもらえないらしい。

「おいおいどんどん増えてんだけど!? 大丈夫なのかこれ!?」

彼女が創り出した心の迷宮を、俺達は静かに忍びつつ進んでいた。しかしどうやらいよいよその場所は近いらしく、わらわらと仮面達が湧いてくる。そのせいでさすがに隠れながら進むのが難しくなってきて、隣の仲間が焦り出した。

俺はそうして慌てふためく竜司の肩を軽く叩き、大丈夫だとなだめてやった。
これだけの数が居るということはつまり、こいつらの守りたいものが近くにあるということだ。お宝の近くに厳重な警備があるのは当然のこと。むしろ、喜ぶべきことだ。

そう言ってやると、なるほどなあなどと竜司はのんきに頷いた。が、その目線がふと横に向いた時、一気にその顔が険しくなる。

「おい……これはさすがに……」

その視線を追って、ぎょっとした。

「……でけえよ!!」

竜司が大きな声を上げる。大抵のことには慣れつつあった竜司だったが、今回はどうも騒がしい。
しかしそれも仕方のないことだった。気付くと俺達の目の前には、女性のようなシルエットをした3メートルはあろうかという巨人が立ちはだかっていたのだ。
明らかに道中にいたものとは違う。そいつは俺達に気付くと、すぐさまこちらに向けて攻撃を開始した。

その大きな腕で一帯をなぎ払う。しかしまだ距離があったため、俺達はそれを何とか後ろに下がることでやり過ごす。
先手を取られた形となったが、何だかんだで竜司はもう状況に順応していた。軽やかな動きで続く攻撃を避け、持っていた鉄パイプで巨人の足を思い切り殴る。
俺は持っていた銃でそいつを撃った。これだけの巨体相手にはパチンコ玉のようなものかもしれないが、それでも注意くらいは引ける。

「よっ!!」

しかし見たところ、竜司の攻撃の方はちゃんと通っているようだった。足元で攻撃を続ける竜司をうざったそうに追い払おうとするのがその証拠。これならしばらくこうしてちくちく叩いていれば、いずれはこいつも倒れるはずだ。
だがまだ奥があるのなら、こんなところでぐずぐずしてはいられない。さっさと倒して、本来の仕事をしに行かなければならない。

と、そう思っていた時。
フロア一帯に『こないで!』と大きな声が響き、同時に巨人の拳が地面を深くえぐった。

「え!?」

それをなんとかすんでのところで避けると、竜司は不思議そうに俺と巨人とを交互に見た。
巨人が高い声を発した。やはりこいつは、さっきまでの有象無象とは違う。
目を白黒させてこちらを見る竜司に、俺は頷きだけを返した。

状況的に見て、おそらくこいつは彼女だ。今までにうろついていたものも彼女なのだろうが、あれらは彼女の断片的な精神から生まれたもので、本質的には彼女自身と呼べるものではない。今目の前にいるこれこそが、彼女の心がそのまま具現化した姿なのだ。だからはっきりとした意思があって、話すことが出来る。
つまり、こいつが俺達のターゲットということになる。竜司は俺が頷くだけでも何となくそれを察したようで、なるほどこいつか、とニヤリと笑った。

そうと分かるや竜司は彼女に向かって走り、鉄パイプでその巨体に打ち込みを入れながら、言葉を浴びせた。

「よーよー高巻! 辛気くせー顔してんな!」

こんな時にもかかわらず、俺は竜司のそれに思わず笑みをこぼしてしまった。
彼女の顔はのっぺらぼうのようになっていて顔色なんて全然分からないはずなのだが、確かに俺にも、そんな風に見える。

「ま、学校であんな扱いされてりゃそれも仕方ねえか!」

もうちょっと上品に出来ないものかとも思ったが、その軽い口調の方が逆に功を奏したのか、彼女が動揺し始めた。

『誰よあんた! あんたに何が分かるのよ!』

図星を突かれたせいか、彼女の動きの激しさが増す。竜司は慌てて攻撃を止め、動きを回避主体に切り替えた。
仮面をかぶっているせいで、やはり彼女は俺達が誰だか分からないらしい。それをいいことに、竜司はどんどん捲し立てた。

「でもお前にも問題あるよな。裏で便利屋扱いされるの分かってていい顔してるんだもんな」
『うるさい!』
「つかお前の笑顔、傍から見ると愛想笑い丸出しで気持ち悪いし! そういうのもう止めた方がいいんじゃね?」
『うるさい!だまれ!』

足で俺達を踏み潰そうとしながら、彼女は耳の辺りを両手でふさぐ。彼女にとってはさぞかし痛い言葉だろうと思うが、俺も竜司のそれを止める気はなかった。
棘はある。しかしだからこそ、バラのように真っ赤で熱い言葉。
そんな言葉でないと、彼女の心にはきっと届かない。

「なぜもっと自由でいようとしない? 今のお前は、籠の中の鳥ですらない」

竜司のようには声を張らなかったが、それでもきっちりと聞こえたようで、彼女は上から俺を睨みつけた。
だが俺は、そんなことでは怯まない。俺は堂々と彼女の前に立ち、言った。

「お前は自分から籠に入っているだけで、いつでもそこから出てどこへでも飛んでいけるのに、そうしない。捕らえられた鳥でさえ、常に飛ぶ意思は持ち続けているというのに」

そんなものはもう鳥じゃない。人間じゃない。
そう突きつけるように言ってやると、彼女は目に見えてうろたえ始めた。頭を抱え、苦しそうにしながらわめき出した。

『うるさいうるさいうるさい!!』

自分を出し過ぎればすぐに誰かと対立して、最後にはきっと独りになる。それは何より怖い。だったら自分が自分でなくてもいい。それで居場所が出来るなら、それでいい。
彼女は苦しそうにしながらも、そう言い訳した。

確かに、周りを気にせず自由に振る舞っていれば、独りになってしまうこともあるだろう。彼女が言うその不安は、別に間違ってはいない。世の中はそういう人間に厳しいのだということは、少し人の中で生活していれば分かることだ。人との繋がりこそが何より尊ばれ、和を乱すやつは悪だと断ぜられる。確かに今は、そういう世の中だから。

しかし俺は、はっきりと聞いたのだ。

「お前は俺に、“いやだ”と言った。だからそれは、お前の本音じゃない」

たとえ孤独になろうとも、もっと自分らしくいたい。
直接口にはしなかったが、お前は全身で、そう言っていた。

ならば。

「“アルセーヌ”」

俺がそこから、出してやる。

お前が自分を出し過ぎないように、独りにならないようにと作り上げてきたその仮面。自らを守るはずだったそれらは、しかし自分を騙し、偽っているうちにおびただしい数にまで膨れ上がった。そして最後には、逆に主の心を縛る檻と化し、お前を苦しめ始めた。

それに堪えられないと言うのなら、何も難しいことをやる必要はない。その全てを徹底的にぶち壊してやればいい。お前がそうしなければ飛び立てないと言うのなら、俺がそうしてやる。このアルセーヌの炎で、全部燃やし尽くしてやる。

『Take Your Heart』。俺がお前の心を、自由の空に解き放ってやる。



















「俺さあ、あいつの前の感じ嫌いじゃなかったんだよね」

教室の後ろに陣取って、だるそうにそばの壁にもたれかかりながら、竜司はぼそぼそとささやくように言った。

「いや、あれな?性格とかじゃなくて、単に見た目な?あのちょっと地味なんだけど、よく見てみると結構可愛い?みたいな状態。黒髪ポニーとか今じゃもはやレアだし、あれ結構好きだったんだけどなあ」

竜司はそうして、彼女の方を残念そうな顔をしながら見やった。

「それがどうして、あそこまでになっちゃうかねえ」

竜司の視線の先。カーテンがゆるくなびいているその窓際の席には、教室の視線を一身に集める高巻の姿があった。
あれからしばらく学校を休んでいた彼女だったが、今日になって体調が良くなったのか、やっと戻ってきたのだ。

「まあいいんじゃないかアレも。俺は嫌いじゃないけど」

ただ、やはり俺達以外の教室の面々はかなり驚いたようだった。復帰した彼女は、前の彼女とは全く違っていたのだ。

彼女は、黒かった髪色をベージュ色に染め上げていた。そしてきちんと着ていたはずの制服も派手に着崩してしまっていて、一目では誰か分からないレベルにまで変わってしまっていた。
スカートにまでかかる大きめの白いジップアップパーカーを着込み、足には派手な赤いタイツ。遠目に見ると完全に私服で、ほとんど制服を着ているようには見えない。この変わり様だと、おそらく近しい人であってもすぐに彼女だとは気付けないだろう。

こうなってしまうと当然、普段彼女と交流のないクラスメイト達はおろおろするばかりだ。一体何があったのかと、彼らは今日一日ずっと彼女の方をチラチラと伺い見てばかりいた。放課後になったおかげでそれはますます露骨になりつつあり、今教室は、一種異様な雰囲気となってしまっている。

そして、いつものように彼女を囲んだ3人の女子も、彼女のそれを見てから一様に口をつぐんでいた。いつもと違って堂々とした顔でそこに座っている彼女とは対照的で、3人共心中複雑そうな顔をして彼女を見ていた。

それでも、今まで彼女に対してイニシアチブを取ってきた矜持のようなものがあるのか、ようやく3人の中の一人が、意を決したように口を開いた。

「杏……あんた、どしたの?」

その一人に追随して、固まっていた他の二人も口々に言った。

「そ、そうだよ……! 急に何でそんな……」
「何か嫌なことでもあったの……?」

しかし、3人がそう訊いても、彼女は動かなかった。彼女はただ腕と足を組みながら、前を向いているだけだ。
こちらからは彼女の顔は見えないが、俺には何となく、彼女が今どんな顔をしているか分かった。
たぶん、不機嫌そうに眉根を寄せている。

「ねえちょっと杏、聞いてんの?」

その様子に痺れを切らして、リーダー格っぽい女子が彼女に詰め寄った。
するとようやく、彼女はそれに深くため息をつきつつ言った。

「……別に。めんどくさいことをやめようと思っただけよ」
「めんどくさいこと?」

3人の女子の方がそう返したが、彼女はそれには答えなかった。
代わりに身体を横に向け、3人に正面から刺々しい言葉を浴びせた。

「てか、何?何か用?」

その遠目からでも分かる彼女の鋭い視線にたじろいだ様子の3人だったが、すぐにリーダー格っぽい女子が、その状態を嫌うかのように一歩前に出た。そしてその女子は、殊更彼女を上から見下ろすようにして言った。

「別に、いつもと同じよ? ノートを借りに来ただけ」

貸してくれるでしょ? とまた詰め寄るその女子に、しかし彼女は一言、冷たく言い放った。

「イヤ」

そして彼女は俺の時と同じように、話しながら鞄に物を詰め、帰り支度を始めた。

「あんた達、成績落ちてるんでしょ? 部活で忙しいからってあたしからノート借りてばっかいるからそうなるのよ。ちょっとは自分でやりなさいよ」
「なっ……!」

その返答に意表を突かれたのか、リーダー格の女子が驚いたような声を漏らした。
クラスメイト達はその様子をはらはらしながら見ているようだったが、俺と竜司は、口元を抑えたり別方向を向いたりして、笑いをこらえるのに必死だった。
自分の思い通りに動いてきた人間に急に拒否された上に、説教までされればそうもなる。俺達にとっては、その様子はただただ痛快でしかなかった。

だがあの3人にとっては気が気じゃないだろう。ここでこの狼藉を許せば、彼女に主導権を渡すことになってしまう。当然、見過ごすことはないだろう。
そう思っていたら、案の定リーダー格の女子が動いた。

「何あんた。ちょっと見た目変えたからって気が大きくなってんの?」と、必死なのか興奮しているのか、鼻息混じりにその女子は言った。「友達が困ってるって言ってるのに、ちょっと冷たいんじゃない?」

その言葉に、彼女の耳が大きくなったのが遠目にも分かった。俺達は固唾を呑みながら、彼女達の様子を見守った。
いよいよ核心だった。俺達のやったことがちゃんと彼女に伝わったのかどうか、ここで分かる。

「友達……。そうね、友達よね」彼女は静かに言った。「でも、あんた達にとってあたしは“便利屋”なんでしょ?」

彼女はそう言いつつ、また3人をキッと睨み上げた。
ここが勝負とばかりに、今度は3人共その視線にたじろぐことはなかった。しかしその後、すぐに表情を変化させた彼女を見て、結局3人共唖然として言葉を失った。

「まあ、最悪それでもいいよ?」と、彼女はいからせていた肩の力を抜き、柔らかい表情で言った。「少なくとも、あたしはあんた達を友達だと思ってるし。だからあたしは、あんた達にとって良くないと思ったことをはっきり言っただけ。ちゃんとあんた達のことを考えて言ってるんだから、別に冷たくはないでしょ?」

思わず俺は、ニヤリと笑ってしまった。竜司も同じだったようで、俺達は周りにばれないように笑い合った。
伝わったと思った。俺達が彼女に伝えたかった精神が、ちゃんと伝わっている。そのことが、単純に嬉しかった。

だがやはりと言うべきなのか、彼女の考え方は、3人には伝わらなかったようだ。

「杏……それでいいの?」
「それでいい?」
「あんたはあたしらと友達ではいたくない。それって、そういうことよね?」

彼女はそれを聞くと少し、いやかなり、複雑な表情をした。
優しげな表情でいて、しかし何かを諦めたかのように寂しげで、困ったような顔。
彼女はここに来て、何を言うべきか迷っているようだった。今日一日ずっと彼女の瞳に宿っていた強い光も、少し陰ったように見えた。

多少そうして逡巡はした。しかし彼女は、結局俺達と同じ選択をした。

「違うけど……。あんたがそう思うなら、そうなんじゃない?」

彼女はもちろん、そうするつもりはなかっただろう。だが3人には伝わらなかった。結局これが、彼女達の訣別の言葉となった。

「……そっ。分かった」

一人がそう言って背を向けると、他の二人も戸惑いながら彼女に背を向け、そのまま静かに教室を出て行った。
その捨て台詞も何もない別れ方が、かえって教室に深い余韻を残す。また誰かが教室の再生ボタンを押すまでずっと、それは教室の中をじわじわと漂い続けた。

こうなったのは少なからず俺達のせいなので、罪悪感がないと言えば嘘になる。しかし最終的な選択をしたのはあくまで彼女で、俺達は背中を少し押してやっただけに過ぎない。彼女は自分らしくいることを、自分で選んだ。それだけだ。俺達が萎縮する必要は全くない。
とは言え、彼女が今どういう心境なのか、気にならないという訳ではない。後悔しているのかしていないのか。それくらいは聞いておきたかった。

そんなことを思っていたら、帰りの準備が終わった彼女が、どういうわけかこちらにくるりと振り返り、真っ直ぐに俺達を見た。急にビタリと合ってしまったその視線に、竜司が小さく「げっ」と漏らした。
彼女はつかつかとこちらまで歩いてきて、そのまま無遠慮に距離を詰め、俺達を壁にまで追いやった。同時に周りの人間はモーゼの十戒のように彼女を避け、そのまま触らぬ神に祟りなしとばかりに、どこかへと行ってしまった。
しかし俺達の方は、突然過ぎて逃げることが出来なかった。女子のくせにやたらと顔を寄せてくるものだから不用意に動けず、とりあえず顔を逸らすことくらいしか出来なかった。

「あ、あのー……何? どうかした?」

追い詰められた泥棒よろしく、すぐに両手を上げて降参ポーズを取った竜司が、おそるおそる言った。

「何か、怒ってる? 俺達別に何もしてないけど……っておーーっと!?」

機嫌を損ねないように言ったつもりだったのだろうが、どうにもしらじらし過ぎた。竜司は彼女にドンと押されて、蚊帳の外に追い出された。

「あんたは後」

そして彼女は、また俺に詰め寄った。少しふいを突かれたせいで俺は壁にもたれる形となってしまい、それをいいことに、彼女はずいと殊更俺に顔を寄せた。

「笑い過ぎなんだけどあんた達」
「いや、俺達は別に……」

演技っぽさを消せばどうにかなるかと思い、とぼけようとした。しかし彼女は、そうしようとした瞬間俺の顔のすぐ横にドンと手をついて、俺を睨み上げた。

「いやバレバレだから。あんた達だけだから、笑ってたの」

ごまかしは通用しないらしい。彼女はやはり、覚えているのだ。

「それと、この前はずいぶんと好き勝手言ってくれたわね。あたしのことなんかほとんど何も知らないくせに、何なのあの言い草は」

人差し指で俺の胸を小突きながら、彼女はそう言った。
何か返した方がいいのだろうが、どこまで彼女が覚えているのかが分からなくて、下手に話し出すことが出来なかった。もう少し彼女が何か話すまで、俺はとりあえず黙ったままでいることにした。

あの日、彼女との戦いは壮絶を極めた。彼女の心は俺達の言葉によって揺らいでいたが、それでも彼女は、激しく抵抗した。おかげで俺達もぼろぼろになってしまい、自分達のかぶっていた仮面がいつの間にか剥がれ落ちてしまっていたことに、最後まで気付けなかった。
つまり俺達は、顔を見られてしまった。だから彼女は、ある程度確信して俺達に話しかけてきている。この状況は、おそらくそういうことだろう。

そうして何も言えずに、沈黙が重くのしかかってきた頃。彼女は黙り続ける俺を見て、ふっと呆れたように鼻から息を吐いた。

「何よ。だんまり?」

近くにあった空いている机に腰掛けながら、彼女は言った。

「あれ、絶対あんた達よね。あの世界がなんなのかはよく分からないけど、あんた達の顔ははっきり見えたんだから、今更ごまかさないでよ。あんたはちょっと自信なかったけど、そこのド金髪が目立ち過ぎで、分かりやす過ぎ。二人でいるの見たらすぐ分かった」

あれは夢ではなく現実。彼女はもう、そう断定して話をしていた。どうやらかなりはっきりとあの日のことを覚えているようだった。

「あんた達なんでしょ? あれ」

少し迷ったが、俺は頷いた。

「……ああ。そうだ」

そもそも目の前であれ程強い意思表示を見せられたら、とぼける理由など最初からなかった。彼女は俺達と同じ考えを持つ、同士なのだ。
俺のその返答に満足したのか、彼女はそこでようやく表情を緩めた。

「でしょ? 何で隠すのよ。怒られるとでも思った?」
「いや、そういうわけじゃない。説明するのが難しいから、何も覚えてなかったら放っておこうと思ってただけだ」

俺がそう言うと、彼女はむっと顔をしかめた。

「何よそれ。あれだけ好き勝手しといて、それはないんじゃない?」

しかしそうして咎めるようなことを言いつつも、その顔は本気で怒っているような顔ではなかった。
なぜだか少し、楽しそうに見えた。

「で? どうしてくれるの? これ。あんた達にそそのかされたせいで、あたし居場所なくなっちゃったんだけど」

あの真面目一辺倒に見えた彼女とは、やはり少し違う。意地悪そうにニヤニヤと俺に笑いかける彼女は、すごく普通の女子っぽくて、前よりも生き生きとしているように見えた。

「なんだ。そこまで自分でやっておいて、後悔してるのか?」

この分だと、彼女はもう色々と吹っ切れているのだろう。
そう思って訊いてみたが、実際はちょっと違うようだった。

「……ん。後悔って言うか」

打って変わって、彼女は少し疲れたような顔で言った。

「たぶん、正解じゃないよね。これって」

そうして彼女は地面に目を落とし、ぽつぽつと話し始めた。

「こうやって自分に嘘をつかないで、他人にも真っ直ぐに接して……ってさ。これって他人との面倒な駆け引きとか色々考えなくて良くて、すごい気持ちいいことだとは思うんだけど……。それだけじゃダメな場面って、たぶんあると思う」
彼女は足をぶらぶらとさせながら続けた。
「直球だけじゃ、それを受け止められない人もいるんだよね。だからそういう人にはもっと緩く投げてあげたり、色々相手のこと考えて投げたりしてあげた方が、ホントはいいんだと思う。あたしみたいに、誰かに背中押してもらわないと変われないような、そういう弱い人間だって、世の中にはいっぱいいると思うし」

彼女はゆっくりとした口調でそう言った後、小さくふう、と溜息をついた。
やはり少し後悔してるのだろうか。そう思って俺が口を開こうとすると、しかし彼女にそれを手で制された。

「あたしもね、やっぱり今日家ですごい迷ったんだ。こんな頭で、こんな服で学校行ったらどうなっちゃうんだろうって。親にはもちろん心配されたし、こんなんだと先生にも根掘り葉掘り聞かれるだろうし、クラスの人には変な目で見られるんだろうなとか色々考えちゃって、身支度しながらちょっと足が震えてた」

「でもね」と、彼女はゆっくりと目を閉じながら言った。

「誰かに見られたら、もうこの自分で通すしかないって覚悟が出来ただけなのかもしれないけど……いつもみたいに靴を履いて、親にいってきますって言って、震える手で何とかドアを開けたら、もう大丈夫だった。外に出たら、嘘みたいに空が高く見えた。その空を見上げながら、ぐうって1回伸びをしたら、急にふっと体が軽くなった。もうホント、どこへでも飛んでいけそうなくらい、一気に」

彼女はそこで目を開き、俺を真っ直ぐに見据えた。

「だからとりあえず、今はそれでいい」

その瞬間、俺は思わず目を見開いてしまっていた。彼女ははっきりとした口調でそう言った後、とても柔らかい微笑みを俺達に見せた。
その笑顔は、前に彼女がしたあの張り付いたような笑顔ではなかった。誰かに見せるために無理やり作ったものでも、乾いたものなどでもなかった。それはどこまでも自然なものだった。
彼女のその赤いタイツのせいなのか、あるいは最近した思考のせいなのかは分からない。とにかく俺は、彼女のその笑顔を見た瞬間に、すぐにそれを心の中で形容してしまった。
まるでバラの花のようだと思った。固く閉じていたつぼみが朝露と陽の光に刺激され、美しい真っ赤な花を開く。そんな一種神聖な瞬間に立ち会ってしまったかのように、彼女から目が離せなかった。

竜司も同じように、何か思ったのかもしれない。ずっと黙っていたが、ここでようやく口を開いた。

「何だよ。普通に笑えるんじゃん」

その横槍に、急に今までの色々が恥ずかしくなったか、彼女は竜司に向かって思い切り毒づいた。

「うっさい! あんたのことはまだ許してないんだからね!」

普通なら尻込みしてしまいそうなものだが、元々ツッコミ気質の竜司は、負けじとそれに返した。

「何でだよ! てかこいつのことはもう許したのかよ!」

そうしてやいのやいのと言い合いを始めてしまった二人に、今度は俺が蚊帳の外に出される。

「こいつを許すんなら俺も許してくれたっていいじゃんかよ! 同じ金髪のよしみだろ!」
「は~? あんたの下品な金髪と一緒にしないでよ! あたしのはベージュです。べ・え・じゅ!」

彼女は竜司と言い争いながらも、やっぱりどこか楽しそうに見えた。
たぶん、言葉が真っ直ぐに飛び交うのが心地いいのだ。その気持ちは良く分かる。
変化球ばかりで捕球出来ないキャッチボールより、ただ真っ直ぐに飛んでくる球を捕り、それをただ真っ直ぐに何度も投げ返していく……そんなごく普通のキャッチボールの方が、楽しいに決まっている。

やがて、そうしてひとしきりお互いを罵倒し合った後。彼女はふんと鼻を鳴らし、くしくしとツインテールの片方を梳きながら言った。

「てか、そんな許すとか許さないとかどうでもいいことは置いといて」
「お前が言い始めたのに!?」
「……うっさいなー。ちょっとあんたホント黙っててよ」

まるで虫でも払うかのようにしっしっと竜司に手を振った後、彼女は俺の方に向き、改めて言った。

「で、どうしてくれるの? まさかあそこまでやっといて、あたしをほっぽって行く気じゃないでしょうね」

彼女の言いたいことは、とっくに分かっていた。俺はもう、何が言いたい? などとは訊かなかった。
彼女もそして、もう回りくどいことは言わなかった。

「とりあえず、あたしもあんた達のやってることに混ぜなさいよ。それくらいの責任はあるんじゃない?」

彼女は俺にそう迫った。もはや俺がどう答えるのか分かっているかのような、自信満々な顔で。

「……そうだな」

彼女と俺の考え方は、少し違う。いやもしかすると、根本的な部分から違うのかもしれない。
俺は俺達の考え方こそが正しいと信じている。でも彼女は、『間違っているのかもしれない』と思いながら、今の自分に身を委ねている。この違いは、小さいようでとても大きい。
でも俺は、その彼女の申し出に、結局首を縦に振った。

「確かに、責任がゼロという訳じゃないしな」

すると彼女は、ぴょんと机から小さく飛び跳ねるように立ち、「やたっ」と、嬉しそうにガッツポーズをした。
しかしそれを傍で見ていた竜司は、俺が勝手に決めたのが不満だったのか、すぐに難癖をつけてきた。

「え~? そんな簡単に決めていいのか~?」

するとやはりと言うべきか、彼女は俺が何か言うよりも早くそこに突っかかっていった。

「ぷっ。あんたリーダー様に信用されてないんじゃない?」
「んなこたねえし! ……つか何だよ。リーダーは俺かもとは一切思わねえのかよ!」
「え? だってあんた、見るからに手下Aって感じだし、絶対違うでしょ」

ぐぬぬ、と旗色の悪い竜司が助けを求めるような目で俺を見たが、俺はそれからすっと目を逸らした。
確かにまあ、安易に決めてしまったかなと思う俺もいる。でもたぶん、よく考えても結果は一緒だったと思う。

「てか早速で悪いけど、今からあんた、手下Bに即格下げだから。あたしの方が断然頭いいし、色んなとこで役に立つと思うし」
「いやいやいや! 俺だってそんな悪くねえし! あの予告状とかも作ったの俺だし!」
竜司がそう言うと、彼女は心底意外そうな顔で竜司を見た。
「え、あれあんたが作ったの……? 無駄に器用ね……」
「無駄じゃねえし! すげえ人生において役に立ってるし!!」
「……てかあんた、さっきから必死過ぎじゃない? こんなことで……」

ついに地団駄まで踏み始めた竜司を、彼女は「子供みたい」とくすくす笑った。でも俺にはその彼女の顔も、子供のように無邪気で、無垢なものに見えた。
やっぱりな、と思ってしまった。たぶん俺はどう考えようと、結局最後には彼女を仲間に入れただろう。
彼女と俺の考え方はたぶん違う。でもこうして明け透けに笑う彼女の顔を見たら、すぐにそんなことはどうでもいいという気になってしまう。花が咲いたようなその笑顔は、俺達の持つ心  バラの精神  を、何より体現しているように見えるから……。

だからきっと、今はこれでいい。
そうして俺は、ぞんざいに扱われ過ぎてもはや涙目になっている竜司に心の中で言い訳しつつ、もうすでに旧知の仲のようにお互いを茶化し合う二人の輪の中へと入って行った。
たぶん、いや必ず、こいつらとは長い付き合いになる。そんな風に、らしくないことを思いながら。







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