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(くまたそブログ)
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「きゃぅ!!!」
「うお!?」

小動物のような悲鳴を上げ、目の前で勢い良く後ろに飛び退いたのは、もちろん中に居た直斗だった。

「あ、あ、あ、あ、あ……」

まるで追い詰められた泥棒みたいに壁に背を張り付けながら、呆然と直斗は立ち尽くしていた。
何だかよく分からなかったが、とりあえず俺は、ほっと胸を撫で下ろした。
どうやら大丈夫なようだった。これだけ機敏に動けるのなら、たぶん体に問題は無いはずだ。

「な、な、何で……」

しかし顔は、異常なくらいに紅い。やっぱり少し過呼吸気味なのかもしれない。

熱に浮かされたように、目には少し涙も滲んでいる。
ちょっと尋常じゃないその様子に大丈夫かと声をかけようとしたが、それは隣の大声にかき消されてしまった。

「ああやっぱり!お客様、よくお似合いですよ~!」

普段の俺なら、たぶん怒鳴っていただろうと思う。急に耳元でキンキンした声を上げるんじゃねえ!と。
だけど俺は、言わなかった。と言うより、言えなかった。
気付いてしまったのだ。目の前の光景に。

どうしてこんなに必要以上に顔が赤く見えるのかと思ったら、コントラストのせいなのだった。
そう。直斗はしっかりと試着を終えていたのだ。慌てていたせいで、全然目に入っていなかっただけで。

「ワンピースみたいに単独で使うにはちょっと丈が足りないものなので、こうして下に柄物のスカートを履いたりだとか、あとは、今日お客様がお召しになっていたようなショートパンツや、普通にジーンズを履いたりしてもいいかなと思います。ホントに一着あるだけで、色んな着方が出来て便利ですよ~」

ああ、これワンピースじゃなくてチュニックってやつか?
店員が言った通り、直斗はその白いチュニックの下に濃い目の色で統一された花柄のスカートを穿いていて、裾から少しだけその柄が見える着方をしていた。チュニックのフリルの部分は確かにちょっと透けているので、こうして着る方が良いのだろう。
……つか、ご丁寧にちゃんとタイツまで脱いでやがるのな……。

直斗が固く目を閉じていて良かった。俺はその姿から、しばらく目を離す事が出来なかった。

「どうですか~彼氏さんも。今回はワンピース的な着こなし方なんですけど、いいですよねえ~?」

足……足が……なんか妙に……。

「彼氏さん?」

店員の声にハッとして、俺は直斗に釘付けになってしまっていた目を慌てて逸らした。

「な、なんスか?」

また鼻の奥が熱くなってきていたのを散らそうと、小鼻をぐっと抑える。それに気を取られて、つい返事をしてしまった。いい加減違うと言っておかないと、面倒な事になりそうだ。

「いや俺は彼氏じゃなくて……」

しかし俺が言い終わる前に、店員は何かが気に入らなかったのか、なぜか俺の方に近づいてきて肘で俺の脇腹を割と強めに小突いた。
さっきまでのウソっぽい笑顔はどこかに行って、しかめっ面で、耳を貸せと言わんばかりに指でちょいちょいとジェスチャーする。

(なんスかじゃないでしょあんた)
(ああ?)

ささやき声だが急に馴れ馴れしくなった店員に、俺はついつい凄んでしまった。
何なんだよ急に。

(彼女が不安になってるんだから、ちゃんと褒めてやらなきゃだめじゃないの。何ぼけーっと突っ立ってんのよ)

俺の胸を、拳の裏でトントンと叩きながら睨み上げてくる。女に凄み返されたのは初めてだった。

(ああん?不安だぁ?)

条件反射で睨み返そうとしてしまう俺。……のはずだったが、今自分で発したはずのワードに違和感を覚えて、とりあえずそれは思い留まる。

(……不安?)

また言葉にしてみて、少しその正体がはっきりしてくる。ちょっと待てよ。
何か小さな虫が体を這いずり回っているような、ぞわぞわとした焦燥感に駆られた俺は、再び直斗に方に目を向けた。
涙の滲んだ瞳に、少し紅い顔。それはつい最近、どこかで見たことがあるあいつの顔だった。

(……おいおい)

見た事がある。見たこと事があるじゃねえか、この顔は。
全てを理解して、自分の馬鹿さ加減にため息が漏れた。どうしてすぐに分からなかったのか。直斗は今日ずっとそわそわと、不安そうにしていたというのに。
こいつにとってこういう格好をするという事は、俺が思っているよりもはるかに冒険なのだ。いい加減俺から気付いてやらないでどうする。そりゃこんな服着るんだから、人前に出る時は深呼吸の一つや二つ、あいつならやりたくもなるだろう。

(でも褒める……ったって……)

この状況は正直言ってやばい。困った。直斗を見てすぐに思った事はある。なのにそれを全く言葉に出来る気がしないのだ。頭から口に直結して、相手を攻めるような言い方をしてしまう事があるくせに、こういう時には本当に口が回らない。

(何て言やいい……)

やっぱりだめそうだった。分かっていても難しい。自分はセンパイみたいには、一生なれないのかもしれない……。
誰かに縋りたい気持ちが出てしまったのか、つい情けない言葉を口にしてしまった。それを耳ざとく拾った店員が、仏頂面で言う。

(そんなの、あんたが自分で考えんのよ。当たり前でしょうが……っ!)

すっかりキャラの変わってしまった店員は、「もう1回。やり直し!」と言って俺から離れていき、直斗の方に戻っていった。
何をするかと思ったら、店員は意地が悪そうな顔で俺の方を見ながら、あろうことか、こう言った。

「どうです彼氏さん。可愛いと思いませんか~?」

直斗に聞こえるようにか、殊更大きな声で店員はそう言い、俺はまた半ば無理やりバッターボックスに立たされた。……こいつマジか。
さすがに二度も答えない訳にはいかない。直斗の不安を煽る事になりかねない。

(うぐぐ……)

俺は喉元から飛び出そうになる抗議の声を、なんとか必死に飲み下していた。
これはもしかするといい機会なのかもしれない。そう思い始めていたからだ。

もし俺のこのダメな部分を変えていくすべがあるとすれば、それはもう少しづつ、何とか自分の頭で考えた言葉を、自分の言葉で素直に言うようにするという、ごく当たり前の事をやっていくしかないのかもしれない。どんなに難しいと思っていた事だって、単純に何度も何度も反復していれば、出来るようになっていくはずだ。失敗して怪我するのを恐れていたら、いつまで経っても出来やしない。泥だらけになって膝すりむいて、そうやって最初はよろよろ乗ってた自転車だって、そのうち難なく乗れるようになった。きっとそれと、同じなのだ。

そう考えると、いい機会のような気がしたのだった。どこかで強制されなかったら、このままずるずると何も出来ないまま過ごしていた可能性は大いにある。

「ああ……何だ、その……」

とにかく、何か言ってやらなくちゃならない。

「何つうか……新しい境地?っつうかよ……その……悪く、ないんじゃねえかと……」

言いながらむかむかとしてくる。自分で自分の言葉にいらついて、俺は歯を食いしばってしまっていた。
違う。こんなんじゃ、今日あいつと会った時の言葉と変わらない。俺が本当に思っている事はそれじゃない。

「いやその、よ……」

しかしやはり、怖い。元々口の回る人間ではない上に、こいつとの関係が少しでも変わってしまう可能性のあるような事が、今はどうしても出来そうにない。
何も言えずに時間が経つ。それにつれて、体の緊張がみるみるうちに解けていってしまう。

いつもと同じだった。気持ちがどんどん萎えていって、俺は開きかけた口を引き結び、そのまま……。固い決意で握っていたはずの拳も、最後には開いてしまう。
喧嘩が強いだ何だと言われる事もあるが、そんなのは全然嬉しくない。自分の拳は、本当はこんなにも柔らかいのだから……。

(だめだ……)

やっぱりもう少し、時間が欲しい。次だ。次こそは、絶対。
いつの間にか、そうして心の中で言い訳をし始めている自分に気付く。我ながら情けないが、こうなってしまったらもうだめだ。またしばらくして、気力が湧くまで待つしか無い。
ここは軽い感じでごまかそう。それがこいつのためにもきっといい。それがいい。

と、無理やり結論づけて、再び直斗に向き直した俺を待っていたのは、しかし。
身を固くして、見ているこっちが不安になるくらいに体を小刻みに震わせる、あいつの姿だった。

心臓がひやりとした。今度は冷たい焦燥感が体中を駆け巡って、反射的に何か声をかけようとしてしまったが、それは何とか寸前で止めた。
何と声をかけるつもりだったのか。また大丈夫か?とでも言うつもりだったのか。

(馬鹿か俺は……)

あんなに震えてるじゃねえか。何悠長な事言ってやがるんだ、俺は。
こいつの、この一種の病気みたいなものを和らげてやれるかもしれない薬を、自分は持ってる。なら最初から、やるこた一つじゃねえか。
もしかしたら、と考え始めたら、もう居ても立っても居られなくなった。こいつは今日、俺が来るのを一人で待っていた時も、実はこんな状態だったのかもしれない。自分だけではどうする事も出来ない寒さに、こうしてずっと震えていたのかもしれないのだ。

気付くと俺は、拳を痛むくらい強く、固く握り締めていた。
我慢がならない。それだけは。それは何も、今日だけの話じゃないのだから。
こいつがどこかでこうやって勇気を出して変わろうとする度、また同じように震えるのかもしれないのだ。
独りで。俺の居ない、手の届かない所で。

「……直斗」

そんな事をさせてしまうくらいなら、

「目、開けろ」

今ここで、何かが終わってしまっても、変わってしまっても、

「……巽君?」

構わないと思った。

身を守るように自分の前で腕を交差する直斗に寄って、俺はその手を取ってやった。
そこまでしてようやく、こいつは恐る恐る目を開いた。怖いものでも見るかのように、ゆっくりと、片目ずつ。
瞳が揺れていた。目にはまだ、うっすらと涙が滲んだままだ。
掴んだ手首は細く、極度の緊張状態のせいか、少ししっとりと汗ばんでいた。

「なんでそんなビクビクしてんだ?」

一刻も早くこの状態から抜け出させてやりたい。そう思ったら、もう言葉は自然に出てきてくれた。

「すげー似合ってんのに」

瞬間、目の前の瞳が大きく揺れた。

「え……?」ただでさえ大きな目が殊更見開かれる。「今何て……?」
「ああん?……ったく」

分かってはいたが、俺は頭を掻いた。
俺からこんな言葉が出るなんて、こいつにとっては全くの想像の外なのだ。だから聞き返してくるのも無理は無いのだが、そうは言っても、さすがにもう一度同じ事を言うのは少し恥ずかしかった。

俺は一度、咳払いをした。
それでも、俺は言ってやる。たぶん何となくは聞こえているんだろうし、ここまで来たら、何回言ってもおんなじだ。

「似合ってるっつったんだよ。マジで」

冗談や嘘っぽくならないように、しっかり目を見て言いながら、俺は直斗をその場に立たせてやった。
実際これはお世辞なんかじゃない。ただ単に、俺が素直に思った事をそのまま言っただけなのだ。もう言ってしまった事なのだから、どうせなら正しく伝わってもらわないと困る。

そのまぶしい白のチュニックは、直斗に本当によく似合っていた。ぼわっとしてしまいがちなその色に、落ち着いた色の花柄スカートが入る事で、全体をきりっとしめている。その袖から伸びる腕も嘘みたいに白くて細く、裾から伸びる足はすらりと真っ直ぐで、加えてその肌には、温室で育ったのかよと思うくらい小さな傷の一つすらない。
一言で言えば、無垢。手垢の一つすら付けるのを躊躇してしまう、底抜けの透明感をそのまま具現化したかのような姿。それが、今の直斗だった。

裸足だからなのか、何となく海岸を歩く、静養中のどこかのお嬢様みたいな絵を想像してしまう。これでちょっとおしゃれなサンダルを履いていたり、
「こうですか?」
大きめなストローハットなんか目深に被っていたりしたら、
「こうですかね」
そう。ちょうどこんな感じで、まさに、といった姿になるだろう。

(……ん?)

奇妙な感覚に、俺ははたと我に返った。頭の中の想像と、目の前の映像がシンクロしている。
何かがおかしい。そう思った時には、しかしもう遅かった。

「あの、巽君……」

そのいつの間にか深く被せられたストローハットの奥から、直斗はさっきとは少し毛色の違う恥ずかしそうな声を漏らした。そのツバを握り締める手と腕は真っ赤になっていて、今直斗がどんな顔をしているのかが、何となく想像出来てしまう。

「あ……う……」

全てを理解して、俺は打ち上げられた魚みたいに口をパクパクさせながら呆然と立ち尽くしていた。そこに店員が寄ってきて、また俺に耳打ちした。

(そこまで言えとは言ってないんだけど……でもグッジョブ!)

そうしてぐっと親指を立てる店員を見て、俺はもう耐えられなくなった。


「ぎゃああああああああああああああああ!!!」


いつからか俺の思考は口から漏れていて、周りに丸聞こえだったらしい。あまりの恥ずかしさに、俺は一目散にその場を逃げ出した。さすがにこれは、いくらなんでも恥ずかしすぎる……。

(どっからだ……)

店を出た後、どこまでも走り去りたくなる気持ちだけはなんとか抑えて、俺は店の前にしゃがみこんだ。
一体どこから漏れていたのか。今改めて思い出してみると、ものすごい恥ずかしい表現をしていた気がする。ただでさえセンパイ達に族っぽい感性だのポエム属性だのからかわれてんのに……。
しばらくそうして頭を抱えながらごにょごにょと考えていると、後ろでドアの開く音がした。たぶんあいつが出てきたのだろうが、振り向く気には全然なれなかった。

「巽君」

どういう顔を向ければいいかわからない。やっぱりどこかへ逃げておくべきだったかもしれない。

「……あの、大丈夫ですか?」

続けて声を掛けられると同時に、背中にガサリと何かが当たる。
まったくそうする気など無かったのに、紙袋?と思った瞬間、思わず俺は振り返ってしまっていた。

「…………まさか」

直斗はかなり大きめな紙袋を手に提げ、きょとんとした顔を俺に向けた。

「それ」

俺が紙袋を指差すと、直斗は「ああ、これですか」と頬を掻いて、少し照れくさそうに笑った。

「これは、さっき着ていたものを一式頂いたんです。その、何というか……」

せっかくなので、と直斗は言った。
何がどうせっかくなのか、俺はまた、思考を強いられた。
せっかく沖奈にまで来たので?せっかく店員が頑張って見繕ってくれたので?それとも……?

「……そうかよ」

聞ければ良かったのだが、俺はそこでいじけたガキみたいな返ししか出来なかった。
また元の、柔い拳の巽完二である。まったくもって不甲斐ない。

「はい」

でもこんな、眩しいくらいの満面の笑みをこいつに向けられてしまっては、たぶんきっと、どんな時でも俺は口をつぐむしかないんだろうな。そう思ってもいた。
……まあもう、何でもいいわな。機嫌は良くなったみたいだし。

「次は、どうすんだ?」

こいつが隣で笑ってるだけで、足の裏がムズムズし出す。ふつふつと何とも言えない気持ちが湧いてきて、意味も無く突然走り出したくなったり、叫び出したくなったりする。まるで遊園地を目前にした子供みたいに。
そんな風に俺を少し浮足立たせるニコニコとした顔をこちらに向けながら、直斗は言った。

「お腹空きませんか?」

言われて俺は、時計に目を移した。
時刻は12時少し前。そばの映画館からは、ちょうど上映が終わり際なのか、ちらほらと客が出てきている。
俺は何事もなかったかのようによっこらせとじじくさく伸びをしながら、その場に立ち上がった。

なんかもう、色々あり過ぎて疲れた。学校のマラソン大会の方がまだいくらか楽なんじゃないだろうか。
体の芯に疲れを感じる。確かにそろそろ、どこかで一息ついた方がいいかもしれない。








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